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正義と魔法の在り処  作者: 水城
第一章 五番目の  七月十五日
3/15

少女の正体

「よろしくね」

 そういって差し出してきた名刺には、確かにこう記されている。

『正義の味方 魔法少女ファイブ 電話頂ければ支払い方法などの相談も受け付けます』

「えっと……」

 正直な感想を言えば、この女は正気か? という一言に尽きる。

 職業を問われて平然と「正義の味方です」と答えるのもだが、それにしたって名刺はやりすぎだ。しかしそんなことを間違っても口走れず、ただ返答を濁すような状態になってしまう。すると意外なことに、その当の本人から助け舟が来た。

「あー、これ? 気にしないで、私の趣味じゃないから」

「え? あ、ああ、そうなのか。じゃあ誰の……?」

「私のサポートをしてくれる……んー、まあ博士ポジションみたいな人?」

 そんなことを言われても、そもそも仕事内容が明確に分からないうちはその周囲の人間の紹介をされたところで、具体的なイメージが湧くわけもない。

「じゃあ、取り敢えず……魔法少女っていうのについて、説明してくれるか?」

「最初はそれだよねえ。うん、まあ有り体に言えば、魔法を使って色んなモノを消す存在」

「……魔法って、あれか。進みすぎた科学的な意味での」

「いやいや、そうじゃないよ。本当のファンシーなファンタジー」

 あり得ない話だが、仮に魔法を仮定して話を進めたとする。するとどうだろう、あの緑色の女性が放ってきた光線も、魔法のマジカルビームということになるのだろうか。

「魔法少女って言っても、本当にステッキ使って色々する訳じゃないよ。いや、ステッキは使うか……まあとにかく、日曜朝にやってる系のものではないってこと」

「拳銃とかあったしな」

「そうそう。その拳銃が、魔法少女でいうところの変身アイテムだね。デバイスとか難しい呼び方もするらしいけど」

 音無は少しだけ沈黙し、ここまでの情報で最低限の情報を整理する。

 まず、口調から言って目の前の赤井沢は間違いなく魔法少女と呼ばれる存在だ。魔法少女と言っても、日曜朝に放送するような明るいものではないらしいが。そして、その魔法少女にドレスチェンジする為のキーアイテムがあの拳銃……ということらしい。先ほどの立体駐車場の件から推測するに、あの紅い銃弾を撃つことで作動するのだろう。

「それで、あの緑の女の人は――、光線をいきなり撃ってきたのは、誰なんだ?」

「私とは別の魔法少女。まあ私と色違いってだけ。それでね、魔法少女のシステムっていうのは、この拳銃の引き金を引いて、座標弾丸を撃つことで発動するの」

「座標弾丸……?」

 自分の予想と同じだった部分をスルーし、気になる単語のみを反芻した。

「そう。その座標弾丸が発射されて、その座標を感知した鎧が転送されてくる。あの紅い魔方陣みたいなのはワープゲートだね」

「ワープゲート……その、鎧とやらはどこから転送されてくるんですか……くるんだ?」

「知らない」

 端的にして、もっとも不安になる言葉が返ってくる。これは音無も予想外の返事だったが、しかし魔法少女の鎧がどこから送られてくるかなんて音無にとっては重要なことではなかったので、次の質問に移行した。

