氷の女王の告白
ボレアリス宮殿の中心で、女王エリーズ・ダルクレーヌはバルコニーから空を見つめていた。
白いドレスに、金色のオーロラが淡く映り込んでいた。
王は別の部屋で眠っていた。衛兵と祈りに囲まれながら。
だが彼女は、眠れなかった。
国境を越え、愛されぬ男に嫁いだその日から、彼女の人生は「檻」となった。
民は彼女を“冷たい異邦の后”と呼び、
聖職者たちは彼女を「外交の道具」と見なし、
夫である王エルヴァルト十三世は、宴の席で笑っていればいい“飾り”としか思っていなかった。
—雪は魂を冷やさない……無関心こそが、それを凍らせるのよ。 —彼女は囁いた。
バルコニーの手すりに手を置き、そっと目を閉じた。
彼方の地平線から、夜を照らす黄金の光が差し込んでいた。
ハルトの声が、遠い記憶のように脳裏に響いた。
「力は、王と乞食を区別しない。
真実だけが人を解き放つ。」
その言葉は、どんな侮辱よりも彼女を深く傷つけた。
——なぜなら、それは「真実」だったから。
彼女の化粧台の裏にある秘密の部屋には、一冊の日記が保管されていた。
結婚の日から書き始めたものだった。
そのページには、声に出せなかった本音が刻まれていた。
「求められたのは従順な妻。
だが彼らが得たのは、疲れ果てた女。」
「民は私を憎む。私の肌がこの国の雪と違うから。」
「ときどき夢に見る。玉座のない国。言葉だけがある世界を。」
その夜、彼女は新たな一文を記した。
「黄金の太陽は真を語る。
もし王が真実を恐れるなら……この王国はすでに失われている。」
日記を閉じ、忠実なる侍女セリス——黒髪の少女——を呼んだ。
—セリス、南へ手紙を届けてほしいの。
—南へ、陛下?……どなたへ?
女王は微笑んだ。その瞳には揺るぎない決意があった。
—王が“敵”と呼ぶ者のもとへ。
数日後、ハルトの野営地にて。
リラが、王家の印章を持つ使者を見つけた。
カオリはすぐに拘束しようとしたが、ハルトが手を上げた。
—通せ。
手紙には北方の花の香りがする青いインクで綴られていた。
文は短く、だが一言一言が鉛のように重かった。
「私、ボレアリス王妃エリーズ・ダルクレーヌは、
この戦争と、この偽りを望まぬ。
贖いも、慈悲も求めない。
ただ、恐れずに生きる民の姿を見たいだけ。
もし本当に玉座なき世界を望むのなら——
我が玉座を壊す前に、私の“真実”を聞いてほしい。」
ハルトは沈黙した。
二度、文を読み返し、そしてそれを指先で燃やした。
だがその炎は怒りではなかった。
それは——敬意だった。
—彼女は理解している。 —と、彼は静かに言った。
—どうするの? —カオリが尋ねた。
—答えるさ。だが……言葉ではなく。
その夜、ハルトは黄金に染まる地平線を見つめていた。
北風が氷と薔薇の匂いを運んできた。
—敵に恋をすることはある? —マルガリータが皮肉混じりに尋ねた。
—いや —ハルトは即答した—
恋するのは……俺より「憎まぬ」者だけだ。
カオリは何も言わず、その言葉を理解しきれないまま彼を見つめた。
だが彼女は気づいていた。
何かが、確かに変わったのだと。
——これはただの権力闘争ではない。
それは、「世界の魂」を巡る戦いだった。
宮殿にて、エリーズは自室から夜明けを見つめていた。
雪が庭園を覆っていたが、彼女の内側では何かが、静かに溶け始めていた。
—もし太陽が雪を壊すのなら……
私も壊してしまえばいいわ —そう、彼女は囁いた。
侍女が静かに戻ってきた。
—陛下……手紙は届けられました。
エリーズはそっと目を閉じた。
そして——何年ぶりかに、心から微笑んだ。
遠く、空を一筋の金の光が横切った。
それが合図だった。
ハルトが、彼女の“真実”を受け取ったというしるし。
――つづく。
すべてのコメントを歓迎します
面白かったら☆評価とブックマークをお願いします!




