狂気の迷宮 05
四人を見送ったロムは、緩慢な動作で彼らの荷物を片付けながら考える。
まずは、部屋の間取りの確認だ。これは、急ぐ必要はない。荷物を片付ければあとは特段することがない。ぼーっとしている風を装ってじっくり確認すればいい。ついでに男たちの様子も観察できる。
ちらりと三人の男を見てすぐに視線を荷物に戻す。こっちはあまりじっくり見ると因縁つけられそうだ。
片付けを終えた彼はグルリと部屋を見回す。時計がないことは部屋に入った時から確認済みだったが、この行動はあくまでも彼らに対するポーズだ。時計がないことを確認するとポケットから携帯端末を抜き出し確認する。あくまでも時間を確認するていで実際に確認したのは電波状況の方である。案の定電波が届いていない。携帯端末は今や完全な社会インフラだ。オフィスもマシンパワーを極端に要求する仕事や、安全のためのオフライン作業でもない限り携帯端末で行われている。そして携帯端末の利用は九分九厘ネット接続が前提であり、オフィスビル内に電波の不感地帯があるなどまず考えられない。あるとすればそれは意図的な遮断と考えるのが妥当だろう。
「すいません、どこにいればいいですか?」
眼鏡の男に声をかけると、彼は案内の男にパイプ椅子を用意させて壁際にロムを座らせた。
ミクロンシステムの前、部屋の隅に用意されたパイプ椅子にだるそうに座ると改めて部屋を眺めまわす。窓のない長方形の部屋はもともと会議室だったと見え、障害物となるような柱はない。決して広くないその部屋の長辺に一面をミクロンシステムが隠している。縮小装置が三台。調子が悪いと言っていた二台はしかし、稼働している気配がある。ロムが見る限り少なくとも通電し、起動していることは間違いない。
ダンジョンフィールドは「賢者の迷宮亭」と比べても外観上ふたまわりは小さく見える。それでも部屋全体の六割以上は占有しているだろう。通常ダンジョンフィールドの外観は味気ないほどシンプルである。メンテナンスのため内部にアクセスしやすいようにストッパーや持ち手がいくつかあるだけ、というのが大半である。合法時代のダンジョンフィールドはアミューズメントパークなどに設置され多くの人の目に触れていたこともあり、宣伝も兼ねてイラストなどで飾られていたが、今はそんなところに金をかけるオーナーはいない。観客を入れていた下町の迷宮亭でさえ外観は持ち手のついたパネル以上のものではなかった。そういう意味では目の前のダンジョンフィールドも外見上は特に変わったところはない。
空いたスペースは六畳もないだろう。ロムの対角に二人。細いフレームのスクエアメガネに濃灰色のカットソーの男と、臙脂色のスリムなレザーパンツに襟ぐりの広い黒のタンクトップを着た茶金色の髪をしたにやけた男。その向かい、ドアの前に立っている顎に整える気の無い無精髭を生やした若い男。白いスラックスに黒いヨレヨレのタンクトップの上からは派手な刺繍入りのジャンパーを羽織り、下品なほどジャラジャラとしたネックレスが目立つ見事なまでのチンピラスタイルだ。彼らの服装を見る限り特に武器になるようなものを持っているようには見えない。
それ以外には何も目につくものがない。天井も古い直管型蛍光灯照明器具が二列に並んでいる(もっとも照明自体はLEDのようだ)し、掃除用具どころかゴミ箱さえ見当たらない。
(何戦うこと前提に状況把握してるんだろうね、俺)
思わず自嘲を漏らしそうになったロムは目を閉じ、耳をすます。
「どうします?」
数分後、彼が眠ったと思ったのだろうか? あご髭の男が小声で問いかけるのが聞こえた。
「構わねぇよ、一人で何ができるってんだ。さ、準備準備」
茶金髪の男が答えながら動き出す気配がする。こちら側に近寄ってくるようだ。いや、彼のことは眼中にないらしい。ダンジョンフィールドを回って奥へ入って行ったようだ。
「そっすね」
あご髭の男は深く考えた形跡のない返事で作業を手伝い始めたらしい。ロムは何を始めたのかを確認したいところだったが、メガネの男の気配がこちらに向いているため実行に移せないでいた。
(やっぱ、あいつの攻略がポイントだな)
ロムは音と気配を頼りに何が行われているかを探り続ける。
(ダンジョンフィールドを開いている?)
