バイオダンジョン 02
リアルに作り込まれた洞窟は足元がでこぼことしていて歩きにくく壁肌も荒く掘り出されたようにゴツゴツとしている。いくらも進まないうちに外からの光が届かず薄暗くなる。
「初心者が多いと言っていましたね」
ゼンが呟くと先頭に立っていたジュリーが立ち止まって振り返った。
「多いかどうかはわからないが、初心者のために道具を貸し出していた。だ」
「事前のレポートによれば雰囲気は良いがそれだけ。まるでグラフィック以外に評価することがないコンピューターゲームみたいな評価でござった」
「ライト」
ゼンは杖のスイッチを押して明かりを灯す。明かりに照らされた洞窟は人が三人並べば通路が塞げそうな道幅で、なんとなくまっすぐ奥へと続き左に折れている。
「マッピングも大変そうでござるな」
サスケの言葉には苦々しそうな表現とは別に喜色が含まれていた。ここ「帰らずの地下迷宮」は冒険者用酒場兼宿屋と言う設定の『嘆きの酒場亭』と呼ばれるフロントによってその外観が隠されていたので、どれほどのサイズのダンジョンなのかもわからないようになっている。これはまさにTRPGや攻略情報のないCRPG同様の、もっと言えば実際の冒険そのものとも言えた。ここが東京都内の小さなテナントビルである以上、実寸でそれ以上の面積はないとしても十分の一サイズの彼にらにとっては相当な広さになる。そんな状況に置かれてそのことに喜びを感じるあたり、サスケはやはり冒険者気質ということなのだろう。この辺りは他の仲間も同様だった。
洞窟は自然な空洞を模しているのではなく人為的に掘られた洞窟として造形されていた。その様を見てゼンはなんらかの意図を持って作られた洞窟であり、奥には何かが仕掛けられていると考えられる。とシナリオを分析する。
「そう言えばダンジョンの設定しらねぇな」
ジュリーは測量のためいつも以上に進まない探索に多少の苛立ちを覚えつつ、気を紛らわせるためか呟いた。
ミクロンダンジョンはRPGにカテゴライズされているゲームである。その性質上目的がありシナリオがあるはずだ。だから通常冒険者がダンジョンアタックをする理由になる設定が公開されている。もっとも大体において冒険者はミクロンダンジョンを遊ぶこと自体が目的なわけで、シナリオ上の設定などあまり気にしているものは多くないだろう。ジュリーもこのダンジョンの設定を聞いていなかったことに気づき、それを話題にしたに過ぎない。
「私も知りませんよ」
TRPGのシナリオライターとしてそれなりに名の知れたゼンが設定に興味を示さなかったとジュリーは受け取り、「珍しいな」と呟くいた。しかし、返ってきたのは想定外の返答だった。
「ないんですよ」
「え?」
「全く未開のダンジョン。そういう設定なんです。まぁ、ありといえばありな設定です。そもそも曰く逸話付きの場所などそうそうあるものじゃない。リアリティというのであればむしろこちらの方が全然リアルです」
「そして勝手に曰くつきになる」
「ロムの言う通り、プレイヤーが有る事無い事噂にして勝手に曰くがついたのがこのダンジョン」
「その曰くが『そのダンジョンに挑むと戻ってこない』か」
ジュリーが右に曲がる通路の先を警戒しながら低い声で呟いた。曲がり角の手前でゼンが光源である杖の先を突き出す。少し間を開けてジュリーがそっと覗き込むが通路が続いているだけだった。
四人の冒険者は適度な緊張感を持って先へ進む。ダンジョンは複雑に紆余曲折しながらも延々と通路が続くだけのどちらかと言うと単調なものだ。彼らはここまでに二度、洞窟の横穴で待ち伏せに出くわしたが非常に簡素な固定型のオークが攻撃してくるでもなくゼンに殴り倒されている。
やがて洞窟は行き止まりになり、どん詰まりには簡素な木製の扉があった。
「ここからが本番ってか?」
