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正義と魔法の在り処  作者: 水城
第二章 作戦会議  七月十五~十六日
6/15

ひとつ屋根の下

 食後、代金を赤井沢が払った後に二人は店を出た。奢られるのも良い気分ではないが、よくよく考えてみれば財布などどこにあるのかわからないのである。

 ちなみに肝心のラーメンの味だが、一言で言い表すならば「うまい」しかない。それ以外の言葉では表現が不可能な味だった。グルメリポーターのように饒舌ならば感想もすらすら出るのだろうか、生憎と音無はそこまで饒舌でもなければボキャブラリーが豊富な訳でもないのだ。右隣を歩く赤井沢はとても満足した様子で、ちらちらとこちらを見ては、

「まさに味の宝石箱みたいだったよね、音無君っ」

 と、どや顔で言ってくる。感情が希薄な音無でさえ少し苛立ってくるほどに、憎たらしいどや顔だった。

「……死語みたいなもんですよ、それ」

 流石にどや顔の連鎖を食い止めようと思ったのか、少しだけ突っ込みをいれる音無ではあったが、そんなものは通じる訳がなかった。もっとも、そのくらいの野太いような神経でなければ魔法少女なんて職業はやっていられないのだろうから、一概にそこを責めることも出来ない。というか責めた後の結果が怖い。

 ちなみに強奪した音無の着替えが詰まった紙袋は、当たり前のように音無が持たされている。それ自体に不満がある訳では勿論ないのだが、その着替えが入っている袋の中に更にラーメン屋で買った箱詰め餃子を五セットいれられるのは、流石に少し不満を垂れても良いぐらいなのではないだろうか。

 しかに何を言うにしても、まずはこの赤井沢の異常に高いテンションを静めなければ。

 なので音無は、赤井沢に現実的な疑問をぶつけてハイテンションを打ち切ることにした。

「赤井沢さん、少しというかとても気になることがあるんですけど」

「んん? なにかな~?」

「俺の財布って、どこにあるか分かります?」

「え、キミの財布? そんなの制服の……………………………………………ぁ、」

 赤井沢の表情がにへらとした笑みで完全に硬直した。

 ついでに言えば、最後の「……ぁ、」という言いかけの声を、音無は聞き逃していない。

「制服の……?」

「せ、制服…………マズっ、」

 言いながら、赤井沢は蒼白に染め上がった顔で音無の方を見た。

「え? あ、えっと、」

 まさか音無もそこまで追い詰められているような表情になるのは予想外だったようで、どうしたものかと考えあぐねている間に、赤井沢が大声で叫び声を上げる。

「キミの制服……コインロッカーに詰めっぱなしだよ!」

「え、こ、コインロッカー?」

「いやだってさ、流石に洗濯した後あの隠れ家じゃあんまり衛生的じゃないし、しょうがないから乾燥機かけた後にコインロッカー詰め込んだんだよ……」

「え、えーと……まず、洗濯と乾燥はどこで?」

「そりゃコインランドリーしかないでしょ、私の家は少し距離あるし」

(どこまでも庶民的だな……)

