沈む国の囁き
とつの“夢”で南方の英雄アヤカと青の魔女レイナの王命会議から二週間後──
王都アステリオンは表面上、平穏を保っていた。
街には人々があふれ、鐘が鳴り、商人たちは威勢よく声を張っていた。
だが、その下に流れる空気は、明らかに変わっていた。
人々の会話は天気でも税でもなくなった。
代わりに、ささやきが広がった。
「本当に、英雄たちは私たちを守っているのか?」
「一人、姿を消したって噂よ……」
「もし、王も嘘をついていたら?」
壁には手書きの紙が次々と貼られていった。
黒いインクで書かれた文字──
「英雄なんていらない。」
「黄金の太陽は見ている。」
「私たちの感情を決めるのは誰だ?」
王宮は即座に撤去を命じたが、
一枚剥がせば、三枚が新たに現れた。
反乱は、叫びではなく、反響となって町に染み渡っていた。
ある晩、雨が降る中、北広場で爆発が起こった。
レイナの力の象徴であった監視塔が、炎に包まれて崩れた。
犯人は見つからなかったが、現場には手書きの金色の紋章入りハンカチが残されていた。
翌日、その同じ紋章がアヤカの神殿、そして軍の壁にも現れた。
民は二つに割れた。
まだ英雄を信じる者たち。
そして「新たなる光」に忠誠を誓う者たち。
争いは言葉から始まり、
やがて刃がそれを引き継いだ。
レイナの巡回兵は金色を身に着ける者を無差別に拘束し始め、
アヤカに心を操られた者たちは、疑念を口にした市民を襲った。
王国は、もはや“音楽”ではなく、“叫び”に満ちていた。
──
北方の廃塔から、ハルトは炎に染まる地平線を見下ろしていた。
隣に立つカオリは、闇色のマントを羽織っていた。
モモチは窓際で膝をつき、クナイを磨いていた。
「民は、互いに争い始めた」
ハルトの声は静かだった。
「もはや、我らが刃を振るう必要すらない。
真実は、然るべき役目を果たした。」
カオリは、尊敬と不安が混ざった眼差しで彼を見た。
「ですが、ハルト様……このままでは王国は崩壊します。
救えるものすら、残らないのでは──」
ハルトはわずかに笑みを浮かべた。
「私は、この王国を救うために来たわけではない。
この灰の上に、新たな国を築くために来た。」
モモチは、淡々と巻物を机に投げた。
「我らの工作員が、商業地区に紙片を配置済み。
魔術コード付きで、“声に出して読まれた瞬間”に光のメッセージを映し出します。」
「どんな言葉を?」
カオリが問うと、
ハルトは視線を落とした。
「“目を覚ませ”だ。」
──
翌朝、市場はざわめきに満ちていた。
商人たちは、自分の店先に置かれた金色の巻物を見つける。
開いた瞬間、やわらかな光が立ち上がり、空に文字を映した。
「黄金の太陽は、破壊しない。暴くのだ。」
子どもたちはそれを見て口に出し、
老人たちはそれを祈りのように唱えた。
そして、血も剣も用いずに、
ハルトの名は神話となった。
レイナは怒り狂った。
大量逮捕、公開処刑、金色物品の没収を命じた。
だが──
弾圧すればするほど、火は広がった。
アヤカは、宮殿からそれを眺めていた。
笑っていたが、その笑みには緊張が走っていた。
混乱は彼女にとって有利なはずだった。
だが、炎は敵と味方を選ばない。
──
王アルブレヒト三世は、老いた姿で参謀会議に臨んでいた。
香炉の香りと恐怖の臭いが、空気を重くしていた。
「我々は、民を失いつつある……」
王の声はかすれていた。
「そして最も恐ろしいのは、敵が誰なのかすら、分からなくなったことだ。」
一人の参謀が震えながら言った。
「陛下……“黄金の処刑者”が戻ったという噂がございます。
民の中を歩き、疑念によって力を得ていると……」
王は拳を握り締めた。
「ならば……見つけ出せ。
もしそれが真実であるなら、
私は、自らの手で王国を破壊しよう。
奴に焼かれるくらいならな。」
──
そして──
その夜もまた、
誰かが壁に書いた。
「太陽は昇る。ただし、その光に目を開ける覚悟がある者だけが、それを見るのだ。」
――つづく。もあった。
夜、ハルトは一人、金色の印で覆われた地図を見つめていた。
それぞれの点は、噂が芽生えた場所を示していた。
彼の計画は成功していた。
嘘は崩れつつあった。
オーレリアが彼の背後に現れた。銀色の髪が月を映していた。
「ハルト、どこまでこれを進めるつもりだ?」
「神々でさえ疑うまで。」
彼女は視線を落とした。
「ならば…覚悟しろ。
黄金の夜明けは平和ではなく…
審判をもたらすだろう。」
ハルトは無表情に微笑んだ。
「その通りだ。」
風が蝋燭の火を吹き消した。
暗闇の中、黄金の太陽は依然として輝いていた。
――つづく。




