外食会議
普通、同年代の女性が外食に誘うとすれば、どんな場所を想像するだろうか。
夢見がちな人はスイーツ関連の店を想像するだろうし、現実的な人も安いレストランなどを一番に挙げるだろう。勿論、音無は強制彼女によりそういったレストランには何回も連れてこられたし、今回も安く済むレストラン系なんだろうな、という想定もしていた。
しかし、現在の音無が立っている場所は、そんな想定からは規格外とも言える店だった。
言ってしまえばそれは、創業九十年の老舗ラーメン店である。
明らかに男寄りのチョイスだ。普通ならばこういった油の多いものは好まないのでは、という音無の少ない女性経験からの推測だったが、それを聞いてみたところ、
「いやいや、普通にここの常連さんなだけだよ? ここはね、塩にトッピング全部乗せってメニューが美味しいんだー!」
という返答に付け加え、おすすめまで教えてくれた。明らかに胃の許容範囲を越えそうな名前だが、赤井沢のような女性が食べるぐらいだから量はそんなに多くはないのだろう。
取り敢えず導かれるまま店内へ入ると、そこは見るからに古い店を体言したような内装だった。木製の壁やテーブルに椅子、その全てが軋むような古物で、厨房とカウンターを仕切り、透けて向こうが見える構造のはずであるプラ板は黄ばんでその役割を果たしていない。これではもう、注文して料理を持ってこられるまで相手の顔が見えないという状態になってしまうのではないのだろうか。
「え、ええと。赤井沢さん」
「んー、その呼び方嫌だけど……しょうがないか。んで、なに?」
「夕飯時に客が一人もいないというのは……」
「隠れた名店ってやつ」
言いながら赤井沢は、カウンター席の一つに腰を下ろした。音無もその右隣に座り、立てかけられているメニューを見る。
「うーん、私は塩に全部乗せで決定として……音無君どうする?」
「俺は……じゃあ味噌ラーメンで」
「お、私が次に好きなやつを選ぶとは……素質があるね」
(なんの素質だよ……)
心中でそう思いながらも、苦笑いで「はあ」と言って誤魔化しておく。
しかし、そんな曖昧な返事は気にせずに赤井沢は、注文をするべく声を張り上げた。
この「張り上げた」とは、注文する際の比喩表現ではなく、
「……てぇぇぇぇぇんちょぉぉぉぉ――っ!!」
本当に張り上げたという意味である。
思わず耳を塞ぐ。いきなり拡声器のような音量で叫ばれても無理はないが、それ以上に驚きなのはこれだけ叫んでも一向に店主が出てこないことだ。トイレにでも篭っているのか、しかしそれでも従業員の一人や二人はいるものだろう。
だが赤井沢は不快な様子などは示さず、少しだけ困ったような表情を浮かべるだけだ。
「ありゃ……。こりゃまた、随分と酷くなったもんだね」
「酷く……何がですか?」
「ここの店長、酷いぐらいに耳が遠くてさ。注文も叫ばないといけないんだけど、その分味は絶品だから」
まあ、あれほどの叫びをしてまで食べたいというのだから、味が悪いということはないのだろう。
「てぇぇぇんんちょぉぉぅ!!」「…………」
それにしても、これは早く終らせないと近所迷惑なんじゃないだろうか。
「……てんちょぉぉぅ!」
……赤井沢の視線を感じないこともなかったが、気にしない。
「てぇぇぇんちょう! 注文ですって!」
(――――二人分の声でやったほうが、届きやすいか?)