ジュリーがサスケのために場所を空け、代わったサスケが扉を調べる。木製の扉は角材の閂で閉じられている。他に気になる場所も見当たらなく、扉自体に罠が仕掛けられているようには思えなかった。雰囲気として「誰かを閉じ込めておく場所」と見てとれなくもない。
(なかなかどうして、シナリオとしてもよく練られているようです)
これはまさしく玄人好みのシナリオだと、ゼンは心の中で舌なめずりをしていた。ミクロンダンジョンをアスレチックアトラクションとして捉えている向きには物足りないだろう。それは一方ではミクロンダンジョンの人気に直結した仕掛けである。体を動かし、明確な課題を克服すると言う目的は、とてもわかりやすく達成感を得られる。その一方でRPGマニアを惹きつけてやまないのが趣向を凝らした謎解きである。未知への知的好奇心と謎を解き明かした時のカタルシス。この二つは本来ゲームの楽しさの両輪である。そのバランスはシナリオライターの腕の見せ所だ。特に謎解きに偏ればライト層が離れて市場が縮小する。もっともミクロンダンジョンは今や非合法遊戯である。ニッチを追求するのも一つの手ではあるだろう。しかし、こうまでプレイヤーを選ぶシナリオというのは正直どうだ。受付の『嘆きの酒場亭』から始まるこの凝りまくったダンジョンセットは、採算度外視であったとしても腑に落ちない。むしろこれだけ金をかけていればより多くの冒険者にプレイしてもらいたいとも思わないのだろうか?
ゼンは、このダンジョンに別の意図を感じ取った。芸術とも言えるダンジョンを見てもらうためではなく、冒険者に楽しんでもらう気もなく、ましてや金儲けでもない何か。
「考え事しながら歩くと危ないぞ」
ロムに声をかけられ我に返ったゼンは、風景が一変していたことに驚いた。いつの間にか扉の向こうを歩いてたのだ。それも無意識のうちに。
「すいません。気をつけます」
洞窟の奥、扉の向こうに広がっていたのはある意味見慣れた地下迷宮の通路だった。もちろんここも丁寧に作り込まれている。長方形に加工された敷石を斜子織パターンで敷き詰めた通路はところどころ風化したようになっている。壁も典型的なストレッチャーボンド積みでいかにもファンタジー世界の地下迷宮といった趣だ。かなり歩いていたのだろうか。隣を歩くサスケの手元を見ると洞窟から先の通路が一通り書き込まれていた。いつもの通り途中の扉のを全て無視して通路を踏破したようだ。その感は特に問題ないという判断でゼンに声をかけなかったのだろう。
「明確な目的のないダンジョンだ。全部開けてくか?」
ジュリーが訊ねてくる。
「そうですね。この先どういう状況が待ち受けているか分かりません。ゲーム的にはフロアごとに敵のパターンというか傾向は揃えてくるのが基本的なシナリオ作法だと考えられますから、この部屋を開けてみるというのはどうでしょうか?」
そういって地図を指差したのは通路に囲まれた十二畳ほどの空間である。どこかに通じている可能性はほとんどなく、部屋の広さから見て待ち伏せがあってもそれほど特殊な状況にはならないと思われる場所だ。四人は特に警戒することもなく目的地に移動し、その扉の前に立つ。扉は金属のフレームで縁取られた木製でノブではなく飾り気のないアーチ状の銅製の取っ手になっており、やはり閂による施錠がなされていた。閂を外し勢いよく扉の中に躍り込むと、そこには冒険者に反応して起動したオーガとみられる敵が動き出していた。とっちらかった総髪に整える気のないアゴヒゲ、デフォルメされているのかと思うほど頭が大きいため五頭身で背は彼らより低めのずんぐりした体型。でっぷりとした腹は分厚い脂肪の塊と見える。
ジュリーはすでに抜き放っていたショートソードを構えて部屋の中央へ歩を進め、サスケはジュリーのフォローをすべく短刀を逆手に構えてジュリーの右側に移動する。ゼンは二人が戦いやすいようにと光源が二人の体で遮られないように左後方で杖を掲げながら待機。ロムは扉の内側にこそ入っていたが戦闘に参加するそぶりを見せずに部屋の中を観察した。