そうとしか考えられない。最初こそ彼を憚ってか、なるべく音を立てないように配慮しながらだった作業はいつしか普通にそれなりの音を立てている。
(いやいや、アタック中だよ?)
このタイミングなら目を開けるのもありかと判断したロムの背筋をぞくりと悪寒が走る。メガネの男の気配が鋭いものに変わったからだ。位置は変わっていない。相変わらず同じ場所にいる。しかし、こちらに向けている気配の質が変わった。こちらの気配を探るような圧がある。
おそらくこちらの反応が伝わったと考えなければいけないだろう。油断していたわけじゃない。しかし、気質の変化に反応してしまった自覚もある。ここまであからさまに気の質を変えてくる相手が、相手の気を読めないはずがない。大きくは揺らいでいない自信はあっても楽観するほど強気でも傲慢でもない。
ロムは改めて男の容姿を思い出す。
ジーンズに濃灰色のカットソーを着たどちらかといえばインテリな若者。フレームの細いスクエアのメガネがその印象を強調している。背はロムより五センチほど大きかっただろうか。全体的な印象は細身だったが同じ背格好の茶金髪の男や、ゼンと同じ背丈のあご髭の男と違って胸板は厚く張りがあった。
(やべ、インテリどころか武闘派だ)
何らかの格闘技を習っていたことは間違い無く、少なくとも今でも筋トレは続けている。肉付きがそれを物語っていた。
(何を習っていた?)
一口に格闘技といってもいろいろある。見た目の印象から組み技ではないだろうと勝手に想像しているが、打撃専門と考えるのも怖い。それよりもと、ロムは無駄な考察から行動するタイミングへと思考を切り替えた。ガタガタとそれなりの音がしていたのだ。微睡んでいたとして目覚めても不自然とは思わないだろう。問題は起きた後だ。それが決まらなければ目を開けられない。メガネの男がいなければ寝ぼけたふりでも構わない。あとの二人など彼にとっては相手ではない。しかしメガネの男がどれだけの戦闘力を持っているかわからず、じっとこちらを注視している以上下手を打つわけにはいかなかった。
一面が開放された大きな箱。四人の冒険者がその中に入るとその箱が迫り上がる。鎖で吊られているため引き上げられるたびにジャラジャラと音がなるのは果たして意図的な演出なのか。ゆっくり、ゆっくりと迫り上がる間四人は否が応でも緊張感が高まる。
やがて箱は天井を超え、彼らを上の階に誘う。そこには彼らが想像していた通りの円形闘技場が広がっていた。一つ予想外だったのは天井が解放されていて部屋の天井、室内照明が見えていたこと。二人の男がニタニタとこちらを見下ろしていたことだ。
そして彼らの正面には十人の若い男たちがこれもニタニタと笑いながら、近寄りたくない雰囲気を醸し出してこちらを見下していた。
「これか」と四人は下町の迷宮亭の店長が調べてくれたレポートを思い出す。
「これ、マジか…」
蒼龍騎が青ざめた表情で呟く。彼は御多分に洩れず、中学高校とこの手の相手とは極力関わらないようにしていたオタクである。特にいじめられていたという経験こそなかったが、十分に苦手意識を持っていた。
「それで縮小機が三台もあったのですね…」
「きっちりこちらの倍、十人用意していたでござるな」
「こっちは四人だ。倍以上だろ?」
三人も軽口を言い合っているようだが、蒼龍騎同様できれば関わりたくない部類の相手だと思っている。
「こちらはロムが参加していませんからね。結果相手の優勢が強まっています」
「一人足りないだけじゃないだろ。最大戦力が欠けているハンディキャップマッチだ」
震える声を隠そうともせず蒼龍騎が不安を口にする。
