再戦・九番目の魔法少女
正直な話、音無は魔法少女ナインの到来と共に飛来したその閃光に対し、微塵の恐怖も抱いていなかった。それもその筈だ。彼のポケットには、かつてあの隠れ家を守っていた魔力障壁装置と呼ばれる代物が捻じ込まれていたのだから。
だからこそ、いくら魔法少女が放つビームだろうと、簡単に防げると確信していた。
だが、一つだけ彼は勘違いをしていたのだ。
わざわざ赤井沢が叫んだ理由を。常時魔法を弾くフィールドは展開している筈の装置に対し、「何かがあるから気をつけろ」という意味で言った言葉だと気付くのには、音無には数瞬かかった。
そしてその数瞬の間に、緑の命を摘み取る閃光は迫り来る。もうとっくに弾かれても良いはずの範囲なのに、まだまだこちらへ向かってくる。その途中で、やっと音無は気付くことができた。その閃光は、魔力障壁など完全に突き抜けてきている、ということに。
だがそこで横合いから手を出した赤井沢が、音無の手元の魔力障壁装置に手を添え、軽く前方に押した。だがその僅かな動作で魔力障壁装置は軟式ボールの如く飛び、向かってきた緑色の閃光に正面から激突する。
「う、そ…………」
どちらかが、あるいは両者がそう呟く。絶対に魔法を寄せ付けない魔力障壁装置。それが何故か、魔法による光線で射抜かれ、目の前で破壊された。
素早い動作で赤井沢は左手の甲を突き出し、緑の閃光を跳ね返す。が、その顔はお世辞にも余裕とは言えない表情に染まっていた。
「魔力障壁装置が……壊れた?」
呆然と呟くも、敵は待ってくれそうもない。赤井沢は音無を正面から抱きかかえるような形になると、素早く飛行を開始した。取り敢えずは正面にあるビルへと飛行し、その屋上へと足を付ける。だが、このままでは確実に数秒後にはナインが向かってくるだろう。もしかしたら既にくるかもしれない。寿命が数秒延びたところで、恐怖が長くなるだけだ。
だから、このまま終わるつもりも毛頭なかった。
「音無君!」
「了解です!」
予め、赤井沢宅で話し合っていたあることがある。
それは音無の荒唐無稽な発案が元になったアイデアであり、しかしそれは成功すれば勝率がぐんと跳ね上がるものにも違いは無い。
だからこそ、音無はポケットに入れていたもう一つの「保険」を取り出す。それを目の前の赤井沢に手渡すと、彼らは向かい合った。
「死ぬときは一緒だからね」
「怖いこと言わないで下さいよ……」
冗談めかしつつ、お互いの生存を祈る言葉をかける。そして彼らの片方はビルの屋上から階段へ続くドアから駆け下り、もう片方はビル屋上にそのまま突っ立っているのだった。
ナインとしては正直な話、今晩の追跡というのは絶対に避けたいと懸念していたことだった。それは自らの使う特殊魔法の弱点の露呈に繋がる、という意味で、だ。
(幸い、赤井沢朱音と音無隆盛はそれに気付いていないようですが……)
むしろ、彼らの会話を盗み聞きした限りでは、まだナインの能力を「消す魔法」だと思っている節がある。それもあながち的外れではないのだが、それではこの弱点に気付くことは不可能だというものだ。
(流石に分かりませんか。まあ、私の魔法は全てを「断つ」性質がありますからね…………無理もないことです)
ナインは先ほどまで音無と赤井沢が座り込んでいた駐車場に降り立つと、すぐに高速の平行飛行で駐車場内を突っ切り、目の前のビルへと突っ込んだ。突っ込んだと言ってもあと数センチの場所で停止し、壁面に沿うように上昇を開始した、ということだ。
勢い良く上昇し、完全に上りきったその先で―――「それ」は彼女を待っていた。
黒いレインコートを身に纏い、下から覗くワイシャツは雨に晒されて見ている方が寒々しい。更に、そのいけ好かない表情でこちらを観察するかのようにみつめる瞳に――恐れやそういった感情は、まったく篭っていなかった。
そう。そこには、ナインが予想していた人物の片方――いや、これはもう、予想を見事に裏切られたと言っていい。
音無隆盛が、たった一人で立っていた。
まるで相手をしてやると言わんばかりに、こちらへ向けられる瞳。無機質とも言えるその瞳は僅かも揺らがず、ただナインの体を射抜く視線を放つのみだ。
