ラストダンジョン 03
自分の嫌いな奴をロムの弱点に設定したわけですが、実際に戦わせるにあたり嫌すぎて筆が進まず苦労しました。
ダメだね、ホント。
ジュリーは部屋に入った瞬間、何かに絡め取られた。
「サスケ、入るな!」
とっさに叫ぶも時すでに遅く、サスケもその何かに絡め取られた後だったようだ。
それは糸だった。しなやかで強靭、粘性があって彼らの体の自由を奪っている。強引に引きちぎることが出来ないほどではないが、もがけばもがくほど周りの糸に絡まり文字通り自らの首を絞めることになる。
「これは……」
ゼンがその様子を呆然と見つめながら呟く。
規則的で幾何学的な模様を織り成す糸の網。もうここに何がいるのかは明らかだ。問題はどんな種かだ。部屋を見回すと一面に張られた巣の中心部に地味目な涅色の腹の丸く大きな蜘蛛がいた。見た目で三十センチを超えていそうだが、蟻などと違いミクロンシステムで巨大化されているわけではないだろう。
だがこれは最大のピンチだ。
ゼンは肩口にロムを振り返る。彼はすでに鳥肌もあらわに小刻みに震えていた。どんなトラウマがあるのか知らないがそれはロムの唯一と言っていい弱点だったのだ。しかし、この状況ではもうロムに頼る他はない。
「ロム」
ジュリーはなんとか手にしていた日本刀を投げてよこす。
「ロム」
ゼンが声をかける。ゼンでは勝てない。ロムも頭ではわかっている。ゼンも自身の運動神経を言い訳に剣の稽古を避けていたわけではない。彼もまた精一杯剣をを振ってきているのだ。しかし、悲しいかな二人のようには実戦で戦えるほど上達していなかった。おそらく一時的に自分の身を守る程度にはなっているだろう。でも相手を倒せる剣術には到達していない。
「戦えるのはあなただけなんです。お願いします」
自身の不甲斐なさは十分承知している。だからこそロムに頼む理不尽さに心が痛む。
「アレらは一般的に獲物の動きを封じるため、麻痺毒を持っていると言われています。普通なら効くものではありませんが、我々は十分の一に縮小されていますから影響がないとも言い切れません。それに、私も咬まれたことがあるのですが……痛いんですよ、かなり」
今や二人とも身動きが取れないほど絡まっている。揺れの収まった巣の中心から蜘蛛が音もなく二人に近づいてくる。感情の読めない八つの目と威圧的な模様が恐怖感と嫌悪感を彼らに与える。
ロムは全身が総毛立ち小刻みに震えているのを自覚していた。呼吸も浅く速くなっている。額には玉のような汗、背筋にも冷や汗が一筋流れたのを感じる。
(たかが三十センチ)
そう言い聞かせるが、普段五ミリに満たない蜘蛛でさえ飛び上がり悲鳴をあげて逃げ出すロムにはなかなか気力が湧いてこない。本来なら戦術を練るためにも相手を観察しなければならないが、その姿を視界に入れることさえ体が受け入れない。
足を一本二本落としただけじゃダメだ。突いても虫は簡単に絶命しない。やはり頭部と胸部を区切る頸溝部で切り離すのが最善だろう。しかし、そのためには側面に回らなければいけない。目の前一面な広がる巣網を避けながらそれが出来るのか? いや、そもそももう考えている時間がない。
ロムは意を決し、ジュリーが造った日本刀の切れ味と自分の技量に膂力を信じる一種の賭けに出た。
震える喉で大きく息を吸うと丹田に意識を集中しながら呼吸する。空手の呼吸法である息吹だ。一時的に震えが止まり気が満ちる。
拾い上げた日本刀で手近な縦糸を切断すると、巣網は張力の均衡を崩す。それに反応して動きを止めた鬼蜘蛛に対し大上段から垂直に押し込むように雄叫び上げて斬り下ろす。その斬撃は刀の鋭利さとロムの技量を背景に対象を文字通り一刀両断した。
ゼンは蜘蛛の亡骸をロムの視界に入らないように部屋の隅に移動すると、蜘蛛の糸に絡みとられている二人を救出する。
「助かった……」
未だまとわりつく糸を払いながら、ジュリーが息を吐く。
「大丈夫でござるか?」