部屋はリアリティなのかオーガを閉じ込めていた部屋らしく暴れた痕跡を再現していて、ムッとくる血生臭さも表現されている。リアリティについてはレポートでも賛否あったな。と、ちらりと思いながら二人の戦いに意識を戻した。
オーガは血塗れで錆びついた大型のナイフを構えることもなく無造作に振ってくる。その動きは大振りな上に緩慢で、ジュリーは余裕を持ってその初撃をかわして胴を薙ぐ。しかし、その攻撃は分厚い脂肪に受け止められたのか手応えがない。
「何で出来てんだ?」
再び襲ってきたナイフを避けるために一歩後ずさり、今度は肩口から袈裟斬りに振り下ろす。肩に食い込むショートソードを引き抜くと、地面を強く踏みしめながら続けざまに剣を振るうこと七度。オーガはようやく起動を停止して仰向けに倒れこんだ。
「第一階層の敵にしちゃダメージ設定高すぎるだろ」
ジュリーは悪態をつきながら剣を鞘に収める。完全に停止していることを確認したサスケがオーガの体を弄り始めた。
「ダメージ設定だけではござらんな」
ボディはロボット骨格がシリコンに包まれているという構造だった。そのため動きが緩慢だったのだろう。足裏に充電用の金属部が露出しており、掃除ロボットのように定期的に部屋の隅にある充電端子に接続するようになっていたものと思われる。確かにこのダンジョンの凝りようは普通ではない。しかし、ダンジョン全体の敵が全てこんなギミックで用意されているのだとしたら、一体どれほとの費用をかけたのかとそれだけでも頭がくらくらしてくる。
「ナイフはどうですか?」
「金属製ではあるがおもちゃのナイフでござる。何か気になることでもあるのでござるか?」
「いえ、あの日のゴーレムの件もありますから。もしここが我々の追っている組織に関係があるのだとすればですが、そういう危険性もあるのではないかと」
「なるほど」
ジュリーはあの時の痛みと恐怖を思い出したのか、心持ち顔が青ざめている。
「少なくともこのフロアは大丈夫だよ」
ロムはジュリーの背に手を当ててそういった。
「レポートでそんな危険は指摘されていない。ま、先に進んだらわかんないけど」
「そうですね、少なくとも第一階層は多くのプレイヤーが体験しています。その評価に身の危険を感じるような報告がなかったのですから取り越し苦労だったかもしれません」
ゼンもホッと肩から力を抜いて息をつく。
「少しナーバスになっているのかもしれません。気負いすぎなのかもしれませんね」
冒険者は探索を進める。扉の中には大抵一体から三体の怪物が配置されていた。どの敵もオーガ同様特定の反応を示す簡易プログラムながらAIの補助なのだろう、自立思考しているようにこちらに合わせて攻撃や防御行動をとってくる。ダメージ設定も高いらしく、ともすれば戦い慣れて来たジュリーも押し負けることがあった。単体相手であればサスケの助太刀が、複数の敵の場合はサスケとジュリーで一体を。残りをロムが引き受けるという戦闘が続く。倒した怪物からは戦利品となりそうなアイテムは出てこないし、待ち伏せのあった部屋は戦闘用にか調度品などが置かれていない殺風景さだった。
全ての部屋を探索し終わった四人は最後の部屋で車座に座って、床に広げた地図を見つめている。
扉の向こうが通路になっていた箇所が二つ。部屋にもう一つの扉があり奥へ行けた場所が一つ。わかる範囲で行ける場所は全て探索し終えていた。
「隠し扉ですね」
ゼンが呟く。
「だろうけど、手がかりが全くなくて絞り込めないぞ」
「簡単にわかったら隠し扉の意味などなかろう」
「そりゃそうだけどよ。これはゲームだぜ?」
ゼンは親指を顎に、人差し指で鼻の頭をトントンと叩きながら目を眇めて地図を見つめていた。やがて、
「調度品のある部屋が二箇所ありましたね」
