03. ぐーたら乙女、街へ行く
さて、目を開けると異世界イルレオーネに下り立っていた私だけど、さっそく窮地に立たされていた。
右も左も分からない土地で、所持金がゼロなのは非常に危険だと思う。お金がなければ買い物もできないし、買い物ができなければお腹も空く。
これは早々に何かお金を稼ぐ手立てを考えなければ、宿泊施設での寝泊りもできず、異世界生活一日目にして路頭に迷うことになりそうだ。
とりあえず、どこか近くの村や町へ移動して金策を練らなければ! と心の中で叫びながら、私は冷や汗をダラダラと流した。
そして、そんな私が今どんな状況になっているかと言うと……。
「ほおぉ、田舎から職を探して出てきたのかい」
「リガルドの街は大きいから色んな職があるだろうねぇ。頑張りなよ?」
「は、はい。ありがとうございます」
なんと幸運なことに、偶然通り掛かった親切な夫婦の荷馬車に乗せてもらうことができたのだ。捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこの事だろう。
まぁ、頭を抱えて道のど真ん中に蹲っている人物を見たら声を掛けざるを得ないとは思うけれど。人間の良心に付け込んだ作戦です、どうもすみません。
田舎出身やら職探し中やらの話も適当に二人の会話に乗っかった末の大嘘だ。うう、土下座で謝罪したくなってくる。
そんな後悔に押し潰されそうになりながら、色々と勘違いして私を荷馬車に乗せてくれた二人に心の中で謝罪し、改めて彼らへ目をやった。
濃い茶色の髪に同じ色の瞳をしている旦那さんの名前はダッドさんで、モスグリーンの髪に青い瞳という、いかにもファンタジーな配色をしているのが奥さんの名前はハンナさんだ。
明らかに西洋系の顔立ちをしている彼らを見て、黒髪に黒瞳でのっぺり顔の日本人の私は警戒されるのではないかと身構えたが、杞憂に終わったらしい。
この反応から推測するに、髪や瞳の色が黒い人や西洋風以外の顔立ちの人も存在しているのだと思う。
よくファンタジー小説の設定である、黒い髪は魔族の証であるとか、逆に神の一族であるとか変な設定がなくて安心する。
異世界初の遭遇者との会話に戸惑いながらも、何とか二人から周辺環境について情報を引き出すことに成功した。
まず私達が向かっているのは、リガルドと呼ばれる立派な城壁に囲まれた大きな街と教えてもらった。
リガルドの近くには巨大迷宮と称されている魔物の巣窟があり、国中の冒険者達が挑んでいるとか何とか。
場所は私達のいる街道とは街を挟んで真逆の方向に馬車で一時間ほどの距離。迷宮は地下へ深く続いており、階層が下がるほど強い魔物が徘徊している。
しかし魔物を倒せば武器や防具に使える素材やアイテムが手に入り、時には重要な魔道具の入った宝箱が見つかる事も。だから一攫千金を狙ったり、名声を手に入れたりする事を目的とした冒険者が増える一方だ。
そんな彼らが集う場所が、ギルドと呼ばれる組織である。他にも商人が取引をする商会と呼ばれる施設もあるそうだ。
こうやって迷宮やギルドという単語を聞くと、一気にファンタジーの世界なのでと自覚が湧いてくる。
もちろん自分の命が一番大事な私は、迷宮なんて物騒な場所には近づく気はこれっぽっちもないのだけど。
「だけど悪いねぇ、あたしの仕事なのに手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ。馬車に乗せて頂いているので、このくらいは……」
荷馬車に積まれている箱の中から適当に選んだ陶器を磨きながら、ニコニコ顔のハンナさんの言葉に返事をする。
二人はリガルドの街から荷馬車で三時間ほど離れた村で雑貨屋を営んでいるらしく、今日は食糧や生活用品を買いに行く途中なのだとか。ついでに、倉庫を整理した時に見つけた品物を売る予定だと教えてくれた。
長年手入れをしていなかったせいで汚れてしまっている品物も多く、村から街までの間にハンナさんが見た目が良くなるよう手入れをしていたようだ。
その作業を目にした私は、無料乗りの恩返しになればと思って手伝いを申し出た。と言っても、ハンナさんが貸してくれた布で汚れを簡単に落とすくらいしかできない。
そんな私の拙い作業に文句一つ言わず、ニコニコとお礼まで口にしてくれるハンナさん達。普段は人見知りが激しい私だけど、この異世界で最初に出会った人が彼らで本当に良かったと思った。
品物は村に一人だけいる鑑定のスキル持ちの人に見てもらったので、それなりの値段になると踏んでいるそうだ。