「あと、この魔法少女ファイブっていうのは……」

 頭の中では全身に紅いラインが入った平成ライダーが思い浮かんだのだが、まさかそれを意識しての名前ではあるまい。

 しかし、その質問に対して赤井沢は難しそうな表情を浮かべた。

「んー……よくわっかんないんだよね。まあ魔法少女システムの割り振りナンバーとか、そういうことだと思う。ちなみにさっきの緑のはナンバーナイン」

 とすると、五番目に製造された魔法少女としてのシステムとか、そういうことなのだろう。これも比較的どうでもいい質問だったなと思い直し、適当に納得しておいた。

 そしてようやく音無は、名刺を見て一番気になっていたことを質問として赤井沢にぶつけることにしたようで、もらった名刺の一部分を指差しながらこう尋ねる。

「じゃあ、正義に味方っていうのはどういう意味なんだ? それに、さっきの魔法を使って色んなモノを消す存在っていうのは……」

 ――どういうことなんだ、と最後に締めようとした音無の背中に妙な感覚が走った。

 悪寒、というか、妙に鳥肌が立つ。

 それは音無がおそらくは、この人生の中でまず体験したことがないもの。

 俗に言えばそれは殺気というものだったのだが、それに気付かず音無はそれを一瞬の寒気として認識しただけだった。少し風邪気味かな、程度にしか思わなかったのである。

 しかし、ここである意味での勘違いをせず、追求をやめていた方が音無はもっとまずい事態になっていた―――よって、この勘違いは幸運だったと言えるだろう。

 赤井沢は、なにも表情は変わっていない。その裏にあるものは激変していたとしても、それを見抜けるほど音無は鋭い人間ではなかった。

 だから、赤井沢の語りのテンションが少しだけ下がっていても、微塵も気付かない。

「消す存在っていうのはね……まあ、そのまんまの意味だよ。まあ、あんまりダークなイメージは持たないでくれると嬉しいんだけど」

 そして赤井沢朱音は、それがさも世界の常識であるかのように、こう言った。

「私のお仕事は、簡単に言えば殺し屋さんなんだ」

 

 殺し屋。そう言われてパッとイメージするのはやはり、漫画でよくあるスナイパーとかでの暗殺なのだが、如何せんそのイメージと目の前の赤井沢が合致しているようには見えなかった。少なくとも音無は、心のどこかでこれが全て誰かの仕組んだ余興である可能性を捨て切ってはいない。むしろ、そっちの方が逆に現実的なのだから。

 そんな思考が頭の中で駆け巡った音無が目に見えて狼狽している訳もなく、今まさに自分で殺し屋宣言した赤井沢の方が不思議そうな表情を浮かべているぐらいだった。

 赤井沢は、何か予定調和が崩れたような、そんな焦りすら感じさせる声色で言う。

「え、…………えーっと、あれー? 驚かない? 殺し屋だよ、殺し屋」

「あ、えっと、そうですね。じゃない、そうだな。殺し屋だな」

 ここで赤井沢が一つ間違っていたのは、音無隆盛という少年を平均的且つ健全な精神を持つ男子高校生だと思い込んでいたことだ。いや、確かに音無自身も健全なつもりだが、嫌いとはいえ身近な人間が死んでから数十分で冗談を言えるまで回復するのは、どう見ても平均でもなければ健全でもない精神である。

 お互いに、気まずい沈黙が流れた。まさか赤井沢は、殺し屋宣言をした直後に音無が怯えて逃走する、とでも考えていたのだろうか。

「…………君は、その、どうして――怯えたりしないの? 私、殺し屋なんだよ?」

「いや、別に殺し屋だからイコールで殺人鬼とも限らないし……。まあ、赤井沢が殺人鬼なら俺は相当やばいけど」

「君は、サイコパスとかなの? 罪悪感とかそういうのがなくて当たり前、みたいな」

「サイコパスが殺人鬼を恐れないかどうかは知らないけど……それに、罪悪感を持つべき立場は赤井沢の方だと思うし」

 と、ここで音無は話題の修正に入る。最初の会話から随分と論点がずれてしまった。

「とにかく、あと魔法少女とやらについて、言うべきことがなければなんだけど……今の君のことじゃなくて、今の俺の状況が知りたい」

「え、あ、ああ……って、君の状況?」

 頷きかけた赤井沢だったが、途中で即座に微妙な表情に切り替わった。たしかに自分の状況を他人に聞くのも変な話だが、これは自分の与り知らぬ領分の出来事に巻き込まれた場合のみ、その限りではないだろう。

