「母の手と、王子の驕り」
アウレオン城には、張りつめた沈黙が流れていた。
西翼の廊下を通る兵士は誰もいない──
今から何が起こるのか、皆が知っていたからだ。
王妃ヘランドラは、銀の瞳に怒りの光を宿し、
白い衣を戦旗のように揺らしながら一直線に歩いていた。
王子エヴァンダーの部屋の前で、近衛兵が慌てて腕を広げる。
「お、お妃様……王子殿下は、どなたの面会も──」
「どきなさい。」
足を止めることなく、ただ一言。
扉が勢いよく開かれた。
◆ 驚き立ち上がる王子
豪奢なソファで葡萄酒を飲みながら、
鏡の前で黄金の髪を整えていたエヴァンダーは、
母の姿を見た瞬間、笑みを凍らせた。
「ま、母上……? どうしてここに……?」
ヘランドラは扉を乱暴に閉めた。
「あなたに伝えなければならないことがあるの。」
エヴァンダーは立ち上がり、不安げに声を上げた。
「父上に何か? 叔父上が──」
ヘランドラはゆっくりと歩み寄る。
その一歩一歩が、王妃ではなく“母”としての怒りを帯びていた。
「いいえ。
問題なのは あなたよ。」
エヴァンダーの眉がひそめられた。
「ぼ、僕? 僕が何をしたと言うんだ?
年老いた王より、若い僕を選んだ女性が悪いのか?」
──パァンッ!
乾いた音が部屋に響いた。
エヴァンダーは頬を押さえ、目を見開く。
「ま、母上……? いま僕を……殴ったのか……?」
ヘランドラは涙をこらえながら、しかし声には怒りを宿したまま言った。
「母である前に私は王妃。
そして、母だからこそ言うわ。
──それだけは許しません。」
エヴァンダーは後ずさる。
「母上……?」
「この戦争も、この混乱も、この惨状も……
全部あなたのせいよ!」
部屋の空気が震えた。
「あなたの身勝手。
あなたの慢心。
世界が自分の周りを回ると思い込んだ愚かさ……!」
エヴァンダーは歯を食いしばった。
「彼女は僕を愛していた!
城壁都市の王妃は、僕を──」
「黙りなさい!!」
エヴァンダーは言葉を失った。
「愛してなんかいない。
必要としてもいない。
あなたは奪っただけ。
利用しただけ。
そして父上は、あなたを止める“勇気”がなかった。」
王妃の声は怒りだけでなく、深い悲しみを含んでいた。
「私は怪物を育てたつもりはなかった。
けれど……
あなたは今、自分を怪物にしようとしている。」
エヴァンダーの肩が震える。
だが、残った誇りが必死に自分を支えていた。
「僕は……ただ……英雄になりたかった。
叔父レアンドロスのように……
大陸の戦士たちのように……!」
ヘランドラは首を振った。
「違うわ、エヴァンダー。」
そして、ゆっくりと言い放った。
「あなたが欲しかったのは“称賛”であって、
“名誉”ではない。」
その言葉は、
王子の心に──
金槌のように響いた。
立っていることすらできず、
ただ震える膝の上に身を沈めるしかなかった。
「母上……
本当に……
本当に僕が……すべての原因なのですか?」
ヘランドラは厳しい眼差しを向けながらも、
その奥には母としての深い愛情が宿っていた。
「……ええ。
そうよ。
あなたが原因よ。」
エヴァンダーの手が、ぎゅっと握り締められる。
肩が震え、息が乱れる。
「じゃあ……これからどうすれば……?
叔父レアンドロスには憎まれ……
父上は何も決められず……
二十人の継承者たちは戦へ向かい……
大陸は……滅びへ向かっている……」
ヘランドラは近づき、
そっと彼の頬に手を添えた。
「あなたに残された道は一つだけ。
謝りなさい。
この狂気を止めなさい。
そして自分の罪を、
“甘やかされた子供”ではなく……
“責任を負う大人”として背負いなさい。」
エヴァンダーは目を閉じた。
ぽたり──
涙が落ちる。
「でも……
もし……もう手遅れだったら……?」
それは、王子ではなく──
ただの迷子の少年の声だった。
ヘランドラは、
何年ぶりかに息子を抱きしめた。
「手遅れになるのは……“変わる意思がない者”だけ。
変わろうと決めた者に、
手遅れなんて存在しないわ。」
エヴァンダーの唇が震えた。
そして──
生まれて初めて、
“誇り”という鎧を自分から脱ぎ捨てた。
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