いやいや、と即座に頭を振る。何を考えているんだ。どうしてそんなことを自分がしなければならないのだ。食べようと思えばここを出て、近くのコンビニでも探せばいい。
だが、赤井沢がここまで叫んでも食べたいラーメンというのが、コンビニ品に劣るということはないだろうし……。
「もう! 店長っ!! 聞いてるんですか!?」
そういえば、腹が減ったな。
気付いたら、音無は思い切り空気を吸っていた。そして、空気を振るわせる。
「「てぇぇぇぇぇんんちょぉぉぉぉ――――っ!!」」
気付いたときにはもう遅い。
空腹に負けた音無は、赤井沢と共に腹の底から店長の名を叫んだ。
『…………あい、なんだい』
ようやく、黄ばんだプラ板の向こうから声が聞こえる。よくよく見るとぼんやりと影が見えるぐらいには透過性を残していたらしく、そうすれば僅か数十センチ先の叫びすら聞き取れないということになる。本当に料理が出来るのだろうか。
「店長、ホントは聞こえてたでしょ」
少し膨れ面で文句を言う赤井沢に対し、店長はただ一言。
『いやな、影は二人分なのに、一人分しか声が聞こえなくてよ。こりゃ、まだ一人悩んでるんじゃないかって思って下手に返事出来なかったんでい』
その時代を間違えたような語尾に思わず噴出しそうになった音無に対し、赤井沢が少しだけ負のオーラを内包した視線を向けてきた。音無がとっとと叫べばよかったということなのだろうが、こればかりは赤井沢の説明不足に責任があるだろう。なのでその視線はスルーし、何故かもう普通の声が聞こえるらしい店長に注文をすることにした。
「あの、注文いいですか」
『おう、おめえは赤いののオトコか何かか?』
まったく会話が噛み合っていない。老人なのは間違いないだろうが、それにしても店長の言う「赤いの」が「赤井沢」という意味だとすれば、「オトコ」は「彼氏」という意味と取れてしまう発言だ。
チラリと横を目と、赤井沢が獣のように歯をギリギリさせ、プラ板にパンチをかまそうとしているところだった。このままでは塩山の二の舞になりかねない。
(……意外と感情の抑制が効かない人なのか?)
音無は溜息を一つ吐くと、即座に店長に対して否定の言葉を返した。
「違いますよ、俺はただの友達です。……そうですよね、赤井沢さん?」
振られた赤井沢は、音無の声で我に帰ったかのようにいつもの表情に戻ると、
「えっ? あ、ああ、そうだけど……」
『ケッ、つまんねぇな……まあいい。それで、注文はなんだ?』
注文を受けてから雑談するというプロセスならまだ分かるのだが、注文前にそういうことをされると普通に苛立ってきた自分がいる。空腹なのを焦らされれば当たり前だが。
「えっと、私が塩に全乗せで、音無君は味噌ラーメン」
『へえ、音無ってのか。じゃあこれから音無って呼ぶか』
「おっ、ラッキーだね音無君。店長から一発で名前を呼ばれるのはラッキーマンの証だよ」
「ラッキーマン……」
要は店長の気まぐれなのだろうし、そんなのどうでもいいから早く食べたいというのが本音だったのだが、何となく興味があるような振りをしておく。
しかし自分の呟きの後に言うべき言葉が見つからず、そのまま黙り込む結果となってしまった。しばしの沈黙。それが五分ぐらい経過した頃に、ようやく赤井沢は口を開いた。
「ふう、店長ってばやっと行ったか。それじゃ音無君、簡単な今の状況説明をはじめるね」
「あ、店長さんが遠ざかるの待ってたんですか……」
プラ板の方を見てみると、確かにぼんやりとした人影が無い。話し方からするに店長は今、やっと遠ざかったという感じだったので、ついさっきまで会話が続くかどうか聞き耳を立てていたということになる。
(とんでもないな、あの爺さん……)
顔を見ていないし婆さんの可能性もあるが、声的に男性だと判断した。
