崩壊からの帰還 02
まだ日の沈みきる前に四人は合流した。
もう十分もすれば黄昏時だろう。もっとも、東京の表通りに「誰ぞ彼」と問うほどの暗がりなどほとんどない。それでも街灯の明かりには十分の一サイズになっている彼らが紛れられる程度の暗がりくらいは存在する。
「まずは位置関係を確認して帰還ルートを決めましょう」
「最短ルートじゃダメなのか?」
ジュリーが問う。
「地図もなく、周りの景色が大きく違って見えるのにどの道が最短ルートか確認するのは難しいと思うけど?」
ロムもゼンの提案には別の観点から批判的なようだ。
「かといって明るい幹線道路沿いは誰かに見つかる危険性が高いんですよね」
「だが一度は越えねばならぬのも事実でござろう」
「下町の迷宮亭」に戻るためにはどうしても都道を一つ越えなければならない。
「少し遠回りになりますが、川沿いを行くのが安全なのですが…」
「こっから飯も食わずにいつ野生動物に襲われるか、人に見つかるかっていう危険を冒して『旅』をしなきゃならないんだぜ。そんな道程が倍になるような遠回りできないよ」
「倍になるのはオレも遠慮したいな」
そんな話をしていると、ガラガラと瓦礫が崩れる音と消防隊員のものらしい怒声が聞こえてきた。
「考えていても埒があかぬ、いつまでもここにいるわけにもいかぬでござるぞ」
「ですね。仕方ありません。いつもの隊列で出発しましょう」
四人は事故現場を照らす照明が照度を増していくのを横目に移動を開始する。
「帰らずの地下迷宮」のあったテナントビルは狭い路地に面していた。野次馬は事故現場に意識が集中している。今ならばまだここから逃げ出すことは造作もないだろう。実際、かなり大胆に路地を移動した彼らに目を止めた人はいなかった。
路地を抜け出し広い道に出た四人は朝の記憶を頼りに来た道を戻る。
もちろん道ゆく人目を避けながら、植え込みやスタンド看板の陰に隠れながらの移動だ。この辺りは事務所が入った雑居ビルなどが多く、土曜の夕方ということもあり人通りはそれほど多くなかったが誰も通らないというほどでもない。それでも街灯による明かりが暗がりを作り出し、そこに紛れることで順調に帰り道を進む。冒険者は一時間ほどでその通りを踏破し最初の難関、交差点の手前までたどり着いた。
「思った以上に大変だな」
最初に根をあげたのはジュリーだった。他のメンバーと違い、鎧を身につけている分疲労度が高いのだ。秋も深まった季節というのも金属鎧を身にまとっている彼には堪える原因だったろう。
「鎧を脱いだらいいんじゃないのか?」
「戦闘になったら大変だろう?」
「鎧着てても武器がないんじゃ戦いにならないだろうに」
「オレは持ってる」
ジュリーはベルトに吊るしているショートソードに手を当て、ロムに言い返した。しかし、実際問題この状況で出会う可能性があるとすればドブネズミやクマネズミ、ゴキブリの類に違いない。そんな相手に鈍のショートソードが気休め以上の役に立つとも思えない。
「帰還することを最優先に考えましょう。ジュリー、この後夜も更ければ金属鎧など体温と体力を奪う存在でしかなくなります。愛着もあるでしょうが脱ぎ捨てていきませんか?」
「……だな」
ジュリーはゼンとロムに手伝ってもらい鎧を脱いだ。
「さて、改めて…どうやって渡ろうか」
首を回したり肩を回したりと体をほぐしながらジュリーが言う。ここからは目の前の交差点を渡らなければ先に進めないのだ。人通りはともかく車の交通量はそれなりにある。
「タイミングを見計らってダッシュ以外にないんじゃないの?」
交差しているのはセンターラインのある片道一車線の道路だ。目測で百メートルはない。実際にはあって八メートルと言うところだろうか? どんなに足が遅くとも普通に走れるのであれば二十秒もかからない。
「そのタイミングが難しいのですよねぇ…」