 心中でそう呟きつつ、音無はそろそろ脱線した話を最初に戻すことにした。

「えっと、制服がコインロッカーに入れっ放しなのは良いです。それで、最初に聞いた財布はどこにあるんでしょうか?」

「いや……それも、隠れ家に置きっぱなしなんだよねー…………」

 ばつが悪そうに頬を掻く赤井沢に対し、音無は少し呆れたような視線を送る。それを見た赤井沢はそれでも弁解したいようで、

「で、でもさぁ! 流石にあそこでナイン来るとか考えなくない!? だって隠れ家だよ、予想つかないとこだよ立体駐車場だよ!? 普通あそこで奇襲は想定出来ないって!」

「の割には随分と冷静に対応してましたけど……」

「そりゃ職業柄、判断力は命に直結するからだよ! でもあそこで財布回収してたら絶対死んでたから!」

 はいはいそうですね、と途轍もなくどうでもよさげに流すと、そこでふと最初のナインとの邂逅――つまりは、あの立体駐車場でのことを思い出した。

「まあ財布は良いです。いや良くないけど、当面は赤井沢さんが出してくれそうなので」

「男として最低の台詞だね! 悪いのは私だけど!」

「あと今浮かんだ疑問なんですが、ナインに向かって赤井沢さん、銃撃ってましたよね?」

「ん? ああ、撃ってたよ。エネルギー弾」

「……それって確か、魔法少女同士だと効かないんですよね? 威嚇で撃ったんですか?」

 すると赤井沢は少し頬を膨らませ、

「人を野獣みたいな言い方して……まいっか。確かにエネルギー弾だろうとビームだろうと基本的に魔法少女には効かないけど、着弾はするし衝撃も少しはあるからね。それにまあ、エネルギーだって無限じゃないし……」

「え、無限じゃないんですか?」

 思わず声を出してしまったが、そこで音無は己の軽率な発言を少しだけ悔やんだ。

 自分の発言をフォローするため、再び声を発する。

「あ、体力を使うとかそういうことですか?」

「…………うん、そうだよ。流石にずっと撃てば疲れるし、ずっと飛べば力尽きる」

「なるほど……」

 得心する振りをする。全力で振りをして赤井沢を納得させる。そうしなければいけない。この一日で何回目かの、本能からの警鐘がそう言っていた。

 よくよく考えれば体力の消耗もなく飛行持続が可能であれば、夜間に逃げる必要などないということにも気付きそうなものだが、その答えには至れない。

 今の音無は、自分で思っているほど冷静ではないらしい。

(……なんだ。どうして俺、今フォローしたんだ?)

 自分が何故、自分の発言を悔やんだのかすら把握できていない。それほどに彼の内面は荒れ狂っていた。

(落ち着け、落ち着け……)

 鼓動が少しだけ早くなっている。だが、それを悟られればまずい。そんな気がした。

 赤井沢も黙ったきりの音無を不審に思ったのか、探るような視線を送ってくる。

「な、なんでもないです。それより、早く帰りましょう。あまり外にいると危険ですし」

「ん……そだね。早く帰って寝ようか」

「それにしても、同棲なんてはじめてです。ちょっとワクワクしますね」

「……ってキミはなにを言ってるのかな。ワクワクって、え?」

 言いながら赤井沢は自分の二の腕を抱き、まるで変質者を見るような視線を投げてくる。その意図を読み取れないほど音無も馬鹿ではないはずなのだが、ここは敢えてそ知らぬように徹した。これは彼なりの誤魔化しというやつなのだ。無論、保身の為のだが。

 しかしそんな腹黒い面など察することもなく、赤井沢は困ったような表情で音無の額を指でピンと弾いた。

「い、いきなりそういうこと言わないでよもー……。変に意識し始めるでしょ……」

「えー、はい。すいません」

「どこまでも淡白だねーキミも。さっきの『ワクワクしますね』って言ってたキミはどこへ言っちゃったの! あまりの温度差に素に戻っちゃったよ!」

 ここで気の利いたことを言えないのが音無らしさというものだが、それは大抵の場合は仇としかならないのだった。

「ワクワクしますね、同棲」

「いや、重ねて同じことを言われても……」

「ところで寝る部屋って、」「別に決まってるでしょ」

 ですよねー、と適当に相槌を打ちながら、内心で音無は安堵の息を吐きたくなった。普通の意味で同世代の男女が相部屋というのがもうよろしくない上、音無は寝るときに一人じゃないと寝付けないという体質なのだ。体質というのかどうかは不明だが。

「帰りましょう、赤井沢さん」

「はいはい、何度も言わなくていいって」

 すると二人はようやく、魔法少女から狙われているとは想像もつかないような暢気さで来た道を辿り出す。

 実際、赤井沢は定かではないが、音無は未だに楽観視している節がある。直接ナインに狙われたにも関らず、赤井沢がいざというときなんとかすると頭のどこかで思っている。

 その予想は大きく現実と食い違うことに、未だ彼は気付かない。

 

