狂気の迷宮 01
新しいダンジョンに挑戦です。
多分今章は少し短め。
中央リニアの始発駅。
待ち合わせの場所に最初に着いたのは蒼龍騎沢崎和幸だった。耳が隠れるくらいに伸ばした中分けの黒髪、額には赤いバンダナ。スリムジーンズにチェック柄のシャツをインして、派手めのスタジアムジャンパー。昭和の特撮主人公のような浮いた格好でダークカーキ色のボストンバッグを肩にかけるように握っている。
今回の名古屋遠征には志願した。ジュリーたちだけでなく店長にも止められたが是が非でも協力したいと強く願っての参加だった。彼らの想いに強く共感したからでもあるが、何より下町の迷宮亭で観た彼らの戦いぶりにアテられてしまったのだ。
待つこと十五分。予定集合時間の十分前に三人が来た。
「早いな」
芝居掛かった口調の珠木理が声をかける。こちらも心持ち残念なファッションセンスをしている。部屋着できたのかと言われても否定しにくい野暮ったいシルエットのスウェットは上下ねずみ色で、美少女系アニメキャラクターが左太ももと右袖にプリントされている。黒地に黄色いラインが意匠された不必要に目立つ大きめのバックパックを背負い、手にはコンビニのビニール袋を提げている。中身はおそらく弁当やお菓子だろう。
隣にはいつもの通りローブを着た三田善治がいる。一応外出であることに配慮してかシンプルに黒無地のローブなのだが、そもそもローブ姿というのが道ゆく人々の目を引く。荷物の類はローブの中に隠しているのだろう。
その後ろで仁王立ちしている佐藤航助もまた、人の目を引くいでたちである。百八十センチを超える身長に古式豊かな手甲脚絆履きの藍染忍び装束。さすがに覆面はしていないが外国人観光客などが立ち止まって写真を撮っている。
「近寄りがたいなぁ…」
集合時間を一、二分ほど過ぎたころ渋い顔をして彼らに近づいて来たのはこの遠征の最後のメンバーである伊達弘武。草色のだふっとしたカーゴパンツにゆったりとした濃紺のTシャツ、その上からヘソの上あたりまでチャックを閉めて羽織っているのは白に近い灰色のパーカーだ。背中にはスポーツメーカーのロゴがあしらわれている黒いバックパック。彼自身はファッションに無頓着なつもりでいたが目の前に立つ四人を見ると自分が案外まともに思えた。
五人は改札を通りホームにあるベンチに移動する。まだ列車はホームに入っていないが、多くの客がホームドアの前に並んでいる。見上げる電光掲示板は定刻通り運行されていることを示していた。ということは程なく列車が滑り込んでくるだろう。
蒼龍騎がボストンバッグからチアパックのビタミンゼリーを取り出し、口にくわえたところで列車が静かにホームに入って来た。蒼龍騎はチアパックを握りこみながら一気に中身を吸いきると空いた手でつかんだボストンバッグを肩にかつぐ。客車のドアとホームドアが開き、吐き出される乗客たち。間髪入れずに吸い込まれる乗客の流れに乗り五人は客車に乗り込んだ。
進行方向の左側、前の席に蒼龍騎とジュリーが座る。対面にはサスケとゼン。ジュリーは蒼龍騎が荷物を棚に乗せている間にちゃっかり窓際に座る。通路を挟んだ右側の窓際席にロムが座る。
目的地名古屋までは四十分。途中の駅には止まらない。
発車ベルが鳴り、列車は静かに滑り出す。車内に独特の抑揚で話す車掌のアナウンスが流れる。
ジュリーは自分のバッグからミニチュアの鎧や剣を取り出して蒼龍騎に手渡した。
「これは?」
「お下がりだがな、やるよ」
銅褐色の鎧は装飾性のない無骨な全身鎧で左腕のパーツには傷だらけの鈍色の円形の盾、革ベルトで腰に吊り下げられる黒光りする鞘に収められた片手持ちの剣だ。
「いいのか?」
非合法ゲームであるミクロンダンジョンへの冒険装備など市販されているはずもなく各自が趣味で作ったものが多い。蒼龍騎が普段使っている装備は今日もカバンの中に入っている全身鎧。比較的強度が高く加工のしやすいABS樹脂製で、一部デザインを簡略化した某ゲームの主人公が着る最上位鎧を模して自作したものだ。冒険者としてはごくごく普通の装備だと思っている。何度もダンジョンアタックを繰り返しているので傷みも激しい。パーツの結合部分ではひび割れもみられる。手渡された鎧は金属製で作りもしっかりしている。
「金属鎧は重くてな、全パーツ着込むと重くて歩くのがやっとだった。オレは胸当てと前腕部、あと脛当てしかつけていなかった。けど、今日は全部装着することをお勧めする」
蒼龍騎はゴクリと唾を飲み込んだ。それはジュリーに聞こえるほど大きな音になった。
「やめてもいいんだぜ」
「い、いや、やるよ。一人でも多い方がいいだろ?」
これから行くダンジョンは、評判が悪い。ダンジョンのシナリオに関わる話は話さないのが冒険者のマナーになっているのでわからないのはいいとして、漏れ伝わる情報はただの冒険者にはちょっと近寄りがたいものが多かった。
下町の迷宮亭の店長からもらった資料には、非合法化した直後というかなり早い時点で立ち上がったらしいダンジョンで未だ一組も完全制覇したパーティーがいないこと。挑戦した冒険者の多くが大けがをしていること。挑戦した冒険者がことごとく行かない方がいいと口を揃えて話すこと。など確かにいい評判は書かれていなかった。
「大丈夫でござるか?」
「何がですか?」
サスケに訪ねられたゼンは、鼻にかかった妙な節のついた話し方で応える。
