氷上の対話
灰色の朝――
白い旗を掲げた一台の馬車が、黄金の王国の国境を越えた。
護衛はなく、御者と、青い法衣をまとった一人の男のみ。
顔は覆われていたが、その歩みは揺るぎなかった。
城の広場で、兵たちが警戒を強める。
「――何者だ」
一人の兵士が問いかけた。
男は北方の王印を掲げ、静かに答える。
「私はレスター・クロウ。
“永劫審判の騎士団”代表、高峰悠人の使者です。
――和平の提案を持ってきました」
その言葉は、すぐに城中に広まった。
和平。
まだ灰の匂いが残るこの国では、
その響きはどこか空虚だった。
***
城の大広間は、静寂に包まれていた。
やがて、ハルトが現れる。
大理石の床を踏む足音が反響し、
その鋼のような視線が室内を貫く。
側には、アウレリア、カオリ、リラ、モモチ、マルガリータ――
彼の忠実なる盟友たちが並んでいた。
使者・レスターは丁寧に一礼する。
「お招きいただき、感謝します。ハルト様」
「感謝など不要だ」
ハルトの声は冷たい。
「礼儀で呼んだのではない。……好奇心で、だ」
「それならば、満足いただけることを願います」
レスターは笑みを崩さず、
青い封蝋の施された巻物を差し出す。
「我ら“騎士団”は、一ヶ月の停戦を提案します。
その間、貴国は北進を中止し、
フレイガルドの主権を認めること――
これが条件です」
マルガリータが鼻で笑う。
「……断ったら?」
レスターは怯まず、視線を向ける。
「それは、“神聖戦争”の宣言と受け取られます」
ハルトは何も言わず、巻物を手に取り、目を通す。
やがて、それを机に静かに戻した。
「――なるほど。
和平ではなく、“時間稼ぎ”か」
レスターは答えない。
ハルトは立ち上がり、彼の間近まで歩み寄る。
「……高峰悠人に伝えろ。
彼の“正義”の言葉など、誰も信じていない。
救済など望んでいない。
彼が望むのは、“新たな神”の座だ」
レスターは微笑みを消さず、問う。
「では、あなたは何を望むのです?
力か? 支配か? 復讐か?」
ハルトは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「違う。……**均衡**だ」
「この世界が滅ぶなら、せめて“正しく”滅ぶべきだ」
沈黙が広がる。
リラが一歩前に出る。
「均衡には、必ず代償が伴います。……使者よ、あなたも知っているはず」
レスターは目を逸らす。
「……私は、命令に従っているだけだ」
モモチが影の中から低く呟く。
「命令で動いた者は――
いつも、首を失って終わる」
その場の空気が一瞬で凍る。
だが、ハルトが手を上げる。
「……やめろ」
レスターは安堵の息を漏らす。
「では……お返事は、前向きと考えてよろしいでしょうか?」
ハルトは彼の肩すれすれまで近づき、囁いた。
「……ああ。**“前向き”にな」
「……え?」
その瞬間、レスターの足元が光を放つ。
逆符のルーンを刻んだ金色の魔法陣――
馬車の下にまで広がる。
リラが静かに杖を掲げ、術式を完成させる。
《解析完了》
馬車が震え出し、
その内部から、闇色の光が漏れ出す。
――それは、“圧縮された爆破印”。
王城の内部へ侵入すれば、自動で発動する罠だった。
マルガリータが舌打ちする。
「やっぱり、手土産付きだったわけね」
レスターの顔が蒼白に変わる。
「違う、そんな……! 知らなかった!
それは、神官たちが……!」
ハルトは無表情のまま、見つめていた。
「それでも、許される理由にはならない」
アウレリアが剣を引き、レスターの前に構える。
「処理しますか、我が主よ」
ハルトは窓の外――北を見つめた。
「……逃がせ」
周囲が驚愕する。
「逃がすのか?」
カオリが尋ねる。
ハルトは静かに頷いた。
「ああ。
ときに最高の復讐とは、
敵に“生きて報告させる”ことだ。」
数時間後――
レスター・クロウは震えながら国境を越え、
フレイガルドの拠点へと戻った。
その顔は蒼白で、唇は凍え、
ついに――高峰悠人と鏡俊介の前で膝をついた。
「……失敗しました……
和平は……成立しませんでした……」
悠人はしばらく黙って彼を見つめていたが、
やがて穏やかに言った。
「いいや――お前は失敗などしていない」
鏡が微笑む。
手の中には、心臓ほどの大きさの黒紫色の魔力石。
「これが何か、わかるか?」
レスターは首を振る。
「……いいえ」
俊介の目が細められる。
「これは“種”だ。――情報の種」
魔力石が鈍く脈打ち、
その波動は、南へと伸びていく。
それは――追跡呪詛の一種。
今後、ハルトが“ガチャ”を使うたびに、
その座標が、審判の騎士団に伝わる仕組みだった。
悠人が石を手に取り、強く握る。
「……これで、“駒”は揃った」
その瞬間、北風が南へと吹き抜ける。
氷の囁きと、戦の影を伴って――
――つづく。




