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プロローグ 学校の怪談

 卒業文集に『将来の夢は魔法使いになることです』と書いた少女が居た。

 小学校ではなく、中学校の卒業文集にである。

 無論、教員に何度となく注意されたが彼女は最後までその文言を一字たりとも変えなかった。

 少女の名は神奈備音祢かんなびおとね

 伝統ある柏原高校オカルト部の第十五代部長にして、魔法使いになることを大真面目に目指す少女である。


 そんな彼女がいつからか校内に流れ始めた奇妙な噂――図書準備室に、包帯に巻かれた不気味な本があるらしい――を耳にして起こす行動は一つだった。




 ◇ ◇ ◇




 春休みも目前に迫った三月の半ば。グラウンドのライトが落ちて、運動部の坊主頭たちが次々と門から吐き出されていく。それを学校前のコンビニから確認すると、音祢は読んでいた雑誌を棚に戻した。

 パンパンに膨れたナップザックを肩にして、コンビニを出るとすぐに横断歩道を渡る。そのまま学校の塀に沿って路地へと進むと、たちまち周囲に人気のない通用門へとたどり着いた。


 低い門を軽く乗り越えると、体育館の脇を素早くすり抜けた。

 目標の図書館は、通用門から体育館と北校舎を隔てた南校舎の四階。せせこましい敷地に突貫工事で建てられた地方都市の学校は、かなり雑然とした造りになっている。

 音祢は建物の角にたどりつくたびに、誰かに見られていないかを確認しながら走った。


 そうして、昼間あらかじめ開けておいた窓から校舎に侵入すると、彼女はほっと一息つく。あとは階段を上って図書館までたどり着き、その奥にある図書準備室へ入れば任務完了。今日の宿直は怖がりな女教師だったはずだから、宿直室のある北校舎はともかく南校舎の中までは来ないだろう。


 中庭に立っている時計を見ると、時刻はすでに八時近くになっていた。

 神奈備音祢にとって、午後八時というのは外に出ているには遅すぎる時刻だ。

 少し急がなければいけない。音祢は背中のナップザックから、手早く懐中電灯を取り出す。LEDの温かみのない光が、リノリウムを青白く輝かせた。夜の冷気で良く冷やされたそれは、色も相まってさながら氷のようだ。


 昏い教室の脇を滑るように走っていくと、すぐに廊下の突き当たりに差しかかった。彼女はそこで右に折れて、階段を上り始める。ユニバーサルデザインだという階段は、段の高さがやや低く設計されていた。音祢はそんな階段を一段飛ばしで駆け上がる。

 スカートを翻しながら、カッツカッツと足音を響かせること一分ほど。音祢は何事もなく四階へとたどり着いた。階段から見てすぐ左側に、図書館の入り口がある。図書委員の連中が造ったカエルのゆるキャラが扉の上からこちらを見下ろしていて、何とも異様な雰囲気だ。


 タイ焼きと引き換えに委員から借りた鍵を使って、扉を開く。

 扉の向こうは完全に闇に埋没していた。

 本を直射日光から守るためか、図書館はもともと窓が少ない作りになっている。さらに背の高い本棚が小さな窓から入り込む外の光を完全に遮断してしまっていた。


 懐中電灯で辺りを照らしながら、ゆっくりと棚の間を歩いていく。教室三つ分ほどの限られたスペースに何万もの本を詰め込んだ図書館は、その結果として非常に通路が狭い作りになっていた。たいして太っているわけでもない、むしろ標準からみるとかなり華奢な体型をしている音祢でも、棚に肩をぶつけないよう意識せざるを得ないほどだ。


 そうして進んでいくと、不意に視界が開けた。図書館の一番奥へ到着したのである。白い壁際に長椅子が二つ置かれていて、その間に不愛想なアルミ製のドアがある。蛍光カラ―で『立入禁止』と書かれた安っぽいそれは、オーパーツよろしく場違いだった。


「ここか」


 音祢はナップザックから細い針金を取り出した。彼女はそれを鍵穴へ突っ込むと、懐中電灯を肩に挟んで、しっかりと手元を照らす。カチカチと金属音を響かせながら、針金の角度や長さを両手で微調整していくこと数分。昭和の香り漂う単純極まりない錠前は、いともたやすく開いてしまった。


「つめたッ!」


 扉を開くと、中から冷たい空気が溢れてきた。密度の濃い冷気が足元をさらって行き、その冷たさのあまり音祢は鳥肌を立ててしまう。


 なぜ、これほど冷えているのだろうか。

 彼女は少し踵を浮かせるようにしながら、ゆっくりと図書準備室の中へと足を踏み込んだ。中は四畳半にも満たないほどの狭さで、打ちっぱなしのコンクリートが寒々しい。長い間掃除がされていないのか、降り積もった埃の匂いも少しきつかった。


 部屋の左側はスチール製の本棚が占拠していて、中には過去の卒業アルバムや郷土資料といったものがぎっしりと詰まっていた。右側にはいつ使うのかわからないようなパーティーグッズやビニールシートと言ったものが、まとめて箱詰めにされている。おそらく、生徒会の連中が普段使わない文化祭の道具などをここへ放り込んだのだろう。


 本棚と箱の向こうには小さな机が置かれていた。ずいぶん年季の入った、黒い木の机である。少しささくれだってざらざらとしているその表面をなでると、音祢は引き出しを開けた。すると、あった。


