この展開は何ですか?
ここは、大国アウストリア帝国にある帝国一の名門校と言われる帝国学園の裏庭。
「ちょっと、アンタ何考えてんのよ!」
なるほど。自分で自分を守らなくとも、か弱いヒロインには守ってくれるセコムが沢山居るってわけね。
そんな呑気なことを考えながら、私は目の前で甲高い叫び声を上げる令嬢を見つめていた。
「ローズさん、私は大丈夫ですから」
「もう、コゼット嬢ったらお優しんだから……」
「エヘヘッ、やめてください、ローズさん」
いやこれ、何を見せられているの?
「ともかく! コゼット嬢とエリック皇子のことをよく思わないのは分かりますが、貴女のしている行動は淑女として恥ずべき行為です!」
なるほど、これがいわゆる「私の彼氏取ったわね!」展開なのね? ふむふむ。
まさかこの目で見られる日が来るなんて!
とてつもない感動を覚えながらも、それを表に出さないよう必死に堪える。
公爵令嬢フリル・ラティアとして、蝶よ花よと育てられた私は過保護な父によって色恋などには縁のない生活を送って来た。
その反動なのか、私は大のロマンス小説オタクとなり、父から贈られた私専用の図書館には全国から集めたロマンス小説が並んでいる。
もしもこの世界が物語なら、学園が舞台とされる私の大好きな甘いロマンス物語だったとしたら。
先ほどから私に負け犬のごとく吠えてくる、このつり目の令嬢ローズ・ヴァレンティアはヒロインのセコムの一人で、少し気強くも頼りになるヒロインの友人。
そして、その横でローズ嬢を窘めているハニーブロンドの似合う愛らしい少女はこの物語の主人公というところだろうか?
コゼット・フランテス嬢。あまり接点はないものの、彼女の周りにはいつも人が集まっているから自然と目が行く存在でもちろん私も認知していた。
それに、どこからどう見ても彼女はヒーローに守られ愛される純粋ピュアピュアなヒロインにしか見えない。
「ちょっと! 聞いているのですか?」
この二人に恨まれる私の役割は一つ。
「……フリルさま?」
ヒロインを守るセコムの友人から責められる対象。それは、悪役だ。
まさか私が悪役になる日が来るとは……なんて光栄なことかしら!
もちろん、しっかりと務めさせていただきますとも。
先ほどから会話を聞いている限り、コゼット嬢は私の婚約者であるエリック皇子殿下のことが好きなのかしら?
「貴女の婚約者であるエリック皇子殿下と、こちらのコゼット嬢が仲がいいことは知っていますよね?」
「まあ、そうなんですか」
「フンッ、白々しいこと……」
白々しいと言われても困る。
はっきりいって私は自分のことにも、周囲のことにも正直興味がない。
敷かれたレールの上で生きてきた私にとって、自分の人生というものは心底つまらないものなのだ。
だからこそ、刺激を求め、小説というファンタジー世界にはまっていったわけで。
「まあ、仕方がないとは思っています。貴女は皇子殿下の婚約者であられるわけですし、コゼット嬢のことを気にくわないと思うのも仕方がないことでしょう。ですが、だからといってコゼット嬢に嫌がらせをするのはいくらなんでも卑怯ではありませんか!」
ローズ嬢の言うことは正しい。……けれどそれは、私がコゼット嬢に本当に嫌がらせを行っていたらの話。
愛し合ってもいない形式上の婚約者に対して特別な感情を抱いてもいないし、彼のことを想っているコゼット嬢を敵視してもいない。わざわざ危害を加えるつもりはないし、した覚えもない。
「フリルさま」
「はい、なんでしょう? コゼット嬢」
「私とエリック皇子殿下は運命なのです。ですからどうか、お願いしますね」
ニコッ、と愛らしい笑顔を浮かべて、そう言い放ったコゼット嬢。
お願いするとは、一体どういう意味なのだろうか?
私と婚約者のエリックの婚約関係は、親同士と、その家臣たちが決めたもの。私たちの間に愛や恋などといったロマンティックな展開は存在しない。
コゼット嬢とエリック皇子殿下が仲睦まじそうにしている姿は学園内で何度も見かけたことがあるし、コゼット嬢がヒロインならばヒーローはエリック皇子殿下しか務まらないだろうと私も思う。
だから二人が望むのならば、それなりの対価をいただいたうえで両親や家臣を説得し、私は喜んで身を引いただろう。
やっぱり、物語にはハッピーエンドが一番なのだから。
それなのにどうしてこのようなことを言い出したのだろうか。これではまるで、私がコゼット嬢を虐めているようではないか。
「フンッ、もういいわ。行きましょうコゼット嬢」
「え? いや、でも今ここを離れるわけには……」
「どうしてですかコゼット嬢。これ以上この方と長くいればお体に障りますわよ」
「だって、今ここを離れたらメインストーリーが……!」
さっきからコゼット嬢は何を言っているのだろうか。
私にはさっぱりわからないが、コゼット嬢が私のせいで何か誤解をしているのなら謝るべきだ。
それとも、彼女の想い人であるエリック皇子殿下を呼ぶべきだろうか?
