水無月島ニ上陸セヨ
軍令状(甲度優先令)
発 大日本帝国科学省南方軍司令部
宛 ラバウル司令部駐在大尉 酒匂士郎
大日本帝国陸軍南方軍司令部より酒匂士郎陸軍大尉及ひ陸軍第一挺身連隊第四大隊第6中隊に指名す。
任務内容
水無月島駐在の陸軍第三師団から救助要請を受けとり、是を非常事態と判断。貴官らには水無月島駐在の陸軍第三師団の要員の救助、及ひ機材の回収を命ずる
実行日時
本月十三日 午前二時
場所
大日本帝国陸軍特殊生体兵器開発試験場 (通称水無月島 生物兵器廠)
備考
作戦最高司令官は成松卓三少将である。全作戦部隊はこの作戦中、同少将の指揮下に置かれる。
目的達成の手段は問わず。前述の目的が達成され次第、速やかに日本国ラバウル司令部へ出頭せよ。
同作戦の主な障壁と予想されるは、不定期に来襲するアメリカ海空軍の空爆及ひ強硬上陸したアメリカ軍海兵隊なり。後者は貴隊が駆逐せよ。前者は大日本帝国陸軍ガダルカナル航空隊が是を駆逐する。
一切の物資供与及ひ移動手段には当司令部が責任を持つものとし、要員、機材収容に関しては陸軍徴用船"柏木丸"が持つものであり、船への収容作業に関しては派遣する陸軍化学兵器専門部隊の指示に従うこと。
その他、詳細な打ち合わせは所属師団司令部で行え。
留意
当任務は日本国の軍事戦略及ひ政治戦略上、非常に高度な要素を含む。よって一切を関係者以外に漏らす事を禁ず。違反者は即座是を非国民とみなし、その場で射殺せよ。
尚、当書は読了次第焼却処理せよ。又、この書類の一部ないし全部を複写することを禁ず。
昭和17年某月十六日
*****
1942年6月 ラバウル 0453
大日本帝国陸軍ラバウル航空隊飛行場
アメリカ軍が総力を投じたミッドウェー海戦に辛くも勝利した大日本帝国は連合国の決死の通称破壊作戦を前に補給の限界を感じ、最前線を水無月島と改めたミッドウェー島に指定し、消耗した軍の再建を図っていた
「水無月島か…なんで最前線にいかねばならぬのだ…」
酒匂大尉は深いため息を吐き、百式短小銃を担ぎ直した
酒匂大尉は元は満州を守る関東軍の参謀本部に属するエリートだった
しかし、張作霖爆殺事件を始めとした関東軍の暴走を天皇陛下が耳にし、怒髪衝天。天皇陛下の鶴の一声で関東軍は全体が再編成、高官は軒並み拘留、部隊は様々な戦場や国内に分散配備となった
その煽りは関東軍参謀本部にも響き、実働部隊お付きの作戦参謀だった彼はその経歴と実力から特殊部隊である挺身連隊の指揮官として現在活躍している
普通なら大出世なのだが、本人は実弾飛び交う戦場がいやらしく、内心嫌々だが、それでも今までマレーシアやフィリピンなどで多大な戦果を挙げている男でもある
飛行場にたどり着くとそこには既に22名の見慣れた部下と見慣れない10名程の兵が直立不動で待機していた
「大尉殿ご命令通り第6中隊から選抜22名準備完了しております」
報告に来たのは副官の羽田少尉である
関東軍参謀本部からの付き合いの男で、実戦を繰り返す内に射撃の才能が開花し、フィリピンのアメリカ軍から”密林の狐”と言わしめた男である
「小銃兵10名、機関銃兵3名、無線兵2名、衛生兵3名、擲弾兵4人一個分隊、小銃兵の内、選抜狙撃手が3名、報告書通り、精鋭揃いだな」
酒匂大尉が略帽を脱いで坊主頭を掻きながら集まった隊員をもう一度眺める
満州時代の付き合いは羽田だけだが、全員がマレーシアやフィリピン、ソロモン上陸戦をくぐり抜けた精鋭にして仲間である
「さて、そちらの方々は?」
酒匂大大尉が睨みつけるように見たのは部下の隣に整列する10名の兵士達で、いずれも全員が大荷物を抱えている
「貴様らの指揮官はどこだ?」
「まだ来ておりません!」
酒匂大尉の疑問に軍曹の襟章をつけた男が答えた