「…………―い、おーい。たいじょぶかーい? ちょっと、おーい」

「…………ん?」

 次に目を開けると、視界いっぱいに赤井沢の顔があった。

「…………えっと、あの」

「おーおー、起きて早々に敬語とは。キミのそれも筋金入りだねえ」

「まあほぼ癖みたいなもんなんで。……あ、その、おはようございます」

「ん、おはよ。随分とうなされてたね。てまあ無理もないか」

 寝ている音無に顔を近づけていた体勢の赤井沢は、ぐぐっと顔を引くと部屋のドアの方を指差しながら、

「朝ごはん、トーストでいいよね? 早く起きてよー?」

 そういうと赤井沢は部屋から出て行ってしまった。嵐の後の静けさのようなものに包まれた部屋で再び寝そうになった音無だったが、ギリギリの自制心でそれを避ける。

「というか、夢だったのか……」

 起きて誰かと会話した後に夢の内容を覚えているとなれば、それは相当に自分にとってショックな夢である場合が多いと聞くが、今回もその例に漏れずきっちりと嫌な夢だった。

(……どうかしてるな、俺。赤井沢さんと俺が撃ち合うとか…………)

 すっかり心中でも「赤井沢さん」の呼称が定着している辺り、やはり赤井沢が言った通りの筋金入りなのだろう。掛け布団を剥いで上半身を起こすと、思い切り体を伸ばした。

 みっともない欠伸が口から零れる中、昨日のことを思い出す。

 昨日は赤井沢宅へ帰宅後、音無はシャワーを浴びて塩山から強奪したジャージに着替えた。その際気付いたのは、このジャージは無駄に通気性が抜群ということのみだ。塩山は欠陥品を加工して売りに出していると言ったが、これもその一つということなのだろう。シャワー上がりに着ただけで体が冷えるくらいに通気性が抜群なそれは、夏場などは確かに役に立ちそうだ。

 そして赤井沢の宣言どおり寝室は別々となり、赤井沢の私室の左隣の部屋が寝室ということになった。窓もなく物もなく、本当にただ布団が敷かれているだけのその部屋は少しの虚しさを覚えたが、不満を言える状況ではないのだ。

 音無は布団から出ると、予め運んでおいた今日の私服へと着替えることにする。あまり派手ではない英字がプリントされたシャツにジーンズ、その上に手軽なパーカーを羽織るという格好だ。塩山の研究所から強奪しただけにしては、なかなか見れる服装になっただろう。廊下へ出ると、リビングへと続く扉に手を掛ける。

「…………」

 何故かそこで一瞬だけ動きが止まったが、すぐにドアノブを回すと扉を開ける。

 そこにはもう、料理を運び終えて麦茶のパックを冷蔵庫から出している赤井沢がいた。

「あ、おはよー……ってもう言ったか。ほら、ちゃっちゃと食べちゃおう」

「ちゃっちゃと……? あ、ていうか、朝ごはんありがとうございます」

「何言ってんの、昨日は同棲だなんだの騒いでたくせに」

「そ、それは……」

 事実なので返す言葉がない音無に対し、赤井沢は意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「やったー、音無君をついに言い負かしたー!」

