第六話 出会い
数日後、スーディアはジルとともに水魔の住む館へと向かっていた。
ガタピシと音がする小振りの馬車に乗って、石畳の細い道を坂の頂上を目指して登っていく。水魔の館はジルの屋敷よりもさらに上、山の頂上に聳えていた。
スーディア達の住む水の魔都は沖合の小さな島に造られている。富士山をそのまま海に浮かべたような形をした島で、島の西側の七合目付近までが市街地だ。その上の八合目のあたりにジルの屋敷があり、さらに上の頂上に水魔の館があるという地形になっている。
馬を模した魔法人形は、傾斜のきつい坂道にも負けず、軽快に馬車を引っ張っていた。二人乗れば満員になるほどの小さな馬車は、自転車ぐらいの速度で坂を登っていく。道の左側は急な崖になっていて、少し視線を下げれば町を一望することができた。そこから吹き上げてくる潮風と馬車の速度が生む風が相まって、何とも心地よい風が車内を吹き抜けていく。
冷やっこい風に眼を細めながら、スーディアはお尻を少し上げた。道は良く整備されていたが、それでもアスファルトやコンクリートに比べれば揺れる。まだあまり肉のついてないお尻は、すでにくたびれてしまっていた。彼女は半立ちになりながら、少しばかり年寄りくさい動作でお尻を撫でる。すると、尾根の向こうに純白の館が見えてきた。
雪でできているかのような、真っ白の建築物であった。光を反射して燦々と輝くそれは、石などではなく水晶か何かの結晶でできているようである。崖と一体化したようなどっしりとした存在感と、視界を滑らかに切り取る優美な曲線。小さな山城のような館は夢の国の城などよりもさらに現実離れしていて、近づきがたい神秘性を帯びていた。
「あれが水魔さまの館?」
「素晴らしいものだろう。水の魔都自慢の館だからな」
「魔法で作ったの?」
「ああ、大魔導師が十人がかりで作り上げた館だ。素材には特殊な氷を使っている」
「へえ……魔法って、こんなこともできるんだ」
スーディアは興奮したような声を上げた。彼女は馬車の座席に上がると、窓に張り付くようにして館の方を眺める。その顔は恍惚としていて、翡翠の眼は大きく見開かれていた。それを見たジルは少し眉をひそめると、たしなめるように口をとがらせる。
「もしかして、また魔法を使いたくなったか?」
「う、うん……」
「駄目だ、私の言葉を忘れたのか?」
「そんなことないけど……」
「魔法を使わせないのはスーのためなんだ。わかってくれ」
仕方ない。スーディアは頬を膨らませながらもしっかりと頷いた。ジルはやれやれと息をつくと、座席に身体を埋める。そうしていると、馬車の速度が少し上がった。いつの間にか尾根を越え、館へと続くゆるやかな坂へと差しかかったのだ。やがて馬車は城門さながらの大きさを誇る門をくぐり抜けると、館の敷地内へと入っていく。
◇ ◇ ◇
玄関を入るとすぐに、パリッと糊の効いたタキシードを着た紳士がジルたちを待ち構えていた。セバンと名乗った彼に案内され、ジルとスーディアは水魔のいる館の最上階へと向かう。毛足の長い赤絨毯を踏みしめながら廊下を抜けて階段を上ると、板チョコのような形と色をした巨大な扉があった。セバンはその金色の取っ手を握ると、トントンとノックをする。
「セバンでございます。ジル様とスーディア様がお着きになりました」
「入れ」
セバンは扉を開くとエスコートするように左手を部屋の奥へと向けた。その先には大きな執務机があり、七十過ぎの老人が腰かけている。ラフなシャツを着て椅子に浅く腰かけているその老人は、その場にはあまり似つかわしくない雰囲気だ。しかし、彼の顔にスーディアは確かに見覚えがあった。地下室でジルと一緒に居た老人である。
