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昼頃だろうか。博美さんの他に、何人かの男たちが入ってきたことで、俺は失敗を悟った。兄が言った。
「……あの金じゃダメですか」
博美さんは頷いた。
「あれは受け取れない。本家の血筋は絶やせない。金の問題じゃない。そういうことになったんだ」
俺は男たちに腕を掴まれて立たされた。血がたぎりそうだ。本当なら全員ぶん殴って兄を連れて駆け出したい。そうしないのは、兄と約束したからだ。
――ナオくん、大人しくしてて。従順に、諦めたフリをして。
俺は玄関で靴をはくように言われ、車の後部座席に乗せられた。その中で目隠しをされ、手首を後ろ手に縛られた。ギリッ、と奥歯を噛む。ここで暴れてしまっては元も子もない。
――カズくんを信じる。
きっと、こんな状況からでも兄は打開する。今までもそうだった。
「ごめんなぁ、直美くん……」
男のうちの一人が言った。俺の右隣に座っている奴らしい。
「いいんですよ。俺、もう生きてて楽しみとかないですし、別に人生いつ終わってもいいって思ってたんで」
心にもないことがよくスラスラと言えたものだ。俺も多少は兄の真似ができるようになったらしい。隣の男は続けた。
「説明しておくなぁ。一日分の食料は置いていくからなぁ。美波が作った。最後の食事にこんなんで悪いけど……」
「ああ、美波ちゃんが。嬉しいです」
車が動き出した。運転している男が言った。
「……直美くんには悪いけど、本当に助かった。役目を引き受けてくれて。美夏ちゃんも喜んでくれると思うよ」
「母ならやりなさいって言うと思います」
母なら。母が生きていたなら。絶対にそんなことを言わないだろう。五年分の記憶しかないが、それは断言できた。母が兄に美乃谷のことを教えていたのが証拠だ。母だって、今回のことを予測し、備えていた。
車は数分で停まり、外に連れ出された。両腕をがっちりと男たちに掴まれ、歩くように仕向けられた。目隠しをされているので靴の裏の感覚しかわからないのだが、デコボコした岩の上にいるようだった。
男たちは黙っていた。ぴちょん、と水がしたたり落ちる音が聞こえた。何度か俺の頭の上にも水滴が落ちてきた。苔の匂い。かなり湿っぽいところにいる。異界の檻と似た感覚だ。
右に、左に。何度も方向転換をさせられ、道順はとても覚えられない。見えなくても歩くのがこわくなくなってきた頃、男たちは止まった。運転していた男が言った。
「ここでその時を待っていてくれ。本当に……本当にありがとう」
俺は柔らかいものの上に座らされ、手首の拘束を解かれた。男たちが駆け出して行ってしまう足音が最後に響いた。俺はそっと目隠しを取った。
「……ははっ、いかにもだな」
洞窟の中。それでも辺りの様子がわかるのは、ぽつんと天井に空いた穴から日の光が差し込んでいるせいだ。そして、その穴の真下には……人間が一人、丸ごと入ってしまいそうなほど大きな壺が置いてあった。壺には縄がかけられており、石のフタがしてあった。海の神の時に見た岩を思い出した。
座らされていたのは寝袋の上だと気付いた。キャンプなんかに使う鮮やかな緑色のもので、ここの雰囲気には不釣り合いだ。ビニール袋も置いてあり、その中にはおにぎりとお茶のペットボトルが入っていた。
――生きることは食べること。食べることは生きること。
いつだったか、兄が言っていたことを思い出した。俺はおにぎりを掴み、もしゃもしゃと貪った。中身はまた昆布。具は素っ気ないが、美波ちゃんの真心が詰まっている。
――ここで死んでたまるかよ。
俺は試してみることにした。カミサマ……ここにいる蛇の神とは意思疎通が取れるのか。壺に近寄り、両手で触れた。
とくん。とくん。とくん。
壺の中身が視えるような気がする。
……真っ暗闇の中に、何かがうごめいているような。
もっと、もっとその先を。手のひらに力を込めた時だった。ぞぞっ、ぞっ、と両腕に衝撃が走り、俺はたまらず壺から手を離した。まだ腕がビリビリする。おそるおそる、袖をめくった。
「う……うわっ!」
俺の両腕に、黒いうろこがこびりついていた。こすってみるが、取れない。これは、ついているというより……俺の皮膚がうろこに変わってしまっている!
「……はっ。会話するのは無理か。そうかよ。人を食いもんとしか思ってないもんなぁ、あんたは」
次は洞窟内の探索だ。道はいくつもあり、どこから連れてこられたのかはわからない。少し行ってみては壺のところに戻る、ということを繰り返し、変に迷うよりはここで待っていた方がいい、と腹を決めた。
――カズくんは必ず助けてくれる。
俺は寝袋を座布団代わりにして座り、天井の穴を見ながら時間が過ぎるのを待った。日は沈み、星空が瞬いた。都会の湊市では見られない小さな星々も見え、もう少し空のことに関心があれば星座の一つでも見つけられるだろうか、などと考えた。
――約束した。二人で喫茶くらくに帰るって。
俺は、生きる。絶対に生き延びる。