その言葉を信じていないわけではないが、私もこっそりスキルを使って鑑定してみる。すると確かに品物の名前の横にプラス補正らしきものが書かれていた。
たとえば、私の近くに置かれている古臭い壺はスキルを使用すると、<なめらかな壺+2> という風に私の目に映るのだ。さらにじっくり見つめていれば、<生けた花が通常より長持ちする>と補正の内容も浮かぶ。
初めて使ったスキルの仕様を覚えながら、これも生活が落ち着いた頃に色々と鑑定について試してみようと決める。消費MPもどのくらいか気になるし。
「そう言えば、田舎から出てきたなら身分証を持っているのかい?」
「へ、身分証? もしかして街に入る時に必要なんでしょうか」
「そりゃあそうさ。身元不明の怪しい奴が問題を起こしたら困るからな」
御者席から私達が乗る荷台を振り返りながら言ったダッドさんの言葉に、思わず頬が引き攣った。
異世界に来てそれほど時間の経過していない私の所持品は装備している物以外は何もない。田舎から云々言っておきながら、鞄の一つも持っていない状態だ。
追剥ぎにあったという設定でも組み込んでおくか? とまた嘘に嘘を重ねることを考えてしまう。そのくらい今の私の現状は不自然だろう。明らかに手ぶらな私を二人がどう思っているのかも心配になってくる。
けれど、戸惑う私にハンナさんが優しく声を掛けてくれた。
「そんなに深刻に考えなくても大丈夫だよ。イーダみたいに田舎から出て来る若い子も多いし、身分証を作ってくれる場所があるからね」
「あっ、そうなんですか? 良かった、完全に着の身着のままの無一文状態だったので……」
もし身分証のない者を取り締まっているなら、異世界へポッと現れた私が害のない者だと証明するのは難しいからだ。言葉巧みに嘘をつけるわけでもないし、詰問に耐えられる自身もない。
検問で御用になるという最悪の辞退を回避できそうで、安堵の息を吐いて胸を撫で下ろした。
ところで今し方ハンナさんが口にした「イーダ」という言葉だが、実は私の名前だったりする。
荷馬車に乗せてもらってすぐに名前を聞かれたので「飯田です」と苗字だけを答えたのだけど、発音が微妙に違う「イーダ」という名前だと受け取られてしまったのだ。
いや、私は完全に「飯田」の発音をしたはずなのに、ダッドさん達に正しく発音してもらえないという……。
何度か訂正したのだけど改善される気がしなかったので、もう「イーダ」でいこうと決めた。たぶん、異世界の人には発音が難しいのだろう。そういう事にしておこう。
それに、二人が名乗ってくれた時も名前しか言わなかった点から、苗字は貴族や王族といった身分の高い人特有のものかもしれないと思ったのだ。
追及されない限り私から苗字と名前の双方を話す必要はないと判断し、黙っておくことにした。
そして、荷台の上で売り物用の陶器やら道具やらの手入れを手伝って約二時間後。
ようやく私達を乗せた荷馬車は、くすんだ色の石の壁で囲まれた大きな街――リガルドの近くまでやって来た。
ぐるりと街を囲んでいる高い壁に大きな門があり、そこから人や馬車が行き来するようだ。遠目だけど、門の前に通行待ちの馬車や人が集まっているように見えた。
「わぁ、石造りの壁に囲まれた街なんですね」
「間にいくつか村や町を挟むけれど、リガルドは王都手前では一番大きな街で造りも立派でねぇ」
「街全体は壁で守られているが、東西南北の四カ所に門があってな。北門が王都、南門が港、西門が巨大迷宮、残りがこの東門というわけさ」
空へ向かっているような印象を受けるほど高い壁を見つめながら、私は感心したように言った。
それにハンナさんが返事をし、ダッドさんが誇らしげに胸を張っている。壁や門を見ただけで完全におのぼりさん状態の私に、二人は子供に説明するようにして色々と教えてくれた。
その話にふむふむと頷きつつ、頭の中でリガルドを中心にした地図を思い描き、東西南北に何があるか記憶していく。
北には国で一番栄えている大きな都――王都があり、そこには王族が住んでいるらしい。
都会暮らしより田舎暮らしの方が人見知りな私には合っていると思うので、縁のない場所だと思うけれど一応覚えておこう。あ、でもこの国の名前すら知らないや。
南には港があって、そこにもリガルドと同じくらい大きな街があるのだとか。リガルドが冒険者の街なら、港は商人達の街というところなのだろう。海を見るのは好きなので、いつかは行ってみたい。
そして西には冒険者達が挑んでいる巨大迷宮があり、そこから更に先は深い森に覆われているのだとか。
