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正義と魔法の在り処  作者: 水城
第三章 逃走開始  七月十六日
10/15

拷問の真実

 次に赤井沢が目を醒ましたのは、眠ってしまった場所と同じ路面だった。アスファルトの独特な臭いと共に生々しい鉄と脂が混ざったような臭いを嗅ぎ取ったことで、完全に今の状況を思い出す。慌てて身を起こすと、すぐさま臨戦態勢へと自然に移行した。が、構えるべき拳銃がどこにもない。僅かな違和感はまるで口元に何もない喫煙者のような不安を赤井沢に抱かせ、みるみるうちに神経が鋭敏になっていく。

(……まさかだけど、奪われた? わざわざ眠らせるぐらいだし、殺すよりもそっちが先にするべきことだったのかも……)

 とにかくこの場から離れ、どこか物陰に隠れることが先決だ。だが、相手は魔法少女。その物陰に潜み、咄嗟の奇襲ぐらい呼吸をするように仕掛けてくることも十分有り得る。

(だとすれば……)

 安全なのは、やはり空だ。動作の一つも起こさず、言わば唐突に赤井沢は飛行を開始する。真上へ取り敢えず百メートルほど上がった赤井沢は、その上空から動く人影を捉えた。

 このひたすらに死体が積み上がる場所で、動く人影を。

「……あれは、」

 というかそれは、音無隆盛と見て間違いない。どうやらビルの屋上へ行き、双眼鏡で何かを見ている……らしい。ついでに言えば、周囲に魔法少女シックスの姿はなかった。

 何にせよ、音無に聞くのが一番早い。そう判断した赤井沢は、すぐさまビルの屋上へと降り立った。瞬間、音無の肩が大きく震えたが、すぐに平然とした表情で彼は振り返る。

「あ、赤井沢さん。もう眠気はないんですか?」

「眠気って、どうして知って……というかそれ以前に、どうしてここにいるの?」

「どうしてって、それは」

 音無は、赤井沢が想像していた言葉を一八〇度逆に位置させるような言葉を吐いた。

「シックスをやっつけたから……ですけど」

「―――――――――――――――――――――――えー、ええと。ちょっと整理させて」

 まさしく忘我しかけた赤井沢だったが何とか現実へ帰ってくると、まず音無の言葉の整理から始めることにする。

「キミが、シックスをやっつけたの?」

「はい。やっつけました」

「それは、普通に撃退したって意味? それとも別の事の比喩?」

「比喩と言えばそうですけど……ああでも、シックスのデバイス自体はここにありますよ」

 そう言って音無は、軽い調子で拳銃を赤井沢へと放った。それは赤井沢のものとは違い紫の装飾が施された拳銃で、シックスの物だと判断が出来る。

 だがそれでも、判断はまるで追い着かなかった。

「じ、じゃあ、音無君、まさか……私が寝てる間に、一人でシックス殺したの?」

「…………はい、俺が殺しました。だから今は、ナインのことに集中しましょう」

 いつまでもデバイスすら持っていないシックスのことに頭を割くより、いつ襲ってくるかも分からないナインのことで頭を働かせた方がよっぽど良い、ということを音無は言いたいのだろう。

 だが当の赤井沢はまだ納得出来ていなかった。

「でもどうやって……いくら手負いとはいえ、一般人にやられるようなヤツじゃなかった気がするんだけど」

「カラーボールと空き缶でやっつけましたから」

「ますます分からないよ!? カラーボールはまだ何となく分かるけど、空き缶って……あ、ああ、塩山さんがよく作ってた閃光弾のこと?」

「はい。その後にカラーボールで視界を奪った後、蹴りまくりました」

「……案外えぐいことするね、キミ」

 呟きながら、一瞬だけ音無の足元に視線を向ける。幸いそれは気付かれていないようで、すぐに確認が出来た。

 靴に、血が付いていない。勿論、ただ拭き取っただけの可能性もある。下は死体の山となっているのだ、そこを闊歩して血が付かないわけがない。それに嫌悪を催し、自分で拭いたのかもしれない。

 だが、赤井沢は別の考えが浮かんで仕方がなかった。この音無という少年の、常に周囲に無関心な振りをする少年の心の底が、僅かながらに見えてきた気がしたから。

(……まさか、デバイスだけ奪って逃がした?)