「これね……確かに巻かれてる……」


 小振りな辞書ほどの厚さと大きさの本が、包帯で厳重に巻かれていた。さらにその上から何かお札のようなものが貼られている。血を思わせる鮮やかな赤色の文字が、色褪せた紙の上で躍っていた。何が書いてあるのか音祢にはさっぱり分からないが、奇怪な曲線から成り立つその文字は梵字に少し似ている。


 触ってみると、包帯は彼女の思っている以上に硬い感触だった。布というよりも、薄い石のようだ。以前、博物館で古代エジプトのミイラを見たことがあったが、まさにあのような感じだ。悠久の年月の間に水分がすっかりなくなり、包帯が石と化してしまっている。


 ――読みたい。包帯を解いて、中をみたい。


 突然、欲望が降ってきた。

 沸いてきたのではない、外側から降ってきたのだ。

 しかしそれは音祢の頭の中へ入り込むと、すぐに彼女の心と一体化してしまった。音祢の意識がたちまち強烈な飢えに満たされていく。


 見たい。

 読みたい。

 開きたい。


 砂漠の旅人が水を求めるように、心が包帯を解き放ち本を開くことを求め始めた。ざわつき始めた心を音祢は理性で抑えつけようとしたが、言うことを効かない。心に住み着いた獣は理性の鎖を打ち破り、暴れ始めた。


 内側からの衝動。音祢の細い腕が、糸で操られるように本へと伸びていく。本からただならぬ気配が漂っていることぐらい、彼女も気づいていた。が、手を止められない。自分の腕であるはずなのに、それが他人の物であるかのように言うことを聞いてくれないのだ。


 ――ぶつかる!


 音祢がそう思った瞬間、手は本に達して貼られていた札を剥ぎ取った。その瞬間、指先から電撃が走り抜けた。さらに本を中心として衝撃波が放たれ、音祢の身体はたちまち後方へ吹き飛ばされる。綺麗な放物線を描いた彼女は、背中から硬いリノリウムの床へ叩きつけられた。骨を打ちつけたことによる鈍い痛みが、音祢を襲う。


「グゥ……な、何よ……!!」


 音祢が視線を上げると、本は宙に浮いていた。巻かれていた包帯が見えない何かによってするすると解けていく。


 紫煙のような炎が見えた。本から溢れ出したそれは、途方もなくまがまがしい光に満ちている。見ているだけで、あの世に連れ去られてしまいそうなほどだ。音祢の身体から雑巾を絞るかのように汗が浸み出してくる。


 彼女はいまだ痺れが残る体をどうにか起こすと、ゆっくりと本から後ずさった。冷たい床に体を引きずりながら、部屋の端へと避難していく。やがて、ドアのそばまでたどり着いた彼女はノブへと手を伸ばした。しかし、ノブが回らない。


「嘘!? なんで!」


 立ち上がった音祢は体を揺さぶりながらノブが壊れんばかりの力で回そうとしたが、まったく回る気配はなかった。建てつけが悪いなどという次元ではない。溶接でもされたかのように、しっかりとノブが固定されてしまっている。


「嫌、助けて!」


 こうして音祢が扉を叩いている間にも、ドンドンと包帯は解けていく。

 これが完全に解けてしまったら、いったい何が起きるのだろうか。

 恐怖感に駆られた彼女は扉を破るべく、思い切り肩をぶつけるが薄いはずのアルミのドアは小揺るぎもしない。いくら音祢が女性で華奢な体型をしているからと言って、体重四十キロはある。それだけのものが勢いよくぶつかって凹みもしないというのは、明らかに異常だった。


「クソ! クソッ!! どうして開かないのよ!」


 叫んでいるうちに、包帯がすべて解けた。

 何も起きない。

 仄暗い静寂があたりを満たしていく。

 本は空中で静止していた。ナップザックの端からいつの間にか飛びだしていた特殊警棒――音祢曰く「いざというときのための杖」――をつかむと、彼女はそれを居合抜きよろしく振り抜く。警棒の先端に貼り込められた呪符がバサバサッと音を立てた。さらにカーボンスチールの手に吸いつくような感触とほどよい重量感が、音祢の心にわずかばかりの安心感を与える。


 温い汗が額から落ちた。全て解けてから、どれほどの時間が経っただろう。いまだ何も起きてはいない。が、この沈黙が逆に不気味だった。音祢はゆっくりと本の方へと近づいていくと、警棒の先で本をつついてみた。しかし何も反応はない。


「……なんだ」


 拍子抜けした音祢は、強張っていた肩を降ろした。彼女は本に背を向けると、恐る恐る入口の方へと歩き出す。


 直後、背中が燃えた。

 何が起きたのか理解できない音祢の心は、白に染まった。

 両脇の下から何かが入り込み、彼女の細い体はたちまちそれに持ち上げられる。慌てて視線を下げると、白い光が体に巻きついていた。固い弾力を持つゴムのようなそれは、音祢の身体をしっかりと絡め取っていて、必死に外そうとしてもびくともしない。彼女はたまらず、それが伸びてきた後ろへと振り返った。


 眼。

 紅に染まる魔性の瞳。

 虚空を思わせる深い闇の中に、ただそれだけが浮いていた。

 それと眼があった瞬間、音祢の心が凍った。そしてたちまち、薄氷のように砕け散る。

 精神が吹き飛ぶ。それと同時に彼女の鼓動も止まり、肉体もまた――――死んだ。

文章が詰まっていると読みにくいとの指摘を受けたので、空行を追加しました。

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