尋ねられたロムはゾクリと身を震わせて頷いた。
「すぐに出発した方がいいな」
「そうですね…」
緑青が全体を覆っている青銅の扉には鍵がかかっているが鍵穴はない。これも東京のダンジョンと同様である。壁を調べるとやはりスイッチとなるレンガを見つけることが出来た。解錠し扉を開くと生臭い湿った空気が肌にまとわりつく。
「隊列は?」
ジュリーが通路に足を踏み入れる前にゼンを振り返る。
「まだロムに頼るのですか?」
「……」
「腹を括るでござる」
二人に促されジュリーは一歩踏み出した。
凄惨な戦闘の跡と敗者の骸。奥歯を噛み締め肚に力を込めてこみ上げてくるものを堪えながら進むと、暗闇の向こうからひたひたと近づいて来る生き物の足音が聞こえてきた。目配せを交わし頷きあった二人は互いに真剣を抜き放ち正眼に構える。
曲がり角からのそりと現れたのは頭が二つある闇に溶け込むような漆黒の犬だった。精悍なドーベルマン系の顔にボクサー犬のような引き締まった体躯、尾は蛇になっていてそこにも自由意志がありそうだった。
「こいつは冥界の番犬って呼んでいいのかね?」
互いに警戒してにらみ合う中、視線を外さずにジュリーが呟く。
「私は黒妖犬を連想しましたが」
「名前など今は問題ではござらん」
「そうだな…とりあえず合成獣だ」
言って生唾をごくりと飲み込んだのに反応したのか、キメラが猛然と突進してきた。自身に向けられる切っ先を嫌ってか左右に体を振ってかわそうとするが、ジュリーは後ろに引いている右足を小さく回すように移動させながら常に正面を向くように切っ先を向け続ける。埒があかないと見て取ったのかキメラは飛び退って距離を取る。その動きに合わせるようにジュリーが距離を詰める。着地のタイミングに合わせるように突き出された突きを体を捻ることでかわしたキメラはサスケの追撃となる下からの斬りあげをも交わす。
だが、いかなキメラといえど息の合った連携を完全にかわすことは不可能だったようで左の頭の左目に切っ先を受け、左の頭からきゃんきゃんと甲高い悲鳴があがる。それで一気に形勢が有利に傾くのであればいいのだがそうもいかないようで、右の頭が殺気を撒き散らしながら低く唸って威嚇してくる。尻尾の蛇もこちらに鎌首を向けて威嚇している。
「どの頭が体を動かしてるんだ?」
「知らんでござる」
「どんな操作で造られたかにもよるでしょうが、全身が攻撃姿勢をとったままなことを考えると少なくとも今現在は右の頭が優位に支配していると考えていいと思います」
「蛇は無視していいんだな」
「それは間違いありません」
疑問点を確認したジュリーは右の頭に攻撃を絞ると決めたようだ。サスケはフォローとして左目を失って戦意をなくしている左の頭に注意を向ける。
じりとすり足で一歩、間合いを詰めるジュリーに同じだけ距離を取る双頭の犬。まだ右の頭は戦意を失っていないようだ。ジュリーは自分の呼吸が少しずつ浅く早くなってくるのを感じていた。睨み合いで精神が疲弊して身体疲労を伴いだしているのだ。このまま均衡が続けばこちらが不利になる。だからと言って無理に先制してもまだまだ彼の刺突は当たる気がしない。大声などで威嚇して逃げるように仕向けるか? いや、手負いで逃がすなど危険行為でしかない。いつ不意を突かれて襲われるかと神経をすり減らしながらの迷宮探索など御免蒙りたい。
「ロム、危なかったら助けてくれるよな?」
背中を向けたままそう言われたロムは、棍を頭上で一度旋回させると突きの構えを取る。
「二人で仕留められるだろ」
「言ってくれる」
ジュリーは右の口角だけをわずかにあげると陰鬱な空気で一度肺を満たしてからゆっくり吐きながら、勇気を鼓舞して正眼の構えを左上段にあげる。
(大丈夫、オレの鎧はちゃんとオレを守ってくれる)
暗示に乗らなければ一気に萎えてしまいそうな心を抑え込みつつ胴を晒す。息を吐きる直前を見計らうようにキメラが突進で一気に距離を詰める。
(間に合え!)
