フラグメント
自分こそは彷徨える亡霊。
無い影を追いかける影法師。
「どんな情報が欲しい、ホシクナイ?」
「原因と範囲だな」
「掛かっている人の種類は要らないの、イル?」
「それはもう分かってる」
「そう、ソウ」
一先ず主人に飲み物と軽食を適当に頼んだ後、口にした要求を聞き終えると名無しはにたにたと笑い、両の掌をこちらに向けて言い放つ。
「人肉」
「…………は?」
「だから、どんな状態でもいいから。人肉頂戴、ヨコセ?」
強請るように、甘えるように緩められた表情は、言葉さえ無視すれば無邪気な子供のように見える。言葉さえ無視すれば。明らかに常識を疑う言葉に、周りの人間が目を向けることはない。俺たちの声など、喧騒に紛れて雑音の一部になっている筈だ。
ああ、本当に笑える。人肉を喰らう病の情報の対価が、人肉など。本当にコイツは変わり過ぎている。そんなもの、持っている筈が……いや、まて。俺はさっき、口にしたじゃないか。腰元の小物入れに手を突っ込めば、革の感触。余分に買っておいたのが、こんなところで役に立つとは。街の外に巣食う魔物から逃げきれないときにでも使おうかと思っていたのだが。
「ほらよ。干し肉になってるがこれでいいだろう?」
「あれ、持ってたの、モッテタノ?」
「偶々な」
「………」
要求したのは彼女の筈だが、酷くつまらなそうな顔をして俺が差し出した革袋を受け取り、中身を齧り出す。端から見れば干し肉を齧っているだけなのだが、それが何なのか理解している俺にとっては、割とドン引きする光景だ。何でお前は理解しているのに目の前で人肉を齧るんだ。まさかお前も『患者』なのかそうなのか。……『患者』じゃなくても普通に人肉を食べるようなイメージがあるのは気のせいだと願おう。
干した人肉を咀嚼し、手元に置かれた水を飲み干した彼女はつまらなさそうだった顔を再び笑みの形に緩め、懐を漁って髪留めを取り出す。どこか子供の玩具染みた赤い花のそれを机に置き、指先で愛おしそうに撫でる。
するとぽぅ、と名無しの指先が淡い銀色の光を灯し、かたりと勝手に髪留めが揺れる。これは彼女が情報提供の際に使う、一種の魔法だ。確か、手元の媒体に情報となる記憶を適切な形で焼き付ける。そういった類の魔法を習得している者は意外に少ない。『記憶を適切な形で媒体に焼き付ける』という工程が、難しいからだ。自らの手とインクと羽ペン、羊皮紙を使って文字にした方が楽な今、この魔法を習得してる者は情報屋くらいだろうか。指と口先は嘘を吐けるが、記憶は嘘を吐けない。提供する情報が偽りないモノであることを証明する手段でもあるためだ。もっとも、情報屋たちが使う魔法がそういうものであると理解できていればの話だが。
「………情報、何に書く、カク?」
「紙か羊皮紙でいいだろ」
「自分、いま手持ち切らして持ってない、モッテナイ」
「情報屋が情報提供の媒体を切らしてどうすんだよ……」
しょうもなさすぎる、そう思いつつ、懐から件の『食人病』の注意書きを取り出す。昼間、酒場で『人の種類』を聞いたときにも使った紙だ。あのとき裏に書かれた文字は見えないが、俺が望めば再び見えるようになる。そういう魔法がかけられていた筈だ。
しかし、その紙の裏を見た名無しは僅かに驚き、そしてくつくつと抑えた笑い声を零し始める。何かおかしいのだろうかと俺も紙に視線を落とすが、何も書かれていない。強いて言うならば表の注意書きが少し透けているだけの紙にしか見えない。
「ご愁傷様、サマ」
「は?」
「いいこと無料で教えてあげる、沈黙。『この街に、自分の同業者はいないよ』、イナイ」
「…………」
名無しの言葉と、紙を見て思い当たったのは昼間行った酒場の主人。アイツ、騎士団の裏の方に通じてる情報屋じゃあなかったのか。
ホラ吹きか。誰だ、アイツが情報屋だとか言った奴。……ティルか。この宿の奴に聞いたと言っていた。ってことは、と視線をカウンターでせわしなく働く男に向ける。後で殴ってやろうか、と思い立った辺りで再び名無しが言葉を発する。
「あの酒場のは、ただの情報通。酒場に通う騎士たちの話を覚えて、提供してるだけ、ダケ。ある意味では、情報屋だよ、ダヨ?」
「ニヤニヤしたその顔で言われても慰めにならねえよ」
「そっか、ソウ? ……どうする、種類も欲しい、ホシクナイ?」
「…………追加料金とかあるのか?」
「別にないよ、ナイ。思ったより、さっきの代金が多かったから、おまけで平気、ヘイキ」
「んじゃ寄越せ」
「もう出来てる、デキテル」
はいどうぞ、ドウゾ。
特徴的な口調のまま、俺が差し出した紙を返した名無しは、再び干した人肉を齧っている。だから俺の前で食うのは止めろ、嫌がらせだな? 視線が合った途端、にたりと口角を歪めたんだ、絶対そうだ。俺の反応の何が楽しいんだ。舌打ちをすれば、今度こそ耐えきれないとばかりにケタケタと笑い出したので、今度外で会ったら一撃食らわせておこうと心に留めておく。
二度、手元に戻ってきた注意書きに視線を落とせば、やはり何も書かれていない。表の文字が少し透けているだけのただの紙。
「……で、お前の兄貴は見つかったのか?」
「まだ、マダ」
頼んだ飲み物と軽食が運ばれたところで、置かれた盆ごと手にして立ち上がりつつ言葉を投げる。何でもこの情報屋は、別れてしまった兄を探しているらしい。どういう意味で別れたのかは知らないが。
「自分の旅はまだ終わらないよ、オワレナイ」
そんな言葉を吐き捨てながらも、やはりにたりと笑うこいつは個性的だ。