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始まりの迷宮 08

(良かったのか? 行かせて)


 このゲームはおかしい。危険なのだ。きっと最上階(このゲームでは〈地上〉と称されている屋上部)には、何かあるに違いない。だから、行くなら全員でなければいけない。彼の危険に対する経験的な勘がそう叫んでいる。しかし、目の前の現実も危険に満ちている。実際彼の眼前にはまだこちらに気づいていないとは言え、体感で2メートル越えの生きたネズミがいるのだ。しかし、そんな状況を前にしてなお上には得体の知れない危険が待ち受けている気がしてならないのだ。

 ロムは漂う獣臭に軽く頭をふって一、二秒目を閉じた。今は目の前に集中しなければならない。

 ネズミは基本的に臆病な生き物だ。しかし、雑食で時には捕食者である猫とやりあうこともある。決して臆病一辺倒の生き物ではない。目の前のネズミは鼻をひくつかせ、自分の置かれた状況を確認している段階でこちらに気づいている節はない。

 そこまで観察したことでわずかに心に余裕が生まれ、斧を握る手に力が入りすぎていることに気づく。右手、左手と意識的に大きく開いて握り直し、ちらりと視線を階段に向ける。体感距離で五メートル(実際には五十センチ)。螺旋階段の上では異様な歓声がどよめいて聞こえる気がする。

 屋上に上がりさえすれば大勢の人間にビビって逃げるはず。

 彼はそう見立てるとジリジリと階段に向かって移動するが、一メートルほど移動したところで砂か何かを踏みつけた音がした。ネズミの耳がピクリと反応し、後足だけで一度立ち上がってこちらを向く。


(気づかれた)


 冷や汗が首筋を伝う。

 ネズミは再び四つん這いになってすんすんと鼻をひくつかせながらロムの周りを這うように移動する。


(気づかれただけじゃなく狙われてる?)


 ロムは斧を振り上げ迎撃の体制をとる。階段まではおそらく逃げきれない。かといってまともに戦って勝てる気もしない。相手はネズミだがこちらはミクロンシステムで十分の一サイズになっている。体格差で言えばヒグマを相手にしているようなものだ。そんなひりつく緊張に押しつぶされようとしている時、


『声を出せ!』


 頭に響いたのは聞き覚えのある野太い声だった。

 小学生の頃、ロムは実践派のカラテ道場に通っていた。その時その道場で指導を手伝っていた高校生の声だ。ロムにとって嫌な記憶でしかない。


『てめぇら腹から声出さねぇから弱いんだよ! でけぇ声で敵を威嚇すんだよ!』


 男はその言葉通り、実力的に劣っていることがわかりきっている小学生に対し常に威圧的態度で接し子供達が怯える様を見て楽しんでいた。

 ロムは苦虫を噛み潰すような表情で舌打ちをする。


(嫌な奴思い出しちまった。…けど、気に入らないが今はありがたい)


 大上段に振り上げていた戦斧を肩口まで下ろすと大きく息を吸い、唸るような声でドブネズミを威嚇する。びくりと体をこわばらせたのを確認すると背を向けて一目散に階段へと走り出す。一か八かの賭けに出たのだ。逃げるロムを追いかけて迫り来るドブネズミのスピードはロムのそれより圧倒的に速かった。そして、今まさに襲いかからんとしたその時、ロムは足を止めて振り返りざまに斧を逆袈裟に振り上げた。





 弘武の左肩がチリチリと痛む。

 あの日の事を思い出すといつもそうなるのだ。そして思う、なぜ彼らを先に行かせてしまったのかと。

 確かに状況はそうせざるを得なかったように思える。しかし本当にそうだったのか? 他にもっと良い方法はなかったのだろうか?

 彼は無意識のうちに左の肩を抑えていた。そこには彼に生死の狭間はざま彷徨さまよわせた齧歯げっしるいの歯の跡が刻み込まれている。あの日あの時の傷痕きずあとだ。 恐らく斧がなければ彼は確実に死んでいただろう。 だが、本当の悲劇は彼がそのドブネズミの頭蓋ずがいを叩き割った直後に起きた。

