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第七話 飛び出した黄昏

 水の魔都には魔法を専門的に扱う学園という組織があり、魔都に住む子どもはそのほとんどが十二歳になるとここへ入学する。魔都ではこの学園を卒業して初めて一人前の魔導師とみなされるのだそうで、魔都で魔導師となりたければ学園に入るしかないらしい。


 さらに、この水の魔都において、魔導師になる以外の選択肢はほとんどない。魔導師が造り上げた街のため、必然的にそうなってしまったそうだ。それゆえ、子どもたちは学園には入学するために幼いころから親や家庭教師から魔法を習うのが通例だそうだ。裕福な家庭の子どもや才能がある子どもは五歳ぐらいから魔法の修業を始めて、十二歳になるまでには最低でも中級以上の魔法をマスターする。


 一連の話を男から強引に聞き出したスーディアは、肩を落とすと大きく息を吐いた。あのジルが学園に入れてくれるとはとても思えない。スーディアは最悪の場合、家を出れば魔導師になれると思っていたがこれではそれも難しいようだ。


「そうなんだ……」


「気は済みましたか? 忙しいので、そろそろ私たちは失礼しますよ」


「あ、ちょっと! 引っ張らないでくださいまし!」


 男はメリーヌの手を引っ張ると、引きずるようにしてその場から連れ出して行った。遠ざかっていく二人の背中。それを見ながら、スーディアは何とも切ない気分になった。自分は魔法を習いたくて習いたくて仕方がないのに、禁止されている。その一方で、メリーヌは魔法が嫌いで嫌いで仕方ないのに魔法を習うことを強制されている。


 世の中はままならぬものだと、弱冠四歳にしてスーディアは痛感した。メリーヌと自身の立場が逆だったら、どれほど良かったことか。いまだはっきり聞こえるメリーヌの悲鳴に頭を抱えながら、スーディアはそう思わずにはいられない。もし、自分がメリーヌの立場だったら十八時間授業にだって耐える自信がある。


 スーディアが小さな背中を丸め、四歳児とは思えぬ哀愁を漂わせていると、どこからか彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。スーディアは気分を一新するため頬を軽く叩くと、声のした方へと駆けていく。もと来た扉をくぐり抜けて館の中へ戻ると、階段の前にどこか陰のある様子のジルが立っていた。彼女はスーディアの姿を確認すると、クイクイッと手招きをする。外国式の手を上に振る仕草だ。


「どこ行ってたんだ? 帰るぞ」


「はーい!」


 ジルとスーディアは玄関脇に立っていたセバンに見送られると、再び行きと同じ馬車へと乗り込んだ。二人を乗せた馬車は坂道を軽快に下っていき、ジルの屋敷へと帰って行く。


 馬車に乗っている間、ジルはずっと硬い表情をしていた。下を向き、眉を寄せるその姿は何か思いつめているようだ。気になったスーディアが何回か話しかけてみるものの、返ってくるのは気のない生返事ばかり。よほど、深刻な何かがあったらしい。


 いったい、水魔とどんな話をしたのか。スーディアはそれが気になって仕方なかったが、ジルは昏い表情のまま何も話そうとはしなかった。そうしているうちに、馬車は屋敷の門をくぐって玄関の前へと着いた。




 ◇ ◇ ◇




 ジルは屋敷に着くなり書斎に向かうと、話があるから後で来なさいとアンネに言いつけた。

 どんな話があるのか気になったスーディアは、アンネの後をこっそり追いかけると、彼女が書斎に入ったのを見計らって扉に張り付く。書斎の扉は文庫本ほどの厚さがあったが、材質が硬い木であるためか音をよく通した。身体を横にしてスパイよろしく耳をぴったり張り付けると、中の音をはっきりと聞き取ることができる。