「喜ぶことなんですか、それ……」

「だってほら、キミってなんか冷めた感じというかなんというか……、昨日から大体言い負かされてばっかだからさあ」

 厳しいことを言えば赤井沢はそんなこと到底口に出来る立場にはないのだが、ここにいる人間はどちらも赤井沢の所業を「些細なこと」と割り切れる人間である。

取り敢えず自分が不利になりそうな話題は避け、音無は赤井沢の僅かな言葉の不自然さを質問に出すことにした。

「ところで赤井沢さん、ちゃっちゃと朝ごはん食べるって……午前中は急ぎの用事とかありましたっけ?」

「ありましたっけって……音無君、自分の財布いらないの?」

「……え? まさか、またあの立体駐車場行くんですか?」

 心底驚いた様子の音無に、赤井沢もこれまた心底驚いた様子で、

「いや、流石に財布放置は精神的にきついと思ったんだけど……え? なに、大丈夫ならやめたいんだけど。あんまりリスク負いたくないし」

「えっ、あ、あー…………」

 そこで音無は硬直し、三秒ほど考えた末にこう言った。

「すいません、言葉のあやです。普通に取り戻したいですし」

「……そっか、なら早くしないとね。いただきます」

「いただきます」

 赤井沢に続いて音無が復唱すると、あまり音が無い朝食が始まった。

 テレビを点けるでもなく黙々と食べ続ける赤井沢は、ずっと表情を浮かべない。少し前の彼女を思い出すとまるで鉄仮面でも装着したかのようだが、何か考え事だろうか。

 と、そんな様子をしばらく窺っていると、

「ん……どうしたん? バターでも付いてる?」

 考え事をしていた本人が気付くぐらいに凝視してしまっていたようだ。

 音無は慌てて取り繕うかと思ったが、しかし思ったような言葉が出てこない。

「え、ええと、その、考え事をしてる赤井沢さんが……」

「なーにー? 可愛くて見惚れてた?」

「……気になって」

 失言だと、音無自身も数秒で気付いた。

「あ」「え」

 しかし口にした言葉は決して消えないし、どうやっても忘れさせられない。

 赤井沢はからかうような顔から一気に表情に余裕がなくなり、まるで茹蛸のようにみるみるうちに赤く染まっていく。

「え、えと……あれ、おっかしいなぁ……キミはそんな爆弾投下してくるようには見えないんだけどなぁ…………」

 髪を指でくるくるといじりながら呟く赤井沢に対し、音無はどう対応するべきか完全に分からなくなった。何せ唯一の女性経験が金持ちの強制彼女である音無だ、こういった状況に陥ったことはない。というか、意識して言った訳でもないのに心の準備など不可能だ。

「え、あ、えっと、その。なんかすみません。決してそういうなんか、こう、男女間での意味合いで言った訳じゃなくて、純粋に赤井沢さんに興味があってですね、それで……!」

「え、ちょ……興味? 純粋に、興味って…………い、いやそりゃね、キミも男子高校生なのは分かるけどさあ、もう少しこう、緊急事態なんだか欲望にリミットをね……。ああでも、緊急事態だから性欲とかの箍が外れるのかな……」

 弁解が更なる誤解を招く安定の泥沼パターンにど嵌まりした音無はもう頭の処理が追いつかず、更に自分でも訳の分からない言い訳を紡ごうとしたところで、

「ぷっ、」という声が響いた。

「……ふっ、ふふふ、ふぁっはははははは!! ひゃひゃひゃひゃ!! あーはははははははは! お、おかし、あはは! 駄目だ、笑い死ぬ! あひゃひゃはははは!!」

「………………………………え?」

 音無が呆然とする中で、ひとしきり笑い転げた赤井沢は目元の滲んできた涙を拭うと、音無に対して両手の平を合わせて謝罪のポーズをした。

「いやーごめんね。もう私の演技でどんどんどツボに嵌まる音無君が見てて面白すぎてさあー……あ、駄目だまた笑うふふふふ、あははははは!」

 おそらくは「一度笑うと何故かその後に笑いの沸点が異常に低くなる現象」に襲われた赤井沢が、会話中に再び噴出し、更にはまた大笑いをはじめた。

 音無としてはたまったものではないが、流石にここまでの大笑いは静められない。静かに朝食を食べることが最良だ。そう判断し一瞬で真顔に切り替えた音無の表情に再び赤井沢は噴き出すのだが、そんなこと音無に分かるはずもない。結局その後三十分は、赤井沢がまともに朝食を食べられないという状況が続いたのだった。