  レイナの悲鳴にネズミの死も確認せず、痛む傷を押さえながらフラつく体で螺旋階段を上った彼の瞳が映し出した光景は、ファンタジー映画の一シーンのようだった。


 それは今でも鮮明に覚えている。






 天に向かって火を吐くレッドドラゴンとそれに立ち向かう戦士たちの姿。竜の前脚にはレイナが握られていた。サスケとジュリーは泣きだしそうな顔で武器を振り回すが近づくこともできず、ゼンは腰が抜けているのか出口の前でおののいていた。ジュリーは何かを喚いているのだが何をいっているのかロムには聞き取れない。ただ必死にレイナを助けようとしているのだということだけがわかる。それを見守る実寸の観客たちはその迫力に感心している者ややり過ぎと憤っている者もいたようだし、コンパニオンも困惑していた気がする。


「どうなってるんだ?」


「わかりません。何をどうすればいいのか? どうやったら止まるのか?」


 全く血の気の失せた顔色でゼンが答える。レイナを見ると恐怖に顔を引きつらせている。とにかくレイナを助けなければと、赤竜に近づこうとしたその時だった。頭から尻尾まで八メートル(実際は十分の一)はあろうかという巨体を立ち上げ、大きく翼を広げたのだ。制御用かと思われてたダンジョンとつながっていたゲーブルをブチブチと引きちぎり後足に力を込めたように見えた。彼の耳に届いたのは兄が絶叫した妹の名前。レンガの床が崩壊し引き千切られたコードが火花を散らす中で悠然と、まるで生きているかのように飛び立つ赤竜の姿。彼は崩れゆく床を走り抜け、飛び立つ赤竜の前脚が握っていた少女に手を伸ばす。差し出した彼の手にしがみつこうと彼女の手が必死に延ばされていたことを覚えている。遠のく意識の中わずかに、指先と指先がほんのわずかだが触れたという確かな感触が今も残っている。

 そして彼の記憧には残っていないが、ゼンたち三人は知っている。彼女が、必死に助けを求めて弘武を呼んでいたことを。兄ではなく確かに彼に助けを求めていたことを。






 その日、ミクロンダンジョンは多数の犠牲者を生み、死者すら出た。第一階層を冒険していたパーティ十四人で死者三名。崩れるダンジョンの中、ゼンたちはともかく気絶した弘武が助かったのは奇跡と言えた。

 あの日からミクロンダンジョンはその危険性を問題視され、ゲームとして合法的に遊ぶことができなくなった。それとは逆にあの日から弘武たちの本当の冒険は始まった。赤竜にさらわれた玲奈を助け出すまで、恐らくありとあらゆる方法でミクロンの旅は続くのだろう。


「ゼン」


 双眼鏡を覗いていたジュリーが、その双眼鏡を渡しながらいう。


「あいつ、合法だった頃行きつけだったミクロン屋でよく話してたやつじゃないか?」


 受け取った双眼鏡を覗きながら彼のいう人物を確認すると、ゼンはサスケに双眼鏡を手渡した。


「ええ、そうですね。確か別のTRPGコンペでも一緒にプレイしましたね。名前は確か…」


「沢崎和幸。ハンドルネームに蒼龍騎そうりゅうきを名乗っている男でござる」


「蒼龍騎ならSNSでつながってるぞ。あいつがそうだったのか」


「つながっているのですか? ジュリー」


「ああ、最近MMORPGの話題が極端に少なくなってると思ってたんだが…そうか、あいつもミクロン続けてたのか」


「RPGの話題全般は続けているのかい?」


 ロムに訊ねられたジュリーはキョトンとした顔をする。質問の意図が理解できなかったらしい。代わりにサスケが答えた。


「TRPGのコンペの話はよく出るでござるが、ここ二、三ヶ月は特定のパーティでプレイしている節が見受けられる」


「変ですね? この二ヶ月関東でのコンペは開催されてませんよ?」


 言われてジュリーはパソコンに向かいスリープモードを解除してSNS専用ブラウザを起動する。二人はその後ろに立って蒼龍騎の投稿記事を読み漁る。ロムはその間もオモチャ屋への出入りを眺めていた。そろそろ日も沈むのか空が茜色に染まり出している。店に入る客よりも出る客の方が増えいてたが、皆大人ばかりだ。彼の背後では三人が記事のいくつかをプリントアウトして内容を精査している。


「やはりTRPGではありませんね」


「ああ、巧妙にごまかしているがこいつぁミクロンダンジョンだ。同じダンジョンに何度もアタックしているぜ」


 そして三人は再び窓際に集まり正面目下のオモチャ屋を見下ろす。


いとぐち、つかめそうですね」

次回から新章スタートです。

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