捕虜収容所ヲ奪還セヨ
葛原と合流した酒匂大尉は考えていた
本来の予定なら、既に羽田少尉の分隊と合流しているはずなのだ
しかし、予想外の展開に進行速度は遅くなり、日が暮れるまでに収容所にたどり着くのは難しくなってしまった
末端の兵は消耗しているし、芹沢伍長の分隊が抜けて頭数が少ない、このままの進軍は無理だ
一般の陸軍だったら予定を守る為に夜間行軍もしただろう。しかし陸軍の虎の子の挺身連隊は喪失するだけで人的被害は計り知れない。その為現地指揮官の独断専行もある程度なら許されていた
「いたしかなしか」
酒匂大尉はそう呟くと大石一等兵を呼んだ
「大石、羽田少尉の隊に無線連絡」
「ハッ!」
「内容はこうだ。不死人の抵抗により合流は非常に困難、貴隊は先行して収容所にて待機されたし。以上だ」
「了解です!復唱します!不死人の抵抗により合流は非常に困難、貴隊は先行して収容所にて待機されたし」
「よろしい、すぐにかかれ」
「ハイ!失礼します!」
大石一等兵が邪魔にならない場所に向かい、背中の無線機を操作する
「さて、笹野少尉。我々には今日の宿がなくてな、もしよろしければ君達の拠点に案内してくれないだろうか?」
「ご案内しますよ。元々生存者の救助も我々の任務に入っていますから」
笹野少尉が敬礼を解いてそう言った
*****
笹野少尉達の拠点は密林の中にあった
滑走路を造る為に密林を一部伐採し、その木材を資材に加工する為の集積場、それが笹野少尉達の拠点だ
木材を積み上げて2メートル程の壁を作り、一式重機関銃や九十九式機関銃などを構えた兵士が物見櫓からこちらに銃口を向ける
その前には3メートルほどの堀があり、中には鹿砦や尖らせた木々がそそり立っていた
生き残ったのは軍民合わせて二百名程、小火器は豊富にあるらしく、その代わり、火焔投射機やロ式携帯対戦車砲や歩兵砲のような火器は圧倒的に不足していた
「笹野偵察隊、帰還しました!」
すると堀の上に丸太橋が架けられ、拳銃や軍刀を持った兵士がボディチェックをし始める
「陸軍挺身連隊の酒匂だ、ここの指揮官と話がしたい、とりついでいただけないだろうか?」
「水無月島駐留部隊の天野二等兵です、その前に、噛まれてないか調べさせてもらえませんか」
「いいだろう」
「失礼します」
天野二等兵とその取り巻き達が第一分隊の身体を調べる
「異常なし。失礼いたしました。指揮官殿への面会は私には権限がないので、詰め所の倉田曹長殿にお尋ねください」
「そうか、わかった。ご苦労。分隊、拠点内部入り口にて待機!毒島軍曹、分隊の宿泊先の交渉を頼む」
「はい!」
*****
第二分隊
「少尉殿、みえました。収容所です」
夜闇の中、穂積伍長がそう報告した
「よし、今日の進軍はここまでだ。あの収容所に一泊するぞ」
羽田少尉が暗闇にうっすら見える収容所を見上げ、後ろを振り返る
「エルンストさん、私から離れないでください」
「は、はい……」
エルンストは書類カバンを後生大事そうに抱えながらそう答えた
その時、連続した銃撃音が響き渡った
「羽田少尉殿!」
そこへ斥候に出していたの鞠川一等兵がやってきた
「どうした」
「はい、収容所からサーチライトを浴びせられ、機銃掃射をくらいました!」
「なに!?被害の程は!?」
「ありません!しかし反撃ができないであります!」
「そうか、例の脱走捕虜か……」
酒匂大尉から無線で聞いた事を思い出しつつ、羽田少尉が顎を撫で、うなった
「……細川一等兵!」
「はい!」
駆け寄ったのは無線機を背負った細川一等兵がやってきた
「芹沢に砲撃支援を要請しろ、座標は私が伝える」
「はい!」
細川は無線機を地面に下ろすと調節ツマミを弄り始めた
*****
『こちら第二分隊、砲撃支援を要請する。座標はり–4、捕虜収容所の監視塔と鉄条網を破壊せよ、なお建物には命中させるな』