 もしそうだとしたら、その優しさは大きな間違いだというものだ。それは普通の人間に向けられるべきものであり、魔法少女という存在に向けるにはおよそ不釣合いである。

「ねぇ、音無君。もしかしてさ、」

「はい?」

「…………シックスのこと…………………………あー、やっぱりいいや」

「え? な、なんかしました?」

「なんでもないって」

 無表情にそういう赤井沢は、しかし塩山の事だけは気付いていなかった。

「しっかし、その……ごめんね。ホント肝心な時に役立たずで」

「そんなことないですよ。というか、シックスの飛行を潰してくれなきゃ俺死んでました」

「でも結局、作戦も失敗したし」

「ああ、電車に轢かせるってあれですか。……まあ俺としては、そんな投身自殺みたいなことよりも、普通に殺してもらった方がいいんじゃないかって思いますけどね」

「…………」

 ここまで来ても、音無はシックスの心境を案じての殺しを考えていたらしい。まったく呆れた考えだが……それ以上に、頼もしくもある。そう、頼もしい。赤井沢さえ五分五分だった魔法少女に、たった一人と機転で勝利を掴んだ音無が、今は頼もしく見えてくる。これは、魔法少女になってから誰にも抱いたことが無い感情だった。

「本当に、ごめん。……ナインがきたら、絶対に守るからね」

「ついでに、返り討ちにしてくれると嬉しいですけどね」

 魔法少女と相対し相当緊張していたであろう音無は、既に冗談を言える程にまで回復したらしい。恐ろしいメンタルだ。

(…………そう、冗談にしかならないよ。ナインを返り討ちなんて)

 そんなこと、どんな魔法少女にも。いや、この世のどんな人間にも、無理だ。

 いくら頼もしい音無と赤井沢が同時に戦ったとしても、不可能なのだろう。

 ふと空を見上げると、一面が鉛色の曇天になっていた。そろそろ雨が来る頃か。

「……今日はもう、帰ろうか」

「そうですね。逃走のこともありますし、ナインが見てないとも限りません」

 明らかに見ている、ということは、赤井沢も音無も分かっていての言動だろう。

 ここまでの騒ぎになり、しかも自分の同僚を差し向けておいて、その様子を一度でも確認しないわけが無い。漫画のように、次々と敵へ刺客を送り出すのとは違うのだ。保険には保険をかけておくという発想は、当然のようにあるはずである。

 つまり、見ていて何もしてこない。しかも、音無にさえ何もしてこないのだ。先ほどの赤井沢が行動不能になっている状態でなら、音無のみを慎重に狙撃するような真似も出来たであろうに何もしない。不気味とすら思える態度というか、対応だった。殺したいのか殺したくないのか、それとも別の目的があって殺すことを延期しているのか。そんなことを考察する情報すらない赤井沢や音無にとって、ここは一刻も早く退散したところだろう。

(でも、こっちも慎重にいかないとまずくなってきたよ。……帰りは、動いてたら電車で行こうかな)

 ちなみにこの時、この死屍累々の大通りの中で、生存している人間はほぼいない。

 建物の中にいた人間を除けば、外にいた人間は全て死んでいる。

 しかし、この大通りの現在の生存者は、音無と赤井沢を除いてあと一名いた。

 それは流石に視認出来る位置にはいないが、確かに音無の赤井沢のすぐ近くにいたのだ。

 だが流石に、それを予想しろというのは酷な話だろう。

 ようやく響いてきた様々なサイレンの音を掻き消すように、赤井沢と音無は取り敢えずビルから離れる飛行を開始した。音無はお姫様抱っこの体勢である。

「……あ、そういえば私のデバイスは?」

「ちゃんと持ってますから、もう少しマシな体勢で抱えてください……」

 

 結局、自宅へ着く頃にはもう昼を過ぎていた。

 というのも、ビルからの飛行の後、無事に電車が運行していることを耳に入れた音無と赤井沢は、人通りの少ない小道を沿うようにして駅まで向かった。ここまでは良いだろう。しかし、その後に思いもよらぬアクシデントに見舞われてしまったのだ。

『――現在、人身事故の為、列車が大幅に遅れております。大変ご迷惑をお掛けしますことを、誠に申し訳――』

 というアナウンスが駅周辺に響き渡っているのを聞いた瞬間、二人揃って「ですよねー」と言い掛けたほどだ。流石に『近くに死体の山が積み上がっているため停まれません』とは言えないようだが、それもネットやテレビ上ではとっくに騒ぎになっている。中には赤井沢の鎧を目撃した人間もいたようだったが、それよりも音無の制服写真がネットを駆け巡っていると分かった時は戦慄したものだ。解像度を少し上げれば顔も見えるんじゃないだろうか、というレベルの至近距離だった。

 しかし、そんな至近距離で写真など撮れるだろうか。それこそ破壊の嵐のようなビームが辺りを射抜き、生存者など絶望的だったはずなのだが……。

 とにかく音無達は二時間遅れの電車に乗り、「これ歩いて帰ったほうが早かったですね」と音無が呟くと赤井沢が肘を叩きつけてくるという掛け合いの末にやっと赤井沢宅へと辿り着いたという訳だ。

