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水溜まりの沈丁花

作者: カイリ



―――おとなって、よく分からない。



 そんなことをぼんやりと呟いたのは、齢二十と七つを数えた青年。






+水溜まりの沈丁花+






 見舞いにと思い、滋養になりそうなものを携えて沖田総司の元を訪れた。俺を迎え入れた彼は、口振りこそは以前と変わらないけれど、すっかりやつれた顔に何処か陰りのある笑みを張り付かせている。顔の色も、青いと云うよりは白いといった形容がふさわしく、彼の容態を実に正直に語っていた。

「次は誰が来るかと考えてたところだったんだ」

 総司は言いながら、布団の中から半身を起こした。その拍子に二、三ど空咳が喉をついて出る。

「他にも誰かが?」

「そうだよ。新八さんと左之さんに、島田さんに、土方さん。はじめが、一番最後だ」

 口を尖らせる総司に肩をすくめてみせ、

「一番のりだと思ったんだがな」

「残念でした。新八さんと左之さんなんか、昨日来てくれたよ」

「……あの二人は、」

 俺はふと口をつぐんだ。新八と左之助は局長の近藤と仲違いをし、新選組を離脱していた。総司はそれも耳にはさんだ上で、あえて二人の話を出したのだろう。しかしそうとしても、彼等について言及する気にはなれなかった。

「―――それより、総司。また豚の肉を食ったんだろ」

 話を反らすように訊くと、彼は驚いたようにまじまじと俺の顔を眺め、感嘆の声を漏らした。

「よく分かったねぇ。土方さんがさ、滋養がつくから食えってうるさいのなんのって」

「そりゃあこの辺、何だか獣臭いからな」

 少し顔をあげて臭いをかぐふりをすれば、総司は犬みたいだ、と笑い出す。

「あーもう、笑わせるなよ。咳が止まらなくなる!」

 勝手に笑い出しておきながらそれはないだろう。俺は少し苦い顔になって彼を見たが、笑いが止まる気配もなく、目に涙さえ浮かんでいた。

「ああ、可笑しい。何だかいろいろ吹き飛んでいきそうだ!」

 総司は未だヒーヒー言いながら腹を抱え、俺の肩を叩く。痛いんだが、と言っても止める気配はなかった。

「何だよ、元気じゃないか。心配して損をした」

「すねるなよ、はじめ。来てくれてありがとう」

「…………俺の前では無理しなくていいんだぞ。……元気な振り、とか」

 総司は目を丸くして俺を振り返る。その顔はまるで、迷子になった小さな子どものように心もとなく、真摯の色が広がっていた。

「はじめは、お医者か何か? よく分かったねぇ」

「あんたの元気がないことくらい把握できなけりゃ、友達失格だろう」

 言った後で、何とも言えない、例えれば恥ずかしさのようなものを感じて顔をそらした。

「―――……おとなって、よく分からないなと思って」

 沈黙。思わず俺は総司に突っ込むのも忘れて口を閉ざしてしまった。いつも子供のように無邪気な彼らしいと言うか、否、子供扱いされるのを嫌がる彼には珍しいと言うべきか。

「あんたは大人じゃないのか」

「大人だよ。でも、土方さんたちの方がずっと大人」

 総司は溜め息をひとつついて、スと遠い目をして応えた。

「土方さんは、おれに獣の肉をわざわざ持ってきて、生きろという。今はおとなしくして、早く元気になれって。……でも、土方さんは死ぬ気なんだ」

「総司、副長は……、」

「分かるよ。死に臨んだ人間の、覚悟を決めた目なら、嫌というほど見てきたんだから」

 総司は俺の言葉を遮るように言い、山南さんもさ、と肩をすくめてみせた。

 総司はまだ、山南総長の死を抱えていたのか、と―――俺は胸臆で呟き、ゆるく目を伏せた。

 山南総長の脱走が明らかになったとき、俺は近藤局長に追手として指名された。しかし土方副長は総司を推し、総司も諾と応えた。―――山南さんはそれを望んでいるから、とだけ口にして。

「おれ、山南さんを逃がすために追手を引き受けたんだ。見付けても気付かない振りをするつもりで」

 総司は嘲笑を浮かべて目を細めて見せる。

「なのに山南さん、おれを見付けるなり斬りかかってきたんだぜ」

「は……?」

「変だろう? あの人、受け流すしか出来なかったおれに、本気を出しなさい総司、君が死ぬことになるよ、って笑うんだ」

 人のよさそうな笑みに、慈しむような優しい声。山南総長の表情は総司の言葉として俺の耳に入り、眼裏で姿を成す。総司も同じ容貌(かお)を見ているに違いない。

「あの人は、おれを死なせたくはなかったんだ、自分から斬りかかってきたくせに。おれが本気を出したら、山南さんは死ぬのに」

「だがお前は斬らなかったんだろう。……総長を、屯所まで連れてきていたな」

「それも山南さんが。刀を引いて、戻ろうか、って。一晩かけて説得したけど、聞いてくれなかったよ」

 困ったような笑みだったけれど、声には無念が滲出ていた。




+++




『おとなはいつだってこどもを生かそうとするんだ。そうして自分は死んでしまう。遺されたこどもが、どんなに自分を責めるかを知らずにね』


 別れ際、総司が言った言葉に何も言えなかった自分を、少しだけ責めながら数刻前に通った道を俺は引き返していた。

 あの台詞は山南総長と、土方副長と、―――そうして近藤局長に対する隠れた非難だった。総司が兄と慕う彼等への唯一の不満のように感じる。しかしそれは彼等とて同様だったと、総司は知っているのだろうか。新選組の筆頭は揃いも揃って、自重を知らない弟分を心配していたことを。


 俺が総司と話し込んでいる間に雨が降ったようで、道には所々水溜まりが出来ていた。立ち止まって覗き込むと、何処かで見た花弁が浮かんでいる。記憶を辿ってそれが、総司の枕の横に生けてあった沈丁花と同じナリをしていることに気が付いた。

「原田さんが持ってきた、って言ってたな」

 確か花言葉は『永遠』。普段はがさつで粗暴なのに妙なところで繊細なあの男なら、それを知って持参したのかもしれない。粋な計らいだが、濁った水の底のそれはかえって俺の気分を地に引きずり込む。


―――水溜まりに沈んだ沈丁花は、永遠への淡い希望さえ否定しているようだった。






―――――了.




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― 新着の感想 ―
[一言] 悲しすぎます‥。巧みな文章に感服いたしました。
[一言] 左之助が持ってきた沈丁花の花言葉を知り、涙が浮かびました。左之助のがさつさの中に、繊細や優しさが込められていると思うと切なくなりました。
[一言] 特に何がずば抜けてよかったというわけではないですが、全体的にきれいにまとまっていてよかったです。 話をしている2人だけでなく、回想中の総長やここにはいない局長たちの心情まで細かく描写されてい…
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