縮小されているとはいえ十分の一サイズ、背の低いゼンでも十六センチ、サスケに至っては十八センチを超えている。そんな体で横断歩道の手前、点字ブロックの上で待っていると言うわけにもいかないだろうと言うのがゼンの意見だ。
「でもここからってわけにはいかないだろう? せめてガードレールの所までは行っとこうぜ」
「ここはまだ歩行者に見つかるリスクは低かろう。今注意すべきは車でござる」
「車通りだって途切れることがあるし、ここは何とかなるでしょ」
三人に説得される形で、ゼンは渋々従うことになる。
ヘッドライトに照らされないように交差点のガードレールまでスルスルと移動し、三度青信号をやり過ごすとそのチャンスは来た。車も人の通りも途切れ、赤信号が青に変わる。
「今だ!」
ロムの合図に合わせフライング気味に駆け出した四人は、滑る白線の上に出来るだけ乗らないように横断歩道を走り抜ける。その際遠くにヘッドライトを確認したが、運転手には目撃されていないだろう。仮に目撃されていたとしても小動物の類だと思われていると願うのみだ。
横断歩道を渡りきり、ガードレールにもたれかかるようにゼンが息荒く喘いでいる。
「せめて、これっぽっちで息が上がらない程度には走り込みをしなきゃダメですね…」
走っているときに見たヘッドライトの車だろう、街の電気屋の軽自動車が何事もなかったように通り抜けていく。この分なら冒険者たちを気に留めたと言うことはないだろう。
「さて、先へ進もう」
「下町の迷宮亭」はその日、改装中であった。いや、先週からダンジョンのリニューアルのための作業を店長が一人で行っていた。
普段客席にしているひな壇の上に方眼紙に書き込まれたダンジョンマップや配線図、それまでに配置されていた怪物などが乱雑に、解体して山積みされた壁面パネルなどが比較的整然と置かれている。
GMとしてのダンジョン設計・シナリオ構築は終わっている。あとはそれに合わせてダンジョンフィールドを組み立てて怪物を配置し、不具合がないかを確かめるだけだ。ここは他所のダンジョンと違って観客にプレイの様子を観てもらうためにカメラやマイクを取り回しているのでその分構築に時間がかかる。誰かに手伝ってもらえるのであれば二、三日で出来上がるかもしれない。しかし、お客であるプレイヤーに手伝ってもらうなどゲームの性質上から行って論外であるし、観戦専門のお客にしても罠などのシナリオ上の仕掛けがバレてしまうのは面白くない。それに何より、彼はオモチャ屋の店長であり模型などの組み立て作業が楽しくてたまらないと言う類の人間でもあったのだ。
そんなこんなで、上の仕事の仕事の合間を縫って一人黙々とこの地下仕事のリニューアル作業を続けていた。
「よし、第二階層配線終了」
チェック項目を声に出しつつ一つ一つ指差し確認し、バインダーに挟んだチェックシートに赤ペンでレ点を入れて一息ついたとき、呼び出しのインターホンがなった。
「どうした?」
出ると困った調子の店員の声をかき消すように蒼龍騎の通り名で呼ばれている沢崎和幸の大きな声が聞こえてくる。
「店長! 事件です! 入れてください!」
「ちょっ、ちょっと沢崎さん…」
不穏当な発言に店員が焦る声が被る。どうも、連絡が来る前に一悶着あったようだ。しかし、入れてくださいとは随分と不用意な発言だ。下町の迷宮亭が現在改装中なのはギルドメンバーには周知のことだし、そもそもミクロンダンジョンが非合法で摘発対象であるということは重々承知のはずだ。普段なら蒼龍騎もこんな乗り込み方はしない。よっぽど何か大事件なのだろう。
「落ち着いて、冷静になれたら降りてこい。近藤、判断はお前に任せる」
「わかりました」