(ば、)「――――馬鹿、なんですか?」
思わず、思ったことがそのまま口から溢れ出てしまった。しかし目の前の少年は、自殺行為というか、もはや戦車の前に段ボールの空気砲を装備して立ち塞がるような、ある種の滑稽ささえ滲ませる行為に及んでいるのだ。
「馬鹿はどっちですか、ナインさん」
その言葉に思わず反応し、音無隆盛の存在自体が罠である可能性をようやくナインに自覚させる。だが、どれだけ注意深く観察しようとも、周囲に赤井沢朱音の姿は見えない。
ましてや、この豪雨だ。いくら物陰に潜んでいようとも、完璧な奇襲が行えるような視界ではない。それはつまりナイン自身の視界も完璧ではないことの裏返しなのだが、そんな危険な賭けに出る為、わざわざ音無隆盛を囮に使うだろうか。
赤井沢朱音の人間性というのは、音無隆盛に対しては過保護とも言えるレベルのものだったはずだ。それが何故、こんな作戦に出てしまったのか。
だが、そこでナインは―――気付いてしまった。
目の前で突っ立っている音無の片手が静かに、僅かな動作でポケットへ突っ込まれるのを、その常人離れ視界で完璧に捉えてしまった。
「―――――――――――ッ!!」
油断した、と思いながらも、即座にステッキを拳銃に切り替える。この音無隆盛は、どこの店にも置いてある防犯用カラーボールと塩山が製作した閃光弾のみでシックスを撃退、更にデバイスを強奪さえしている。怪しい挙動をした場合、即座に攻撃するのが正しい判断だろう。即座に引き金を引くと、緑の輝きを宿した弾丸が音無の右胸を貫いた。
「ぁ、はぁ……っ!?」
瞬間、音無の口から血反吐が溢れ、後方に吹き飛ぶ。魔法少女の弾丸だったからか勢いは相当なようで、彼の体は五メートル後方にある屋上とビル内部を繋ぐドアへと叩きつけられ、勢い良く前のめりに倒れ伏した。
「え、」
思わず、ナインが声を上げてしまいそうになる。
あっけない。あまりにもあっけなく、音無隆盛が死んだ。
死体となった音無を見ても、特に何の感慨もない。だがここで赤井沢朱音が現れないのが、今までの情報から鑑みるに腑に落ちない点だった。彼女にとって音無隆盛とは、そこまで割り切って捨てられるような存在なのだろうか。
(まあ……その点はどうでも良いです。さて、流石に赤井沢朱音は立体駐車場へ行きましたか――――すぐ行かなければいけませんね)
即座に興味を失ったかのような表情で、無表情でその場から振り返り、立体駐車場の方向へと飛行を開始する。が、そこでそういえば、ナインの見立てではシックスのデバイスは音無隆盛が保管していたと予測を立てていた、ということを思い出した。回収しておくに越したことはないし、再び村崎 葵が戻ってきた場合は共に仕事をもう一度したい、という願望がないでもなかった。こんな社会に落ちてまで共に仕事をした、唯一の同僚なのだ。流石に未練がないとは言い切れない。
ともかく、デバイスだけは探ってみようと考え直し、ナインは再び振り返って音無の死体の元へと近づいた。
の、だが。
「…………………………………え、」
そこには、なかった。何がと言われれば勿論、音無隆盛の死体が、だ。
待て。何かがおかしい。シックスのデバイスはまさか――――、
「…………」
ナインはその場に停止し、周囲を注意深く観察するために周囲を見渡した。激しい雨音のみがその空間を埋め尽くし、大量の水が視界の邪魔をする。
(必ず……どこかに…………)
だが、そこでナインの思考は中断された。
いや、中断せざるを得なかった、と言った方がこの場合は確実に正しい。
ナインの、魔法少女の反射神経でも反応が遅れるほど、それは唐突なタイミングだった。
それはまるで、人の気が緩むタイミングを知り尽くし、どのタイミングでそれを実行すればいいのかが完全に読めているような――――そう、狙撃のプロのような、それは。
その紅き閃光は――――ナインの頭部を、僅かに逸れて削った。
「あ、っぁぁああぁぁああ!?」
高低がはっきりしない音程の、不安定な呻き。猛烈に頭部の右側が熱かった。まるでいきなり、高温の何かに直撃されたような……「痛み」より「熱」が優先して伝わってくる。
まさか。あの赤い閃光は、まさか。
(まさか……っ!!)