「それで、どうやってあの隠れ家まで戻るんですか?」

 赤井沢の笑いが完全に収まった頃合を見て、音無はそう尋ねてみた。

 幸い噴出されることはなかったが、赤井沢は少しだけ陰鬱な表情を浮かべて、

「それがね……はあ、あんまりあの人を調整以外で頼りたくないんだけど……」

「調整っていうと……塩山さんですか」

「うん。というか、塩山さんじゃなくても良いんだけどさ……私もあんまり自分の財布を軽くしたくはないからね…………」

 その言葉の意味するところが理解できたかどうかは怪しかったが、それでもなんとなく相槌を打つ。

「それで……今回の隠れ家への移動方法を大雑把に説明するとね」

 そう言いながら、赤井沢は朝食の食器をキッチンへと運んでいく。

「あ、でもその前にキミの意見を聞こうかな。ねえ音無君、立体駐車場にある隠れ家へ向かうのに、ナインに見つかる可能性が低いのってどういう方法かな?」

「そうですね……俺は、普通に車での移動が一番安全だと思います。空中からでも高所からでも中を確認しづらい上に、立体駐車場へ向かうのは何ら不自然じゃありませんし」

「ご名答だね。私がやろうとしてるのは塩山さんが運転する車の後部座席に私達が座り、そのまま立体駐車場へ行くこと。最悪タクシーでも良いんだけどね」

 あんまり自分の財布を軽くしたくないというのは、タクシー代を余計にかけたくはないという意味だったのだろう。素直に納得した様子の音無だったが、そこで少し眉が上がる。

「あの、赤井沢さん。結局は俺達が塩山さんのところ行って、車に乗るのを見つかったらまずいんじゃ……」

 自分としては良い指摘だと思うのだが、しかしその指摘を受けた赤井沢は涼しい顔で、

「それは問題ナッシングだよ、音無君。キミを起こす前に電話したけど、」

 そこで赤井沢は部屋の掛け時計へと視線を一瞬だけ移すと、

「……あと十二分ぐらいで来れるってさ、車乗って」

「随分かかるんですね」

「しゃーないんじゃない、あの人って研究無しじゃ死んじゃうから」

 要は研究に極力時間を割きたいということなのだろう。しかし、やることはどうせ流通業でたまに見つける欠陥品を魔改造するだけだというのに、何をそこまで熱心にしているのだろうか。変な人と知り合ったな、と十分変な人である赤井沢を差し置いて思っていた所で、その赤井沢はキッチンから出てくるとぬっとこちらへ顔を寄せてきた。

「な、なんですか」

「十二分しかないし、とっとと外出用の服に着替えよっか」

「着替えると言っても……昨日取ってきたやつのどれかですよね? あんまり変な魔改造とかされてないものが良いんですが……」

「そう。そのことに関して好都合のがあってね」

 好都合? と音無が首を傾げていると、赤井沢はすぐ横に置いてあった紙袋をずるずると引き摺ってくる。昨日塩山から貰った服が入っている袋だが、その中を漁ると一つの服を取り出した。服というか、どう見ても学ランだ。ご丁寧に上下セットで、しかも中にきるワイシャツまである。

「学ランを……着ろと?」

「説明は最後まで聞きなって。というかさっき塩山さんに連絡した時に聞いたんだけど……この学ラン、防刃性なんだって。そんなんが魔法少女に通用するとも思えないけど、気休めとしては十分でしょ?」

「はあ……確かに、気休めの部類としては十分すぎますね」

 取り敢えず卓袱台に置かれた学ランを持ってみるが、重くはない。普通に着て走ったり出来る重量だ。しかし懸念される問題は、

「……この暑さで、学ランですか」

 今は七月、季節は夏。学ランを着用し外出など、どう考えても自殺行為だ。

 それをすぐ察した赤井沢は、少しだけ渋い顔で言う。

「流石にワイシャツでいいけど……あーでも、ワイシャツまで防刃とは言ってなかったような……」

「え……ま、まあいいです。着替えてきますね」

 少しに不安は残るものの、よくよく考えればナインがあの立体駐車場へ来ることはそうそうないと思える。一度襲撃された場所を翌日にまた行くなんて真似は素人同然だし、向こうも魔法少女ならこちらも魔法少女だ、そんな判断は流石にしないと考えはしないだろうか。全ては仮定だが、確率の上では低いと考えるべきだ。