「行きましょう? コゼット嬢」
「……そうですね、ローズさん」
渋々といった様子だったが、コゼット嬢はローズ嬢に連れられてその場を去っていった。
「……なんだったのかしら、あれ」
一人取り残された私は「ふう」と息を吐くと、先ほどまで座っていたベンチに腰を掛けて、置きっぱなしだった本を手に取って続きを読み始めた。
私の大好きなロマンス小説。
今回読んでいるのは、とびっきりのあまあまなロマンス……ではなく、少しムカッとする悪役の令嬢が登場する本だ。
ヒロインは悪役の令嬢から嫌がらせを受けているが、顔当たりの良い悪役の令嬢を周囲が信じ、誰もがヒロインを「嘘つき」だと決めつける中、心優しいヒーローだけが信じてくれるというもの。
「また本を読んでいるのかい?」
「……まあ、殿下」
噂をすれば、コゼット嬢の運命の相手が来た。
「こんにちは、運命の相手さん」
「運命?」
「さすが皇子さまですね。ヒロインのこと、ちゃんとかっこよく守ってあげられるヒーローになってくださいね」
「フリル? どうしたんだ急に……そりゃあ、僕はいつだって君の味方だけど……」
「あ、私じゃなくてコゼット嬢のです」
「……は?」
「私は応援してますよ、殿下」
目を見開いて、口をポカンと開けたまま信じられないとでも言いたげにこちらを見るエリック皇子。
そのマヌケな顔はどうしたのだろう。
「それじゃあ私はこれで。どうぞ、ベンチに座りたかったんですよね?」
本を閉じて、ベンチから立ち上がると私はそのまま足を進める。
「それではごきげんよう、皇子殿下」
それだけを言い残して、頭を抱えたままひどく顔をしかめているエリック皇子を残し、その場を去った。
∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴
「フリル様! こちらにいらしたのですね!」
寮に戻ろうと室内に入ると、何やら人混みが。
何事だろうかと様子を窺っているとクラスメイトの令嬢が声をかけてきた。
「そんなに慌てて、どうかされたのですか?」
「どうされたもこうされたもありませんよ! カスティアーナ先生がフリル様を探されています!」
「カスティアーナ先生が……?」
鬼怖生徒指導のカスティアーナ先生が私のことを探している? 一体どうして……。
どれほど地位のある人間でも、この学園に入った以上はみな平等。教師に逆らうことなどできはしない。
もちろん、帝国学園の一生徒である私も例外ではない。カスティアーナ先生の恐ろしさなら身を以て知っている。
「フリル・ラティア。こちらへ来なさい」
そうこう言っていると、私の元へ一人の中年女性がやって来た。気品高く、冷徹な雰囲気を纏った女性。この帝国学園の教員の一人カスティアーナ・ボルジアン先生だ。
私は「はい」と小さく返事して、カスティアーナ先生の近くまで歩いた。
その頃には興味本位に集まっていた生徒たちが私とカスティアーナ先生を避けるように足を引き、あっという間にその場が開かれた。
すると、生徒の人混みを抜けた先に一人の少女が座り込んでいるのが目に入った。
「えっ?」
その少女は、いつも浮かべているあの愛らしい笑顔ではなく、心底辛そうに眉をひそめて大粒の涙を流していた。
「コゼット嬢? い、一体何が……!」
長く伸びた金髪の髪。このような美しい髪を持つのはこの学園でコゼット・フランテスしかいない。
つい先ほどまではいつものように元気にしていたというのに、どうしてこのようなことに?