「久しぶりだのう、何か月ぶりじゃ?」
「まだ三週間です」
「ありゃ、そうじゃったかの。すまんすまん。して、そちらの娘がスーディアじゃな?」
水魔が視線を向けると、スーディアはぎこちない動作で頭を下げた。身体に比べて頭が大きいので、バランスがとりにくいのだ。その仕草が少しおかしかったのか、水魔は目を細めて笑う。
「カカカ、可愛い子じゃのう。ジルには全く似ておらんわい」
「私だって、こういうことをされなければ普通に優しくするのですがね」
いつの間にか、水魔の手がジルの胸をわしづかみにしていた。スイカほどもある膨らみを下から揺さぶり、たぷたぷとその感触を楽しんでいる。ジルはその手を睨みつけると、手首のあたりをがっしりと掴んだ。
「痛ッ!!!! お、折れる折れる!!」
「じゃあさっさとそのいやらしい動きをやめて下さい」
「わかったわかった、わかったから早く手を離してくれい!」
ジルは呆れたように手を離した。
水魔は素早く手をひっこめると、掴まれていた場所にふうふうと息を吐きかける。ジルの握力はよほど強いのか、水魔の腕には見事に赤い跡が残っていた。
「まったく、少しは老人を労らんか。数少ない老後の楽しみなんじゃぞい」
「老後の楽しみは人に迷惑をかけないようにお願いしますよ」
「むう、相変わらずサービス精神のない奴じゃのう。だから嫁の貰い手が……」
「何か言いましたか?」
ジルの声は冷たく、眼は殺気立っていた。水魔の顔から血の気が引き瞬く間に青ざめる。
「いやいや、何も言っておらんぞ! それより、わしがここへお前さんたちを呼んだのは他でもない、スーディアのことについてじゃ。ほれ、こっちへ来てくれんかの?」
水魔はどこからか渦巻き型の大きなキャンディーを取り出すと、こっちこっちと手招きをした。スーディアの頭の中で、飴玉を餌にして子どもをおびき寄せる変質者の姿が浮かぶ。水魔には失礼極まりないが、さっきの事件を女子高生相当の精神を持つスーディアが見たら身構えるのも無理はなかった。
仕方なくジルにアイコンタクトをすると、彼女は苦笑しながらも手招きをした。スーディアの言わんとすることを察したのであろう。この様子なら大丈夫そうだ。そう判断したスーディアは、とてとてと水魔の方へと駆け寄って行った。
「んっしょッ!」
水魔はスーディアの身体を抱きかかえると、自身の膝の上に置いた。彼は彼女に渦巻きキャンディーを渡すと、その肩をしっかりと掴む。そして背中を二、三度軽い調子で叩いた。
「ほう……これは……」
「何かありましたか?」
「うむ、少しな」
水魔は改めてスーディアの背中をゆっくりとさすった。するとその目がわずかに細められ、額の皺が深さを増す。
「すまんがスーディアちゃん、しばし部屋から出ていてはくれんかの?」
「ん、わかった」
スーディアはそういうと膝を降り、キャンディーを舐めながらそのまま一目散に部屋を出て行った。存外素直だったその行動に、水魔はあっけに取られて口を開く。
「なんじゃい、もう少し『じいちゃんの膝の上に居たいよー』とか言うかと思ったのに。見た目は良いが可愛げのない子じゃのう。誰かにそっくりじゃわい」
「水魔さまの膝の上に居たい人なんて、金目当ての娼婦ぐらいしか居ませんよ」
「カーッ、冷たい女じゃ! まあよいわ、それよりもスーディアについてなのだが……」
水魔は顔を軽く下に向けると、気を取り直すかのように大きく咳払いをした。そうして再び顔を上げた時、彼の表情はすでに先ほどまでの温和なものではなかった。
◇ ◇ ◇
部屋を出たスーディアは、そのまま館の中を散策していた。
