『深淵の技師と、追い詰められた王』
その知らせは、
風よりも早く広がった。
――ハルト・アイザワが、テロスを殺した。
ある者にとっては奇跡。
だが、別の者にとっては――
理解不能な恐怖。
そして、
ただ一人の男にとっては――
挑発だった。
奪われた船の船倉に作られた研究室。
未完成の機械、
瓶の中で脈打つ機械の心臓、
血管のように蠢くケーブル。
アカシは、
不可能な数式で埋め尽くされたモニターを見つめていた。
その背後で、
眼鏡をかけた細身の少女――ミヤコが震えている。
「ア…アカシ……
イカロス・オメガは完全に破壊されました……
そ、それに……ハルトがテロスを……
神を殺したんです……!
ど、どうするんですか……?」
アカシは答えなかった。
彼の手は血に染まっていた。
眠らず、
食べず、
止まることなく作業を続けた痕跡。
深い隈の奥で、
その目は狂気じみた光を放っていた。
やがて、
彼は笑った。
「どうするか、だって?」
「なんて無邪気な質問だ、ミヤコ」
少女は一歩後ずさる。
アカシは、
穏やかで、
父親のように優しい声で語り続けた。
――あまりにも、優しすぎる声で。
「テロスは下位神だ。
城壁を守る番犬にすぎない。
力も、役割も限定された存在だ」
そして、
笑みが消えた。
「ハルトは確かに殺した。
だが――」
「殺したのは、
最も弱い神の一柱だ」
ミヤコは息を呑んだ。
「よ、弱い……?」
アカシは振り返る。
その目は、空っぽだった。
「ミヤコ……
この世界が人間の論理で回っていると、本気で思っているのか?」
彼女に顔を近づける。
「神が一柱減った程度で、勝利だと?」
囁くように言った。
「まだ六柱いる。
上位神だ。
そして全員が――
テロスの死の叫びを聞いた」
ミヤコの額に汗が浮かぶ。
「じゃ、じゃあ……逃げるべきでは……?」
アカシは笑い声を上げた。
「逃げる?」
「何から?」
机を叩く。
「今が最高のタイミングだ!」
「ハルトは優位に立ったと思っている。
島々は救われたと思っている。
王たちは交渉できると勘違いしている」
アカシは、
生きているかのように脈打つ
機械の心臓を持ち上げた。
「だが、それは――」
「今日、終わる」
ミヤコは青ざめた。
「そ、それは……?」
アカシは当然だという顔で答えた。
「新型ゴーレムだ。
魔力でも、エネルギーでも、魂の再利用でもない」
「神の怒りで動く存在だ」
「き、禁忌の神性エネルギーを……!?」
アカシは再び微笑んだ。
「扉を開いたのはハルトだ。
俺は、ただ入るだけさ」
一方、
城壁都市では――
王は玉座の間を行ったり来たりし、
髪を掻きむしっていた。
「我が子らが……!
ただの召喚獣に敗れた……!
我が神は死に……
我が王国は、辱めを受けた……!」
王妃は跪き、必死に訴える。
「陛下……
テロスだけが全てではありません……
他の神々はまだ我らを……」
――パァン!
王は反射的に彼女を殴った。
「黙れ!!」
「お前の愛人は
ダイヤモンドの巨人に叩き潰された!
軍は壊滅!
そしてお前は……
恥を持ち帰っただけだ!」
王妃は泣き崩れた。
「私は……
息子を守りたかっただけ……」
「守るだと!?」
「あいつが戦争を始めたのだ!」
王は玉座に崩れ落ちた。
荒い呼吸。
「王国を失った王……
誇れる子もいない父……
神を失った同盟者……」
その時――
声が響いた。
扉からでも、
天井からでもない。
魂を引き裂くような声。
「――アドラノス王。
お前は呼んだ。
そして、我らは応えた」
王は凍りつく。
「だ、誰だ……?」
六つの声が重なり合い、
永遠の反響となる。
「我らは天冠の守護者。
テロスを統べし者。
運命、死、戦争、海、夢、炎を司る存在」
王妃は恐怖に泣き崩れた。
王は狂気の笑みで両腕を広げる。
「そうだ!
助けてくれ!
ハルトを殺せ!
我が王国を取り戻せ!
我が子らに復讐を!」
声は答えた。
「願いは聞き入れよう。
だが――
代償は、お前の魂だ」
王は迷わなかった。
狂ったように叫ぶ。
「持って行け!!」
禁忌の神性エネルギーで
ゴーレムを創り出すアカシ。
六柱の上位神に魂を差し出した
城壁の王。
二人が抱く目的は、ただ一つ。
――ハルト・アイザワを滅ぼすこと。
空は暗く覆われる。
新たな章が、今、幕を開ける。