「グスッ……グスンッ!」
必死に涙を拭うコゼット嬢。
地面に座り込んだままいるのを不審に思い彼女の足に視線を向けると、そこには目も当てられないほど痛々しい青紫の痣が足首にあった。
「まるで何があったのか知らないという反応ね」
「はい?」
「フリル・ラティア。彼女が言うには、コゼット・フランテスがこのような有様になっているのは、あなたが原因だということですよ」
「……カスティアーナ先生、何を言って……」
コゼット嬢が涙を流し、足首に大きな青あざを作ったのは私が原因? そう、コゼット嬢が言ったというのか。
「では、あなたはこれを事実ではないというのですね?」
「当たり前です……私がこんなこと!」
そういえば、さっきもローズ嬢とコゼット嬢は似たようなことを言っていた。
もしかして、私になりすました誰かがコゼット嬢を襲った? それとも記憶改ざん……いいや、どれも膨大な魔力量を消費しなければいけない魔法だし、学園内に張られている結界を揺らすことになる。それに教員たちが気づかないはずがない。
そうなると残されるのは、あまり考えたくはないがコゼット嬢が私を陥れるために自作自演を……。
「コゼット嬢! ああっ、ご無事ですかコゼット嬢!」
「ローズさん!」
「アンタ……コゼット嬢によくもっ!」
優しく心配げにコゼット嬢を見つめていたローズ嬢の目が、私に向いた途端に鋭く、敵意丸出しの目に変わる。
「ローズ・ヴァレンティア。突然大声を出してなんですか。はしたないですよ」
「……すみません、先生。ですが聞いてください。コゼット嬢は前々からフリル嬢から嫌がらせを受けていたんです。その件について相談を受けた私はつい先ほどまで三人で話をしていました。きっとフリル嬢はそれを気にくわなかったから……」
突如として現れたローズ嬢の発言で、周囲に居たギャラリーたちの私を見る目が変わった。
ざわざわと騒ぎ出し、疑惑の目で私を見つめる。
「ごめんなさい、コゼット嬢。私が少し席を外したばかりに」
「ローズさんは何も悪くありませんよ。それから、フリルさまも……」
コゼット嬢の疲労と痛みからか少し虚ろになっているピンク色の瞳が、私に向けられる。
「そうですよね? フリルさま。私がフリルさまの気に障るようなことを言ったのが悪かったんです。階段から落ちたのだって……私の責任ですわ。だから皆さん、どうか大事にされないでください」
痛みに耐えながらも必死に愛らしい笑顔を浮かべるコゼット嬢は、皆の目には「健気なヒロイン」として映ったことだろう。
しかし、私には彼女が卑怯者の哀れな女としか見えなかった。
……あなたには心底ガッカリしたわ、コゼット嬢。
あなたは悪の正義を持つ悪役にすらなれない、単なる脇役じゃない。
純粋にヒーローを想う、私の大好きなヒロインだと思ったのに。
残念だけど。私には、自分に牙を向けられてまで健気にあなたの応援をできるほど、慈愛に満ちた美しい心は持ち合わせていないの。
「フリル・ラティア。この帝国学園では皆一律して一人の人間として扱われます。いくら公爵家のご令嬢であるあなたでも、この件は易々と見逃すことはできません」
「私はそのようなことをした覚えはありません」
「では、あなたは先ほどまで何をしていましたか?」
「私は、コゼット嬢とローズ嬢に裏庭に呼び出されて、二人が去ってからもそこで一人……」
「それを証言できる者は?」
カスティアーナ先生はいつだって中立の立場にいる人。正義感が人一倍強く、生徒想いの良い先生。だからこそ、このように私に問いかけている。
そう頭では分かっているのに、さっきから向けられている好奇心に満ちた視線が、私を焦らせた。
「でしたら僕が証言人になりましょう」
段々と頭がぼーっとし始めた時、一人の青年の声で頭がハッとする。
「殿下……」
その声の主は、この国の皇子、そして私の婚約者であるエリック・フォン・アウストリア皇子殿下のものだった。
「エリック・フォン・アウストリア皇子……。では、どうして二人で裏庭に?」
「何を仰るのですか、カスティアーナ先生。僕たちはアウストリア帝国でも有名な仲睦まじいカップルだと知りませんでした?」
エリック皇子はそう言うと、私の肩を抱き寄せるようにして引いた。
「あなたたちが婚約関係であることは存じております」
「でしたら僕らが二人で人目を避けるために会うのも分かって頂けますよね? ああ、そういえば庭園には庭師が数名居たので、目撃している者もいるのではないでしょうか」
「……どうやら本当のようですね。もちろん、確認が先にはなりますが……」
カスティアーナ先生はそう言うと、コゼット嬢に向き直った。
「コゼット・フランテス。先ほどの証言は、虚偽だったということですか?」
先ほどよりも、ずっと冷たく、低い声で話したカスティアーナ先生。
「…………」
「コゼット・フランテス?」
