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始まりの迷宮 07

「ダメだ! 受けるな、逃げろ!!」


 鋭い警告はしかし、ジュリーの気を逸らしただけだった。

 振り下ろされる斧は左腕のPSポリスチレン製アーマーを叩き割り、鮮血が飛び散る。


「お兄ちゃん!」


 蒼白な顔で叫ぶレイナの声に反応したゴーレムは、振り向きながらレイナに向けて斧を振り上げる。


「レイナ! こっちだっ! こっち向けコノヤロー!」


 後ろからサスケに羽交い締めされながらジュリーは叫ぶがゴーレムは無情にも反応を改める様子がない。流血に構うことなくジタバタともがくジュリーを必死に抑えるサスケがいつもの言葉遣いも忘れてジュリーを諭す。


「ダメだ! ターゲットロックされてる!」


 レイナは木偶デクのようにゴーレムを見つめていた。体が動かない。いや、頭が働かないのだ。目の前の出来事に思考が停止し、ただただ斧を振り上げ今まさに彼女に向かって振り下ろされようとしているそれを他人ひとごとのように見つめていたのである。


「逃げろレイナ! 逃げろ!」


 兄の悲痛な叫びも届かない。

 最上段に振り上げられた斧が彼女の脳天めがけて振り下ろされようとした刹那せつな、ぱぁんという乾いた音が響く。ロムの掌底が斧頭の側面を撃ち抜いたのだ。ゴーレムは軸がぶれ、斧の遠心力に振り回されるように横倒しにどうと倒れる。刃先がわずかにレイナの袖口を掠めていった。

 ゴーレムの倒れた大きな音に我に返ったレイナの目の前には彼女を庇うように立つロムの大きな背中があった。


「完全に動きを止めないとジュリーの手当てができんぞ」


 サスケの声に反応し視線を下に向けるとゴロゴロと地面をのたうちながらキリキリと斧を振り上げては下ろすゴーレムが動いている。ロムがかなり無造作に近づき、やおら斧頭を両手で掴むと片足をゴーレムにかけてその握る手から斧を引き抜いた。


「ロム?」


 左前腕の傷口を押さえながら眉根を寄せるジュリーは、ロムの行動に対してなのか痛みに顔をしかめているのか?

 ロムは無言で斧を振り上げると力任せにゴーレムめがけて振り下ろす。粉々になるまで何度も何度も振り下ろす。

 サスケはテキパキと傷口を確かめ、腕を動かし、ジュリーに具合を訊く。


「動脈は大丈夫。神経も問題なさそうでござるな」


「助かった…」


 安堵のため息をつくジュリーにサスケは間髪入れずに言った。


「助かってはござらん。応急で止血はするが消毒もできぬし傷が深い。重傷でござるぞ」


 懐から取り出した帯状の布と脚絆きゃはんの裏から取り出した膏薬こうやくらしきペースト状のもので手早く処置する。


「いくら何でも危険すぎないか? この斧、刃が研いであるぞ」


 ゴーレムを破壊し終わったロムが四人の前に近づきながら斧を見せる。見た目からして作業用の斧とは一線を画した戦斧だ。斧は柄の長さだけでも百四十センチ(実際には十四センチ)はあり、半円形の斧頭は刃渡りで七十センチには達していそうである。


「確かに」


 ゼンがランタンを近づけてまじまじと斧を観察しながら呟く。


「リアリティを追求するにしてもゲームとしての安全性に問題がありますね」


「そういえば二階でこのゲームに違和感があるって言ってたよね?」


 レイナがロムに問いかけた言葉を聞き咎め、ゼンがロムを見据える。


「違和感?」


「ん? ああ、RPGには詳しくないしミクロンは初めてだからうまく説明できないんだけど…どんなにリアリティを追求していたとしても『ゲームにはゲームとしてのゲームらしさ』ってのがあると思うんだ」


