地獄と化した熊谷市
ジャンル分けが微妙に難しいですが、あえて言うとコメディーでしょうか。
ですが、特に笑えるという訳でもないので、過度な期待はしない方がいいかも。
毒にも薬にもならないショート小説ですが、最後まで読んでくれたら嬉しいです。
暑い。
男はそう思いながら日蔭に座り込んでいた。ここ熊谷市では先月から猛暑が続いており、休日にも関わらず人の数はまばらだった。この暑さなのだから、みんな家の中に引き籠っているのだろう、と男は考えた。
そんな酷暑であるにも関わらず、男は外で倒れこむように座っていた。理由は簡単明瞭。クーラー、扇風機が備えられていない家中の方が外よりも暑いからだ。
男はバイトで生計を立てていたが、お金を使い過ぎてしまい、現在残金が十三円しかない。給料日は明日なので、今はミネラルウォーターを買うお金すらない。
「早く、早く来てくれ……」
男が日陰に避難しながらも刻々と体力を削られているその時、ケータイの着信が鳴った。友人からの電話だった。
救世主降臨。男は俊敏な動作でその電話をとる。
「もしもし、お前今どこにいる。早く助けに来てくれ」
男は友人に小額のお金と飲み物を持ってくるようお願いしていた。『貸しは次の日に入る給料ですぐ返す。だから急いで届けに来てくれ』と必死に頼み込んだ結果、友人がもうそろそろ隣の市から到着してくるはずだった。
「悪い、今日やっぱ行けないわ」
しかし友人は男の淡い期待を粉々に打ち砕く言葉を即座に、あっけらかんと言い放った。
「いやーせっかくのお前の頼みだから俺も行こうとはしたんだけどさー、外に出たらもう暑いのなんのって、外出できる暑さじゃないよあれは。でさ、テレビを見たら熊谷市の今日の気温、四十度越えだってよ。こんな日に外に出る人の気が知れないね」
「それは俺に対する嫌味か。とにかく、一生のお願いだから助けに来てくれ」
「ごめん無理。さすがに今日は暑すぎる。まあ、一日だけなんだからどうにか我慢してくれ」
友人の電話はそこで無情にも途切れた。慌ててリダイヤルボタンを押すが、何度掛けても再び出ることはなかった。どうしても外に出る気はないらしい。
「死んだら、絶対、化けて出てやる」
男は乾いた口を精一杯動かし恨み節を呟き終えると、ケータイをポケットに戻した。
現在、熊谷市では断水が昼夜決行されていて、水道水すら口にすることも出来ない。飲み水を欲しがる人たちは皆、スーパーやコンビニなどに群がり、ペットボトルや缶を大量に消費していく。地球に一番優しくない街はここ熊谷市に違いない、と男は思った。
午後二時を過ぎ、暑さがピークに達し始めた。あと数分経てば俺は熱中症と脱水症状でパッタリ逝ってしまうだろうな。男がそうして生への執着を諦めかけたその時、奇跡は起きた。
突然、空気が変わった気がした。大気の変化に気付いた男が上空を見上げると、さきほどまでサンサンと輝いていた太陽が分厚い雲によって遮られていた。そして瞬く間にどしゃ降りとなり、数ヶ月ぶりの雨が熊谷市に降り注いだのだ。
天からの恵みを全身に浴びようと男は日陰から飛び出した。服越しに雨水を受け止め、一心不乱に口の中にも雨水を注ぎこみ、男は生きる活力を取り戻した。屋内に閉じこもっていた人たちも、恩恵を受けるために続々と外へ飛び出してくる。
熊谷市は天の気まぐれによって、数ヶ月も続いた生き地獄から脱出したのである。
ちなみに、この雨は一週間経っても降り止まず、熊谷市に前代未聞の大水害を引き起こすのだが、それはまた別のお話である。