「いや、その……ビームみたいなのを、あの魔法少女……ナインが撃ってきたのは、間違いなく俺だったと思うから。そこらへんを詳しく整理したいなと思って……」

「そういうこと……それにしても、随分と……」

「……? なんです……なんだ?」

「いや、なんでもない。えっと、状況の説明だったね。君に気を使って言わなかったんだけど、その心配もなさそうだし、これは最初に言っておく。まず私があの場所の付近にいたのは、私にきた依頼が『城山晴香の殺害』だったから」

「―――!」

 少しだけ驚いた。てっきり、魔法少女ナインの方がやったとばかり思っていたのだが。しかしワープやビームを軽く扱うようなハイテク魔法少女が、こんな狭い範囲に二人もいるなんてほうが珍しいのかもしれない。

 ともかく、明確にショックな反応などを返さなかった音無を見て、赤井沢は続ける。

「けど、それ以上に私には危険なリスクが付き纏っていた。それは、魔法少女ナインへ出された『魔法少女ファイブの殺害』という命令。ナインは主に光線での派手な銃撃しかしてこないから、私も城山晴香を出来るだけ徒歩で捜していたんだけど――まさか、あんな見た目の女に彼氏がいるなんてね」

 明らかに、可愛いとはお世辞でも言えなかった城山に対する皮肉。ここでは流石の音無も黙っていられず、赤井沢に『金で釣られた強制彼氏』について語ることにした。

 最後まで話しきると赤井沢の態度にも変化が生じ、少しからかうような空気は全て霧散する。しかしそこからは音無が言葉を発することはなく、赤井沢の説明待ち状態に戻った。

「一応の想定では、私が城山晴香を殺害したあと、それを見つけたナインがすぐさま私の方へ来ると思った。んだけど……ナインは、私じゃなくて君の方へと向かっていったんだ。まあ、私に人質が通用すると思ったかどうかは謎だけど―――、とにかく、私は依頼された標的以外は殺したくないし、たまたま彼氏だった君が死ぬのもアレだから、思わず助けたってこと」

 思わず助けた、と簡単に言いはするが、それがどれだけの戦いだったか音無に計り知ることは出来ない。見つけたらあの光線を空中で撃ってくる人間相手に、果たしてどれほどの接近が出来るというのか。

 しかし、そんな音無の思考を読んだ訳ではないだろうが、すぐに赤井沢は「あ」と声を上げ、ある訂正を加える。

「言い忘れてた。魔法少女のビームやら弾丸やらは、全部魔法少女の鎧には効かないんだ」

 恐らく、そこまで壮絶な戦いだった訳ではないということは理解出来た。

 ともかく城山の謎の死についてはこれで解けた、という訳だが――それにしても、随分とタイミングが悪い。まるで音無を巻き込むことを前提とした依頼のようだ、と思ったが、すぐにそれはないと考え直す。恨まれる憶えはないし、そもそもこんな物騒な女子とコネクションがある人間と、自分が関わったとは思えない。

(……まあこれで、俺が完全な被害者なのは確定したし)

 ここから更に面倒な展開になる前に、さっさとここから退散するのが得策だろう。赤井沢の名刺は、彼女には悪いがどこかの水道でふやかした後にでも破いて捨てるのが良いか。

 と、そんなことを頭の中でつらつらと考えながら、音無は赤井沢に対して頭を下げ、

「それじゃ、ありがとうございました。俺、もうそろそろ帰んないといけないから……」

 まるで友達の家から帰る時のような挨拶だが、事実として音無のテンションは今、友人宅から帰宅するそれに近い。異常なまでに、近かった。

 しかし、それを聞いた赤井沢はあまり良い顔を浮かべず、制止とまではいかなくとも少しだけ止めるような言葉を放った。

「……今帰るのは、あんまりおすすめしないな。おすすめしないというか、私がしたくないというか。折角助けた命だし、あんまり無闇に散らしてほしくはないというか……」

「……? え、ちょっと待ってください」

 思わず敬語に戻ってしまう程に、その言葉は音無の頭の中で巨大は引っ掛かりを生んだ。

 今の赤井沢の口ぶりからすると、今この部屋から帰れば――――、

(俺は…………死ぬ?)