 彼は、言葉を選びながら訥々とつとつと自分の中の違和感を自身の感覚を思い出すように説明して行く。


「一階じゃ感じなかったんだけど二階を進むうちに違和感に気づいて…」


「第一階層と第二、第三階層で何か違いがあるということですね?」


「あるな。一つ決定的なやつが」


 ジュリーは応急の治療を終えた左手の状態を確かめるように動かしながら思考に潜りかけたゼンに答える。


「タイムアップのアナウンスだ」


 四人は一斉にジュリーを見つめる。

 通常ミクロンのプレイ終了は、タイムオーバーを知らせるアナウンスによってもたらされる。ゲームオーバーを宣告されたパーティは速やかに帰還することを要求されている。強制的な仕組みでは無いので残ることも可能ではあるが、パーティのIDがゲームオーバーと同時に無効化されてしまうためそれ以上のゲーム進行が不可能となり、帰還を余儀なくされている。


「第二階層一番乗りに興奮して気にもしてなかったんだが、階段上がってからこっち一度も聞いちゃいないぜ」


 一体、熱血漢然とした普段の態度はどこまでが演技なのか? あの粗暴な行動の陰で彼がこんなにも冷静に状況を把握していたことにロムは舌を巻く。


「言われてみれば…。しかしそれは…」


「リアリティの追求?」


 ゼンの言葉をジュリーがさえぎる。疑問形ではあるがその考えに対する否定が込められていることは明らかだ。


「そういえば一階では耳をすませば聞こえていた外の音も聞こえてこないよね」


 レイナの指摘にゼンは沈黙せざるを得なくなる。


「建築は専門外だが、こんなミニチュアでここまで遮音するのは容易ではござらんぞ。確かに気になる事柄にござる」


「しかし、それが違和感とどうつながるのですか?」


 ゼンがネガティブになる思考に抗おうとジュリーに詰め寄る。


「オレに訊くなよ。違和感があるって言ったのはロムだぜ?」


 四人の視線が集まったことに戸惑うロムは申し訳なさそうにこう言った。


「いや…それがわかれば違和感なんて曖昧な表現使わないよ」


「そりゃそうだ」


 気まずい沈黙をジュリーの能天気な声が破る。意図しているのか天然なのか、こういう時のジュリーの芝居じみた言動は場の雰囲気を変えてくれる。


「クリアすれば謎は全て解ける。それがゲームってもんだろ?」


「もう出発する気ですか? 傷の方は大丈夫なのですか?」


「大丈夫もなにも行くしかないだろ?」


 ゼンの心配そうな問いかけにジュリーは事も無げに答える。楽天的なのか豪胆なのか、ジュリーには根っからのムードメーカーとしての素質があるようだ。包帯を巻かれた左腕を腰に帯びた剣の上に置き、多少血の気のない顔色ながら明るい表情で仲間を促す。ゼンはそれに応えるべく大きく息を吐いた。


「隊列は組み直しましょう。その腕では先頭は任せられません」


「うっ…仕方ない」


 そんな中レイナは、真剣な眼差しで自分が壊したゴーレムの残骸を見つめているロムに気がついた。


「やっぱり気になるの? 違和感ってやつ」


「! あぁ、うん。ちょっとね」


 彼はそう言ったきり話そうとはしない。言葉にはできないのだ。こういった場面ではかえってゲーム初心者の方が敏感である。彼はRPGに慣れた人間では気づかない微妙な異常を感じていた。

 もちろんそれを考慮に入れてゲームをデザインする場合もある。この〈異常〉なるものを意図的に作り出し〈伏線〉として利用するのだ。だがそういった類いのものならば、それを暴くことを生き甲斐にでもしているようなゼンたちマニアが気づかないはずがない。いや、むしろ異常に気づいてもらわなければシナリオが進まない。

 そう、これは根源的な異常なのだ。シナリオ的な変化ではなくゲームそれ自体の異常。だからその異常に気がつかないのだ。しかし、ロムは気づいた。この異常な雰囲気をロムの武道家としての感覚が、武道に精通した人間特有の経験に基づく危機感がこの異常な事態に警鐘を鳴らしていた。「どこかおかしい」と。


(何なんだ? この全身が震えるような危機感は?)


