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スルッとさりげなく、イハル兄の腕を外したグレースは、ゆっくり三歩下がった。
距離があんのに、すうって、息を吸い込む音が聞こえた気がする。
じれったいくらいのんびり、グレースの右腕が上にあげられて──。
「すべてを貫く雷よ!」
グレースの正面を十二時として、ちょっと左の十一時くらい。そこに向かって、グレースは腕をヒュッて振り下ろす。
その辺りだけ、空がサッと暗くなって、たっくさんの雷が次から次に駆け下りてく。びっくりするくらいの雷鳴に混ざって、ちょこっとだけ悲鳴も聞こえる。
……グレースが、おかしい。
わかってるのに。止めた方が、絶対いいのに。
あたしの足は、体は、声は、役立たずだ。ちっとも動かないし、動けない。喉をただ、空気がヒュウヒュウ通ってるだけ。
「お前……いつの間に、上級魔法を……」
イハル兄も、使えるってこと、知らなかったんだ……じゃあ、グレース、コツコツ頑張って使えるようになったんだね……でも。
それが何で、今なんだろう。
こんなことするために、グレースは頑張ったんじゃないと、あたしは思う。
だって、グレースは、イハル兄に助けてもらった恩返しがしたいって言ってた。んでもそれは、敵だからって無差別に、こうやって殺すことじゃないはず。
ぼんやりして、どこ見てんのかわかんない目で、グレースはグルッと見回した。
感情のない目は、背筋がぞっとするくらい、怖い。なまじ、グレースって綺麗な子だから、よけいに怖い。
敵を殺すことを心から楽しんでるエミールより、もっと怖いよ。
「全体に、まんべんなく落ちるよう、撃ちますね」
まだ、落とすの?
聞きたいのに、声が出ない。
いつもあんなにしゃべれるのに……ホント、今のあたしは役立たずだ。
「すべてを貫く雷よ!」
サッと振り上げた腕が、呪文と一緒にすとんと落ちる。そのたびに、空が曇って雷が雨みたいに降り注いで。
敵の断末魔と相まって、見聞きしてるだけのあたしでも、おかしくなりそう。
だからきっと、グレースは、もっとおかしくなってる。
だって、もう、壊すものなんてない。広場の近くにあった建物、みんな粉々に砕けて壊れてるんだよ? それでもまだ、グレースは腕を振り上げるんだもん。
……多分、グレースの心は、壊れてる。
「もういい! それ以上撃つな!」
イハル兄が叫んで、グレースをギュッて抱き締めた。
腕を上げたまま、視界を遮られたからかな? グレースは、ゆっくり腕を下ろした。イハル兄は、もっかい、グレースを抱き締め直す。
「……残兵の処理と、捕虜および負傷者を救助する!」
将軍の命令で、騎士団が動く。傭兵隊も、ハッとなって動き出してる。
でも、あたしは動けない。
チラッと見えたグレースが、泣いてたから。すっごく静かに、涙だけ流して、泣いてたから。
「もう、撃たなくていい。残りは俺が、全部片づけてやる。だからお前は、これからは俺のそばにいろ!」
あーそっか、イハル兄、自覚したんだ。
「ふ……ぇ……」
「泣くなら、そうやって声を出してちゃんと泣け」
今まで見たことないくらい、優しい手つきで、グレースの頭をなでるイハル兄。正直、あたしにはちょっと不気味だけどさ。
んでも、ホントのホントに、グレースが大事になったんだね。
広場の捕虜は、無事だった。でも、騎士様三人は、ダメだった。シーラが近寄った時にはもう……だって。
だけどさ。明らかに罠だってわかってる状況で、被害はたった三人。しかも、捕虜は全員無事に救出できたって、結果だけ見たらさ。行ってない人が湧くのも、わかんなくはない。
あたしだって、あそこにいなかったら、きっとメッチャ喜んでるから。
あれからずっと、グレースは暗い顔してる。遊びに行っても、何やってても、全然笑わないし。
魔法の練習も、してないんだって。
毎日毎日、あんなに練習してたのに。あの後から、一度も魔法使ってないって、リディが言ってた。
きっと、初めて殺そうと思って、人を殺したんだよね。殺す気で魔法を撃てる自分が怖いって気持ちは、わかるよ。
たとえそれが、そうしなきゃ自分が殺されるってわかってても。罪悪感とか、自己嫌悪とか、いろいろあるから。
んでも、これは、グレースが乗り越えなきゃいけないこと。あたしはそばで、こっそり何となく支えるしかできない。
これから先、戦っていくのか。それとも、何もかもやめて、遠くでひっそり暮らすのか。それを決めるのはグレース。あたしじゃない。
冷たいって言われそうだけど、そういうもんだし。
多分、こうやってスパッと割り切れちゃうとこが、傭兵を稼業にしてるかどうかの違いなんだろうね。
ぶっちゃけ、慣れだよ、慣れ。
それに、グレースには、イハル兄がついててくれてるからさ。
いつかまた、あの笑顔が、見れるよね?