ナインは静かに、弾丸が飛来した方向を見据える。それはビルとは反対側の――先ほどのパチスロ店の、駐車スペースから飛来していた。
もう姿も確認出来る。憎たらしいその顔の口が蠢き、何と言っているのか、ナインは聞こえなくとも動きだけで理解した。
「あーあ、掠っちゃったか。やっぱ視界が悪い日の仕事は嫌だよねー」
「まったく同感ですよ……!!」
左の額に青筋を浮かべながら、ナインは思わず返事をしている。
いつもの冷静な自分が失われていることを自覚しつつ、しかし頭の中で沸騰した怒りと痛みと熱さで、そんなことはどうでもよくなっていた。
実に、簡単な手品だったのだ。
シックスのデバイスで使用出来る特殊魔法「人相」は、対象(自分含め)の顔だけでなく身なりや体格まで、完全に別人に切り替えることが出来る。ナインの依頼人がナインに対し、「それだけじゃないよね」と言っていたのはこのことだろう。そして前代未聞だが、赤井沢朱音は他の魔法少女のデバイスを用いてその特殊魔法を行使していたのだ。
失敗すればどうなるかは分からない、ということは百も承知だった筈だ。それなのに赤井沢朱音は、そんなリスクなどまるで考えないかのように――作戦に組み込んでいる。
今まで恐怖を感じてきたことが片手の指で足りるほどしかないナインが、本当の戦慄を覚えた。思わず、鳥肌が立つ。
追跡を専門とするナインだが、それも自らの使う特殊魔法に所以しての専門だ。悔しいことに、飛行速度は赤井沢に遠く及ばない。それは既に二日前、既に痛感している。しかも、ナインは今のところ、赤井沢の弾丸によって頭部の右側を激しく傷つけられている。幸い体を動かしたりだとか思考などに影響はないようだが、いつ失血多量で死ぬか分かったものではない。耐久性や力が異常だとはいえ、構造はただの人間となんら変わらない魔法少女は、一度傷つけられれば失血して死ぬことなど普通に有り得る。
だから、ここでファイブを――赤井沢朱音を始末する。逆に、これが終わってしまえばあとは音無隆盛だけだ。取るに足らないビーム一撃でそちらは片が付く。つまり、本当に重要な戦いはここだ。
未だ赤井沢は、間違いなくナインの使う特殊魔法を誤認している。そこに必ず、付け入る隙が生じるはずだ。
(……さあ行きますよ、『正義の味方』さん!)
口には出さず、しかし確実にナインは赤井沢との距離を詰めていく。
まさか本当に上手くいくとは、赤井沢朱音本人からしてみても予想外だった。
魔法少女のデバイス、しかも他人のデバイスを調整なしに使用するなど、どう考えても自殺行為なのは彼女自身も理解していたのである。
言ってしまえばこれは、音無隆盛の発案によるものだった。流石はあの異常とも呼べる思考による発案なだけあって、効果は覿面だったようだが。
魔法少女は、自分のデバイスの魔法しか使用することが出来ない。そんな謎の法則が、自然と彼女らの間では浸透していたのだ。それは暗黙の了解のように、「それが当たり前」という風に彼女らの思考を蝕み、前提を固定していた。だが、そんな前提はまず、誰に言われたものでもない。固定観念さえ取っ払ってしまえば、間違いなく他の者のデバイスも使えるということに気付くはずだ。ナインは、それに気付くことが出来なかったのだろう。
そして赤井沢は――厳密には音無は、だが――その固定観念を利用し、彼女に甚大なダメージを負わせた。
恐らく、ここから高速飛行で逃げてしまえば、それはそれで勝利に繋がるだろう。遠目で見ただけの着弾だったが、あの掠り方からして間違いなく、傷口は相当酷いものになっている。あと三十分もすれば、身動き一つ取れなくなるはずだ。
だが――――、
「その三十分の間に、立体駐車場に戻られても困る……よね」
つまり、ここでナインを始末するしかない。
幸いなことに、ナインは手負いだ。今なら十分に殺すことが出来る。
ならば、ここから一気に攻めるのみ。
(よし……行くよッ!)