 命を散らすという表現からしても、それしか考えられるものはない。そうなるとつまり、

「俺に対して――俺への危機が、まだ終わってないってこと……ですか…………?」

 今度はうっかり、敬語で話をしてしまった。そんなどうでもいいことに目を向けなければ、鬱になりそうで怖かったのだ。そうだ、気付いても良かったじゃないか。

 赤井沢は、「今の」音無の状況なんて――何一つ説明なんてしていない。説明したのは、全部「さっきの」音無の状況。加えれば、自分の戦闘状況のみだ。

 少しだけ焦燥感が渦巻き始めた音無の疑問を受け、しかし赤井沢本人は少しばつの悪そうな表情を浮かべる。そして、自分の頬を人差し指で掻きながら、少し小声で話し始めた。

「あー、話しにくいのはこっからだね……うんとね、多分だけど――ナインは君の顔をばっちり憶えたから、のこのこ一人で歩いてる君をみつけたらまず捕縛して、私の居場所を尋問すると思う。……この尋問は勿論、体に聞く感じのやつなんだけど……耐えられる?」

「無理」

「だよね。それで私の居場所を言っちゃった場合、君はもう用済みだから捨てられる。でもただの一般人で『魔法少女』のこと知っちゃった訳だし、多分ナインは君を肉片一つ残さず消す、という選択をするのが普通な訳。……つまり、」

「とばっちりじゃないか」

 これまで一度も聞かせなかったような、感情が揺さ振られたかのような震え声で、音無は赤井沢の言葉を制した。

 それを聞いた瞬間に赤井沢の表情が一気に曇ったが、それでも音無は言葉を続ける。続けるというより抑えられない、というのが本音だろう。

「赤井沢と……訳わかんない殺し屋と一緒に、俺も標的にされたってことだろ」

「………………そうだね、その通りだ」

「それなら、」

 次に音無は、およそ男という範囲では最低な言葉を吐く。

「赤井沢には、俺を守る義務がある筈だ。俺をそのナインとかを殺すまで守りきって、それで初めてこの責任は終わるんじゃないか?」

「……うん。そうするつもりではあったよ。けど、……君はあまり直情的ではなさそうだから言うけど、正直な話、私は君を守り抜いてナインを殺す自信はない。そもそも、ナインを殺すなんてリスクの高い真似をする気にもなれない。だから――――」

 そこで赤井沢は、自分の座布団の下に手を入れる。そこから引っ張り出したのは、先ほど使用していた銀色の銃だ。魔法少女の力を使用するためのデバイス。

 それを、音無へ向けて卓袱台の上を滑らせた。

「――――私と一緒に、逃げてほしい」

 音無は思わず赤井沢の顔を見る。そこには、責任を感じているとかそういう次元ではない、途轍もない悲痛の色が嫌でも分かるぐらいに滲んでいた。

 思わず、視線を落とす。その先には赤井沢が滑らせた、彼女の生命線とも呼べるであろう銀色の銃がある。本来は紅いラインが奔っている部分も、今はすべて銀色。まるで、趣味の悪いオモチャのようだった。

 さて、と音無は銃に対する思考を割り切り、別の考えを開始する。それは、赤井沢の提案に乗るか否か、だ。当然、普通の人間ならばここで快く頷く訳もない。それは音無も例に漏れておらず、決して快くは思っていない。

 ただ、赤井沢の言うとおり直情的とはかけ離れた音無だからこそ、いくら不条理な事態になっても、先を見据えてリスクの少ない方を取ることは出来るつもりだ。

 もしここで赤井沢の提案を断り、普通に家へ戻るとする。仮に音無が断っても家の付近までは赤井沢はついてきてくれるだろうから、普通へ帰宅できた場合の想定だ。恐らく、音無の帰宅後に赤井沢は一人で逃走を開始するだろう。その場合、上手くナインを出し抜けたなら、ナインはまず赤井沢より確実に捕えやすい音無を標的に変える筈だ。するとどうだろう。学校生活へ戻ったとして、今度は自分が城山のようにならない保障があるか?

