会話は神経衰弱じゃなかった……
20年くらい、勘違いしていたことがありました。
説明してもわかってもらいにくいかもしれませんけれど、よければ聞いてくださいませ。
いつも妙なたとえばっかり駆使していますが、今回はトランプの神経衰弱ゲームをたとえに使います。
神経衰弱のルールなんて、今さら解説しなくても皆さんよくご存じだとは思いますけれど、念のため書きます。トランプのカードをすべて裏返して数字が見えない状態でばらまきます。プレイヤーはカードを2枚めくるのですが、カードの数字が同じでなければ自分のターンは終了、次のプレイヤーに交代、というルールだったかと思います。
長年、会話というのは、神経衰弱で2枚目のカードをめくるように、求められる返答に寄せるのがルールだと思っておりました。相手がエースのカードを出したら、こっちは何としてもエースのカードを出さねばならん! と。
私が人と話すとひどく疲れるのは、この思い込みのせいだったかもしれません。
誰かに話しかけられたとき、どのカードを選んでめくるか、すごくすごく悩みました。めくる場所を間違えれば次はないと思い込んでいたからです。
ここで、疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
人が頭の中で考えていることは目には見えないのに、2枚のカードを突き合わせるように同じかどうか確かめるなんて無理じゃないか、と。
自分の選んだカードが合っているかの判定は、相手の顔色を見ていました。相手が顔をしかめたり戸惑った反応をしていたら、そのカードは間違っていたのだと、いちいち反省していました。独りよがりではありますが、そういうものだと思っていたんです。
先日、昔の同僚さんと近所でバッタリ会ったときにちょっとだけ立ち話をしたんですが、めくるカードの選択を間違えちゃったかなと、その後しばらくウジウジと悩んでおりました。それを家族に軽くグチったんです。そうしたらですね。
「言ってることがお互い違うから、会話なんじゃないの?」
なんて、えらいびっくりされてしまったので、あれ? もしかしてみんなはこんなに悩んでないの? と思った次第です。
うちの家族曰く、カードが合うかどうかなんて考えずに、手近なやつをペロッとめくるんだそうです。
相手が5を出して私が8を出しても、「ああ、あなたは5ですか。私は8なんですよ。ウフフ~♪」と笑っておればよいそうです。
「うわあ! 数がぜんぜん違うううううううう」と、頭を抱え込んで反省しなくてもいいみたいです。
目から鱗ボロボロ落ちまくりやないですか!!
――という私のショーゲキ体験に共感してくださる方はいらっしゃらないかもしれませんが、とにかくびっくりしましたよ。もうカード選びであんなにビクビクしたり、禿げそうなくらい悩まなくていいのかと思うとホッとして、ちょっと泣きそうになりました。
もちろん、ケースバイケースで相手に話を合わせるのは必要だと思います。
でもよく考えれば、めくるカードがすべて一致しまくって一瞬でゲームが終わったら面白くないですもんね。
これからは、ちょっとずつでも“会話”を楽しめるようになりたいです。