再度デバイスの拳銃を構え直し、標準を合わせにかかる。合わせると言ってもそれは一秒に満たない僅かな時間であり、多少狙いが逸れても十分なダメージを負わせる余波を、この魔法少女の弾丸は持っていた。
引き金を、引く。射出された赤い弾丸は残像を残しながら、雨を蹴散らしナインへと向かった。今度は寸分の狂いもなく、脳天を直撃する弾道。間違いなくこれで仕留められる。
だが……あと数十センチ、それだけ迫れば間違いなく脳天が抉られる、そんな距離で。
ナインが行動を起こした。
真っ直ぐ、赤井沢が放った弾丸とまったく同じ、しかし真逆の弾道を描くような弾丸を射出したのだ。それは二日前、立体駐車場で起こった光景の再現のようにも見える。互いの弾丸は相殺され、あらぬ方向へと飛んで行った。だがこの場合、ナインが行動を起こした理由は次にあると言っていい。
「……!? な、」
僅かな衝撃が胸部に走った。魔法少女の鎧は通常の兵器ではまず衝撃すら走らない耐久度を有しているため、明らかにナインの放った弾丸である。にも、拘らず。
(弾道どころか、残像すら見えない……!?)
魔法少女の弾丸は通常、発光するという余計な装飾によって僅かに残像、というか軌跡が生じる。それは常人にも視認出来るほどの発光である為、真夜中の雨天で赤井沢に確認出来ないわけがないのだ。
それが、何の前触れもなしに、赤井沢の鎧の胸部に着弾した。
まるで、「着弾する」という結果のみがそこに存在するかのように。
とにかく、このまま狙撃し続けるのはまずい。赤井沢の経験に基づくその判断は、とても正しいものだった。
事実、赤井沢がその場から後退したその刹那、赤井沢が今までいた場所のコンクリートが突然抉れたのである。まるで銃撃されたかのような、不自然な抉られ方だった。
「――――ッ!?」
間違いない。
ナインはこちらに、不可視(と推測される)の弾丸を放ってきている。雨天で視界が悪い中、狙撃を得意とする赤井沢が有利だと思ったが、それは大きな間違いだったようだ。
むしろ、逆。ただでさえ悪い視界の中、不可視の弾丸など回避の方法がない。一応、魔法少女の視力を極限まで酷使すれば雨粒を弾くその弾丸が見えるかもしれないが、それも連射されれば追いつくはずがなかった。
(あーもー、やっぱりこの件で一番厄介なのはコイツか!!)
事件に巻き込まれる才能。今回はそれが、途轍もなく悪い目で発揮されてしまったらしい。だが、そこで諦める赤井沢ではなかった。
彼女は後退した場所から一歩踏み出しながら、両手を顔の前で交差させる。そして、まるで突進のような勢いで一直線に高速飛行をした。無論、ナイン目掛けて、だ。
「――――な、そんな」
流石にナインも面食らったようで、頬を引きつらせている。その動揺で生じた隙を、彼女は見逃さなかった。
「……っらぁぁあああ!!」
まず「女の子らしい」とは言えない雄叫びと共に、交差させていた片方――右腕を素早く横へ薙ぐような動きで広げる。その右手はナインの左手を弾くように広がったため、ナインの左腕も大きく広げられてしまう。
シックスの時も使ったような戦法だが、今回は違う。ナインの右手は先ほど損傷した頭部の右側に添えられていたため、がら空きの状態となっていたのだ。
が、そこで赤井沢は殴るでも蹴るでもなく、至近距離で拳銃を構えた。触れるだけで全ての物体を「消す魔法」を持っている相手に自分から触れるほど、馬鹿なアクションをする気はない。
左手に持っていた拳銃は空中である為か僅かに標準がずれるが、この距離で放てば逆に掠らせる方が難しいというものである。
そして赤井沢は、躊躇なく引き金を引く――――その寸前。
ナインは自らの頭部に添えていた右手を、大きく前方に振った。その右手は掠っただけとはいえ相当酷いはずの傷口を抑えていたもので、手の平が血に塗れていることは想像に難くない。
大量の血飛沫が、赤井沢の顔面へと飛来する。
(う、そでしょっ、マジで!?)
