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第五話 ドラム式

 アンネとの取り決めで、魔法の練習は三歳からということになった。

 魔法を扱うには、最低でもそれぐらいは成長していないと危ないとのことである。スーディアは素直にその指示に従い、三歳までの数ヶ月間は体力づくりと魔法以外の勉強をすることにした。


 朝から昼までの間は階段を上り下りしたりしてせっせと運動をし、昼から夕方までの間は書斎に籠って本を読み漁るという生活を始めたスーディア。幸いなことに、勉強や運動の最大の障害であるジルはここしばらくの間、仕事が忙しいようだ。この間起きた事件がかなり大きな事件だったらしく、その処理にかかりきりになるらしい。


 そうして数カ月があっという間に過ぎ、スーディアは三歳になった。いよいよ、アンネを師匠に迎えての本格的な魔法の練習の始まりである。


 初めにアンネはスーディアを屋敷の裏庭へと連れ出した。斜面を削って場所を確保したような裏庭は少々手狭だが、周りから見えにくいうえ高い位置にあるため眺望は抜群だ。どこまでも蒼い海とそれに映える白い街並みが一望できる。よくよく眼を凝らせば、通りを行く町の住民の姿まではっきりと見えた。


 しかし、魔法のことで頭がいっぱいのスーディアはそんな素晴らしい景色にも眼を止めなかった。彼女は空を眺めて気持ちよさそうに眼を細めているアンネを、早く早くと急かす。

 エプロンドレスを引っ張られたアンネはこほんと息をつくと、姿勢を正した。


「では、お嬢様がどれぐらい魔法を使えるのか見せてください。的はあの岩です」


 そういうとアンネは崖の上にある大岩を示した。おそらく以前、子どもたちが狙っていた岩だ。


「わかった。水球!」


 スーディアの指が陣を描くと、すぐにソフトボール大の水球が鉄砲玉よろしく飛んだ。

 水球は岩に当たると弾け、激しい水飛沫が舞う。飛沫に当たった光が乱反射し、一瞬だが虹が見えた。その様子にアンネはほうと息を漏らした。


「威力も速度も申し分ないですね。予想以上です。ですが、まだまだいけますよ!」


「ほんとに?」


 スーディアは少し疑わしげな眼をした。初級魔法に関しては、これでもかなり上手く使えていると自負していたのだ。


「まあ見ていてください」


 アンネはスーディアを下がらせると、袖の下から細い杖を出した。杖はさながら指揮棒のように素早く動き、その先端が宙に陣を描き出す。その動きは洗練されていて、相当な熟達を感じさせた。


「水球」


 スーディアが造り上げたよりも、一回り小さな水の球だった。

 しかし、それはビョウと大気を唸らせるほどの速度で飛び、たちまち大岩の中心付近を穿った。激しい衝撃が走り抜け、大人の背丈よりも大きな岩がぐらりと揺らぐ。水球がぶつかった場所にはくぼみができていて、大砲でも撃ったかのようだった。


「嘘!? どうやったの?」


「魔力を徹底的に練り上げるんです。そうすれば、あれぐらい簡単にできますよ」


「へえ、そうなんだ。そこまで詳しくは本に書いてなかったなあ……」


 本には『質の高い魔力を練ることは重要だ』とは書いてあったが、それが実際にどのような結果をもたらすのかまでは詳しく書かれていなかった。このあたりのことはやはり、本で学ぶのではなく師について学ぶしかないのだろう。


「よし、じゃあコツを教えてよ! 私もあんな風に魔法を使いたい!」


「コツですか。そうですねえ、これは慣れとしか……。しいて言うなら、縦回転ですね」


「縦?」


「そうです。渦巻きみたいに横方向に回すのではなく、もっと立体的に縦方向で回転させるのです」


 アンネはそういうと、指を文字盤の針のように顔の前で回した。それを見たスーディアは、何となく転生前の自宅にあったドラム式洗濯機を思い浮かべる。あの洗濯機みたいに縦方向へと魔力を回せばよいのだろうか。