ジュリーはなけなしの空気を音にして吐き出しつつ真剣を振り下ろす。その剣速はおそらく自身最速だと自覚できたほどの勢いで振り下ろされたが、当たったのは鍔元だった。それでも間に合ったことにかわりない。
刃は右の頭の頚動脈を断ち切り鮮血を吹き上げる。サスケは素早く左側面から胸部に刺突して止めを刺す。
流石に二度目と言うこともあり、必死にこみ上げてくるものを抑え込むという感じではなかったが、それでも気分のいいものではない。
「先へ進もうか」
ジュリーが促すのをゼンが止める。
「キメラを調べさせてください」
「これを?」
「ええ」
ジュリーが逡巡する様を見てサスケが肩を叩いた。
「拙者が助手を務めるでござる。ジュリーはロムと一緒に周囲の警戒を」
「わ、わかった…」
サスケは未だ生きてこちらを威嚇している蛇を斬り落とすと、懐から刃を研いである一本の苦無を取り出してキメラを解体し始めた。
「今回はもう少し中まで詳しく見ましょう」
サスケはゼンに指示されるまま、キメラの体を切り刻んでいく。見つけたのは発信機付きのいくつかの機械だった。心臓に取り付けられていたのは心拍数を測っていたと思われるもの。他にもバイタルデータを計測する目的で埋め込まれていたと思われるものが双頭の脳内と腎臓付近で見つかった。
その間に一度、ダンジョンの奥で何かの仕掛けが動きだした音が響いた。
「やはりこれらをモニタリングしていた人物がいたということでしょうね」
ゼンが取り出したチップを掌に乗せながら言う。
「じゃ、捕まりに行こうぜ」
ジュリーが宣言すると、三人も頷き合って隊列を組み直してダンジョンの奥へと進んでいく。
鉄製の扉。無施錠でノブを回して押し開くタイプだ。隙間からは奥が覗けないようになっていて中の様子がわからない。
「徹底的に同じなんだな」
「季節や地域差による虫の配置が違うだけ…でしたね」
「じゃあ当然この先には…」
「人造人間が待ち構えていると言うことです」
「頭じゃわかってても気持ちいいもんじゃねぇな」
「東京の時みたいに倒して先に進むかい?」
ロムが最後尾から声をかける。
「いや、事故でケチがついてるし『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だ」
「使い方が若干間違っているように思うのですがね。運否天賦、レット・イット・ビー、ケ・セラ・セラあたりがもっとも……」
小さく呟いたゼンを無視してジュリーが扉を開き中に入る。あの時同様通路を二つ曲がると例の人造人間がやはり三体、両開きの大扉の前に立っていた。サスケより大きく、足が短くて手が長い類人猿のような見た目だ。肌は青白く目に生気は感じない。粗末な服を着ており、ここでも武器は持っていない。
ジュリーは両手を挙げながら数歩、人造人間に近寄る。三人もジュリーに倣って後に続く。人造人間は互いに顔を見合わせると、二体が両開きの扉を開いた。リーダー格なのだろうか、中央にいた人造人間が冒険者を指差した後に扉の向こうを指差す。そこは暗闇の広がる通路のようだった。どうも彼らは人間と意思の疎通が出来るようだ。
「チンパンジーより知能がありそうですね」
ゼンが隣を歩くサスケにようやく聞こえるほどの小声で呟く。
「不用意な発言は控えた方がよかろうと思うでござる。どんな超感覚を持っているか知れぬでござろう?」
「おっと、そうですね」