小さな城のように見えた館はその外観に相応しい広さを誇っていて、内装も見ていて飽きないほど豪奢な造りとなっていた。優美なアーチを描く白い天井からは煌びやかなシャンデリアが吊り下げられていて、紫檀や金の額縁に彩られた絵画がそこかしこに飾られている。王侯貴族の館などスーディアは入ったことがなかったが、きっとここのような雰囲気なのだろうと思った。
螺旋階段を下りて一階へ行く途中、窓の外から広い中庭が見えた。きれいな正方形をした庭で、中央に大きな噴水があり、四隅には花壇がある。その花壇と建物の間に挟まるようにして、金髪の少女がしゃがんでいた。長い髪を左右に分けてクルクルとカールさせ、フリルのついたドレスを着ている彼女の姿はさながら貴族のお嬢様である。身体の大きさからすると、年のころはスーディアより少し上ぐらいだろうか。
少女のことが気になったスーディアは、中庭への出入り口を見つけるとさっそくその扉をくぐった。そして少女の方へ走り寄ると、すかさず話しかけてみる。
「ねえ、何やってるの?」
「見てわかりませんの? 隠れてますのよ」
「いったい何から?」
「何だっていいでしょう。それより、あなた誰ですの? 見かけない顔ですけど」
少女は何となく小馬鹿にした口調で言った。さらに姿勢の都合で仕方ないとはいえ、顎を少ししゃくりあげるようなその仕草はスーディアを見くびっているようである。彼女の態度に子どもとはいえカチンと来たスーディアは、正々堂々と名乗りを上げる。
「私は今この館に来てるジル・メルアーンの娘、スーディアよ。あなたこそ誰なの?」
「よくぞ聞いてくれましたわ! わたくしは七代目水魔の孫娘、マリーヌですの。マリーと呼んでよろしくってよ!」
少女は勝ち誇ったような顔をすると、口に手を当てて高笑いを上げた。彼女は発育の兆しがまだ見えない薄い胸を張ると、背中を大きくのけぞらせる。いかにもそれらしい、高飛車な笑いだ。しかししゃがんだ態勢でその姿勢を取るのは少々無理があったようで、彼女はたちまちバランスを崩してしまう。
「あわッ!!」
倒れそうになった拍子に、思わず叫び声を上げるマリーヌ。スーディアはとっさにその肩に手を回すと、一回り大きなマリーヌの身体をどうにか支えた。日頃の運動の成果である。しかし、その声はマリーヌを捜している誰かにはばっちり聞きとられてしまったようであった。たちまちドタバタと足音が響いてくる。
「お嬢様ー!!」
現れたのは、眼鏡をかけインテリ然とした小役人風の男だった。背は標準よりもやや低く、緑色の学生服に似た詰襟の服を着ている。目は小さいが眼光は鋭く、右手に持った杖を所在なさげに振る仕草は気難しい性質をうかがわせた。スーディアはまだ音祢だった頃に見た、すぐに声を荒げるヒステリックな教師の姿を思い出す。
「ご無事でしたか。さ、授業に戻りますぞ」
男はスーディアの存在などまるで気づいていないかのように、メリーヌの方へと手を出した。しかしその手を彼女は勢いよく振り払ってしまう。
「嫌よ! わたくし魔法は嫌いでしてよ!」
「わがままを言わんで下さい! 魔法を知らねばこの世界では生きていけませんぞ!」
「嫌なものは嫌ですわ! わたくし、ややこしいことは大っ嫌いですの!」
メリーヌは花壇にしがみつき、頑としてその場を動くまいとした。その強硬な態度に男は肩を落とすと、大きなため息をつく。
「良いですかお嬢様、そんな様子では学園に入学すらできませんぞ。それでは……」
「が、学園って何!?」
耳に飛び込んできた予想外の言葉。
それにスーディアは反応せざるを得なかった。彼女はラジオが壊れた時のような素っ頓狂な叫びをあげると、すぐに男の方へとにじり寄ったのであった。
次回、いよいよ物語が大きく動き始める予定です。
といっても、学園編に突入!とかではないのですが。