しかし、店長の性別など音無にとってはどうでもいい疑問だ。すぐに頭の隅に払い、今は赤井沢の状況説明を聞くことに集中する。
「えっと、私がナインに狙われてて、それでキミが一緒にとばっちりを受けたってところまで話したんだよね?」
「はい」
「なら、次は魔法少女そのものについて……まあ大体のことは塩山さんから吹き込まれてそうだから省くけど、『当たりナンバー』のことは聞いた?」
「当たりナンバー、ですか? ……いえ、多分聞いてません」
するとその返答を聞いた赤井沢は少し不安そうな顔で、
「多分って……しっかりしてよー、元はといえば私が悪いけど、巻き込まれたからには生きる努力を最大限しないと。……えっと、じゃあ魔法少女の基本機能は聞いた?」
それなら聞いた気がする、と返答しかけて、曖昧な返事は避けようと別の返事を模索する。といっても、代償もなく飛行したり云々のことなのは目に見えていた。
「はい。飛行と光線、あとは素の身体能力が優れているって。あと、魔法少女の装甲が通常兵器や他の魔法少女光線でも貫けないということも聞きました」
「じゃああと説明すべきは、『当たりナンバー』だけだね。まあその基本性能に追加して、稀に別機能や別兵器が与えられていたりするんだけど……あ、私にはそういうのないから、期待しないでね」
「別機能……というのは、具体的にはどういう……?」
そんな音無に問いに対し、赤井沢は少し困ったような表情を浮かべて返した。
「いや、全部が全部分かるって訳じゃないんだよ。……噂になってるのは一つだけあるけど、ナインはそれを持ってないって断言出来るから、聞く必要もないんじゃないかな?」
「断言出来るってことは、向こうの戦力は把握出来てるって意味ですか? それならこう、裏を掻くような戦略でも……」
言いかけたところで、赤井沢は「いやいや」と口を挟む。
「私が知ってるのはね、通称『転送』って言われてる『当たりナンバー』だけ。名前の通りテレポートする魔法で、それを使えるなら私達はもうお陀仏になってるからね」
言われて、音無はすぐさま納得した。その「転送」とやらを使えるのであれば、あの時の立体駐車場にそもそも飛行してくる意味がないのだ。
「じゃあ、その、今の状況っていうのは……別の魔法少女から狙われてて、その追っ手の魔法少女の手の内も分からないから逃げようとしている、ってことで良いんですか?」
「うん、その認識でオールオッケーだね。それでいて、相手は確実に私を殺す手段か、または確実な算段を立てているはずだよ。そうじゃなきゃ、魔法少女同士の争いなんて不毛な千日手だし」
自分が発射した光線は相手に効かず、相手の光線も自分に効かないとなれば、確かにそれだけで手詰まりだ。聞いているだけでも絶対的な戦力というイメージが強いデバイスだが、開発者はそのデバイス同士の争いをなくそうとでもしたかったのだろうか。
「それじゃあ、俺達が明日からするべきことは『逃走』……。でも、それも具体的な方法はあるんですか?」
「そりゃまあ、私は免許持ってないし――あ、音無君ってバイクの免許とか持ってる?」
「ないです。取りたいとは思ってましたけど」
「なら、交通機関かな。今から勉強する時間も余裕もないし」
そんな、ある種当たり前の提案を聞いた音無は、しかし少しだけ首を捻った。
「え……交通機関って、あのビームとかで壊されちゃうんじゃあ……?」
「あー、ええと。基本的に魔法少女はお金で動いてるから。そういう、自分への報酬を減らしてまで返済しなきゃいけないような破壊行為はね、基本的にしないんだ。私の殺害報酬が百億円とかだったら話は別だけど、流石にそんな金出してまで殺される覚えはないし」
「…………」
殺し屋というのは基本的に恨まれて当然というか、倫理観的に認められて良い職業ではないのだが、それすら分かっている上で「覚えはない」と言いきれる赤井沢は、やはり無責任な性格なのだろうか。