 それはもう、戦士の勘としか言いようが無い。その潜在的恐怖と言える感覚が、全くの無意識にゴーレムの斧を担いでダンジョンアタックを続けさせていることにあらわれていた。四人も彼が斧を持ち続けていたことに気づいていない。

 やがて五人はドアがなく正面壁際に螺旋らせん階段が見えるロビーのような空間が見えるところまできた。ざわざわと人の声も聞こえてくる。サスケの書いていた地図はそこが第三階層の終わりであると告げていた。


「てことはアレを上がるとドラゴンとご対面ってことだな?」


 三列目をロムと一緒に歩いていたジュリーが、レイナとともに先頭を歩いていたサスケに声をかける。


「うむ、拙者の記憶とマッピングが確かなら屋上のドラゴンの前にあった出口の位置と螺旋階段の座標は一致しているものとみられる」


 四人が立ち止まったことで、ロムも意識を現実に戻した。


「上下にセンサーっぽい仕掛け、壁には縦に並んだ穴…あの広間の中に入ったら穴から棒が飛び出して入り口を塞ぐんだろうな」


 ジュリーの説明にロムが視線を向けると確かにいう通りのものがある。上下のセンサーというのは不可視の光線か電波のようなものが出ていて、それを遮るとジュリーの言った通り壁から棒が飛び出してくるのだろう。分かり易すぎるほどこれ見よがしな仕掛けだった。


「典型的なモンスター待ち伏せ型の仕掛けですね。『ここが最後だ』と、教えているようなものです」


「マップでは、向かって左側面の壁に何かを納める小部屋があるでござる」


「ドラゴンの財宝へ繋がる道を守る守護獣? そんな存在必要か?」


 ジュリーが胡散臭そうに首をひねる。


「確かに最後にドラゴンが待っていることを考えると、ここにモンスターを配置するというのは安田氏らしくありませんねぇ」


 ゼンもその疑問に同意したようだ。おそらくロムの言った違和感というのに引っかかってもいるのだろう。彼はしばしブツブツと自身の頭の中を整理するために独り言をつぶやくと、ロムを振り返り確認する。


「第三階層は、敵を倒さなくても先へ進めましたよね?」


「だからってここもそうとは限らないだろ?」


 ロムは肩に担いでいた斧を下ろしてそう言った。その仕草にレイナは初めてロムが斧を持ち歩いていたことに気づく。


「まぁ、そうなのですが…演出的に考えると行けると思いますね」


「演出?」


「ええ。時代劇やヒーローものによくある仲間を先に行かせて『ここは俺に任せろ!』とかいうあれです」


「なるほど。そりゃクライマックスらしい燃える展開だ」


 ジュリーがニヤリと笑ってロムを見る。


「安田氏らしくはありませんがね」


「そうだな」


 ジュリーもRPGマニアの端くれだ。GMゲームマスター安田良のシナリオは色々とやり込んでいる。その経験から言えばこんな唐突な仕掛けをするような人では無いと思える。ゼンの見立てはもう少し具体的で、ここは安田氏に依頼された時点で既に決定されていたもの。つまりこのミクロンダンジョンは目の前の広間ありきで企画されていると考えていた。しかも、ここだけが異質なほど唐突であることを考えると安田氏もどんな仕掛けになっているのか知らさせていないだろう。


