最後の光
北の空気はあまりに冷たく、吐息さえも結晶のように砕けていった。
要塞の壁は雪に覆われ、ボレアル王国の旗は、南から迫る金の吹雪の中で崩れ落ちようとしていた。
北の兵士たちは廊下を走り回り、意味をなさない命令を叫んでいた。
敵の姿は見えない——だが、“気配”があった。
雪は金の光を帯びて輝き、風には聞き覚えのある声が乗っていた。
「夜明けはもう来た。隠れる場所なんてない。」
ユウト・タカミネは塔の上から弓を構えながら、その言葉を聞いていた。
彼の手が震えていたのは寒さのせいではなかった。
それは記憶——かつての仲間の姿によるものだった。
——ハルト……なぜこんなことを……。
彼が呟いたその瞬間、城門が爆音と共に開いた。
吹き込む雪と炎の中から、一人の影が現れる。
マグノリア——帽子の広いツバからは溶けた霜が滴り、
腰に下げた鎖が戦の鐘のように鳴っていた。
——久しぶりね、ユウト。
“北の英雄”だなんて、素敵な称号。
——でも、自分の影すら救えない人間には、ちょっと似合わないかも?
ユウトは一歩後退する。
——……カガミ?
——もう、その名前じゃない。
マグノリア——黄金の太陽の「一弾」よ。
彼女が銀の銃口を、彼の心臓に向けた瞬間——
部屋に張り詰めた沈黙は、凶器のようだった。
ユウトは弓をゆっくりと下ろす。
——……洗脳されたのか?
マグノリアは皮肉めいた笑みを浮かべた。
——いいえ。
目を開かせてもらっただけ。
その時、天が裂けた。
金の吹雪の中から、ハルト・アイザワがゆっくりと歩いて現れる。
彼のマントは暁の光に揺れ、《アポロンの槍》は夜明けの炎を映していた。
その姿に、北の兵士たちは思わず膝をついた。
恐怖に——あるいは、諦めに。
彼から放たれるのは、魔法ではない。
それは「権威」そのものだった。
——ユウト・タカミネ。
お前はいつも理想主義者だった。
“力を持たずとも、善は生き残れる”と信じていた。
……だが今のお前を見ろ。
夢の中で凍え、孤独に震えている。
ユウトは弓を構える。
——俺は……屈しない!
——最初は、誰もがそう言う。
——だが、真実はその先にある。
戦いは、あまりにも短かった。
ユウトの第一射は、金の光に触れた瞬間、空中で消し飛ばされた。
第二の矢は、マグノリアの鎖によって叩き落とされた。
そして第三の矢——それは、カオリが片手で受け止めた。
——手が震えてる。
昔、誰かを守るために放った時、君の弓は光ってた。
今の君は……恐れから逃げるために矢を放ってるだけ。
ユウトは膝をついた。
雪に赤が混ざり、ゆっくりと彼を包んでいく。
——どうして……君まで……
——私は、“善”よりも強いものを見つけた。
それは——「真実」。
ハルトは彼に歩み寄る。
その目には、哀れみと確信が共存していた。
——殺しはしない。
お前の罰は、「世界がもう英雄を必要としていない」ことを知ったまま、生き続けることだ。
最後の金の光が空から降り注ぎ——
北の要塞は、夜明けの中で炎と化した。
それは、ただの勝利ではなかった。
理想が燃え落ち、
新たな秩序が誕生した瞬間だった。
すべてが終わったあと、ハルトは静かに廃墟の中を歩いていた。
炎と雪が交じり合い、現実とは思えない光を放っていた。
その周囲で、黄金の軍勢は言葉もなく沈黙を保っていた。
マグノリアは帽子のツバを下げ、
カオリは遥か彼方の地平線を見つめ、
オーレリアは銀の翼を広げて風を感じていた。
——終わったわ。
そう告げたのはオーレリアだった。
——いや。
ハルトは背を向けたまま、低く答えた。
——ここからが……始まりだ。
なぜなら、北が落ちた今——
氷の山脈のさらに向こうに、新たな「脅威の残響」が響き始めていたからだ。
そしてその影の中。
銀髪を揺らし、黒き大鎌を手にした一人の存在が、
夜明けの光を見上げながら、静かに笑っていた——。
――つづく。