「やってみる!」


 瞳を閉じると意識を深く深く沈めた。精神が無に帰り、肉体の底に秘められていた力が少しずつ開放されていく。


 やがて湧き出してきた気力と霊力をゆっくり腹へと集める。この時、スーディアは自分が洗濯機になったことをイメージした。身体の中心、ちょうど腹のあたりにドラムがあり、そこへ洗濯物と水の代わりに気力と霊力を入れて行く。


 ドラムで洗濯物を掻きまわすように、縦方向に回転を加えた。気力と霊力がいつも――とはいっても、数ヶ月前の感覚だが――よりほんの少しだけ速く混ざり合っていく。


「水球!」


 稚拙ながらも、迷うことなく陣を描いた指。

 少し鈍っていたが、完全には感覚は失われていなかった。空中にソフトボール大の水の球が出現し、先ほどと同じように勢いよく飛ぶ。水の球はたちまち岩を穿ち、大きな飛沫があがった。しかし、それは先ほどとほとんど違わないように思える。


「だめ、ほとんどかわんない!」


「初めてじゃ上手くいきませんよ。じっくりやりましょう!」


「うーん、先は長いなあ……」


 小さく肩を落としながらも、スーディアは再び魔力を練り始める。何度も何度も、魔力を練っては魔法を放つということを繰り返した。それをアンネは柔らかにほほ笑みながら見守っている。


 風が冷たくなってきた頃、スーディアの魔力が尽きた。一回一回に時間をかけていたせいで、予想以上に時間がかかってしまった。回数にして三十七回、三か月前よりほんの少しだけだが魔法を撃てる回数は増えていた。


「魔力使いきっちゃった。そろそろ帰ろう」


「おや、ずいぶん早いですねえ。さっきまでの様子だと、まだまだ撃てそうですけれど……」


「それが駄目なの。どんだけやっても、魔力がまーったく出ないのよ」


「ほんの少しでも?」


 アンネは眼を細めて疑わしげな顔をしていた。しかし、スーディアは深くうなずく。


「うん、全然出ない」


「もしかすると……ちょっと、背中を見せてもらっていいですか?」


 スーディアの頬が少し赤くなった。誰も見ていないとはいえ、こんな見晴らしのいい場所で背中をまくるのには抵抗感がある。増して彼女の精神は幼児ではなく思春期真っ盛りの高校生の物だ。


「いいけど、何するの?」


「ツボを押してみようかと。上手くいけば、もう少し魔力を引き出せるはずですよ」


 スーディアの眼の色が変わった。

 彼女はアンネに背を向けると、服を勢いよく捲くった。そして早く早くとばかりに背中をぽんぽんと叩く。アンネは苦笑しながらもその小さな背中に左手を置いた。そして右手で陣を描き始める。

 幾何学模様を幾重にも重ねたような複雑な陣が構成された。青白く輝くそれを、アンネは勢いよくスーディアの背中に押しつける。


「痛ッ!!」


 鋭い痛みが背中を走り抜けた。真っ赤に焼けたこてでも押しつけられたかのような、尋常でない痛みだ。思わずスーディアは飛びあがると、たちまち背中を押さえながら地面を転げまわる。


「アンネ何したの!?」


「ちょっと押しすぎたようです。申し訳ありません!」


「うう……たたた……」


 スーディアはアンネの方を睨みながらも、ゆっくりと立ち上がった。彼女はまだ痛む背中をさすりながら、意識を集中させて霊力と気力を出そうとする。すると、先ほどまで全く出なかったはずの霊力と気力が少しずつだが沸いてくる。


「すごい、出た! 出たよ!」


「やりましたねお嬢様! さあ、もう少し頑張りましょうか!」


「うん!」


 そうしてこの日、アンネとスーディアはすっかり日が暮れてしまうまで魔法の練習に明け暮れたのであった。




 ◇ ◇ ◇



 あっという間に一年ほどの時間が過ぎ、スーディアは四歳になった。

 一年の間に魔法の練習は順調に進み、今では水の中級魔法ぐらいならそれなりに使いこなせるようになっている。普通、中級魔法と言うと使いこなすのに五年はかかるそうだから、かなりのハイペースだと言える。この調子で行けば、五歳になる頃には水の上級魔法が使えるだろうとアンネは嬉しそうに語っていた。