「斧、持ってきてたんだね」


 レイナは三人がこの先の展開を予想し戦術を練っている間にロムに歩み寄り話しかけた。


「え? あぁ、そう言えば…」


「気づいてなかったの?」


「うん。…なんで持ってきたんだろう?」


 無意識なのだ。ロムは、その無意識を瞬時に肯定した。戦士の勘がこの場でこれを必要としていた。そういうことなのだろうと。


殿しんがりはオレがやろう。状況的に考えて中ボス一体ってパターンだ。オレが牽制している間にレイナ、サスケ、ゼンの順に階段を登るんだ。念のためロムはみんなが登り切るまでサポートしてくれ。あぁ、ランタンは階段下に置いといてくれよ」


「敵があのゴーレムだったらどうするの?」


 レイナが心配そうに兄を見る。彼は妹の視線にバツの悪そうな笑みを浮かべてこういった。


「その時はロムに手伝ってもらうさ」


 視線を向けられ、戦斧を胸に構えて思わずレイナに笑いかけるロム。レイナも微笑み返す。


「みんな、覚悟はいいか?」


 怪我をした左手が不自由でショートソードを鞘から抜くのに手間取ったジュリーが、照れ隠しに語気を強めていつも以上に芝居掛かった言い方をしてみんなを眺める。それぞれが小さく頷くのを確認すると大きく息を吸って号令をかける。


「行っけぇ!」


 レイナが飛び出しサスケが続く。ローブの裾が長いせいかそもそもの運動不足か、少し遅れてゼンが追いかける。ロムはジュリーの隣を付かず離れず軽い足取りで並走する。

 ロムたちが入るとすぐに左の壁、サスケが事前に指摘していた場所の扉が左右に開きだす。十分の一の世界で等身大のリアリティを演出するためだろう重い石の扉が開くようなサウンドエフェクトが壁から聞こえてくる。ロムはその隙間からの気配に寒気を感じ思わず立ち止まる。それに気づいたジュリーが歩速を緩めようとした時、背後の入り口が鋭い金属音を立てた棒によって閉じられた。


「予想通りだな」


 立ち止まったジュリーが後ろを確認し、扉に向かって剣を構える。


(まずい)


 ロムの直感、いやすでに勘とも言えない差し迫った事実としての危険が迫っていた。


「くそっ!」


「どうした? 敵はまだ出てきてない。俺たちが階段まで行く余裕は…」


 ジュリーにはわかっていないようだ。扉は演出なのか決して早くは開かない。光源のランタンは先行するゼンが持っているため壁の向こうの様子がわからない。しかし、その雰囲気は生き物のものだ。まごうことなき動物のものだった。


「余裕なんかねぇ! あんたも早く階段を登るんだ!!」


「オ、オレも!?」


「早く逃げろ!」


 その声は上半身が天井に隠れていたサスケや、ようやく螺旋階段に取り付き登ろうとしていたゼンにも届く。その鋭さ、意味に振り返るゼン。訳も分からず命令にも似たその指示に従うジュリーは螺旋階段へ駆け出す。

 天井から「おお!」という低い感嘆の声が降ってきた。レイナが現れたことで会場の観客がどよめいたのだろう。しかし、ロムの意識は扉の向こうに集中する。

 ゼンは部屋ができるだけ照らされるようにランタンを置く位置を工夫し、良さげな位置に据えると壁を見やる。そこにジュリーがやってきて同じように振り返る。完全に解放された扉からのっそりと出てきたのは


「ほ、本物ネズミ!?」


「ドブネズミですね。クマネズミと違って肉食傾向のあるネズミです」


 階段の上でしゃがみこんでいたゼンが立ち上がってジュリーに先を促す。


「だ、大丈夫なのか? 助けに……行かなくても………」


 青ざめた顔が下からのランタンの灯りに照らされている。声も上ずり震える手で握っているショートソードが螺旋階段にカタカタと当たっている。


「足手まといです。助けるというなら上でスタッフを呼びましょう」


 ゼンも声は震えているがジュリーよりは冷静な判断力はかろうじて残っていたようだ。


「そ…そうだな」


 そして二人は力が抜けるふわふわした感覚の足に無理やり力を込めて階段を登って行った。

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