「……しかし、お腹空いたなぁ。なんか買ってくれば良かった」

「赤井沢さん、家に食材あるんですか?」

「あ、朝ごはんで使いきったの忘れてた……」

 また出掛けることになりそうだが。

 がっくりと肩を落とす赤井沢に対し、音無はあまり落胆した様子はない。むしろ思考は別の方に削がれているようで、空腹を気にしている余裕もないといった印象だった。

 とぼとぼと歩きながら、赤井沢は横目に音無を眺める。

「…………音無君、随分考え込んでるね。シックスに何か吹き込まれた?」

「……あ、いえ。吹き込まれてはいないんですが…………」

 それだけ返すと、再び音無は黙りこくってしまう。これまで話しかければ――大概は質問という形でだが――会話が続いていたので、どうしても空回りしている様な気分になる。

(むぅ……暇を持て余す……)

 音無のように頭を四六時中働かせていた時期もあったが、この仕事は考えるだけ無駄だ。諦めではなく、経験則としてそれを理解している赤井沢からしてみれば、三分以上に渡る思考はもう頭の痛くなる行為となっていた。

 そんな赤井沢だからこそ、音無が質問をふと口にしたとき、顔が自然と綻ぶ。

「あかいざ」

「はいはい何の質問?」

「まだ何も……ま、まあいいです。その、変な詮索をするつもりはないんですけど、赤井沢さんが魔法少女の鎧を解除すると……何かなりますか?」

「何かって……凄い疲れたり、だね」

「例えば、服がなくなったりましませんか」

 すると赤井沢は一気に警戒心剥き出しの瞳になり、音無を睨みつけた。

「……キミはあれかな? 異性と一緒の逃避行だからってそういうのを期待してるの?」

 ぼかしを入れた表現だが、要は人間の三大欲求から食欲と睡眠欲を抜いたあれである。

 音無も自分の言葉足らずを自覚したのか、しかし今度は大して焦りもせずに返した。

「いえ、シックスが鎧を解除したら全裸になったので……」

「…………………………………あ、あっそう」

「え、何で素っ気無くなるんですか。答えてくださいよ」

「だから凄い疲れるって言ってるじゃん。滅茶苦茶疲れて、時々だけど眩暈とかもする」

 ……前情報の通り、体力以外のものについて赤井沢は浪費しない。いや、シックスのことから考えてみると、魔法少女は個々によって浪費するものが異なるということか。

 そう考えれば、立体駐車場で周囲の人間をほぼ撃ち殺したというのも納得がいく。それだけの数のビームは、単純に元となるエネルギーが体力ではなかったから放てたのだろう。

 だからこそ、逆に音無は引っ掛かったのかもしれない。

 話によれば、音無は片目をなくしたシックスにカラーボールを躊躇なく叩き付けたということだった。別に音無が冷酷だと言いたい訳ではなく、単純に「痛くないのか」という疑問なのだろう。体力があれば痛みを堪えられる上限も増える。しかし、ビームで消費していたりすれば痛みに対して余裕がなくなる。あくまでも音無は、自分の勝利をまぐれ勝ちではなくきちんとした理由を導いて考えたいようだ。

(真面目っていうかなんていうか……。案外、家計簿とかつけられる人なのかな?)

 見当違いにもほどがある考えを頭に浮かべながら、少しだけ頬を緩ませる赤井沢。脳内ではいつのまにやら赤井沢が働き音無は専業主夫の未来予想図が描かれている。

(……っていやいやいやいや。それはないって流石に、どうせなら男の人の方が働いてくれないと世間体も……っていやいやいやそういう問題じゃ……)

 独りでに思考の泥沼に嵌まり出しかけた赤井沢だったが、唐突に音無から、

「店、着きましたよ」

 と声をかけられたことによって、何とか現実に帰還した。

「えっ、あ、ああ、うん。ほら行くよっ」

「あ、ちょ、引っ張んないでくださいよ!」

 明らかに焦りの色が滲んでいる表情を浮かべながら、赤井沢は音無を引き摺って大型スーパーへと入っていく。自動ドアを通ると、片手で買い物カゴを取り出発した。

 