「なぜ、来ていない?貴様らの所属はなんだ?我々と関係があるのか?答えろ!」
「ハッ!我々は化学兵器専門部隊南方軍司令部所属第四通信歩兵連隊、第三大隊第34小隊であります!班長の榊中尉に0500にここへ集合するように言われております!任務内容は甲度優先なので、お答えすることはできません!」
「なるほど、理解した。では、本官にも任務があるのでこれにて失礼する」
「ハイッ!」
お互いに敬礼すると軍曹は元の直立不動に戻り、酒匂大尉は号令をかけ、部下が背囊を背負い百式輸送機に駆け込む
パイロットと到着時刻の打ち合わせをし終わったとき、一台の汎用軽車両がやってきた
汎用軽車両から飛び降りたのは中尉の襟章が縫い付けられた白衣を纏った男で、腰には拳銃嚢と弾薬盒が巻きつけられている
もう一人は弾薬盒や雑囊を装備し、45式軍服に中尉の襟章をつけた完全装備の男である
「酒匂大尉!酒匂大尉はいらっしゃいますかぁー?」
航空機がアイドリングを始める中、その白衣の男が大声で叫び始めた
「私だ!何用か!?」
酒匂大尉が見た印象は白衣が似合う。これである
白衣を纏い、病的に白い肌と丸眼鏡、まさに研究者という風貌の男である
「あなたが酒匂大尉ですか、私は大日本帝国陸軍南方方面化学兵器専門部隊第687小隊の金指です!お会いできて光栄です!酒匂大尉!」
陸軍式の敬礼をするが、明らかに慣れてない。日陰の研究者という感じである
「あなたが軍令状に書かれていた研究者の方ですか」
「そうです!申し訳ありません、輸送機が途中エンジントラブルを起こして引き返してしまったものでして、今着いたばかりなのです!」
「そうでしたか、あちらの兵隊はあなたの護衛ですか?」
「そうです!本土との通信要員がほとんどですが、榊中尉率いる護衛が3名います!」
「榊殿は?」
「私です」
そう名乗りを上げたのは金指と一緒に汎用軽車両から降りた軍服の男だ
身長は酒匂大尉より頭ひとつ小さい160ほどで、糊が効いた軍服に傷が少ない三八式歩兵銃。よく手入れされた口髭に綺麗な革靴、見るからに戦闘慣れしてないのは一目瞭然だった
「大日本帝国科学省直属、第6師団第六大隊第四中隊の榊です。酒匂大尉の武勇伝はいつも聞いております」
「はぁ、よろしくお願いいたします。榊中尉はどういった役目ですか?」
「私は基本金指博士の護衛にあたります!詳しい打ち合わせは機内で行いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「わかりました!詳しい打ち合わせは部下も交えて機内でやりましょう!」
「了解です」
「酒匂大佐!私は無線機材を調整しなくてはなりませんので、別の輸送機に乗ります!」
「わかりました、島に着いたら我々の言う通りに動いてくださいよ!」
「もちろんです!」
「よし、出発だ!」
*****
総勢20名の部隊は道中、燃料補給やアメリカ軍の索敵を逃れつつ水無月島に到着した
先に降下した酒匂大尉率いる10名が飛行場を占領し、残る兵員は輸送機が滑走路を舐めるように低空飛行しつつ、兵員をバラまいていき、飛び去っていった
ちなみに、金指は洋上の”柏木丸”にて待機しており、島の安全を確保してから榊中尉と共に突入となっている
酒匂大尉の任務は島内の危険分子のアメリカ兵の排除、生存者の救助、そして指定された場所に保管されている筈の研究サンプルとその資料の回収、敵に奪取された場合はその奪還、もしくは破壊である
「変だな、抵抗が無さすぎる」
酒匂大尉がそう呟きながら後ろを振り向き、全員がいる事を確認する
事前情報だとアメリカ軍の海兵隊が島に強行上陸しているはず、ひょっとして滑走路すら確保出来ないほど消耗している、あるいは小規模の部隊なのか?