何とか首を捻って回避しようとするも、予想より大きい範囲で広がった血飛沫は赤井沢の両目に直撃した。何とか目蓋は閉じたものの、今すぐはナインを確認出来ない。
感覚のみを頼りに、再び両腕を顔の前で交差させながら後方へ高速移動する。しかしそれでパチスロ店の壁面に直撃しては目も当てられないので、勘に任せた位置で上昇飛行へと切り替えた。途中、何発か胴体に弾丸が着弾したらしく衝撃があったものの、頭部に放たれた弾丸は一発もなかったのか、交差させていた両手の鎧に着弾した弾丸は皆無である。
「はぁっ…………びっくりしたあ………………」
尚も上昇しながら、手の甲で血を拭う。何の区別もつくはずがないのに、それがナインの血液だと思うだけで酷く寒気がした。ゆっくり目蓋を開くと、明瞭な視界が保たれていることを確認する。
周囲を見渡すと、随分高度を上げてしまったのが分かった。周囲のビルは皆眼下で、稀に立っている超高層のマンションなども追い越してしまっている。完全に上がりすぎた。
魔法少女の弾丸の最大射程というものは分からないが、ここからではナインを見つけることもままならなそうだ。降下するしかない。
が、なるべく降下中を狙われないように、高速の垂直降下をしようと赤井沢は下を見渡す。着地点はどこにしようか、と思案し、結局先ほどのパチスロ店に決めた。
両手を交差させ、風圧から顔を守る準備も整った――まさにその時。
今度は左肩に、衝撃が走った。
まさか。こんな高度に、赤井沢の高速飛行に少し遅れる程度の時間で。
ナインも、上昇してきたというのか。
(……まずいっ!!)
着弾した衝撃から、ナインが発砲してきた方向は分かる。だがそちらではなく、更に上――雨雲を目指し、急上昇を開始する。
天空へと飛行しながら、少しだけ後方を確認する。だが、ナインの姿は確認出来ない。ナインの鎧に奔った緑のラインも、視界の隅にさえ入らなかった。
(どういうこと? まさか地上から狙えるとも思えないし……)
だが何にせよ、相当まずい状況に自らが置かれていることを、赤井沢は感じ取っている。ナインはどうにかして遠方から、しかも正確に不可視の弾丸を放つことが可能。しかも触れるだけであらゆる物を消滅させる魔法を持っている。
赤井沢の狙撃だって、それなりに近くなければ正確とは言えない。それを遠方から、または近距離だとしても即座に標準を合わせて射撃している。回避は、まず不可能。
そもそもの話、発砲音がしないのだ。
いや、違う。発砲音どころか。
(…………………………………………………………………………………あれ?)
僅かな、だが今までの前提が全て塗り替えられるような、何かの断片。
雨雲の中に飛び込みながら、赤井沢は必死で頭を動かす。
雲中に入った直後、今度は横への飛行を開始する赤井沢。突っ切るよりも平行移動で雨雲から雨雲へ飛行したほうが、ナインも赤井沢の姿を捕捉し辛いだろうと踏んでの行動だ。
(そうじゃない。……ナインのヤツが見えない銃撃をしてきている、っていうのは確か。だけど、それ以前に…………)
口から、意図せず言葉が溢れる。
「……ナインは、デバイスを持っていない?」
そうだ。
先ほど、赤井沢が至近距離でナインの腕を薙ぎ払い、銃撃しようとした時、ナインは左手にデバイスを持っていなかった。右手は頭部を抑えていたから、左手に所持していないとなるとあとは落としたという可能性しか残っていない。
いや、違う。
「『持っていなかった』んじゃない…………『持っていないように見えた』……」
赤井沢が使った、「人相」を使っての奇襲と同じ。
ナインの魔法で、「持っていない」と認識させた……としたら。
(でも、前提条件として特殊魔法は一つだけ。ナインは『消す魔法』……だか……ら……)
だから? だから、何だ。
ナインの魔法が物体を「消す魔法」だと、誰が決めたのか。
ただの予測で話を進めすぎて、その予測が事実だと勘違いしていた。
違う、これはただの予測であり、赤井沢の妄想と言ってもいい存在。
事実を客観的に見れば、答えなど簡単に分かる話だ。
「消す魔法」ではなく、「見えなくする魔法」。それはつまり、
(―――『透明化』……! それが、ナインの魔法の正体!?)