 ほくそ笑む。ただただ、ほくそ笑む。男がしていた行為は、ひたすらにそれだった。

 それは自分がやっている行為に対しての笑みではなく、他者への働きに対する笑みだろう。加えて、自分の目的が果たされるという意味合いに於いての笑みでもあった。

「それじゃあナイン、頼んだよ」

 男は言う。どこで買ったのか、缶ジュースを片手に持ちながら、男は言う。

「赤井沢朱音を、今度こそきちんと殺してくれ。サンプルを採取するとか、そういう御託や建前はもういらないよ。確かに彼女の戦闘パターンは未知数な部分があるけどさ」

 その言葉を受けて、すぐそばに直立していた少女はこう返した。

「……それは、失礼ながら、あなたの怠慢もあるのでは?」

「怠慢? それは酷い言いがかりだよ、みどりさん」

「職務中です、本名はお控えください」

「ナイン、キミはどうかな。もう赤井沢の戦闘は理解した? ついでに言えば、彼女の才能も……だけど」

「事件に巻き込まれる才能……ですか。そんなもの、戦闘で役に立つとは思えませんが」

「戦闘って時点で立派な『事件』だからね? でも、それは裏を返せば、ほぼ確実に戦闘になるということを意味しているんだよ」

「馬力と精密性では劣りますが、私の武装であれば戦闘は避けられるかと」

 すると男は溜息を一つ吐くと、やれやれといった様子で首を横へ振った。

 その仕草に少しだけナインが表情を顰めるも、それを気付いているのか気付いていないのか、男はそのまま続ける。

「そういうことが通用しない、かもしれない。例えばホラ、彼だよ」

「……音無隆盛、でしたか」

「そうそう。実質的には、彼がシックスを殺したわけだし」

「殺したわけではありません。シックスは命乞いをし――――」

 しかし、その言葉を続けることは叶わなかった。

 男が鋭い眼光を飛ばし、ナインを制したのだ。というより、睨んだという方が正しい。

「……シックスは『殺され』た。今は大事な大事な任務中だよ、ナイン。余計な手間は省こうよ。どのみち、もうデバイスがない彼女は死んだようなものだし」

「そ……そう、ですね。シックスは殺されました。手出しが出来る状況ではありません」

「まあつまり、彼みたいな事例が出てきた以上は、キミの武装でも安心して殺すのは得策じゃないってこと。あーでも、もうキミは例の装置を持ってるんだっけ?」

「はい。正常に作動することも確認済みです」

「なら、まあ…………もう有り得ないと思うけど、音無隆盛にだけは用心しておこうか。彼が『正義の味方』になるかどうかは興味あるけど」

 余計な手間は省くと言ったにしては、その音無隆盛に対して対策を立てない男だったが、明かしてしまえばこれに明確な理由はない。単純に、ただの人間に対していちいち目くじらを立てて対処する方が余計な手間だと思ったのか、それとも何かの興味を抱いたのか、男は自分でも判断出来ていなかった。

「しかし、かつての研究者もこのザマじゃあね。……あ、ついでに確認しておくけど、ちゃんと塩山の死体は見つかったの?」

「はい。火傷の痕を含め、完全に塩山さんでした」

「さん付けはやめてよ。きっと塩山の死体もそれを望んでるよ」

「死体に望むも望まないもないと思いますが……」

 ごもっともなことを言うナインだったが、男は明確な反応を返さなかった。興味を失ったのか、それとも――――興味など、最初から抱いていないか。

「一つ聞くけど、ナインはこの世で一番難しいことって何か分かる?」

「難しいこと、ですか……。よく、分かりません」

 男が抱き、求めているのは、最初から一つだけ。自分の行いも、世界も、全てが全て。

「正解はね…………あらゆる存在に於いて、正義になることだ」

 狂気じみた笑いが、死体の山に木霊した。

 

 簡単なインスタントカレーで昼食を済ませた赤井沢と音無は、既に次の行動も開始していた。次の行動と言えば作戦のようで聞こえは良いが、勿論惨めに逃げる行動の方である。

 具体的には、何故か赤井沢家で大掃除が行われていた。

「……………………赤井沢さん、ちょっと頭の処理が追いつかないんですが」

「なに言ってんの。もしこの家が逃走中にばれて、捜索されちゃったりしたら困るでしょ」

 困るでしょと言われても、音無に関する証拠がまさか見つかるはずもないし残した覚えもないので、完全に都合よく使われている。仮に髪の毛などが後々に拾われようと、この家が赤井沢宅だと発覚さえしていればそこに音無の頭髪などがあっても何ら不自然ではないだろう。つまり、これはもっと別の問題で赤井沢のみが困るということだ。

「その、取り敢えず、何をどう掃除すれば良いかだけでも教えてくれませんかね……」

「え? あーそうだね。とにかく、見つかっても問題がなさそうな衣服だとか本だとかはいいから、今までの依頼に関する書類とかを集めて欲しいな」

「……それ、うっかり見て大丈夫なんですか?」

「うっかり見たら首が飛ぶけど、まあ今も首の皮一枚くらいだし、大丈夫だって」

 首の皮一枚にした張本人に言われた訳だが、そこで激昂する音無ではない。素直に従い、それらしい書類を捜そうとまずはリビング内に目を向けた。

 普通の発想でいけば、書類を入れておくというならば棚とかファイルなどだろう。だがわざわざ集めて欲しいというからには、数箇所に点在しているということだ。そこから推測するに、分かり易い棚などには大した書類などは入っていなさそうだが……、