三人もそんなことは百も承知だ。相手の実力のほどはわからなくてもロムの実力なら分かっている。四人束になってかかっても五分と持たないほど力量差があることを。
「……ここを切り抜けられないようじゃ、レイナに辿り着けない。何としても勝つんだ」
ジュリーが低く唸るように呟く。
「……でしたね」
「ゼン、出し惜しみは無しでござる」
「人相手に試すとは思いませんでした」
ワナワナと震える唇をどうにか押さえつけて答えながら、彼は右手に握る杖に力を込める。
「さぁ、始めようぜ、オタクども」
他の男たちより半歩前にいた男が少年の声で叫びかけてきた。そこには圧倒的優位からくる余裕の嘲りがあり、嵩にきた威圧があった。戦う前から四人はすでにこの状況に呑まれている。ゼンはそこだけは冷静に意識していた。だからと言ってどうにかできる打開策など考える心の余裕はない。ジュリーもこのままでは一方的にやられる光景しかイメージできず、未だ戦闘態勢をとることすら忘れて棒立ちのままでいた。
「オラ、行くぞてめぇら!」
それが合図であったかのように住人がこちらに向かって走り出す。体感距離にして三十メートルほど。十秒もしないちに接敵するだろう。
その時。
「典型的な悪役のセリフだな、おい」
その声は天から降ってきた。
それは彼らにとって天の声だった。
声の調子、タイミングそして何よりその表現が彼らを主人公側に据えた発言であることが強張った心と体をほぐす。ジュリーなど「ぷっ」と吹き出したほどである。
その効果は味方だけでなく、敵にも現れた。
突然自分たちに向けられた嘲りに足を止め、彼らは天を見上げた。そこには困惑と訝しさの浮かぶ二人の男がいるだけ。彼らを知っている十人は声の主が彼らではないことだけが分かっている。「一体誰が?」と考えてしまう。
そう、その効果は絶大だった。
四人の冒険者は武器を構え、先制攻撃をすべく走り寄る。数的不利は間違いない。だからこそ先手を取らなければならない戦いだったのだ。しかし、実際には場の雰囲気に呑まれ、常に後手後手に回らされていた。いや、後手どころかあのままであれば防御もままならず一方的にやられていた可能性も否定できない。それを少なくとも攻勢に出ることができるほど劇的にひっくり返してもらった。
まさに天の声だった。
ジュリーがいち早く接敵してずんぐりむっくりの男に体当たりをかます。不意を突かれた男は身構える間も無く衝撃を受け、仰向けに弾き倒されそのまま起き上がってこない。鎧を通して感じる人の感触。ジュリーはその生々しさに顔をしかめながら片手で水平に大きく剣を振り回す。その先には痩せぎすの男がいて胸に当たる。彼らも防具は身につけていたようだが、それはアーマーというよりプロテクターという方がしっくりする防具であり、剣打の衝撃を防ぎきるほどの防御力はなかった。「自分たちは一方的に殴る側」そんな意識でいたのかもしれない。苦し紛れ、破れかぶれの攻撃で不用意な一撃をもらわないための用心。そんな程度の装備だったがジュリーの強烈な一打はしかし、それだけではさすがに倒れてはくれなかった。防具がなければあるいは大ダメージを与えていたかもしれないが、人の体はそこまで脆弱ではないようだ。
「てめ」
痛みに顔をしかめながら手にしていた鉄パイプのような棒を振り上げる。とっさに足を止めて腕で防ぐ態勢をとるジュリーだったが、すぐに腹から声を出しつつその腕で顎をかちあげるように前進する。武器を振り上げた勢いもあってか男は踏ん張ることができず二歩三歩とたたらを踏んで後退する。間髪入れず逆胴打ちで脇腹を薙ぐと相手は短く唸って体をくの字に曲げ膝をついてうずくまる。
嫌な感触が両手に残っている。