「アンネ、お前知ってたな?」


「何をでしょう? 心当たりがございません」


「しらじらしい。魔法だよ。スーが魔法を使っていただろう?」


 スーディアの背筋が冷えた。魔法を使っていることがジルにばれてしまっている。一体どこから……スーディアは記憶の棚をひっくり返すが、特に思い当たる節はない。なぜだろう。彼女は軽い混乱状態に陥りながらも、話をもっとしっかり聞こうと顔を扉にこすりつける。


「いえ、私には全く」


「そんなことはないはずだ。水魔様の見立てだと、毎日かなりの練習を積まなければあんなことにはならないそうだぞ。お前が何時間にもわたって、スーの様子を確認していないとは思えん」


「それは……私だって庭掃除や買い物で屋敷の外に出ていることはありますので、その間に魔法を使われたのでは?」


「中級魔法十発!」


 ドンッとテーブルをたたくような音が聞こえた。さらに続けてジルの荒々しい声が響いてくる。


「毎日それぐらいの魔力を消費していたはずだ。たとえ時間があったとしても、これだけの魔力を何の痕跡も残さずに使えるとは思えない。アンネ、お前が意図的にスーディアの行動を見逃していたとしか考えられんのだ」


 返答はなかった。

 言葉に詰まっているのか、それとも黙秘しているのかは分からない。が、とにかくアンネは何も言わなかった。嫌な沈黙が流れて行き、緊迫した空気が扉を通してスーディアにも伝わってくる。緊張のあまり、スーディアの背中に汗が浮く。


「……近いうちに出て行ってもらわねばならないな。事の重要性ぐらい、わかっていたはずだ」


 ――アンネが出て行く?


 スーディアの頭の中を、ジルの言葉が突き抜けて行った。

 稲妻のごとき衝撃が全身を貫き、精神が凍てつく。スーディアの頭の中が白に染まり、身体が震えた。扉に身体を押しつけていなければ、バランスを崩して倒れてしまっていたかもしれない。ジルの言葉はスーディアにとって、それほど重要なものだった。


 アンネはスーディアにとって頼れる姉のような人物だ。

 いつも温厚で優しくて、最近では魔法の練習などいろいろとお世話になりっぱなしである。そんな彼女が屋敷から居なくなってしまうなど、スーディアにとっては貯まったものではない。


 何とかしなければいけない。そう思ったスーディアの手は、自然と扉を押し開いていた。彼女はそのまま書斎の中へ入ると、じっと黙っているアンネの前に立つ。すぐさまジルの蒼い瞳が、彼女を見据えた。


「聞いていたのか」


「ごめんなさい! アンネに魔法を教えてって頼んだのは私なの。どうしても魔法が使いたくて……」


「そんなことはわかってるさ。だが今はそんなことが問題なんじゃない。頼まれようが泣きつかれようが、とにかく魔法を教えたことが問題なんだ」


 ジルはスーディアから視線をそらすと、その肩の向こうに居るアンネを見た。無視されたような格好となったスーディアの顔がたちまち赤くなる。


「悪いのは私なの! アンネは悪くない! だからお願い、追い出さないで!」


「無理だ。アンネには出て行ってもらう」


「どうして! そんなに魔法を使うっていけないことなの!? 私、聞いたよ。この町じゃみんな小さい頃から魔法を習うんだって。それで大きくなったら学園に入るんだって!」