 そしてもう一つの可能性として、音無がこの提案に乗った場合――赤井沢の言うことが本当なら、ナインは上空から狙って撃つような行為しかしないらしいから、普通に公共の交通手段を頼ることになるだろう。その場合、もう高校生活など諦めるしかないのだろうが……別段、思い入れがある訳ではない高校だ。高校側だって、容姿も学力も体力も並の音無が抜けたところで、派手な損害が生まれる訳ではない。損害という意味では、金持ちのお嬢様である城山が死んだことの方が損害だろう。

 それに自信なさげなことを言ってはいるが、一時はナインから確かに音無を守りきった赤井沢が護衛のような役回りにもなる筈だ。

 ここまで考えた上で、音無が選ぶべき選択肢はただ一つ。

 彼は世間体や常識よりも、自身の生存率を真っ先に上げる選択をする。

 だから、

「…………分かった」

 静かに、しかし確実にそう呟き、卓袱台の上を滑る銀色の銃を手に取った。見た目から想像したものより遥かに重いそれは、俗に言う命の重みというものなのだろうか。

 しばし手に取った銃を眺め、その後に赤井沢の方を見る。

 その表情を一言で言い表すならば、愕然。

 文脈的に望んでいた答えであろうに、しかしその言葉を信じられないといった表情だ。

 彼女はその開きっぱなしの口から、数秒かかって声を絞り出す。

「え……い、いいの? だって……殺し屋と一緒に逃げるんだよ? 囚われのお姫様とかじゃなくて、殺し屋と―――それに、家族だって…………」

「まあ、家族には……上手くはぐらかして、一人旅に出たとかでも言えば良い」

「上手くはぐらかすって……そんな、実の息子を簡単に割り切れないと思うけど…………」

「ああ、大丈夫。実の息子じゃないから」

 それを聞いた瞬間、赤井沢の目が見開いた。が、すぐにその目は悲壮の色を帯びて、

「……ごめん」

「いや、謝られても……。俺にとっては、それがずっと当たり前だったんだし」

 それに、家族のこと云々さえ抜かしても―――一つ言えることがある。

 いくら現実的に割り切れると言っても、音無だって少年だ。こういった、ともすればとても不謹慎な感想を抱くことだってある。

 少しだけ、音無は思ってしまったのだ。

 魔法のビームが目の前を通り過ぎ、思わぬ事件に巻き込まれ、謎の少女が実は魔法を使う殺し屋で、更にはそれと一緒に別の魔法少女から逃げないかと誘われて。

 ああ、退屈な人生に思いも寄らぬ刺激がきたな、と彼が思わなかった訳がない。

 これから音無を襲う魔法を見さえすれば、そんな考えは即座に頭から吹き飛ぶであろう愚かな考えだが……それでも、少なくとも今の音無は、そんな暢気な考えで同意をした。

 地獄の門を押し開く。

 捨てるべき希望など、最初から持ってはいない。なら、あとは進むだけだ。

「あ、だけど一つお願いがある」

 そこで音無は、彼にしては珍しく自分から要望を提案した。

 この空気で赤井沢がそれを邪険にするということもなく、彼女は素直に応じる。

「なに? 出来る限りなら、叶えてはみる」

 実のところ、赤井沢は犯罪一歩手前のことであろうとも、自分の身が穢れるだけなら受けようと思っていたが―――音無が出した提案は、そんな煩悩に塗れたものではなかった。

「お前に――、」

 

 赤井沢朱音からしてみれば、こんな提案は狂気の沙汰そのものと言えた。

 自分と一緒に逃げてくれ、だなんて虫の良すぎる話。それこそ逆上して殴られたりしても文句は言えないだろう、けど痛いのは嫌だな、なんて考えを先ほどのバスルームでぼんやりと頭に浮かべていたのだが……。