「前進、音を立てるな」
酒匂大尉率いる22名の部隊が音を最小限に、動き始めた
目指すは島内中央の研究棟である
*****
某月13日 大日本帝国
水無月島 生物兵器試験場
酒匂大尉
水無月島の中央には木の骨組みにコンクリートで固めた木骨建造の研究施設が三つ建てられている
三階建ての高層ビルを三角形に配置し、それぞれを通路で繋いでいる構造のこの建物は一号館が研究棟、二号館が水無月島防衛の為の避難シェルター、三号館が研究員や警備部隊の寄宿舎として存在している
「これは酷い……」
小銃手の小川が呟いた
三号館の入り口の両端には土嚢が積まれ、土嚢には一式重機関銃二型がそれぞれ放置され、その周りには九十九式歩兵銃や九十九式軽機関銃が血まみれになって放置されていた
「ここで防衛線を張って、一個小隊が全滅したのか…… 」
二人いる軍曹のうちの一人の毒島軍曹が一式重機関銃にもたれかかって死んでいる首なしの日本兵の遺体を地面に寝かせる
「これは、アメ公のやり口ではありません、大尉殿」
そう声を上げたのは二人目の軍曹の神田軍曹である
「軍曹なぜそう言い切る?」
「地面にある足跡、これは我が陸軍の半長靴です。アメ公が半長靴を履く理由はありませんし、何よりアメ公なら死体を持って行く理由もないはずです。奴らに日本人を埋葬するような義理人情はないですから」
「同じ隊の奴に聞いたんだけど、ガダルカナルの攻防戦でアメリカ兵は日本兵の頭蓋骨を戦利品として持ち帰ったらしいぞ!今回もそうなんじゃないか?」
「聞いた、奴らは日本兵の頭蓋骨を集める競走しているんだろ?狂っているぜ」
「くわばらくわばら……」
「志村、葛原、伊達!小休止以外では無駄口叩くな!」
「「「無駄口伊達叩いて申し訳ありません、大尉殿!」」」
「罰として三人、先導しろ。行くぞ!小隊前へ!」
周囲を警戒していた兵士達が隊列を整え建物の中へ入り始めた
「大尉殿、少しよろしいですか?」
話しかけてきたのは軍医の青梅少尉である
「どうした、青梅少尉」
「あの首なしの死体ですが、妙なんです」
「どこがだ?」
「草鹿と二人で検死したのですが、身体に弾痕が無く、代わりに噛み傷が複数箇所ありました」
「噛み傷?」
「えぇ、人間の噛み傷です、首には人間の犬歯がありましたから、首も食い千切られたのかと」
「……妙だな、アメ公が相手の首を噛み千切って殺すなど、聞いたことない。そういえば、薬莢も落ちてなかったな、銃を使ってないのか?」
「今回の戦場、今までとは何か違いますぜ……」
青梅少尉が顎の無精髭を撫でながら呻くように言った
*****
「よぉ、伊達の」
「なんだ、葛の」
「臭わねぇか?」
「臭うなぁ」
「二人もか、俺だけかと思ったぞ」
先遣を任された志村、伊達、葛原の三人は二式小銃に銃剣を取り付け、木の床の廊下を歩いていた
施設内は戦場で嗅ぎ慣れた腐敗臭とは違う、悪臭に満ちており、小隊を悩ませていた
「しかし、血糊はあるが、死体が見当たらんなぁ……」
「本当にメリケンが俺たち日本人の骨を集めているとなると、死体はどこかに集められている筈だ」
伊達の言葉を聞いて、志村はふと考えてしまった
日本兵の死体を山のように積み上げて誰が頭だ、と日本兵の遺骨の取り合いをするアメリカ兵達の姿である
(おぞましやぁ……くわばらくわばら……)
心の中で祈りを捧げつつ、曲がり角を曲がる
「誰か倒れてる」
先頭の葛原がそう言った
警邏の腕章をした警備兵と白衣を着た研究者風の男がそれぞれ向き合うように廊下の両側に倒れていた
「ぅ……うぁ……」
「白衣の方、生きてるぞ」
「おい、しっかりしろ!」
葛原は警邏の男を、伊達が白衣の男を抱える
「ぁ、あぁ……」
「しっかりしろ、大丈夫だ。助けに来たぞ!」
伊達が白衣の男の肩を抱えた
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「始まりました……」
「記録をしっかりしておけよ、これはようやく認可が下りた貴重な実験だからな」
「お任せください」