「こちら荻野、了解。分隊長!砲撃支援です!」
「待ってました!座標は!?」
「り–4、監視塔と鉄条網を狙い撃てとのことです!」
「いいねぇ、やってやろうか。桂!気象観測を急げ!原野は迫の用意だ!」
「はい!」
桂二等兵は気象観測用具の入った鞄を持ち上げ、風速や距離を測り始めた
原野は素早く迫撃砲を組み立て、床に固定した
この分隊が運用しているのは分解が可能な九八式曲射軽歩兵砲と八九式擲弾筒の二門を運用しており、今回は九八式を組み上げていた
「荻野、連中他の要望はないか?」
「はっ、照明弾を上げた箇所に当てて欲しいとのことです」
すると収容所の付近で照明弾が打ち上がり、収容所の姿が映し出された
「ふむ、原野を手伝え、無線機は俺がやる」
「はい!」
迫撃砲の組み立てに荻野が加わり、あっという間に迫撃砲が組みあがった
「観測終わりました!」
「目標変わらず、距離およそ15!(1500メートル)」
「九八式なら十分射程圏ですね、やりましょう!」
「撃ち方よーい!」
原野が弾を持ち、桂が砲の調整、荻野が弾薬運搬を担っていた
「半装填よし!」
「諸元計算よし!仰角三度下、右に一度!」
「第二分隊へ、こちら砲撃班、これより観測射撃を行う、注意されたし」
『警告感謝、頼んだぞ!』
「よーーい…テッ!」
八九式から発射された砲弾は風切り音を響かせながら、宙を飛び、やがて見当違いの地面に着弾した
「第二分隊、被害はないか?」
『大丈夫だ!』
その言葉に安心のため息を吐き、芹沢は双眼鏡を覗いた
「桂、仰角を二度と少し上、照準を左に四度ズラせ」
「はい!」
「弾は十六発しかないんだ。次で当てろ」
本来ならそれは無茶にも等しい所業だが、二十年、砲撃に人生を捧げたこの天才ならではの荒技である
「まだだ、まだだぞ……」
芹沢が無線機のヘッドフォンを首に掛け、風向きを調べる登りや風速計を睨む
風が左から僅かに右に変わった
「テッ!」
発射された砲弾はゆるやかな弧を描き、風に流され、監視塔の基部に命中した
「いよぉしぃ!」
トタンと丸太で組まれた監視塔はあっという間に倒れ、鉄条網を踏み潰した
「すげぇ……」
「流石、砲撃の神様だ……」
「次弾装填、敵の機関銃陣地を破壊する」
「はい!」
三発目の砲弾を荻野が持ち出し、桂が射角を計算、原野が芹沢と共に双眼鏡を覗いた
「あの機関銃……我が軍の九六式ですね」
「アメ公が九六式のあやし方を知っているとは、よほど腕がいいんだろうな」
「半装填よし!」
「分隊、次は奥の機関銃陣地を狙う、しばらく待て」
『わかった、照明弾を一発上げる。終わり次第連絡せよ』
「よし、邪魔はない。距離は分かる。照明弾もあるし、当てるか」
芹沢が親指を立てながら真っ直ぐ腕を上げた
指測距。科学技術の発展で赤外線などの光学測距が発達しつつある中、彼は本気を出すときはこの指測距を使っていた
「よし、当てるぞ」
*****
「砲撃の神様は伊達じゃないな」
砲弾が直撃し、壊滅した機関銃陣地を眺めながら羽田少尉が呟いた
「突入しましょう!敵は混乱しているはずです!」
「まて、穂摘。いつも通りだ、斥候を派遣しその後突入だ。ドイツ人にも警備を割かねばならないんだ」
「なるほど、申し訳ありません、失念していました」
「かまわん。穂摘伍長、斥候隊の指揮を任せる」
「はい!志村、佐垣!行くぞついてこい!」
穂摘伍長が二人を引き連れて半壊した収容所に突入した
*****
第一分隊
酒匂大尉
「酒匂大尉、入ります」
酒匂大尉が部屋に入ると中にいた少将が顔を上げた
「帝国陸軍第一挺身連隊第一大隊、第四十歩兵中隊の酒匂大尉です!」
「おお、君が挺身連隊の切れ者酒匂大尉かね、私は陸軍第三師団暫定指揮官の鹿目少将だ」
お互いに直立で敬礼し、酒匂は鹿目少将を観察した