 結果は快諾とは言えないまでも、渋々な承諾といったところだった。素直に白状してしまえば、ここで拒否された場合に音無を消す必要性すら出てきたかもしれないので、そこは本心からの安堵である。仮にも、依頼対象以外は殺したことが数回しかない彼女が音無を殺すとしても、流石に自身の住宅は選ばなかったであろうが。

 自分の口から、間抜けな言葉が漏れているのが分かる。自分から願い出たくせに、承諾されてから本当に良いのかなどと確認を取っているのだ。そんなことをして気が変わったりしたらどうするんだ、と思わなくもなかったが、それでも確認せずにはいられない。

 自分との……殺し屋との、逃避行。

 彼からしてみればあまりにも唐突に起こったこの出来事に対し、彼自身が上手く理解できていないのではないかと、そういう疑いを込めた確認。実を言えば、音無は少なからずこの刺激の多い世界に暢気な部類の興味を示していたのだが、そこには気付かなかった。

 しかし、提案しておいて何だが、本当に大丈夫なんだろうか。

 自分がナインの目の前に堂々と現れ、別の街へ逃げていくのを目撃させたりすれば、それで済む話ではないのだろうか。音無はそれで、元の生活へ帰れるのではないだろうか。

(……いや、依頼とはいえ彼女――じゃないや、彼女役か。彼女役を殺したのを、間近で見せちゃった訳だし……それに、魔法少女のことをばっちり見ちゃったしね)

 ここで自分が囮に成功しようとも、その先の保障は何もない。

 ならば、せめて自分が護衛役のようになるのが最適だろう――こんな職業に身を置いている影響で、学生らしい男女間の距離のようなものが分からない性格な赤井沢はそう判断すると、そこで音無が一つのお願いを求めているのを聞いた。拒否する訳もなく、むしろ自分で出来ることなら何でもしようと、冗談ではなくそう思っていたのだが……しかし、音無の提案は、別にそんな煩悩だらけのものではい。

「お前に対してさ、敬語で良いか?」

「……………………………は、はあ?」

 戸惑いを隠せない、むしろ戸惑いしかない表情で、赤井沢は少しだけ停止した。

 音無が言ったお願いを、心の中で復唱してみる。

『お前に対して、敬語で良いか?』

(……………………………………………うーん)

 いくら考えても、言葉どおりの意味しかないだろう。

 つまりこの少年は、自分が殺し屋と共に行動する代償として、その殺し屋に対し敬語で喋らせてくれれば良いと言っているのだ。

 思わず、赤井沢は先ほどと同じような確認を取ってしまった。

「…………え、えー? そんな簡単なお願いで良いの? てっきりこう、色々とナニをされるもんかと…………キミ、やっぱり自分の状況分かってないでしょ?」

「殺し屋に目を付けられ、その目を付けられた殺し屋が狙う殺し屋と逃げる算段を立てている……っていう状況ですよね。あ、もう敬語で良いですか? こうじゃないと、その、会ってそんなに経たない人に対して喋り辛くって。あ、俺に対してはタメ口で良いですよ」

 ちゃんと状況を把握している上に、承諾を待たないまま敬語を使い始めてしまった。

 額に指を当てて、少しだけ考える赤井沢だったが、やがて顔を上げると、

「ねえ、キミってその……上下関係とか厳しい世界で生きてたの? 運動部とか」

「いえ、無所属ですよ。あーでも、中学は剣道部だったし、その所為かも……」

 ところどころタメ語に戻る敬語だが、それは音無なりに馴染みやすさを演出しているのかもしれない。まあ勿論、普通に敬語をやめてくれたほうがよっぽど馴染めるのだが。

「まあ、いいか……」

 この際、そんな条件で済むのならそれに越したことはない。

 取り敢えずは同意を得られたので、次は詳細な魔法少女の説明や、具体的な逃走経路について話すことが必要だ。国家機密級の、魔法少女の秘密を知る必要が出てきてしまった音無には申し訳ないが、ここまでくると話すしかない。

(取り敢えずは、まず魔法少女について詳しく話しておくかな……)

