雑なダンジョン 02
部屋は八畳ほどの広さだった。
その部屋の中央付近に大きな褐色のカマキリが一匹。80cm級のそれは音に反応したのか、ともすれば愛嬌すら感じさせるハート型の顔をこちらに向けていた。
「マジかよ…」
ジュリーがつぶやき絶句する。
ゼンが滔々とカマキリの蘊蓄を語り出す。
カマキリは肉食の昆虫だ。基本的には自分より大きな獲物は狙わないと言われているが、餌の少ない環境なら自分より大きなトカゲやネズミを捕食するし共食いもするほど獰猛だ。ダンジョンにモンスターとして配置されたこの単独のカマキリ、いつからここに配置されているかはわからないがどう考えても満腹とは思えない。
「つまり、今危険な状態ですよ」
正直カマキリが人を襲うかどうかはわからない。しかし、可能性は低くない。
ロムは、自分にあった武術を求め様々な道場を覗いた中に見た蟷螂拳の遣い手を思い出していた。その演武はゆらゆらと揺れているようだったが、目の前にいるカマキリはどうだ。こちらに気づいてじっと見つめて微動だにしない。
「蟷螂拳と違ってゆらゆら動かないもんなんだな」
それを聞きとがめるようにゼンが棘のある返答をする。
「カマキリは待ち伏せ型の狩りをする昆虫です。基本的にじっとして動かずに相手の隙をついて一気に襲い、生きたままかじりつくんです。小さい頃に観察したことはないのですか? 揺れるのは威嚇の時の仕草ですよ」
「…それってつまり、今目の前でじっとしているのは…」
カマキリから目をそらさず、少し声をうわずらせるジュリーにこれもまた冷たくゼンは答える。
「ええ、十中八九ロックオンされてます。気を抜かないでください」
それを聞き、ジュリーは周りに聞こえるほど大きな音を立てて唾を飲み込んだ。
「だが、いつまでも睨み合うというわけにもいかぬでござる。長引けば長引くほどこちらに不利となろう」
「た、確かに…」
「ガチでやりあって勝算あると思う?」
「ありますよ。恐ろしくハイリスクですから避けることを勧めますがね」
ロムの軽口に聞こえる質問に対して、ゼンが間髪入れずに答える。
「じゃあ、リスクは最小限に」
無意識に左の肩を一度下げ、ロムはゼンの前に右手を出した。
無言の要求にこれも黙って杖を手渡し、ジュリーとゼンを押すように壁際をゆっくり進み出すゼン。
それとは反対側へとこれもまたゆっくり移動しながらロムは杖を大きく振り回す。カマキリは目の前で風を切る杖に反応し、ゆっくりと上体を揺すり出す。威嚇行動だ。
思惑通りだったのだろう。口角だけを釣り上げ一度杖を床に打ちつけると流れるように杖を回して行く。人が見ればそれが杖術の演武であることが分かったはずだ。
三人には、それが合図になる。彼らはそれまでのジリジリとした壁際移動から慎重ながらも速やかな足取りの退避行動に移る。ロムの演武はカマキリを強く刺激している。上体を起こして杖の動きに合わせてゆらゆらと揺れるカマキリは鎌状の前脚を体に引きつけ、バッと翅を広げて体を大きく見せる。
「!」
目の前で翅が展開したことに一瞬足がすくんだ三人の気配にピクリと反応したカマキリをあえて挑発するように壁に杖を打ち付け、再び注意を自分に向けさせるロム。感情の読み取れないカマキリの顔が再び彼を捕らえ、まさに蟷螂拳のような仕草でこちらを威嚇してくる。
(むしろありがたい)
ロムは最初の居合抜刀のごとき身じろぎもしないカマキリと対峙するより、慣れ親しんだ動きの流れの中に身を置くことに全身の強張りがほぐれるのを感じた。
気を取り直した三人は再び慎重に壁際を出口の扉まで進む。
カマキリは時折ジャブのように鎌を繰り出すが、ロムはそれを杖で弾く。しかし、決して攻めには転じない。
その間に三人は出口へと辿り着き、扉を開けて外へ出る。
「ロム!」
ジュリーの呼びかけを受け、ロムは初めて攻撃に転じた。
攻防一体は拳士としての真骨頂である。繰り出される右の鎌腕を絡め取るように杖で巻き込み関節に掌底を打ち込むとピシリと亀裂の入る音が聞こえた。絡めた杖をさっと引き、素早く体を攻撃した右側に移動する。
カマキリが鎌を構えてロムを正面に据えようとするのに合わせ、彼はさらに移動する。一気に移動しない慎重さとなおも挑発するように杖を振り回す豪胆さ。扉を開けたままロムがたどり着くのを待っているジュリーの目に映る姿は頼もしさと羨ましさを彼の心に感じさせる。
最初に出会い、彼をこの過酷な冒険に付き合わせることになったのも彼が強かったからだ。本来ならその日、あのダンジョンを共に冒険すればそれでサヨナラだったかもしれないロムとのこれが三度目のダンジョンアタックなのだ。戦士として、剣士として共に戦いたい。せめて隣で協力したい。ジュリーはギリリと奥歯を噛み締めた。