「……あ、音無君。リビングは私がやるから、今朝寝てた部屋から探してくれない?」

「分かりました……って、あの部屋布団しかないじゃないですか」

 返事をしてから気がついたが、あの寝室の殺風景さはなかなかお目にかかれるものではない。まさか壁に仕掛けがあって……という展開ではないかとも思ったが、マンションの一室であるこの部屋でそれはないだろうと結論付けた。

 昨日知った事だが、魔法少女は(少なくとも赤井沢は)かなり庶民的なのだ。

「うーん……んじゃ、私の部屋……は流石になぁ」

「やっぱり、俺がリビングやりますよ」

 音無としては最適な提案だったのだが、当の赤井沢はうーんと唸りを続ける。いったい何が不満なのかは分からないが、ここは赤井沢の判断に従うことにした。仮にもここは赤井沢宅だ、何か特別な事情でもあるのだろう。郷に入っては郷に従えというやつだ。

「……あまり気乗りはしないけど、音無君にはリビングを担当してもらうよ。あーでも、仕事関連以外のものはあんまりジロジロ見ないでよね」

「は、はあ。善処はしますけど……」

「ん、よろしい。それじゃあ、よろしくね」

 赤井沢はそう言うと、私室へ向かうためにリビングの扉にある取っ手に手を掛け、私室へと向かってしまった。

(まあ、とにかく探してみるか)

 そんなに分かり易い書類だとは思わないが、取り敢えず目に付いたテーブルからだ。これはどうやら冬季になると専用の布団をセットにコタツになる類のものらしく、テーブルの台座と足が分離する仕組みになっている。その隙間には凹凸が僅かだがあり、そこにコタツ用のケーブルなども乱雑に仕舞ってあった。

「……お、これは――説明書か。ならこれは…………」

 そうして取り出した書類五枚のうち、三枚は明らかに「仕事関連」の書類だった。綺麗に整えられた文面の書類でも、その中に「殺」の字が何回もプリントされていれば嫌でも目に付く。

 斜め読みした限りでは、赤井沢は本当に殺人の依頼が主だったらしい。それも大体が遠距離からの狙撃といったものだ。そういったことに多少の免疫がついてきた(きてしまった)音無だったが、中でも驚いたのはその依頼が全て音無の住んでいる街の周辺だったということだ。

「この街は比較的普通だと思ってたけど――案外、身近に潜む影ってのはあるんだな」

 呟きながら、最後の書類に目を向ける。するとそこには、少しだけ予想から外れた依頼内容がプリントアウトされていた。殺人に変わりはない。ただ、それまでの過程が別だ。

「……拷問?」

 イメージではないというか、音無としては信じ難い事実ではある。今までの印象からすると、赤井沢は会話と暴力で人から何かを聞き出すような真似は出来そうにないタイプに思えるからだ。悪い言い方をすれば、そこまで利口には見えない。しかし事実、書類を見る限りこの依頼は完遂されている。書類には完全に「達成」の文字があり、更に目を引いたのがその拷問場所だ。立体駐車場内の秘密部屋。

(それって…………俺が最初に寝てた部屋、だよな……)

 あの立体駐車場内全ての階層に隠し部屋があるならば話は別だが、ああいった部屋が支柱に数多にもわたって隠されていた場合、耐震が酷いことになるのは目に見えている。

 つまり、ほぼ確定で間違いはないはずだ。

「だから、何だ」

 自分に言い聞かせるように、音無は呟く。だから、何だ。自分の寝ていた部屋が以前の拷問部屋だったからといって、何が変わるというんだ。一瞬で頭を切り替えると、音無は拷問を受けた人物の名前を見た。顔写真も共に印刷されてはいるが、その上から赤いペンでXが記されているのを確認した瞬間、顔を憶えておくのは無意味だと判断する。

 名前は、坂城研介さかき けんすけ。団体名は伏せられているが宗教団体の教祖だった男……らしい。もうこの世にはいないであろう人物の詳細などどうでもよかったが、しかし音無はどうにもこの書類から目が離せなくなっていた。

「…………坂城、か」

 呟きながら、音無は更に書類を探る。すると、先ほどの拷問に関する書類の裏面に何か名簿のようなものが印刷されているのを発見した。ほどなく興味を失くし、それを床へ置きかけたところで、

(――――――――――――――――――待て)