 ともすれば、まず自分の魔法少女としての力である「ファイブ」の話をするのが最適だ。

「ええと、じゃあまず、簡単な説明から始めるね」

 と言い切るか否かというところで、音無の口が大きく開かれた。というか、欠伸をした。

「ふぁぁぁあ…………あ、すいません。説明邪魔しちゃって」

「いや、良いんだけどさ……」

 言いながら、赤井沢はチョコレート色の掛け時計を横目で見る。まだ午後七時半。

(まあでも、今日で色々あったからね……そりゃ疲れも溜まる、か)

 そろそろ音無だけでも寝かすべきだろうか、と考えたところで赤井沢は、自分たちがまだロクに食事をしていないという事実を思い出した。人によって様々だろうが、赤井沢にとって午後七時半とは、夕食の時間にしては遅い部類の時間である。無論、消化の早さということが理由としてあるのだろうが、それ以前に午後七時半は通常では依頼が入り易い時間である為に、午後六時半にほんの少し食べ、依頼後にまた少し食べるという食生活が主になっていたのだ。

「あ、じゃあさ、そろそろご飯にでもする? お腹空いたでしょ」

 知人の死体を見たその日に食欲がある人間など普通いないのだが、聞かれた音無は平然とした様子で答える。

「はい、確かに減ってきましたし……ああでも、あんまり迷惑は掛けられないなあ」

「……? いや、別に良いよ? どうせ、しばらくは帰れなさそうだしね」

「ん、……やっべ」

 小声で何かを呟くと、音無は自分のポケットから携帯を取り出した。どうやら超速飛行でも落下しなかったらしく、ヒビも入っていないようである。

「どしたの?」

「すいません、ちょっと家族に連絡させてもらって良いですか? 捜索願とか……まあ、万に一つでも出されたら困るし」

「万に一つって……」

 言いかけたところで、両親(もしくは片親)が義理だという言葉を思い出し、変な詮索はしないよう言葉を噤んだ。それを僅かな動作だけで察知したのかどうかは分からないが、音無は首だけで小さく会釈すると、大きな窓を開けてベランダへと出て行く。

 後ろ手で窓を閉めながら携帯を操作しているであろう音無の後姿、それを眺めながら赤井沢は僅かにだが溜息を吐いた。

 疲れる。敬語もだが、同年代の異性と長時間喋るという経験がまずなかったのだ。

(うーむ、あの子は随分と落ち着いてるなあ……)

 ふと、心中で思ったそんなことを深く考えてみる。

 今日だけで起きたことを振り返ると、それだけで音無という人間の「命の価値観」というのが変わってしまいかねないようなことばかりだ。しかし、そんな事態でも冷静に対応可能なのは……複雑らしき家庭事情が、やはり一因として挙げられるのだろうか。

 何を話しているかは分からないが、しばらく通話はかかりそうだ。その間に夕食の準備でもしようかと、赤井沢はキッチンへと向かった。広いとは言えない部屋なので、数歩で着く距離にあるキッチンに立つと隅に鎮座している冷蔵庫を開く。

そこには見事に、ジュースとチョコ類のお菓子のみが入っていた。

「…………」

 何も言わないまま冷蔵庫を閉め、その下の段にある冷凍庫を開く。

 アイスと僅かにだが冷凍食品「カニクリームコロッケ」が入っていた。

「…………!」

 驚愕に彩られた瞳を見開き、冷や汗を拭いながら赤井沢は少しだけ唸る。

 とどのつまりロクに食品がないのだが、まさか出会って初日の食事がコンビニ弁当では可哀相だ。しかし、今からスーパーへ行くと流石に夕食になるまで時間がかかりすぎる。

 結果として、一つの答えが赤井沢の脳裏に浮かんだ。

 数分後、通話を終えた音無がベランダかた戻ってくると、少しだけ硬い表情で赤井沢は、

「ね、ねえ! 今日はせっかくだし、外食にしない?」

 金が入りやすい仕事で良かったと、赤井沢は久しぶりに安堵したのだった。

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