「おそらく此度のダンジョン、その筋のものでござろう?」
「でしょうね」
「探しているダンジョンではござらんのだし」
続きを言いかけたサスケを制するように鋭く遮る。
「我々の探しているダンジョンが生半可なダンジョンではないことは、あなたも覚悟しているでしょう? 我々はそのダンジョンをクリアしなければならないのです」
ゼンは一旦言葉を切り、小さく息を吐く。
「確かに我々は強い冒険者ではありません。これまでのダンジョンもロムにおんぶ抱っこだったと言っていい。だからこそ少しでも多くの経験を積み、強くならなければいけない。何が起きても切り抜けられる冒険者にならなければいけないのです。『危ない橋も一度は渡れ』という諺もあります。今回のダンジョンはまさにその危ない橋だと思われます」
「それは承知している。が、今回のダンジョン。おそらくそなたも戦闘を余儀なくされるでござるぞ」
ゼンは鼻で笑ってみせると八センチくらいの杖を取り出してこういった。
「覚悟の前ですよ」
握っている杖はそのための用意である。
ロムは携帯音楽プレイヤーでお気に入りのシューティングゲームのBGM集を聴きながら、高速で流れ去る景色を視るでもなく眺めていた。もっとも景色の半分以上はトンネルの中だ。
思い出すたびによく助かったものだと思う。
彼の記憶は飛び立つ赤龍の前脚が握っていた少女に伸ばした彼の手にしがみつこうと彼女の手が必死に延ばされていたこと。その指先と指先がほんのわずかだが触れたという確かな感触を最後に途切れている。後で聞いた話や週刊誌などで読んだ記事によれば、最上階に設置されていた赤龍が飛び立つ際に床が崩落し、ロム以下屋上にいた冒険者たちがダンジョンの崩壊に飲み込まれていったのだという。
最上階にいた彼らの崩壊による怪我の程度が比較的軽微だったのは十分の一サイズであったことと位置関係のためだと言われている。縮小されている彼らからすれば体感で十メートル近く落下したように感じられたが、実際には一メートルもない。第一階層にいた冒険者は突如上から降ってきた瓦礫によって押しつぶされたことによる怪我だが、四人は主に落下により下の瓦礫に叩きつけられたことによるものだ。そのため比較的早い段階で救出されている。だからネズミにかじられ重傷を負っていたロム以外の三人は検査や経過観察の二週間で退院できた。
ロムは三ヶ月入院している。まず、ネズミにかじられた傷口が元のサイズに復元することによって大きくなることを危惧して縮小サイズのまま治療が行われた。ある程度回復するのを待って元のサイズに戻し、さらに治療を続ける。彼が意識を取り戻したのは元のサイズに戻されて数日後だった。その後リハビリを受けて後遺症のないことが確かめられ、ある程度日常生活に支障がない状態に戻ったところで退院した。高校生だったロムは退院後夏休みまでの数週間を筋トレと受験勉強に費やし、夏休み中は拳法の師匠の道場に押しかけて規則正しく修行と受験勉強をして過ごした。
その年の秋口、ちょうど一年前になるだろうかゼンから連絡が来て神奈川でミクロンダンジョンを見つけたので一緒にアタックしてくれないかと誘われた。その時は「もう少し時間をくれ」と断っている。その際理由にした大学入試を控えていたからというのは主な理由ではなかった。実際は拳法家として鈍っていた実戦感覚を取り戻し、あの日のような絶望的な不測の事態に対処できる心と体を鍛えるためだったのだ。
師匠は大学入試を控えた一年間を将来のために勉学に勤しめと諭し、正月から稽古に来ることを禁じていた。だからこそ手持ち無沙汰だったあの日、春休み期間中のゲームエクスポにいたのである。もちろん日課の自主稽古を怠っていたわけではない。しかし、さらわれたジュリーの妹玲奈を救う協力をするためには、あの事件による怪我での入院三ヶ月を含め半年以上実戦から遠ざかっている今の状態ではいけないと思ったのだ。師匠に事件の経緯と自身の関わりを語り、拝み倒してようやく修行をつけてくれる約束を取り付けたのが夏休み期間中の住み込み修行だった。短い間だったが師匠が直接稽古をつけてくれたことで実戦感覚を取り戻せただけでなく、より研ぎ澄まされ技に磨きがかかったようにも思えた。それでも足りない気がしていた。心許なく思っていた。だから神奈川の件は断ったのだ。
その後、三人は摘発された神奈川のダンジョンに変わって山梨のダンジョンアタックにも失敗し、今年に入ってようやく茨城にダンジョンを見つけた際、是が非でもとロムを誘った。すでに希望の大学に進学の決まっていたロムは師匠の助言もあってようやく参加を決断。以降千葉のダンジョン(今はそのダンジョン攻略難度からギルド名「賢者の迷宮亭」と呼ばれている)・下町の迷宮亭とダンジョン攻略に貢献して来た。
ロムは無意識に左肩を下げて服の上から傷痕をさする。
(自分は果たしてあの頃より強くなっているのだろうか?)
(目の前にまた同じシチュエーションでネズミが現れたとしてあの時より上手く立ち回れるだろうか?)
車窓の景色を見るとはなしに眺めながら自問自答を繰り返す。
そんな一人の世界をサスケが現実世界に呼び戻した。
「そろそろ名古屋でござる」
「あぁ、早いな。やっぱ」
わずか四十分。大学までの彼の通学時間より五分ほど短い。
五人は名古屋に降り立った。