 ふと、その手が止まる。何かを発見した訳ではない。何かに気付いたわけでもない。だが一瞬、ほんの一瞬だけ、視界の端を何かが通過したような……何か、見てはいけない何かを発見したような、焦燥感にも似た感情が音無の脳内を埋め尽くす。

 見てはいけない、のかもしれない。だが手は動きを止め、指の間に書類を挟んだままだ。あと数ミリ動けば床へ置けるのに、それがどうしても出来ない。

 何かが、あった。今、一瞬だけ視界を通過した名簿の中に。

(…………何かが……)

 たっぷり五秒使って深呼吸をすると、冷静な顔つきで音無は手元の書類に視線を下げる。名簿の先頭から、少しずつ読み進めていき、そして―――。

 それは、あった。

 音無の目が、一瞬で最大にまで見開かれた。瞳孔が開き、唇は一気に乾燥し、手は僅かに震えを始める。

やばい。そう告げていた直感は、やはり外れていなかった。

「…………ど、…………う、して………………………」

 そこには、ある女性の名前が記されていた。

 女性の名字は、音無。見紛うことのないその名前は、明らかに音無のよく知るモノ。

 宗教団体のリストには、音無の実母がその名前を並ばせていた。

 

 赤井沢は、大きな溜息を吐きながら自室に隠してある書類を漁り始めた。と言っても、実を言えば音無が考えているほど分散して置いてある訳ではなく、むしろ自室の本棚を漁れば大体は揃うぐらいに纏めてあった。流石に本の間に挟んだりだとかして第三者が探す手間を増やしたりはしていたが、それも数分で回収が終わる程度のものだ。

 それよりも嫌なのは、音無がリビングであの書類を見つけてしまうことである。自分のことを人殺しだと分かっている音無相手でも、拷問をした経験があると知られるのはあまり気分的に良いものではない。

(はあ……でもやっぱり、ちゃんと話さなきゃなあ)

 共に逃げると決めてくれたのだから、自分も彼を生かすことに全力を尽かさなければ。

 よし、と小声へ呟くと、集めた書類の束を部屋の隅に鎮座していたジュラルミンケースに放り込む。あとは数冊の本と、通帳や印鑑など、金銭的に必要な物のみを入れておく。

 立ち上がり、一回だけ深呼吸をすると、赤井沢はリビングへと足を進めた。

 そして赤井沢は、そこで予想通りの光景を目にする――はずだった。

「音無く――」

 声を掛けようとした瞬間、というか言いかけたその時、赤井沢は未知の感情を不意に憶えた。それは赤井沢が感じたことのない感情、という意味ではなく、目の前の相手からは絶対に発せられないと思っていた感情を察知したという意味だ。

 あらゆる喜怒哀楽が分かりにくい音無から発せられた、その感情は……、

「赤井沢さん」

 思わず、身を竦めた。ただ何気なく声をかけられただけなのに、身を竦めた。

 彼女は遠距離狙撃の仕事が多いとはいえ、腐っても魔法少女だ。近接的な荒事にも慣れており、鎧を展開しなくとも大の男の一人ぐらいなら余裕で捻じ伏せる力を持っている。

 その事実を全て正しく理解しているのにも関らず、一瞬だが怯えてしまった。

「な、なに? 音無君?」

 多少上ずった声で返すと、音無はいつもと変わらぬトーンで告げてくる。

「あの……これなんですが、宗教団体の教祖を拷問したっていう」

「……あ、ああ、うん。それがどうかしたの?」

 いきなり突かれた核心だったが、それよりも今の赤井沢の頭を支配しているのはただの焦りだ。自分は音無に何かをしてしまったのか、そんな焦りが何故か湧き出て止まらない。こんな感情、今まで一度たりとも、家族以外の人間に抱いたことなどなかったのに。

「この宗教団体って、今はどうなってるんですか?」

 この質問の返答次第で、赤井沢の今後の運命は大きく左右されることになる。それは当然、当事者である赤井沢の知るところではないし、今の赤井沢は謎の焦りによって平常の判断力が鈍りかけていた。

 ここでした返答は、どちらかと言えば間違いの部類に入るのだろう。

 赤井沢が紡ごうとした返答は、間違いなく音無との間に溝を作るのだから。

「どうって、私が全員殺したけど……」

 瞬間、音無は普段から考えれば有り得ないと断言出来るほどの感情を、その顔に浮き上がらせた――――気がした。

 気がした、という表現になってしまうのは、赤井沢の超人的な視力での観測であっても、『ほんの一瞬』としか感じないほどの表情の変化速度だったからである。現に、もう音無の表情は普段のそれと大差ない。というか、普段のそれだ。