感慨に浸っていたつもりはなかったが、その思考は隙を作ってしまっていたようだ。突然背中から鈍い痛みが彼を襲う。ジュリーの最初の攻撃ターンは終わり、相手のターンが始まった。
ジュリーに数歩遅れて蒼龍騎が攻撃の間合いに入る。彼は、最初に声を出した男に剣を振り下ろした。どんな心の作用があったのか、無意識に定めた狙いはおそらくリーダーを倒せば的な感覚だったのかもしれない。その攻撃は右肩に当たる。
「いっ…手ェな、このやろう!」
恐怖に引きつった表情で必死に二撃目を打ち下ろしたもののその攻撃は相手の攻撃と同時、相打ちになる。精神状態が災いしたのだろう。左腕に装着していた盾で防いでいればダメージなどなかったはずである。しかし、剣を振ることばかりに意識が向い防御がおろそかになった結果、相手の剣は彼の鎧を装着していない左上腕をしたたかに打ち据え彼の攻撃ターンを完全に終わらせる。あとは痺れで上がらない左腕を右手でかばうように持ち上げ必死に相手の攻撃を防ぐだけだった。
サスケは、背負ってきた刀を右手で左肩越しに引き抜くと、その勢いのまま自分より大きいかという男を袈裟懸けに打ち据え、弾かれた刀を両手で握り直すと逆胴に振り抜き、さらに右袈裟に斬り下ろす。逆胴で前屈みになっていた男は最後の袈裟懸けに撃たれてそのまま倒れた。サスケはそれを視界の隅で確認しながら、他の男たちの様子を伺いつつゼンをかばうように男たちから距離を取る。
そのゼンは戦闘領域に追いつくと男たちの動向をチラチラと確認しながら杖の操作を始めた。この数ヶ月彼らはロムとの稽古こそしていたが、実際の対人戦闘は初めてと言っていい。ケンカ慣れしていそうな相手とは経験値に大きな隔たりがあるのは火を見るよりも明らかだ。このまま戦い続けても勝ち目はない。
戦況は四対七。すでにそれぞれ一対二で防戦に回っているジュリーと蒼龍騎はジリ貧だし、鎖を振り回す三人に囲まれじりじりと追い詰められている二人も時間の問題と言えた。
先制攻撃には成功したが劣勢をひっくり返せるほどの戦果にはならなかった。
この状況を跳ね除けられるとすれば彼の杖だけ。だからこそ絶対に失敗は許されない。いや、成功するだけではダメだ。最高のタイミングで起死回生の一撃としなければならない。
(人に向けて使っていいものか…)
などと倫理的な考えがよぎるが、そんなことを言っている場合ではないと心の中で三度自分自身に言い聞かせる。
「サスケ、サンダーボルトを放ちます。できれば三人同時にダメージを与えたいのですが、いい案はありますか?」
意を決したゼンがサスケにたずねる声を聞き咎め、彼らを囲む三人が互いに顔を見合わせ下卑た笑みを浮かべる。真ん中の一番小さい男が嘲るようにこう言った。
「はっ、サンダーボルトだぁあ? ただのコスプレオタクがカッコだけで魔法を使える気になってんじゃねぇよ。妄想は病院のベッドでするんだな!」
言って金属の鎖を振り上げ攻撃を仕掛けてきた。同時に他の二人も分銅付きの鎖を投げつけてくる。
サスケは帯の後ろに差し込んでいた短刀を右手で抜くと最初に投げつけられた正面の男の鎖を絡めさせ、左手で持っていた刀で後の鎖を巻きつけさせた。
「やるもんだな忍者コス。だがこれでお前の武器はもう使えねぇ」
「使えなくなったのはそちらでござる」
ぼそりと呟くと、サスケは二本の刀を十字に重ねて力ずくで掲げてみせる。
そこは濃密な時間を過ごした信頼関係であったと言えるだろう。十字に交差した時点でゼンはサスケの意図を読み取って、掲げられた刀に杖を添えるとジュリーのお株を奪うような芝居がかった叫びでジュリーたちを殴りつけていた四人の注意を引く。
「喰らえ! サンダーボルト!」