それとも、無責任な性格にならざるを得なかったのか。
(…………まあ、今のところ変なこともしてないし、どうでもいいか)
取り敢えずの思考を終わらせ、音無は会話へと戻ることにする。
「それなら、ちゃんと逃げるために新幹線とかですか?」
「いや、それがね。ちょっと困ったことになっちゃって……」
再び首を傾げる音無に対し、その眼前に赤井沢はポケットから取り出した携帯を突き出した。そこで音無が最初に思い浮かんだことは何故か「そういえば俺の財布どこだろう」だったのだが、そんな考えは赤井沢の携帯に踊る文字を見るとどこかへ吹っ飛んだ。
「新幹線が、『消えた』……?」
消えた、といっても様々な解釈ができるかもしれない。
失踪した、いわゆる「蒸発」というものが人間の例えでは一番ありがちだろう。
殺されただとかそういうものの隠語として使われる場合もあるし、実際に消えたということもあるだろう。しかしこの場合、新幹線はそのままの意味で「消えた」。赤井沢曰くそういうことらしい。らしい、という分かったような考えをしているが、実を言えば音無自身きちんと理解はしていない。というか、訳が分からないというのが正直な感想だ。
「だから、本当にいきなり『消えた』の。来るはずの新幹線が跡形も無く、乗員乗客全てを含めて、いきなり消えちゃった。一応路線にカメラは設置してあるらしいけど、それにも一瞬で消えたとしかいえない映像しか記録されてなかったらしいし。だから、どこかで停止中の可能性も含めて迂闊に他の路線を運行はさせられないってこと」
軽い調子で言うが、新幹線が使えないとなると逃走先はかなり狭められる。ましてやここが都会ならいざ知らず、地方の中心地だ。電車による移動としても、精々で隣の県へ行けるかどうかが関の山だろう。
一瞬、音無は赤井沢の魔法少女の力による飛行での逃走も考えたが、そんな目立つ行為を延々と続けていれば逃走がナインとの闘争に早変わりするのがオチに決まっている。
「なら、やっぱりタクシーとかの方が良いんでしょうか。車の後部座席なら顔を見られにくいし、乗られる場面さえ見られなければ……」
そんな提案をしてみたが、すぐさま赤井沢は首を横に振る。
「確かに安全性は高いだろうけど、電車よりも破壊した時の損害が少ないのはまずいよ。依頼中に壊した物は本当に全部の弁償が魔法少女持ちになるから、迂闊に破壊出来ないような交通機関がやっぱりベストかな」
それは暗に電車しかないという言葉でもあった。それが分からないほど音無も馬鹿でない、すぐにそれを察すると、次に予定の話に移った。
「それなら、始発とか終電よりも通勤時間の電車が良いと思います。人が多いなら派手な行動は出来ないだろうし、俺達も制服を着れば他の学生に紛れられるはずなんで」
「そうだね、通勤通学のピーク時間が理想なのは確か。でもね、考えてみて」
人混みという追跡撹乱においては最大の武器を使っての行動提示だったのだが、しかし赤井沢は芳しい反応ではない。つまり、今の考えにもどこか穴があるのだろう。
魔法少女が相手だからこその、穴が。
「キミの彼じ……強制彼女さん、私にどうやって殺されたっけ?」
流石の音無でも、ここまで言われれば分かる。
音無の強制彼女――つまり城山晴香が赤井沢によって殺された状況は、人がごった返していた横断歩道だ。それは人混みとも言い換えられる。
「分かったみたいだね。人がい過ぎると困る理由が」
「…………相手の魔法少女が人混みに紛れて、攻撃してくる可能性があるから?」
音無の呟きに対し、いともあっさりと肯定する赤井沢。
「そう。しかも通勤通学時間の電車の中ですぐ近くでも陣取られたら、それこそ電車ごと周囲のモノ全てを壊す覚悟で逃げないといけない」
周囲の全ての「モノ」とは、つまり「者」……人間を含めての表現なのだろう。