訊かれてサスケが地図上を指差す。
「こことここ。最初の部屋は奥への通路発見前でござるから見ての通り、何処かへ通じる道のある余地はないでござる」
「てことはこの部屋が怪しいってことか?」
ジュリーがもう一方の部屋を指差す。
「ヒントになりそうなのはそれくらいです。もっとも可能性の高い場所ではないでしょうか」
「でも、あそこは一度調べただろ」
実際、数少ない調度品が用意されていた部屋である。何かしらの攻略につながるヒントやアイテムが手に入るかもしれないと調べた場所だ。その結果何もないということで出て来た部屋である。これ以上調べて新たな発見があるのか? ジュリーの疑問ももっもだった。
「他に当てがないんならとりあえず行ってみるしかないんじゃない?」
「それもそうか」
決断すれば四人は早い。安全の確認されたダンジョン内を走るように移動すると目的の部屋へ入る。
部屋は寝室を模しているため板張りの床に漆喰の壁。簡素な木製のベッドは壁際に置かれ、燭台に洗面台、ベッドサイドの文机の上に日記だろうか? 書きかけの本の他に数冊立てかけてある。
本がシナリオ上の価値がないことは一度目に来た際に確認してあるし、燭台も洗面台もセットの一部という以上の意味はなさそうだった。漆喰の壁は隠し扉のような仕掛けを隠すには不都合で、実際改めて確認してもそれらしい痕跡を見つけることはできなかった。
仮にベッドに何かしらの仕掛けがあったとして、それが隠し扉にどうつながるのか? ゼンは疑問に思いながらもサスケとジュリーに指示を出し、ベッドを起こす。ベッド自体は変哲も無い木製ベッドでやはり仕掛けなどは無い。ベッドをどかした床にはベッドの足の部分に当たる場所が窪んでいる。ゼンは気になってその窪みに顔を近づけた。
「なるほど」
「何か見つけたんだな」
言ってジュリーも這いつくばって窪みを見つめる。そこには不自然な窪みがあった。ベッドの足は四角い四つ足なのに窪みは丸いものが二箇所。よくよくみるとベッドサイズと同じ大きさの隠し扉らしき仕掛けを見つけることができた。
「これを見つけられるのは余程のマニアか乱暴者でしょうね」
壁ではなく床に隠し扉を仕掛ける。アニメなどではよくある仕掛けだが、人間『隠し扉』と言われれば思い込みからつい壁面を探してしまう。そんな盲点を突いた演出がニクいと無意識に笑みがこぼれる。ゼンのいうとおり、これを発見できるのは微に入り細に入り慎重に仕掛けを探すよほどのマニアかベッドに当り散らして偶然見つけてしまえるような乱暴者くらいだろう。
「問題はどうやって開くかだな」
ロムがくるりと部屋を見渡しながらいう。この手の仕掛けは開くための起動スイッチが必要だろうというロムの見立てだ。ゼンもそれは間違っていないと思っている。さて…と周囲を見回すが壁はもとより床にも天井にもそれらしいものを隠しているような場所はない。
(四角いベッドの足に丸い窪み…これがヒントだと思うのですが……)
文机の足は確かに丸いが二箇所の窪みとは感覚が違うし太さも細い。これは違う。とすれば残るは燭台と洗面台だが洗面台の方は細い金属フレームの四つ足で上に洗面器を固定するタイプ。これでもなさそうだ。と最後に残った燭台に手を伸ばす。燭台は太い丸棒の上に油を入れる皿があり脚は棒に十字に固定された袴で自立している。これも違うようだと悩んでいると、サスケが燭台の中程を指差した。
「継ぎ目がござる」
見るとなるほど継いである。ジュリーと協力して引っ張ると、それはダボ継ぎされた二本の棒になった。
それぞれに燭台だった棒を握った二人は互いにうなずき合って窪みに丸棒を押し当てる。ずいと力を入れると仕掛けの床が深く沈み、ゆっくりと階下への入り口が口を開けたのだった。
「いくぞ」
緊張が伝わる短い言葉で声をかけると、四人の冒険者は階下へと足を踏み入れて行く。