 寝室へ戻ると、すぐさま着替えを始める。

「……これは重いな」

 一つだけ妙に重いワイシャツに眉をひそめながらも、着替えを終らせた音無は寝室を出る。すると、そこには既に着替えを終えた赤井沢が待っていた。白いワンピース姿で、頭には麦藁帽という常夏をイメージさせる服装に着替えていた赤井沢を見るや否や、音無の口から出た言葉は些かデリカシーに欠けるものだった。

「……あんまりイメージじゃな」

「な・に・か・言・っ・た・か・な?」

「とてもお似合いです、それと着替え早いですね」

「最初からそう言えば良いの、雰囲気に合わない服装をすればばれる危険も減るし」

 着替えが早いことに関しての言及はなしか、とどうでもいいことを心中で思っていると、すぐさま赤井沢は玄関へと歩みを進める。

 そこでビーチサンダルのようなものを履いた赤井沢を見て、音無は疑問を呈してしまう。

「え、そんな動きにくそうなので良いんですか?」

「どうせいざとなったらデバイス使うし、こっちの服装はきにしなくていーの。それと…………ほれっ、」「うわっ、」

 突然振り返った赤井沢は、どこに隠していたのか少しロック調の柄が入った帽子を被せてきた。つばの部分を摘んだまま、ぐっと頭に押し付けるようにしてくる赤井沢に思わず、

「ちょ、なにするんですか」

「顔を隠す為のモン。見つかる可能性が低いってだけで、あっちだって視力はずば抜けて良いんだし。顔むき出しで後部座席座ってたら、すぐさま見つかることも十分あるからね」

「な、なるほど……」

 取り敢えず制服の革靴を履き、妙にちぐはぐな格好で音無は外へ出た。

 外といってもここは赤井沢の住むマンションの一階にあるエントランスホールなのだが、あまり冷房が効いていないのか汗が滲んでくる。

 ベンチに腰掛けていた音無は、左隣に腰掛ける赤井沢に目線を向けた。

(この人も……超人的な身体能力を持ってる人。そうだ、心配はない。仮にナインが来ても、この人がいれば死ぬってことはない筈だ。この人は殺し屋なんだし、いざとなればすぐさま倒してくれるはず)

 要は、内心滅茶苦茶不安なのである。

 完全に同性能なデバイスで、しかもナインは『当たりナンバー』という追加システムまで有している可能性もある為、赤井沢に「すぐさま倒す」という要求をするのは実は酷なのだが――音無でさえも、こんな日常とはかけ離れた行為に及ぶ前は緊張するものだ。

 殺し屋。目の前のいる、この人当たりの良さそうな女性は――殺し屋。人殺し。

 お金のために、人を殺せる人。

 改めて考え、しかしそれで恐怖することはなかった。口封じするならいくらでも出来るはずなのに、今すぐにデバイスを使って音無を殺すことだっで出来るはずなのにそれをしないというのは、つまり少なくとも殺す気はないということだ。安心していいはず。

(でも……本当に安心して大丈夫なのか? 自分が致命的なまでに追い詰められれば、流石に俺のことを見捨てるんじゃないのか…………?)

 疑念は疑問を呼び、更なる疑心を音無に抱かせかける。

 思考の泥沼とでも言うべきものに嵌まりかけた音無に対し――赤井沢が、唐突にその額をペチッと叩いた。

「おーい、どしたん? 人の顔ジロジロ見て」

「……え、あ、なんでもないです」

「何か今、凄く不安そうな目をしてたよ? やっぱ不安だよね、流石に。……あー、キミの神経が人よりも図太いからって、財布の為に外出はやりすぎだったかなぁ……」

「あ……え、ええと」

 何故か一人で勝手に落ち込んでいる赤井沢を見て、今までの疑問が馬鹿らしく思えてきた音無はフォローに周ることにした。

「そ、そんなことないですって。俺も財布のことが気になりますし……」

「そう? なら良いんだけど……お、車来たみたいだよ音無君」

「あ、はい。わかりました」

 エントランスホールを抜けると、そこは地下駐車場だった。

 厳密に言えば、地下ぐらいの深さにある屋根つきの駐車場だ。エントランスホールの出入り口からスロープが続いており、それを下っていくと屋根がついた駐車スペースが軽く三十台分くらいはあった。なるほど確かに、ここで乗車してしまえば屋根が邪魔をして乗る時も見られる心配はない。そこへ既に駐車していた白いワゴン車の窓から、運転手がひょこっと顔を出してこちらを見てきた。