ちなみに、これは音無が知らない事実だが、赤井沢の暗殺方法は主に狙撃である。相手の頭部を狙って極小のビームを放つだけなのだが、もしそれを建物の屋上などからやられた場合、音無たちはそれで詰みだ。つまり行動を起こすのに最適であるのは、
「……深夜。それも、視界が悪い天候の時が理想だね」
「そういえば、もうすぐ雨雲がこっちの方に上昇してくるって言ってました」
「うん、確か明日だったっけ。じゃあやっぱり、そこを行動の起点にしよう」
「あ……でも、相手はプロみたいなものなんですよね?」
その何気ない質問に、赤井沢は顔に皺を寄せながら答えた。
「そうだね。まあ、一応それぞれ得意な依頼ってのはあるけどさ。私が暗殺なら、別のヤツは効率よくパニックを広げたりするのが得意なのもいるし。その点ナインは、追跡がずば抜けて得意。視力補正でもあるのかってくらいに視力良いし。あ、まあ基本的に魔法少女は視力が二・五なんだけどさ」
(……そんなところまで優れてるのか)
普通に考えれば空中からだろうと人を捜すのは容易だろうが、どうしてもその人探しの時に障害は発生する。
それは、あまり低空飛行は出来ないということだ。赤井沢の説明を受けた限りでは、魔法少女というデバイスの中でも不可視になるということはそうそうないらしい。これはつまり、人の視認出来る位置を日中に飛行してはどうしても人目に触れることを意味している。しかし、音無はそんな噂聞いたこともないし、それ以前に空中で光線をぶっ放す少女が確認されていればもっと大きな騒ぎにすらなりかねない。
以上の事をふまえて考え直せば、いくら追跡のプロだろうと人目の少ない夜間の捜索を主にすると思うのだが……。
「やっぱり、あからさまに相手に不利な条件での逃走はかえって危険じゃないですか?」
「危険だね。でも忘れちゃいけないのは、私達が有利な条件の時に逃げるってこと」
そんなポジティブ精神の塊のようなことを言い放つと、更に赤井沢はこう続ける。
「それに、天候が悪い日は飛行だって危険なんだよ。ナインは追跡のプロだけど飛行技術は私の方が上だし、単純な馬力の面で考えれば成功の確率の方がずば抜けて高いでしょ?」
「高いでしょって……ああ、確かにそうですね」
ここで音無が思い出したのは、赤井沢の自宅であろうマンションへ一気に飛行した時のことだ。あの時ならばナインの光線も当たる可能性があったのに、それをしてこなかったということは――追跡を振り切るという意味も含めて――速度では圧倒的に勝っている。
「じゃあ、逃げるとすれば明日の深夜とかですね。明日から明後日にかけて雨が降るそうですし、日を跨ぐぐらいなら丁度良いと思います」
「そうだね。じゃあいつまでも日時ばっか話してもしょうがないし、そろそろ現実的な話をしようか」
「現実的な話……ですか?」
今までの計画を練る会話も十分に現実的ではあったと思うのだが、しかし赤井沢の言う現実的な話というのは、音無の想像とは真逆のベクトルの話だ。
「これからのキミの学園生活。これはもう諦めてもらうしかないけど、それは……いや、ごめん。こういうのは何度も言うもんじゃないよね」
「いえ、俺も一応の確認はしておきたいですし。それで、やっぱり逃走をするからには、二度と家に戻れないという可能性も考慮すべきなんでしょうか」
「……キミの素性を調べられていなければご家族は大丈夫だろうけど、家出みたいな手紙でも残した方が良いかもしれない。あ、そういえばさっき連絡取ったばっかりだっけ?」
振られた音無は、しかし少し間を空けた返事だ。
「…………はい。しばらく帰れないから気にするな、という感じの。まああと三日ぐらいで夏休みですし、当面は大丈夫だと思います」
「そっか。そうだよね、夏休みだよね……なら大丈夫かな。おそらくだけど、もうそろそろこの追跡も終わるだろうし」
「………………え? 終わるんですか?」
