『堕ちた女王の再誕』
壁は黒かった。
それは、いかなる人間の王国にも存在しない石で造られていた。
低く響く魔力の振動が、女王の身体を縛りつけ、冷たい床に座らせていた。
足音を感じ、ヘランドラはゆっくりと目を開く。
最初に見えたのは――ハルト。
そして、その背後には。
腕を組むアウレリア。
鋭い視線を向けるカオリ。
指の関節を鳴らすマグノリア。
静かに見守るフロストレインとリリーベイン。
そして、冷たい笑みを浮かべる大魔導師エリス。
女王は唾を飲み込んだ。
「わ、私に……何を……?」
最初に口を開いたのは、カオリだった。
「自分がどれだけ愚かだったか、理解してもらうためよ」
アウレリアが続ける。
「あなたは利用されただけじゃない。
大陸全体を危険に晒したのよ」
マグノリアが舌打ちする。
「しかも、倒された時にガキみたいに泣いた男のために、だ。
……哀れだな」
女王は顔を伏せ、耐えきれない重圧に押し潰されそうになる。
「わ、私は……ただ……恋をしていると思っただけ……」
フロストレインが冷静に言った。
「それで、引き起こした混乱が許されるわけじゃない」
リリーベインが手話で何かを伝える。
フロストレインが通訳した。
「“言葉を持たない私ですら、あなたが愚かだったと分かる”
……そう言っている」
女王は歯を食いしばり、涙を流した。
「それで……どうするの……?
殺すの……?
拷問……?
それとも、戦利品にするの……?」
ハルトが前に出た。
その影が、女王を覆う。
声は冷たい。
だが、残酷さはなかった。
「いいや。
死は――理解もなく多くを壊した者には、あまりにも慈悲深い」
女王は怯えた目で彼を見上げる。
「じゃあ……何を……?」
ハルトは屈み、指先を彼女の額に当てた。
「すぐに分かる」
白く輝くガチャ陣が、彼女の足元に展開される。
女王は叫んだ。
痛みではない。
恐怖によって。
意識が広がり、同時に崩れていく感覚。
ハルトが低く呟く。
「《精神ガチャ・魂再構築》」
記憶。
感情。
価値観。
すべてが、内側で再編成されていく。
消されたわけではない。
壊されたわけでもない。
傷つけられたわけでもない。
ただ――
書き換えられただけ。
背後でマグノリアが呟く。
「このレベル……神でも元に戻せねぇな」
アウレリアが小さく息を吐く。
「ハルトは、いつも完璧ね」
カオリが腕を組む。
「これは罰……
でも同時に、チャンスでもある」
光が収まった時――
女王は、もはや以前の女王ではなかった。
栗色だった髪は、柔らかな銀色へ。
衣装は、黒と金を基調とした軍礼装へ変わっていた。
怯えた瞳は消え、そこには揺るがぬ意志が宿っている。
背筋は真っ直ぐに伸びていた。
ハルトが告げる。
「これから――
お前の名は、アストラ・ノクスだ」
女は顔を上げる。
完全に新しい目で。
「我が王よ。
ご命令を」
カオリとアウレリアは、無言で視線を交わした。
そこに、かつてのヘランドラの面影は一切ない。
ハルトは手を差し伸べ、ゆっくりと彼女を立ち上がらせる。
「過去は、もうお前のものじゃない。
未来は――俺のものだ。
そして、お前は誰よりも優秀に俺に仕える」
アストラは目を閉じ、彼の手に額を預けた。
「私の命も、心も、剣も……
すべて、ハルト様のものです」
アストラが、新しい足取りで牢獄を出ていく。
カオリが小声で尋ねた。
「ハルト……なぜ、彼女を消さなかったの?」
ハルトは振り返らずに答える。
「駒を消したくはない。
武器を作りたいんだ」
アウレリアが微笑む。
「やっぱり、味方にすると思った」
マグノリアが眉を上げる。
「で、役割は?」
ハルトは、島々が連なる海を見つめて言った。
「アストラ・ノクスは、最高の密偵になる。
城壁王国の秘密を知り尽くしている。
そして――もう、裏切ることは不可能だ」
カオリが言う。
「じゃあ……アガメントスに?」
ハルトは、わずかに笑った。
「アガメントスにも、神々にも、
必要とあらば――誰にでも」
「世界は変わり始めている。
だからこそ、完璧な兵士が必要なんだ」
カメラは、振り返ることなく歩くアストラに寄っていく。
彼女の新しい人生は――
今、始まったばかりだった。
皆が牢獄を後にしようとした、その時――
アストラは、ふと足を止めた。
その瞬間、
知らない声が、彼女の意識の奥で囁いた。
『――生まれ変わったな……
だが、お前の運命は……まだ定まっていない』
アストラは、戸惑いながら振り返る。
ハルトが、横目で彼女を見た。
「どうした?」
アストラは、静かに首を振った。
「何でもありません、我が王。
私は……いつでもお仕えできます」
だが、その声は再び響いた。
『――まもなく……
迎えに行く』
画面は、静かに暗転する。