迷宮に住む魔物は外へ出て来ることはないけれど、迷宮にしか魔物が住んでいないという意味ではない。私達が荷馬車で通って来た街道にもウサギやネズミに似た容姿の魔物が出没するし、山や森にはもっと凶暴な魔物が群れを成して住んでいる。
ダッドさん達の村でも、時々ゴブリン等の下級の魔物が出るため男性陣が戦ったり、数が多ければ冒険者ギルドに駆除の依頼を出すそうだ。
急に血生臭い話になってきたので、迷宮や危ない地域には足を運ぶべからずと強く自分に言い聞かせた。
何とか気を取り直して、東の方にはダッドさん達が住む村があると記憶しておく。
そんな風に情報を集めていると、あっという間に荷馬車はリガルドの東門前へと到着した。
門の前にできた列の最後尾に馬車を止めたダッドさんは、磨いた品々を箱の中へ片付けている私の方へと体を反転させた。
「さあ、門に着いたからイーダとはここでお別れだな」
「あっ、ここまで乗せて下さってありがとうございました!」
「なぁに、困った時はお互い様ってことさ。通行人用の検問はあっちだから、怯えずに行ってきな」
お世話になった二人に、私は慌てて荷台から降りてから頭を下げ、お礼の言葉を口にした。
だけどダッドさんが続けた言葉の意味が分からなくて、すぐに下げていた頭を元に戻して首を傾げてしまう。
見間違いでなければ、ダッドさんは自分達が順番待ちしている大きな門ではなく、その脇にある小ぶりな門の方を指さしていたのだ。
「ダッドさんとハンナさんは行かないんですか?」
「あたし達みたいに荷を運び込む場合は大門で検査を受けるんだよ。周りも馬車や荷車を引いた連中ばかりだろう?」
言われてみれば、周りにいるのは大きな荷物を運んでいたり運搬用の馬車や荷車を所有している行商風の人ばかりだ。
私のように一人で街へ入る人は、ダッドさんが指差してくれた小さい方の門へ足を運んでいる。なるほど、荷物のチェックがない人はあちらから出入りするのか。
確かに時間のかかりそうな検問を、身軽な旅人や冒険者が待つのは酷だ。
だが、せっかく知り合いになれた二人と別れてしまうのは心寂しいかった。せめて二人の検問が終わるまでは一緒に居たいと思っていると、私に続いて荷台から降りてきたハンナさんに手を取られ、何かを握らされた。
――チャリン。
広げた掌の上には、百円玉くらいの大きさの銀貨が五枚。
意味が分からず、パチパチと瞬きを繰り返してハンナさん達を見やると、二人は私を安心させるように明るく笑った。
「荷台で仕事を手伝ってくれたお礼だよ。身分証を作ったあとに、屋台で何か食べてごらん」
「えっ、ええっ!? そんな、お手伝いしたのは馬車に乗せて頂いたから――」
「いいから受け取っておけ、イーダ。俺達がお前に渡したいと思ったんだから甘えてくれや」
「でも……」
「じゃあ、そのうち村にあるあたし達の店に買い物に来ておくれよ。たくさん買ってくれると嬉しいねぇ」
渡されたのは、この世界のお金だったようだ。
この銀貨一枚がどれだけの価値があるものかは分からないけれど、二人の様子から多めにくれたのだと何となく察する。
改めて言うが、私は荷馬車に無料乗りをさせてもらっていたのだ。売り物の手入れを少し手伝うことで何とか料金代わりにしようとしていたのに、まさかバイト代をもらえるなんて。
しかし、そんな私の戸惑いなど二人は気にせず。
ポンポンと私の肩を叩きながら笑うハンナさんと、同じように慈愛に満ちた表情をしているダッドさんの優しさに、涙が出そうになった。
見ず知らずの私にここまで優しく親切にしてくれるなんて、本当に感謝してもし切れない。
いつか必ず、ダッドさん達のお店で買い物をすることを誓いながら、私は涙を堪えて自分のできる最大の笑顔を二人に向けた。
涙のお別れより、笑顔で再会を約束した方が良いと思ったからだ。
「短い間ですが、本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「ふふ、大袈裟だねぇ。あたし達のことは気にせず、自分のペースで頑張っておいで」
「リーベル村に寄った時は頼んだぜ。じゃあ、元気でな」
軽く片手を上げるダッドさんと、最初から最後までニコニコ顔で私に優しくしてくれたハンナさん。
二人に背中を押されるようにして門へ足を進めた私は、最後に一度だけ彼らの方を振り返って深く深く感謝の意味を込めて頭を下げた。
そして、ちょうど検問を受ける旅人が途切れた小さな門の前に立ち、ぐっと拳を握って気合いを入れる。
私、飯田里奈こと、イーダ。
この日、この瞬間……ついに異世界初の街であるリガルドへ運命の一歩を踏み出したのだった――。