てっきりこのまま未来永劫続くのかと思っていたが、しかし拍子抜けというかなんというか、蓋を開ければそこまで長い期間でもないらしい。
「依頼の期限はほとんど一ヶ月ってのが多いし。私がナインから逃げ始めて今日で二十五日目だから、あと一週間も逃げれば良いはずだよ」
「一週間……微妙な期間ですね」
「なに? 私ともっと一緒にいたいとか?」
「あ、いえ、そういうんじゃないです。……あ、これは失礼か。えーと、そういうんじゃない訳ではなくてですね……可愛いとは思いますけど」
「嬉しいこと言ってくれるねぇキミは」
台詞こそこんなものだが、本人たちの表情はいたって淡白だ。空元気でやっていけるような性格でもないらしい赤井沢は、それ以上からかうような真似はせず、音無をただじっと見つめる。
その何ともいえない視線に数分晒された音無は、流石に耐えかねたのか、
「……顔に何かついてますか?」
「え、あー、いや。なんでもないよ。顔は普通に可愛いよ」
「かわ…………もう少し、他の言い方とかないですかね」
「いや、悪いけどその顔は凛々しいとは言えないよ? 普通に可愛いとしか」
これは女子が肥満体型の男子に対して「クマさんみたいで可愛い~♪」というのに通ずるものがあるな、という無駄な理論を頭の中で展開した音無は、そこで自分の不毛な思考に気付いたのか溜息を吐いた。
「まあ、俺の外見はどうでもいいです。それで、なんでジロジロ見るんですか? 俺が可愛いからとかそういう訳じゃないですよね?」
「え、なに、怒ってる?」
「あ、すいません。そう見えました? 怒ってはいないですけど……」
つくづく下手に出る音無だったが、そんなことは意に介さずといった様子の赤井沢は素直に白状した。
「いや、さっきもちょっと言ったと思うけど……キミって、異常なまでに冷静過ぎるなーと思って。冷静というか、達観というか……現実を見すぎというか…………ごめんね、あんまり上手く言えないや」
「いえ、なんとなく言いたいことは分かります。要は、どうして俺がこんなに冷静なのかってことですよね? ……まあ安心とか不快感は人並みに覚えますけど、その耐性が高いんです。図太い神経の強化版みたいなのをイメージしてくれれば」
その返答を聞いた赤井沢はあまり納得していないような感じだが、すぐにぱっと表情を切り替えると同時にぼそぼそと何かを呟き始めた。
「なら私の体質のこと、どう考えるのかな……」
「……何か言いましたか?」
「あ、えっとね。少しアンケート」
赤井沢はびっと音無を指差しながら、説明をはじめる。
「今から私の言うことについて、単純に思ったことだけを答えて。最初に思い浮かんだような、直感的な答えで良いから」
「そういうのって、一番困る答えさせ方じゃ」
「いいからいいから。……私ってこんな職業だからさ、よく人からトラブルを持ってくる疫病神とか言われてるの。まあそれ自体は否定しないんだけど、次第に周囲は私のこの……体質? みたいなことを、事件に巻き込まれる才能だって言い出した訳。まあ確かにそうなんだけどさ、こう、もちっとポジティブな感じの才能でも良いと思わない?」
魔法少女の説明時のようにペラペラと出てくる言葉の羅列に圧倒されかけた音無だったが、なんとか全てを受け止めて意味を理解した。
「つまり、その何かとトラブルに巻き込まれるような才能をどう思うかってことですよね。それなら―――、」
と、音無が口を開きかけたところで、
『おう、待たせたな』
そんな言葉が真正面のプラ板の前から響き、その下部がスライドドアのように開いた。その開いた部分から注文していたラーメンがこれまたスライドしながら登場し、音無たちの目の前へと鎮座する。無駄な加工してるなー、などと思いながら、音無の返答を聞きそびれたのが嫌だったのかむくれている赤井沢に向かって、音無は苦笑しながらこう言った。
「続きは食べてからにしましょう?」