王国の影
三つの影が、市場の喧騒の中を進んでいた。
石畳に太陽が照りつけ、商人たちの声がコインの音と混じり合って響いていた。
ハルトは今、灰色のマントと使い古された革のベルトを身に着けていた。
その隣を歩くオーレリアは、濃紺のドレスに白いエプロンを重ね、角を隠すスカーフで髪を結っていた。
尻尾はスカートの下に魔法の封印で隠され、
外見だけを見れば、ただの異国の若き貴族にしか見えなかった。
マルガリータはというと、黒いショートコートに広いつばの帽子をかぶり、
影に目を隠して歩いていた。
腰に巻かれた鞭は、革のベルトの中にうまく隠されている。
「よくやるね、あんたら」
マルガリータは鼻を鳴らしながら言った。
「まさか、その青い瞳の嬢ちゃんが人を炭に変えるとは誰も思わないだろうさ。」
オーレリアは微笑んだ。
「すべての竜が演技できるわけではありません。私は、順応するのです。」
ハルトは黙って歩きながら、市の喧騒を見渡していた。
“死”から戻って以来、初めて都市の中を歩いていた。
パンの香り、鍛冶屋の槌音、人々のざわめき──
すべてが「普通」に見えた。
だが、何かがおかしかった。
夕暮れが訪れる頃、三人は運河沿いの宿に身を寄せた。
オーレリアは窓辺に立ち、
その瞳に、かすかな黄金の光を宿して周囲を見渡していた。
「何かが…妙です」
彼女が呟いた。
「人々は一見、幸せそうに見えます。
でも、その感情は……魔法のヴェールで覆われています。」
ハルトが近寄る。
「見えるのか?」
「ええ。エネルギーが歪んでいます。
誰かがこの都市全体の“意思”を操作している。
心を縛り、感情を鈍らせているのです。」
マルガリータがテーブルを指で叩いた。
「誰がそんなことを? 町全体を操るなんて…」
オーレリアは目を閉じた。
「──玉座を失うことを恐れる“勇者”です。」
ハルトの表情が固まる。
「……カイト。」
その名が、部屋の空気を凍らせた。
噂によれば、“太陽の勇者”カイトは死んではいなかった。
この地方の都に住み、王室の保護を受けながら贅沢な暮らしを送っているという。
侍女に囲まれ、兵士に守られ、
夜な夜な北区から若い女性を招いて宴を開く──
そんな噂を、オーレリアは軽く触れただけで人々の心から引き出していた。
ハルトは拳を握りしめた。
「……俺たちが血を流していた間、あいつは遊んでたってわけか。」
オーレリアがそっと彼の肩に手を置く。
「怒りは、目立つ原因になりますよ、マスター。」
「わかってる。」
彼は深く息を吸い、吐いた。
「だからこそ──“時”を待つ。」
その夜、オーレリアはひとりで裏路地を歩いていた。
夜風は涼しく、川のせせらぎと寺院の鐘の音が混じっていた。
二人の衛兵が前方から現れた。
「おい、お前。見かけない顔だな。どこから来た?」
オーレリアは顔を上げた。
その瞳が、サファイアのように光を帯びる。
「……遥か遠くより。
まだ“男”が沈黙を知っていた場所から。」
彼らの動きが止まる。
“竜の魅了”──ドラコニック・ファシネーションの術式が静かに発動された。
瞳孔が開き、思考が鈍る。
「答えてください。」
オーレリアの声が低く、透き通る。
「この町を支配しているのは?」
「勇者……カイト様……」
「夜は何を?」
「宴……酒……北区の女たち……城はいつも音楽に満ちている……」
オーレリアは軽く微笑んだ。
「ありがとう。──私を見た記憶は、消えなさい。」
兵たちは無言でうなずき、 trance の中で通り過ぎていった。
数時間後。
オーレリアは宿に戻った。
焚き火の前ではハルトが地図を広げて待っていた。
マルガリータはベッドの上で鞭を拭いていた。
「確認しました。」
オーレリアが静かに言う。
「カイトは生きており、精神干渉によりこの地を支配しています。」
マルガリータは舌打ちした。
「……小心者め、自分が神になったつもりか。」
ハルトは無言で数秒間、考え込む。
そして地図を指差した。
「都市を三つの区域に分ける。
広場、塔、歓楽街。」
「オーレリア、お前は警備の動線を洗え。
マルガリータ、お前は接触先を探れ。
そして──奴の眠る場所が判明したら……動く。」
オーレリアは静かに頭を下げた。
「仰せのままに、マスター。」
マルガリータは鋭い笑みを浮かべる。
「狩りの時間だな。」
焚き火の炎が三人の顔を照らす。
オーレリア──忠誠。
マルガリータ──戦。
ハルト──かつては“エラー”、
だが今や、世界の均衡を破る異常存在となりつつある者。
王国の暗闇の中で、
ただ一つの反逆の旗が──静かに、しかし確かに掲げられた。
この章では、ハルト、オーレリア、そしてマルガリータが新たな身分で王国に潜入します。
オーレリアは自身の能力を駆使し、真実を暴きます。自分を裏切った英雄カイトがまだ生きており、民衆を操っているのです。
ハルトは最初の強盗を計画し始め、復讐の舞台を整えます。
この章をお楽しみいただけましたら、評価、コメント、シェアをお願いします。
皆様のご支援が物語の成長を支え、ランキング上位への道筋を支えます。