「やあ、昨日ぶりだね」

「「どうも、塩山さん……あ、」」

 赤井沢も塩山に対しては敬語モドキになるため、見事に挨拶とその後の反応までもが被ってしまった。しかしそれを見た塩山は高笑いで、

「あっはっは、昨日とは違ってえらく息がぴったりだね。まあ一つ屋根の下なんだし、そうなってくるのも男女の関係としてはとうぜ痛ぁっ!!?」

 最後まで台詞を言い切れなかったのは、赤井沢のビーチサンダルが物凄い速度でひょっこり出していた塩山の顔面に直撃したからである。ビニール素材の部分が当たったようで余計に痛そうだ。

「……塩山さん?」

「ど、どうどう。落ち着いてくれよ赤井沢さん。ほら、今日は彼の財布を取りに行くんだろう? こんなところで騒いで見つかったら本末転倒じゃないかな」

「……そうですね」

 渋々ながらも追撃を止めた赤井沢は、大人しくワゴンの後部座席のドアへと歩いていく。

 それに慌ててついていきつつ、音無は塩山へ尋ねる。

「この車も改造してるんですか?」

「流石の僕も自分の車までアイデア商品にしたくは――っと、それはもしや僕の改造品?」

 言いながら、塩山の目線は明らかに音無の着ている制服に向けられていた。一見すると分からないものだが、流石は製作者だけあって見分けがつくのだろう。

「あ、はい。防刃だって聞いて……」

「成程、賢い判断だね。昨日今日巻き込まれたにしては、随分と冷静な対応じゃないか」

「あ、いえ、赤井沢さんの判断です」

「…………そうかい」

 呟くと塩山は、

「さあ、乗ったなら早くドア閉めてくれ。これから先はもうスピード勝負だからね」

 言われた通りにドアを閉めると、数秒後にワゴンのエンジンが唸った。

 そこで一度動作をやめると、塩山はミラー越しにこちらへと目線を向ける。

「さて、と。……もう一度確認するけど、良いんだね?」

 主語の無いその言葉だったが、しかし音無も赤井沢も意味は理解出来る。

 二人は頷くと、赤井沢が代表するように行った。

「行きましょう、塩山さん」

 という訳で、音無の忘れ物回収ツアーがスタートした。

地下駐車場を抜け、更にマンション正面の出入口から出る。マンションの敷地内から出ると、音無が少しだけ予想しなかった光景が目の前に広がっていた。

「……テレビ局、ですか?」

 音無が言いながら向けている視線の先には、確かにテレビ局のステッカーが貼られた車や機材などが立ち並んでいる。何故だろうと思わなくもなかったが、答えに辿り着く前に塩山が返答した。