冒険者たちは、人造人間に促されるままに奥の通路を進む。先導するリーダー格は無防備に前を歩くが、彼らの後ろをついて歩く二体の強い気配が不意を衝こうと言う気を起こさせない。もっとも比較的広いとはいえ通路で馬鹿力の持ち主であることを知っている人造人間と戦闘をするほどこちらも馬鹿ではない。何より彼らは端から抵抗せずに捕まる気でいたのだ。
やがて突き当たりに扉が見えてきた。
一貫して中世ファンタジー的リアリティで造形されてきたこれまでの内装とは違う、超近代的なその扉は先頭を行く人造人間に反応して自動的に開く。その先には眩しい空間があり、現実世界が広がっていた。
そこで彼らは更に二体の人造人間に囲まれて、ジェスチャーで武装解除させられる。武器や鎧はひとまとめにされて二体の人造人間によってジュラルミンケースの一つに放り込まれた。四人はそれを無言で見つめる。一連の様子を見るにつけ人造人間の知能は相当に高いと見て間違いない。その後、用意された二つのジュラルミンケースに入ることを要求される。ここで人造人間はなぜか三対一に別れるように指示してきた。ケース内は三つの空間に間仕切られており、どうやら一つのケースを埋めてから次のケースを埋めていくと言う発想であるようだ。
「俺が一人になるよ」
ロムはそう言って人造人間の指差す方へ歩いて行った。そこは低反発素材で間仕切られており、シートベルトのようなものがあるだけの行って簡素な空間だ。指示通りに仰向けに寝そべると、不器用な手つきで股下、腰、肩を固定するように取り回したベルトを繋いでいく。
「これきつくない?」
ちょっとした軽口は独り言に毛の生えた程度のものだったのだが、人造人間はロムの顔を覗き込んでニヤリと笑みを浮かべた。
(こいつ、人の言葉を理解してやがる)
背筋に寒いものを感じつつも彼は努めてお気楽を装って大仰にため息をついてみせると、人造人間が最後にポンポンと肩を叩いて去って行った。
閉じられたケースの中でロムは、目を閉じ思考の底に沈んでいく。
ここまでで人に出会ったのは受付の女性従業員二人だけ。彼女たちは十中八九事件には無関係だろう。つまり、組織は身バレを極端に警戒していると言うことになる。だから知能の高い人造人間わざわざ造り出して使役しているのだ。
(それにしても…)
理論的・技術的には可能とは言われていた遺伝子操作による合成生物だが、類人猿を超える知的生命体を生み出すところまで研究していたとは驚きである。
しかし、なぜそんなことを研究し実験をするのか?
「軍事研究?」
その疑問は三人の会話の中にも出ていた。
「違法承知で民間企業が、でござるか?」
「まさか、これは確実に国家が絡んでいますよ」
「前にもそんな陰謀論語ってたな」
「陰謀論で片付けないでください」
暗闇の中でゼンが憤慨する。
「しかし、日本にそんな蛮勇を持った政治家などいなかろう」
「主導しているのは日本じゃないでしょうね」
「だって…」
反論しようとしたジュリーを遮ってゼンは自説を滔々と語り始めた。
曰く、日本に話を持ってきたのは十中八九我が国の最大同盟国であり、しかし、その国単独の発案でもないだろう。なぜ自国で実験しないかといえば二重三重に国際法上の問題を抱えており、致命的スキャンダルとして国を傾ける可能性があるからだ。
「その点日本は…」
熱く語っていた前に突然猛烈な眠気が襲ってきた。
(これは……)
薄れゆく意識の奥で麻酔ガスと言う単語がかすかに浮かび意識とともに消えてゆく。
数分後、三つのジュラルミンケースは作業着姿の男たちによって現金輸送車のような車の荷台に積み込まれ、釧路へと運ばれて行った。