 しかしいくら『ほんの一瞬』とはいえ、明らかに音無の表情は切り替わった。おかしい、とまでは言わないし(殺し屋をしている赤井沢におかしいと言われる筋合いはないだろう)、そこまで深く追求しても良いことはなさそうだが、ここで何事もなかったように逃走の準備へと移るというのも、何だかしこりのようなものを残しそうで気持ち悪い。

 結果、赤井沢は音無に対して素直に問い掛けた。

「あの、音無君。私、何かしちゃったかな……?」

 しかし、返ってくるのは無言と静寂のみだ。明らかに平常ではない。

(え、ええと、さっきまで普通だったよね……? なら、私が潰した宗教のことで何かあったのかな……。いやでも、音無君自身は完全に一般人だし…………って、)

 音無自身が一般人でも、それ以外は?

 必死に考えた甲斐があった、と言っていいものかどうかは分からないが、取り敢えずは赤井沢の脳内で、それらしい仮説が組み上がった。組み上がるというよりは偶然浮かんだ、という方が遥かに正しいのだが、それでも思いついたのは赤井沢に他ならない。

 赤井沢は意を決して、音無の方へと一歩踏み込んだ。更に一歩進めると、音無が手に持っていた書類が何なのか察しがついた。ついて、しまった。

 その距離からでも、その名簿に羅列されている名前を読み取るのは容易だ。しかし、それでも最後まで赤井沢はこの仮説が外れているようにと祈っていた。祈らずにはいられなかった。

 だがそんな祈りでさえ、現実は非情に打ち砕く。

 赤井沢は僅かに息が乱れているのを自覚しながら、音無に向けて呟いた。

「……音無君の、本当の親って…………」

「…………はい」

 そこでようやく、音無は言葉を発してくれた。だがそのタイミングは、赤井沢にとってみれば嬉しいものでも何でもなく、ただ自分の首を絞められるような行為でしかない。

 音無は言う。

「赤井沢さんに殺された……らしい、です」

 今度の静寂は、無言とかそういった生易しいものではなかった。最早、音が消えている。僅かな動作すら爆音に聞こえるほどの、張り詰めた空気。どれほど足掻こうと必ず全神経を集中させられる、強制的な空間。

 それは久しぶりに赤井沢が経験する、大きな動揺というものだった。足場が崩れるというよりも一瞬で消えて、どこまでも深い奈落へ落ちていくかのような感覚。

 初めて人を殺した次の日は、この感覚にずっと襲われていたものだ。

 そう、今の赤井沢は、人の命を奪ってやっと分かった感覚を、既に殺戮を繰り返した現在で、今度は人の命を奪うこと無く再び経験している。

 それがどういう意味を持つのは、少し考えれば分かることだが――今の赤井沢には、そんなことを考える頭の容量は残っていなかった。

「…………、……」

 何かを言おうと口を開くも、しかし肝心の言葉が出てこなかった。簡単に言葉が口から溢れるようなら動揺とは呼ばないだろうが、赤井沢自身、自分が動揺していることすら気付いていない。

一方の音無も、今度は完全な鉄仮面を被ったが如く無表情になったままだ。しかし、今まではイメージ的に『顔の皮が厚い』ぐらいだったのにも拘らず、今度は完全に『鉄仮面』だ。最早、言葉でどうこう出来る話ではないかもしれない。もう、そんな段階はとっくに通り過ぎてしまっているのかもしれない。

 だから赤井沢には、何もすることが出来なかった。

 ただ俯いて、何故か視界を歪ませる何かを零すことしか出来なかった。

「え…………あれ、」

 いつのまにか滴っていたそれは、もう既にポタポタとフローリングに零れ落ちている。

 何だ、おかしいぞ。自分は散々人の命を奪っておいて、どうして今更こんなことに……。

 とうの昔に錆び付き、もう役目を成していないと思っていた涙腺は、未だに機能していたようだ。

 それを見た音無も、多少驚きはしたものの、明確な反応を口に出したりはしていない。助かる、と赤井沢は内心で思った。今、声をかけられたら、多分もっと大変なことになる。

「ごめん……」

 あれ? どうして、自分の口が勝手に動くんだ?