触れた物を消すのではなく、透明にする。触れた人間を消滅させるのではなく、不可視の状態にする。先ほどからの弾丸も、魔法により透明になった弾丸だったということだ。
ならつまり、ナイン自身も透明になれるという可能性が、限りなく高い。
見えない、狙えないということはつまり、赤井沢得意の射撃がほぼ意味を成さないということだ。そこに普通なら絶望感を憶えるだろうが、それは人間に当て嵌めた場合の話であり、赤井沢朱音はまず人間とカテゴリされるものではなかった。彼女は五番目の魔法少女であり、それでいて筋金入りの諦めの悪さがある、とても厄介な存在である。
そして赤井沢朱音がナインと近接戦闘していた頃、音無隆盛は死体になどなっておらず、立体駐車場前まで走っていた。道中少し寄り道をしたが、目前には立体駐車場があり、あと一分もしないうちに隠れ家に辿り着けるだろう。ちなみに、依頼人を殺すというアイデアは道中でのものだった為、音無の手元に武器などは一つしかない。道中の店で(自動ドアを無理矢理こじ開けた。非常ベルが鳴ったが、レインコートを着ていたから監視カメラなどに映っても問題はないはずだ)手に入れた防犯用のスタンガンだ。それ以外はあるとすれば自分の携帯と財布ぐらいのもので、もし依頼人が拳銃などを持っていたら即死する自信がある。というか、その可能性の方が高そうだ。
死体は全て回収されたようで、周囲には進入禁止を示す黄色いテープと大きな血痕しか残っていなかった。見張りの警備員というものもいないようで、想定の数倍容易に立体駐車場へ侵入できたことになる。
ちなみに、音無は一つだけ、頭の隅で仮説を立てている。
依頼人についてのことだ。
彼または彼女は、確実に赤井沢の知人だということがまず断言出来る。何故ならそれは、繰り返し呼ばれてきた赤井沢の別称があるからだ。
「正義の味方」。
これは確かに赤井沢の生まれ持つ才能(普通に不運ではないかと音無は思うのだが)を上手く表した呼称だろう。だからこそ、だ。その悪運とも呼ぶべき才能を知っていなければ、ここまで的確な名称はつけることができないはずである。
赤井沢が友人でもない赤の他人と喋るようなタイプには見えないし、そもそもの話で普通の友人がいるかも疑問なところだ。つまり、赤井沢が自分のことを話す程度には近しい人間が依頼人だという仮説が成り立つ。
これも、ただなんとなく名付けた別称だったりすればあっさり瓦解する仮説だが、そんなものこれからすぐ確認出来る。
音無は非常階段から五階まで上ると、駐車スペースへと足を進ませた。
そこから数歩進めば、隠れ家の入口目の前である。
「さて……、と」
よくよく確認してみれば、そのドアは鍵付きの倉庫のようにカモフラージュされていた。こんなところに倉庫などある訳がないが、立体駐車場の隅にあるならばまだ倉庫の方が目立たずに済む、という判断なのかもしれない。
ドアノブに迷わず手をかけると、迷わず捻る。…………鍵は、開いているようだった。
(…………取り敢えず、フードを被っておくか)
レインコートのフードを片手で被る。真っ先に顔を確認されないための、ささやかな反抗というやつだ。深呼吸を一回して、
「…………っ!」
一気に、開く。全開になったドアから部屋へ踏み込み、人目で部屋の全てを見渡せるように壁に背を付ける。
その部屋は、一言で言えば異様だった。音無の記憶と照らし合わせてみても、別の部屋だと錯覚してしまうほど様変わりしている。古びた木製の卓袱台にはガスコンロではなく大きなコンピュータが鎮座し、そこから繋がったいくつものケーブルがもう一つの、比較的新しいテーブルの方向へと伸びている。もう一つのテーブルにも、そこにはブラウン管のテレビではなくケーブルに接続された小さなタブレット状のモニタが、合計十二個設置されていた。
そして音無が二日前寝かされていたベッドには――一人の男が腰掛けている。
その男は、もともとテーブルの上に積み重なって埃を被っていた本の一つを片手に広げ、黙々と読んでいた。遠目で見ても分かるほど仰々しい装丁の洋書で、音無には内容が微塵も理解できそうにない。
その男はこちらを横目で見ると、ほんの少しだけ――それでも一瞬だけ、だが――驚いたような顔を浮かべ、即座に「いつもの」にへらとした笑みに変わる。
そう――――いつもの、笑みに。
そこにいた男は、よく知っているなんてものではなかった。
「やっぱりか……」
音無は、呟く。
「やっぱり、あなたが依頼人だったんですね…………塩山さん」
そこにいたのは、昨日まさにこの立体駐車場で転落死した筈の――塩山 修だった。