「……なんでよ」
先ほどから俯いていたコゼットが喋り出したかと思えば、いつにもなく低い声をこぼした。
「結局、悪女には運命は変えられないっていうの……?」
突然顔をしかめたかと思えば、自身の親指の爪を噛みしめて、こちらを睨みつけた。
その姿は、まさに物語の悪役令嬢。
どこからどう見てもヒロインしか務まらないと思っていたけれど、歪んだその顔も中々に似合っている。
「ふざけんな! どうして私が! 悪女に転生しただけでも憂鬱なのに、結局はヒロインだけがいい思いをするなんて!」
突然奇声をあげたコゼット嬢はギュッと眉を寄せて、私に向かって手を差し出すと攻撃魔法を発動した。
「キャッ……!」
「フリル!」
それは、コゼット嬢の手の先に居た私に当たる……ことはなく、エリック皇子が私を庇うようにして出した防御魔法によって塞がれた。
「大丈夫か?」
「えっ、あ、はい……」
当然のように私を守ってくれたエリック皇子に、動揺のあまり返事がどもる。
「校則第十三条に基づき、帝国学園全生徒の指導を担うカスティアーナ・ボルジアンの権限において、攻撃魔法を行使した者を拘束します」
カスティアーナ先生はそういうと、拘束魔法によってコゼット嬢を拘束した。
彼女の手首に魔法によってできた青白い手錠が現れる。
「コゼット嬢、これは何かの間違いですよね……?」
「ローズ……。チッ、アンタも本当に役に立たないわね。モブキャラのアンタを使ってやったっていうのに!」
最後まで味方だったローズ嬢にまで暴言を吐き、嫌悪の目で見たコゼット嬢。
「行きますよ」
「……フンッ」
カスティアーナ先生は表情をピクリとも動かすことなく、コゼット嬢を連れてその場を去っていった。
∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴
「ねえ、殿下。私は今、とっても感動しているんです」
「フリル?」
「これって、断罪エンドってやつですよね!」
興奮気味に目を煌めかせて声を上げた私に、エリックは「またか」とでも言いたげな顔で溜息をついた。
「ずっと憧れていましたの! まあ、コゼット嬢がヒロインではなく悪役側だったことは残念でしたが……。そういえば彼女、転生がなんだとか言っていたけれど、気でも触れてしまったのかしら?」
「まあ、なんだ。君が無事で本当によかったよ」
眉を下げて、少しだけ口角を上げて微笑んだエリック皇子。
「やっぱりあなたはヒーローですね。私が今まで出会って来たヒーローたちに負けず劣らずのヒーローっぷりでしたよ」
「それは光栄だ、とでも言うべきだろうか?」
「ええ、是非とも光栄に思ってください」
エリック皇子は何度目か分からないため息をついた後、ふっと笑って話し始めた。
「君が何か勘違いをしているようだったから弁解に来たのだが、その必要はなくなったようだな」
「勘違い、ですか?」
「僕が好かれたいと思うのは、君の大好きなロマンスの小説に登場するキャラクターのようにハッピーエンドを迎えたいと思うのは他でもない、君だけということさ」
真剣なまなざしで、そう言い放ったエリック皇子。
私だってバカではない。何も知らない純粋なお姫様でもない。
エリック皇子から向けられるその愛おしいものを見る温かな目が、甘い言葉が、どんな感情を表しているのかは伝わってきている。
だけど私は、その感情がいつか変わってしまうものだということも知っている。
この世界はファンタジーのような夢物語とは違って、残酷な現実だから。
「自分で言うのもなんですが、私って貴族令嬢にしてはかなり変わった人間だと思いますよ」
「ああ、知ってる」
「あなたの前ではいつだって小説の話ばかりですし、変なことしか言いませんよね?」
「ああ、それも知っている。僕はそんな君のことが好きなんだ」
信じられない。それを知っていて、知っているうえで私を好きだと?
まさか、殿下まで気が触れてしまったのだろうか?
……いや、待って。
「ま、まさかこれは……」
「うん?」
私はその時、ハッとした。
そういえばそうじゃないか。
私は、今まで何百、何千という数のロマンス小説を読んできた。
それはただの王道ロマンスものだけではない。
ハッピーエンド、バッドエンド、メリーバッドエンド……。
ラストを迎えるまでに、さまざまな展開が施されている。
心がひっくり返るような、甘くて苦くて、とんでもない展開が。
そして、こんな展開も目にしたことがある。
そう。確か、この展開は――
「おもしれー女展開ってことですか……」
エリックさんはずっとフリルに振り回されていてほしいですね。
既に分かっているとは思いますが
コゼット▶︎転生者。別世界では物語の悪役令嬢です♪
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