「ちょっ…」と言う抗議の声は聞こえていたが、店長はそれを無視してスイッチを切る。降りて来ることを許可した以上。ここをこのままにしているわけにはいかないので、最低限の片付けを始める。まずはダンジョンマップとシナリオの書き込まれているファイルを調整ブースに放り込み、ブルーシートで第二階層がむき出しのダンジョンにブルーシートを被せる。話をするのであれば必要だなと思い、ひな壇の一部を座れるように片付け始めた頃に彼はまだ怪我のリハビリ中のようでぎこちない動きで降りてきた。その手には二人分のカモミールティーが持たされている。
店長は蒼龍騎を空けたひな壇に座らせると、そのペットボトルのカモミールティーの一つを受け取りわざとゆっくりそれを飲む。
「で?」
彼自身も蒼龍騎のただならない雰囲気に鼓動が高鳴っていたが、年の功かいつもと変わらない速度と声音で要件を問うた。確かに彼はちゃんと心を落ち着かせてから降りてきたらしい。バッグに入れていたタブレット端末を取り出して渡して来る。
「そこ、帰らずの地下迷宮ですよね?」
映っていたのは災害を伝えるニュース映像のようだ。彼はしばらくそれを見続ける。
アナウンスによれば今日午後四時過ぎに三階建のテナントビルに大型トラックが突っ込む事故が発生したと言うものだ。トラックを運転していた男は助け出された直後に意識を取り戻したものの意味不明の言葉を喚き散らしていたので警察が薬物検査を実施、陽性反応を示したので緊急逮捕。今現在、火災はないがビルがさらに崩壊する危険があるので付近を立ち入り禁止にしているらしい。
店長は自分のタブレット端末を拾い上げると素早く住所を検索して地図アプリを開く。写真モードにしてニュース映像を比較すると確かに当該ビルのようである。彼は心持ち震える唇を飲み口につけ、ゆっくり喉に流し込む。
「そのようだな」
「心配じゃないんですか!」
蒼龍騎は四人の冒険者の目的を知っている数少ない人物の一人であり、今回のアタックも彼には知らされていたのだろう。前回の彼らのダンジョンアタックに参加して大怪我を負っている。安全に充分配慮されたダンジョンフィールド以外の十分の一世界がどれほど過酷なのかを身を以て体験している一人だ。
「心配はしている。だけど、何をどうする?」
蒼龍騎は店長から視線を外して俯いた。出来ることは多くない。捜しに行くとしてどこを探すと言うのか? どう捜そうと言うのか。彼らはおそらくまだ十分の一でいるに違いない。とすれば、世間一般に知られるのは都合が悪いのだ。ギルドメンバーに声をかけて大規模な捜索隊など編成するわけにはいかない。人知れず、怪しまれずに二十センチに満たない彼らを捜すなどなかなかに高難度ミッションだ。
「今は彼らの無事を祈りながら自分たちに出来る事だけをやるのが最良だろう? とはいえ、君の心配もわかる。今日はずっとここにいてもいいぞ」
「……はい、ありがとうございます」
うな垂れたまま蒼龍騎は絞り出すようにそう答えた。
(しかし…)
と、店長はミクロンシステムの筐体に視線を向ける。
(このテの予感は当たって欲しくないと望めば望むほど当たってしまうものなんだろうかな?)
あの時の胸騒ぎがこう言う形で現実のものになったことに暗澹たる思いを抱きつつ、彼は今できる最善・次善のための準備を始めた。
「さ、じゃあ手伝ってもらおうか。まずは情報収集からだな。ニュースではミクロんダンジョンについては触れられていにいんだな?」
「ええ、時折ビルが崩れるのでまだ現場検証どころではないそうです」
「ビルが崩れる…ねぇ」
「何か?」
「ん? いや、日本の近代建築がそんなに脆いものかと思ってな?」
「手抜きだったんでしょうか?」
店長は腕組みをしたまま唸ってしまう。
「ここで考えていてもラチがあかないな。その件は置いといて、ネットで情報蒐集してくれないか?」
「わかりました。……店長?」
「なんだ?」
「あいつら…生きているとして、どう行動すると思いますか?」
蒼龍騎が泣きそうな心配顔で見上げてくる。彼は、できる限りの朗らかな笑みを作って見せてこう言った。
「ここに向かってくるよ。元のサイズに戻るためにね」




