第三章
同情することは簡単だ。
かわいそうだねということも、大変だったねと声をかけることも造作ない。だから私はそんな言葉を言ったりはしないだろう。
そんなことを伝えるために声があるわけではないということを、そんなことを伝えるために言葉があるわけではないということを私は知っているのだから・・・
***
タンタン トントン
電車は進む
古びた記憶の言葉をのせて
タンタン トントン
電車は駆ける
椿の花を届けるために――
***
少女は瞬きをパチパチ繰り返した。駆け寄ろうとしていた体をピタリと硬直させ、もとより大きな瞳をこれでもかと思うほど丸めて立ち止まる。それを受けて少年はばつが悪そうに笑いその頬を少し赤らめた。
「いやぁ・・・そのぉ・・・」
もごもごと言葉を濁すその様子に彼女はハッと我にかえると勢いよく彼に跳びつく。光沢のある制服の袖口がギュッと握り締められて皴を刻んだ。
「・・・心配するな。ちょっとやっちまっただけだからさ。あんまりもう痛くないし・・・」
少年はそう言って軽く右頬に手を添えて笑って見せた。しかしその拍子に弧を描いていた口の端がピクリと動いたことを少女は見逃さない。
「・・・ッ!?」
「あぁ、そんな顔するなよ。本当に大丈夫だから、な?」
「・・・・・・」
「うん?ちょっと親とやりあっちゃってさ。俺が同級生いじめていたことがバレたみたいなんだ。」
そらされた視線が地面を見つめる。
「で、“この恥知らず”っていわれて、このざま。ムカツイタから家飛び出してきてさ、本当にあいつらうぜぇし・・・」
そう言って笑う彼の手を彼女はグイッと引き寄せた。
「ッ!?どうしたんだ!!ツバキ?」
いつになく強引な少女の行動に首をかしげる少年。
けれどその力が緩むことはなく、彼はそのままベンチに座らされてしまう。訳が分からないままポツンと一人取り残された少年はせわしなく瞬きを繰り返すばかりだ。彼女は何をどうしたいというのか。
その真意を窺うために小さな影がパタパタと慌しく動き回る姿を目で追いかけるのだが、一向にその答えは見えてこない。だから彼は少女の好きなようにさせることにして、ベンチに腰を落ち着け空を見上げた。
ジンジンと痛む頬は不快でしかないものだ。けれどそれがどこか違う箇所の痛みをも呼び起こしそうで、彼は目を閉じて深呼吸をする。吐き出された息と共にそのバカらしい考えも出て行ってしまうことを期待したのだが、そんな都合のいい話があるわけもなく、心は鉛を飲み込んだかのように重苦しいままだった。けれど、
「ッ!?」
ゆっくりと目を開けた途端に飛び込んできた潤んだ瞳にギョッとする。いつの間にかベンチに乗り上げていた少女の目線と自身のそれとはピタリと重なっており、そのことに動揺した。
まだ上手く笑える自信はなかった。
「ツバキ?」
戸惑いに震える呼びかけに彼女は応えることなくそっとその頬に手を伸ばしす。
ピリッとした痛みはすぐに心地よい冷たさに変わり、
「・・・・・・」
濡らされたハンカチを持つ少女の指が微かに震えていた。
『あぁ、そうか。彼女はこうしたかったんだ。』と、唐突に閃いた答えに心がグッと鷲づかみにされた。
「・・・なぁ、ツバキ―」
「・・・?」
「あいつら・・・さ。本当にうざいんだ。」
「・・・・・・」
「考えることは自分の保身だとか世間体だとかで、俺は別にそれでもいいと思ってた。親だからってだけでその人生の全てを子供にささげる必要なんてないって。自分たちが傷つきたくない、幸せでいたいって思うことは悪いことじゃないだろ?大人だろうが子供だろうが貧欲に幸せを望んだっていいって思ってたのに――ッ!!」
強く握られた拳。
少年は顔をゆがめて笑っていた。
「素通りされちまうんだ、俺の言葉――」
「っ・・・」
「・・・聞いていないわけじゃないと思う。聞こうとしていないわけでも、な?ただ・・・あの人たちは行動する気がないだけなんだ。俺の言葉を受け止める気がないだけ――」
「・・・・・・」
「笑っちまうよな・・・俺はさ、それに気がついていないふりをしなくちゃいけないんだぜ?いつでも何も知らないガキのふりをしなくちゃ・・・な?」
そう言って少年は笑った。口元を小さく震わせ瞳を薄い涙の膜で覆いながら、それでもなお笑おうとする。握りしめられたそれは色を失っていた。だから、
「・・・・・・」
少女は自身の体温を分けるようにそっと手を重ね、
「ツバキ?」
固く閉じられた少年の指を1本1本丁寧に開いていく。まるで大輪の花が咲くように解かれた手にそっと乗せられたもの。
「これは・・・」
それは――
「あめ?」
掌に乗る赤いセロファンにくるまれた甘い塊を少年は呆然と見つめた。それは少女がよく好んで食べているイチゴ味の飴玉だった。
彼女はコクコクと頷くと、少年の手から赤い包みをつまみ出し、パリパリとそれをはがす。ビー玉ほどの大きさの飴玉はちゃちな宝石のようで、けれど緊張に体が震えた。
「ツバキ・・・」
呼びかけに少女はずいっと持っていた飴玉を突き出す。ゆっくりと持ち上がった少年の指が、一瞬躊躇うようなそぶりをみせて、恐々とその赤い宝物に触れる。そして受け取ったそれをそっと口に運んだ。大きな飴玉は殴られた頬を刺激してツキンッとした痛みを訴えていたが、すぐに口内にじわりとした甘味が広がった。
痛くて、甘くて、それ以上に優しい味のする飴が、ゆっくりと口の中で溶けていく。だから少年は
「ツバキ、手をだしてごらん。」
と微笑みながら幼子に声をかけた。ふいにかけられた言葉を不思議に思いながら、彼女は言われたとおり両手を胸の前でそろえて差し出す。
するとどうだろう?
掌に微かな重みが加わり少女を驚かせた。
少年が彼女に持たせたものは赤い花。
彼がいつも別れ際に渡していくあの花で――
『つばき――』
少女の口から音のない声が漏れた。
それに彼は目を細めて笑うと小さな手に乗せられた花びらを指でくすぐるように撫でる。やわらかな眼差しとそれを今、渡される意味がわからなくて、少女は何度も花と少年の顔を見比べた。
椿の花は思い出がつまった花だ。
彼がくれる温もりと優しい気持ちが詰まった花で、その記憶は彼女の心を慰めるものだった。けれど彼女にとってその花は別れの花でもあった。なぜなら、少年がその花を彼女に渡すときは必ずさよならをするときだったから。
別れ際に渡される花は彼女にとって「さようなら」の合図そのものだった。
けれど込められた意味が別れではないのならば、それはいったいなんなのだろう?
釈然としない思いを抱きながら、少女はその花を見つめていた。