 この世界の魔法は初級・中級・上級・特級・賢級・天級・神級の七段階の難易度に分けられていて、さらに水・火・土・風・光・闇の六属性が存在する。一般的に、どれか一つの属性でも上級魔法を使うことができれば、その者は魔導師と見なされる。


 ちなみにスーディアの得意属性は水だ。というよりも、水魔法を使うしかない状況に置かれていた。彼女が今住んでいる町は『水の魔都』と呼ばれる水属性の魔法を扱う者たちの都なのだ。


 この世界の魔導師たちは属性ごとに『魔都』と呼ばれる都市を形成して暮らしている。魔都は半独立の都市国家の様な存在で、国の軍事力として働くことを条件に広範な自治権を認められていた。その独立性の高さ故か魔都はかなり排他的な場所となっており、互いに戦争を行うことも珍しくない。


 各属性の上級以上の魔法は、すべてそれぞれの属性の魔都が独占していた。しかもその情報管理は徹底されていて、もし魔法の詠唱内容などを他の魔都の魔導師に漏らしたりすれば、たちまちその魔導師は抹殺される。故に、各属性の上級以上の魔法を知りたいと思えば、その属性の魔都に所属するしかないのだ。


 そんな各魔都を支配する長はそれぞれの属性に魔という文字を足して、~魔と名乗っている。例えば水の魔都の長は水魔すいまだ。アンネの話によると、現在の水魔は相当な高齢らしく、それを補佐するのがジルの仕事らしい。


「そろそろ、スーも水魔さまにお目通りしなければいけないな」


 四歳の誕生日を少し過ぎたある日の夕食時、ジルがこんな言葉を漏らした。するとたちまち、脇に控えていたアンネの眉がわずかにひそめられる。


「ジル様、それは少し早いのでは? お屋敷の外に出て、万が一のことがあっては大変です」


「私もそう思うのだが、水魔さまたってのご希望でな。町の慣習でもあるし、近いうちに連れていかねばなるまい」


「そうですか……」


 アンネは何故か八月三十一日の子どもの様に深刻な顔をした。その一方、当の本人であるスーディアはいたって明るい表情だ。彼女は眼を輝かせながら、ジルの方へと身を乗り出す。


「ジル、水魔さまって凄い魔法使いなんでしょう?」


「もちろん、水の魔都の長だからな。水属性に関してなら、おそらく世界一だ」


「すごいすごい! どんな人なの!?」


「うーむ……老人だな」


「それじゃ全然分かんないよ!」


 頭をぶんぶんと振りながら、テーブルを叩いたスーディア。それを見たジルは顎のあたりをさすりながら、天を仰いだ。彼女は形の良い眉をへの字に曲げながら、困ったように息を漏らす。


「良いお方なのだが、とらえどころがなくてな。まあ、お会いすればわかるだろう」


 スーディアの相手をするのが面倒だったのだろうか。そういうとジルは早々に皿を片づけて書斎の方へと引っ込んでしまった。スーディアはまだまだ聞き足りなかったものの、ジルを追いかけて行くわけにもいかず、その場でふくれっ面をする。


「水魔さまか……いったいどんな人なんだろうなあ」


 気分治しに食後の紅茶を呑みながら、期待に胸を膨らませるスーディア。彼女の頭の中には、すでに白いひげをたっぷりと蓄え、三角帽子を被ったいかにもな雰囲気の老人の姿が描かれていた。スーディアはそこへさらに、声はきっと低いだろう、笑い方はふぉッふぉッという感じだろうなどと次々と妄想を足していく。


 それゆえにスーディアは、自身のすぐ脇でアンネが心底焦ったような顔をしていることにはまだ気づいていなかった。その顔が何を意味しているのかということにも。

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