「そりゃ、昨日の魔法少女騒ぎだろう。特に昨日の被害はニュースでも取り上げられてたからね。ほら、今朝も特番みたいなのやってたよ」

 やってたよと言われても、テレビを点けずに朝食を食べた音無たちにとってそんなことは初耳だ。

「やっぱり、昨日のあれって騒ぎになってたんですか?」

「当たり前。巨大なビームで例の立体駐車場の目の前にあるゴミ置き場が溶けたらしいし」

「溶けたんですか!?」

 ビームの恐ろしさは身をもって体感した音無ではあるが、まさか溶けるほどの高熱とは思わなかった。だが、そんな音無は構わず塩山は続ける。

「それに、赤井沢さんが飛んで逃げる姿も目撃されてるしね。まあそれでも結構なスピードだったし、そっちの点は特に気にしなくていいよ」

「当たり前です。私の飛行はマッハ3とか本気出せばいけるレベルですし」

 少しむくれたような表情で、赤井沢はさらっととんでもないことを口走った。

「……気絶とかしないんですか?」

「高速道路とかで車の窓から顔出してみなよ。案外平気だから」

「同じもんですかね……」

「魔法少女と人間を同じ定規で測れば、まあ同じもんだよ」

 だがまあとにかく、そこまでの事態になっているなら立体駐車場の周辺には人だかりもあるはずだ。迂闊にナインも手は出せないだろう。これはかなり安心できる情報だった。

「でもこれで安心、とか思っちゃだめだよ?」

「え?」

 唐突な赤井沢の指摘。しかし、そこまで安心しきっていたつもりではないが……駄目、というのはどういうことなんだろう。

「あっちが『当たりナンバー』だってこと忘れないで。どんな特殊な武装やら魔法を持ってるかなんてわかったもんじゃないし……それに、昨日言ったことも忘れてるでしょ」

「昨日……えっと、逃走の作戦会議のことですか?」

「そう。私はその時、どんな状況が逃走で危険って言った?」

「ええと、確か人混みが……って、ああ、なるほど」

 言いかけて、そこですぐさま音無は納得した。

「人の目があるから大丈夫と思っていたら、その人の目の中にナインが紛れているかもしれないっていうことですよね?」

「そうそう。だから、あっちに行っても極力気を緩めないでね?」

「分かりました」

 そこまで言うと、話題が途切れたかのように沈黙がその場を満たし始める。

 そしてその沈黙は、立体駐車場に到着するまで続いていた。

「…………あと二分ぐらいで着くよ」

 ポツリとした呟きのような報告だったが、ミラー越しに映る塩山の表情は真剣そのものだった。それを理解した音無は、思わず深呼吸を始める。

「……緊張しないでね、音無君」

「はい。ああでも、回収の時って俺はどうすれば……?」

 手はずとしては、赤井沢が主に回収係となっていた。ぶっちゃけ音無はいてもいなくてもどっちでもいいのだが、ずっと車で待機というのも虚しいものがある。

「車から降りて。車の陰に隠れてる感じでね」

「……それにどんな意味が?」

「一応だよ。本当に見つかったら車で逃げる暇なんてないし」

「ありゃりゃ、赤井沢さん、僕は見捨てられるパターン?」

 冗談じみた声で言った塩山に、いたって冷静に赤井沢は返した。

「車のエンジンはそのまま、音無君と一緒に隠れてもらいます」

「りょーかい。……っと、もう入口だよ」

 思わず身構える音無に対し、赤井沢はほんの少しも動じていない。窓から見る限りでは立体駐車場の周辺には三十人程度の野次馬とテレビ局の人間がおり、流石に冷却されたのか黒ずんだ状態のゴミ捨て場の残骸を囲うようにしていた。黄色いKEEP OUTのテープを越えて押し寄せているというほどではないが、それでも中継はされているらしい。

「……よく駐車場が使用禁止とかになりませんでしたね」

 ただの感想をポツリと述べた音無のその言葉に、塩山は律儀に返した。

「そりゃ、昨日停めっ放しの車とかが出られませんとかってなったら大変だからね。まあ、いくら頓珍漢な出来事が起きようともいつも通りの営みをしてくれるっていうこの社会は、僕らとしては助かるような助からないような……ねえ、赤井沢さん?」

 と、そこで同意を求めていたのだろう塩山の振りに対して、赤井沢は明確な反応を示さなかった。彼女は窓の外を眺めて、目を剥いていたのだ。明らかに異常な表情。

しかし、それはポジション的に右隣に座る音無しか分からない事実であったようで、当の塩山は少し不服そうな顔をしたまま立体駐車場の入口へと車を進ませる。

 その、まさに次の瞬間、赤井沢の叫びが上がった。

「―――――塩山さんっ!! 飛び降りてく」

 ださい、と続ける前に、それは起きた。

 音無達の乗るワゴン車の助手席ごと、赤井沢の位置がビームによって撃ち抜かれたのだ。

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