 やめろ。やめてくれ。

「……本当に、ごめん…………。結局、キミを……」

 キミをこんな所まで貶めたのは――最初から私だった。

 親を殺し、金で釣られていたとはいえ仮にも恋人を殺し、そして自分の都合に巻き込んで。世界中を探しても、これほどまでに他人の人生を狂わせた奴はそうそういないだろうというくらいに。

 死んでも償いきれないくらいの罪が、最初から赤井沢にはあったのだ。

 彼女が魔法少女となった、その時からずっと。

(……ご、めん、なさ…………い)

 ただ静寂の中で、赤井沢は一人、泣き崩れた。それしか、出来ない。

「……あの」

 そんな時、声が聞こえた。

 聞き間違えるはずもない、音無の声だ。赤井沢は嗚咽こそ止められないものの、顔を上げて音無へと向けた。罵られるなら、まだ罵られるだけマシだ。そう思いながら。

 呼びかけた音無本人は、しかし困り顔で頬を掻きながら呟いた。

「その、……ええと。駄目じゃないですか、殺し屋が、人を殺したことで謝ったりしたら」

 ………………完全に、思考が沈黙した。

 しかし赤井沢の回らない思考になど関係なく、音無は続ける。

「気にしてない……とは、大嘘なので言えませんけど、でもそんなことで一喜一憂しちゃ駄目ですよ。そ、そうだ、そうです、本当は俺みたいな図太い神経を持ってるべきなんですよ、あなたは。だから、」

 そう言うと、音無は静かに苦笑を浮かべた。

「泣かないで下さい。こっちまで泣きたくなっちゃうじゃないですか」

「………………………………………………………で、でも、……私……」

「大丈夫です。何だかんだ言って、赤井沢さんって主人公タイプですから」

「…………え?」

「ほら、前に赤井沢さん言ってたじゃないですか。トラブルに巻き込まれるような才能がどうとかって話です。それの答えですよ」

 それを聞いた瞬間、いや聞く寸前から、赤井沢の周囲の空気は変貌していた。張り詰めた糸のようにいつ切れてもおかしくない緊張から、弛緩した空気へと。

「その才能って、お話の主人公みたいで格好良いなって思ったんです」

 疫病神。今までそう呼ばれ続けていた過去が、遠くに吹き飛ばされるような感覚がした。何故か、久方ぶりに温かみというのを感じた気が。

「主人公……」

 赤井沢は復唱しながら、その言葉を噛み締める。心地良い。

「…………ありがと、音無君。優しいんだね」

「そうでもないですよ」

 相変わらず可愛くない返事をする音無。しかし、赤井沢はそれでも満足だった。

「さあ、赤井沢さん。逃げる準備をとっととしちゃいましょう」

 

 そして九時間後。無事に夜食も済ませた赤井沢と音無はベランダに出て、完全に準備完了となっていた。準備と言ってもそれは、赤井沢がこの夏場だというのにポケットの多いコートを着て、更に魔法少女になるというものでしかないのだが。

 職業上赤井沢は銀行の口座をいくつか持っているらしく、その通帳とカードを全てコートのポケットに突っ込み、更にその上から魔法少女の鎧を着用すれば落とす心配もなくなる、という訳だ。確かに、鎧を身に纏うとそれ以前に着用していた服の質量が殆どゼロになるという、変身ヒーローの盲点を付いたような……言ってしまえば重箱の隅を突くような作戦なのだが、赤井沢自身が大丈夫と言っているから大丈夫なのだろう。

 空は既に酷いぐらいに雨雲が覆っており、雨が絶え間なく降り続けている。音無はそのまま妙に重いワイシャツの上に黒のレインコートを着込んでおり、それは赤井沢も同じだ。しかし唯一違う点は、赤井沢は魔法少女の鎧の上から更に、肥満体型用の黒いレインコートを着ている。流石は魔法と言ったところか、鎧の下に着ているものは厚さがほぼ皆無となっているのだが、それでも鎧の上にレインコートは熱そうだ。音無は思わず中学時代の冬場、剣道部の休憩中に防具の上から防寒コートを着ていた先輩を思い出したが、あまり口に出さない方がいいだろう。

ともかく、準備は出来た。音無の携帯と財布、そして一応持ってきた『保険』がポケットに入りっ放しなのは一抹の不安が残るが、今更赤井沢に鎧を解けとも言えない。幸い音無はおぶられる側なので、意識さえしていれば落とすことはないはずだ。

「さて」

 隣で、完全にいつもの調子を取り戻した赤井沢が宣言する。

「そろそろ日付も変わるし、行こうか」

 すると彼女は屈み、背中の方へと両手を伸ばした。気が進まないのか、音無は仕方なくといった様子で赤井沢の背中に乗りながら告げる。

「そうですね。…………赤井沢さん」

「ん?」

 赤井沢はレインコートのフード内から、少しだけ顔を覗かせた。

「頼りにしてますよ」

 ベランダの縁にあるガラスの仕切り板に足を引っ掛けながら、赤井沢はこう返す。

「――――任せといて!」

 次の瞬間、赤井沢はガラス板を踏み台に勢い良く跳躍した。雨天の空中へと飛び出したその体は、既に何者も追いつけない高速飛行へと移っている。

 二人の逃走が、始まった。

 

 七月十六日、午後一一時五十八分。

 逃走開始。

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