格好は一般的な四五式軍服に略帽、傍らには国防色の鞘に収まった軍刀、それらが使い込まれた年季を感じるあたり、物持ちがいいのかもしれない
少し太り気味だが、愛嬌のある顔で、人懐っこい犬を見ている気分にさせてくれる
「最高指揮官の松田大将も参謀長の恋川中将も戦死してしまってね、暫定的に私がこの隊を率いている」
「ご苦労様です。我々はこの島の研究資料と人員、機材の回収を命じられており、任務が達成され次第、青波港から徴用船の柏木丸に乗って離脱する手筈になっています」
「なるほど、それで研究棟の無線を復活させたのか、あれには助かったよ。修理に何名か向かわせたが、見かけなかったかい?」
「死体だけでした」
「そうか……いずれにせよ、これだけは聞いておきたい。我々は柏木丸に乗れるのか?」
「生存者の救助も任務の内に入っています。詳しいことは聞いてみないことにはわかりませんが、おそらく可能です」
そういうと鹿目少将はホッとため息をついた
「よかったよ。脱走したアメ公と食料の奪い合いをしなくて済んだよ」
「その為にも我々の任務に協力していただきたいのですが、よろしいですか?」
「もちろん、と言いたいところだが。ここの避難所の八割は工兵隊や民間の研究者といった非戦闘員なんだ、情報の提供は出来るが、戦える兵士の提供は出来かねる」
「何故です?外のアメ公は所詮烏合の衆。数とてそこまで多くない。慢心はいけませんが、戦況に影響が出るとは思えませんが」
「…実は、君たちを連れてきた笹野少尉、彼の分隊にはこの避難所の兵站運用計画書の回収を命じたのだ。それが奪われたとなると、こちらの兵員の想定がバレてしまった恐れがある。故に警戒を怠ることは出来ないのだ」
「そういうことでしたか」
「だが、安心してくれ。かわりに道案内役の者をつけよう。それに弾薬や食料運搬の輜重もつけよう」
このやろう。酒匂大尉は心の中で愚痴った
つまり、体良く厄介な者を押し付けようとしているのだろう
そうはいくか
「お気遣いはありがたいのですが、任務は秘匿性が高いものですので、我々だけでやらねばならないのです。申し訳ない」
「そうですか、なら仕方ないですねでは、弾薬の補給だけでもしていってほしい。扱える人員が少なくて割と余っているのだ」
「ありがとうございます、少将殿」
「いやいや、この碌でもない島からの脱出の切り札であるあなた方のおかげで、この避難所にも久方ぶりに活気が戻ったし、吉報を待っているぞ、頼まれた情報は倉田曹長に持って行かせる」
「はい、それでは失礼します!」
*****
「もぬけの殻?」
羽田少尉が穂摘伍長の報告を聞いて首を傾げた
「はい。アメ公は歩哨についていた連中だけです。それ以外は不死人は愚か、敵はどこにもいません」
「……捕虜は?」
「現在尋問中です。そして”案山子”と思しき人物は見当たりません」
「わかった、案山子は私に任せろ、捕虜の尋問は続行せよ」
「ハッ!失礼します!」
穂積伍長が出て行き、羽田は収容所の所長の席の書類を探り始めた
「案山子、案山子……これか」
収容者リストを片手に、独房を回り始める
やがて、奥の独房で立ち止まると鍵を開けて中に入った
「誰だ」
独房の住人が英語で羽田少尉に問いかけた
「マクナイト・K・スケアクロウか?」
羽田少尉はそれに対し流暢な英語で返した
「……そうだよ、あんたは、誰だ?俺の事を見捨てたあのクズな元同僚とは違うみたいだな」
「日本陸軍だ、貴様は現時刻をもって我々の指揮下に捕虜として入る。立て」
「へっ、ジャップは無茶を言うぜ、せめて銃を降ろしてくれないか?」
おどけたような口調のスケアクロウ
羽田少尉は渋々拳銃をしまい、スケアクロウを立たせた
汚れた金髪に無精髭、くたびれたオリーブドラブの飛行服には赤い丸を抱いた白い星に金の翼を生やしたパッチが貼ってあった
彼こそ回収物資の一つ、”案山子”である