 ジルの眼が険しさを増した。彼女は視線を下げると、スーディアの方を睨む。凍てつく視線の冷たさに彼女は背筋をゾクリとさせたが、退くわけにはいかない。


「……誰から聞いた?」


「水魔さまの館に居た男の人よ。メリーヌ様の家庭教師だとか言ってた」


「ベンズか。余計なことを……」


「ねえ、みんなは良くてどうして私は駄目なのよ! 理由を答えてよ! いつもいつもいずれ話すって言って話してくれないじゃない! それじゃ納得できないよ!」


 スーディアは拳を振り上げ、足をドンと踏みならした。ジルは深いため息をつくと困ったように額に手を当てる。


「とにかく言えないんだ。別に意地悪で言わないんじゃない、スーのためなんだ。わかってくれ」


「わかんない! わかんないし、わかりたくない!」


「お嬢様、私はもう覚悟はできてますので……」


 駄々をこねるスーディアの様子を見かねたのか、アンネが彼女の肩に手をかけ、諭すように言った。しかしスーディアはその手を振り払う。


「アンネ、もうあなたとジルだけの問題じゃないの。私の問題でもあるのよ。お願いジル、どうして魔法を使っちゃいけないのか教えてよ!」


 ジルは顔をしかめた。

 彼女はスーディアの身体をじっくりと眺めながら、口元をゆがませる。言うべきか言わざるべきか、相当に悩んでいるようであった。彼女はそのまま数十秒にもわたって、うんうんと唸る。


「……言えない」


 喉から絞り出したような声だった。

 しかし、しがわれていて聞き取りづらいはずのそれは、驚くほどはっきりとスーディアの耳へと届く。たちまちスーディアの眼が見開かれ、その涙腺が熱くなった。

 ほろり、滴る涙。

 それはスーディアの心にとって水ではなく油だった。たちまち彼女の心は燃え上がり、炎が全身へと広がっていく。感情が理性をふっ飛ばし、思ったことがそのまま口を飛び出していく。


「もういいよ! 出てく!!」


 扉を勢いよく開き、飛び出していく小さな背中。ジルはそれをただ茫然と見ていた。アンネの方もすっかり取り乱してしまい、とっさに何をしていいのかわからない。が、彼女はすぐに平静さを取り戻すとスーディアの後を追いかけた。




 ◇ ◇ ◇




 太陽が遥か遠く、海を挟んで向こう側の大陸へと沈んでいく。

 岬の突端に腰掛けたスーディアの眼に、夕焼けの赤い光は良く沁みた。背中を丸めた彼女の眼からは涙がとめどなく溢れている。純白の肌は眼の周辺だけ赤くなってしまっていて、西洋人形を思わせる顔はくしゃくしゃに崩れてしまっていた。


 どこをどう走ったのかは覚えていない。

 追いかけてくるアンネを振りきることで必死で、そんなこと覚えてはいられなかった。子どもにしか通れないような狭い隙間を抜けたり、人ごみにまぎれたりしているうちにいつの間にか彼女は町はずれの岬に居たのだ。


 周囲に人気はなく、あるのは波に打たれる岩ばかり。ザブリ、ザブリと波の音だけが響く岬はなんともものさびしい場所だった。吹き抜ける潮風もすっかり冷えていて、スーディアの体温を容赦なく奪っていく。


「どうしようかな……」


 これからどうするかなんて、スーディアは全く考えていなかった。熱くなりすぎて、今後のことなど考えていられなかったのだ。彼女は海に向かって石を投げながら、大きく息をつく。


 そうしていると、遠くから声が響いてきた。少しイントネーションが外れているが、聞き惚れてしまうような高音で可愛らしい声。間違いなくアンネの声だった。今更逃げる気力もないスーディアは、座ったまま後ろへと振り向く。


「捜しましたよ。さあ、お屋敷へ戻りましょう」


 スーディアは何も言えなかった。

 彼女はただ黙って、申し訳ないような顔をアンネの方へと向ける。するとアンネは、何かを決意したような顔をした。先ほどまでとは、どこか雰囲気が違う。スーディアはそれを肌で感じた。


「わかりました、お嬢様。お屋敷へ戻りたくないというのであれば、予定より少し早いですがお連れ致しましょう。良い機会ですしね」


「どこへ、どこへ連れて行くの……?」


 眼がいつもと違う。

 スーディアはアンネに恐怖を抱いた。彼女の身体は自然とアンネから遠ざかっていく。しかしアンネは手を伸ばすと、逃げないようにスーディアの肩をしっかりと押さえた。


「少し遠いところです。でも大丈夫、そこへ行けば魔法を自由に学べますし学園へもいけますよ――」


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