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(二)観光

 快晴。爽やかな風がほほをなでる。朝の陽ざしにソウは目を細めながら、ナギ、黒影とともに織国(おりぐに)博物館へ向かう路地を歩いていた。

「おいしい朝ご飯を食べてからのお散歩は気持ちがいいですねぇ」

 ナギは上機嫌に鼻歌を歌う。ソウはうなずいた。朝食はユウメの伝統だという土野菜の出汁茶漬けだった。

「ユウメは山凍(さんとう)地方に近いこともあって冬になると雪が降るんです。雪の下で野菜を保存するという方法は、寒い地方ならではの貯蔵方法ですねぇ。越冬した野菜はみずみずしく甘みが増すので、とくにほかの国ではユウメの越冬野菜として高値で取引されるのですよ」

 へぇ、とソウはあいづちをうった。

「ソウくんは雪をご存知ですか?」

「父さんが何回か登山に連れていってくれたことがあって、そのときに。憂国(うれいぐに)南部は雪がほとんどなくて、年明けごろに雨が多くなるんだ。北部とか、それこそ山間部とかは雪も降るし、寒暖差は大きいよ」

 ソウは黒影へ目を向けた。

「黒影は?」

「雪が降ると暇でしかたがない。そのうえ、お兄さまが格段に鬱陶(うっとう)しくなっていつも憂鬱(ゆううつ)だ」

 ソウは目を丸くした。

「お兄さま、って呼んでるの?」

 瞬間、黒影が眉間に深いシワを刻んだのが見えた。これは失言だったかと内心理解しながら「雪が降るところに住んでるんだね」とソウは話題をすべらせた。

「どのへんなの?」

山凍(さんとう)地方、山間部のふもとだ」

「ああ、じゃあもうだいぶ近いね。憂国(うれいぐに)に来るまえに、お兄さんのところへ顔見せに行く?」

「やめておけ。あんな気狂い」

「君がそれ言う?」ソウは苦笑した。

「愚鈍ではないが、およそ言葉も道理も通じない狂人だ。人里離れた魔導遺跡をそのまま居住地にしているものだから、冬はほとんど交通手段がない。さいわい、元々の設備がいいことだけが救いだ。おかげで食料の保管にこまることも、魔素供給にこまることもほとんどない。だが、その時期になると魔種の多くは雪の下で、ワタシは必然的に()()研究を手伝うことになる」

 兄の。ソウは黒影が言いかえたことを聞きながしながら、つづく言葉を耳に入れた。

「それだけならまだしも、ベタベタと人の身体を自分のもののようにあつかうのがひどくわずらわしい。ワタシは愛玩動物ではない。まったく鬱陶(うっとう)しい」

 彼女はひどくうんざりしたようすで話した。「へぇ」ソウはてきとうなあいづちをうった。

「〈白蠟(はくろう)〉さんですよね」

 さしこんできたなにげないナギの声。ソウが亜麻色を見やったとき、耳のふちをなでたのは「ああ」という黒影の短い肯定だった。

「〈白蠟〉って、あの魔導研究の?」

 ソウは訊き返す。答えたのはナギだった。

虐雪(ぎゃくせつ)雲雀(ひばり)殺し……呼ばれ方はいろいろですけど、魔導分野においてさまざまな功績を残していますよねぇ。魔導生物学における体内魔素の研究論文に、魔種の解剖図録。魔狩に支給される〈携帯用緊急注射薬(ワイトフォーワイト)〉なんかは、彼の論文がおおもとだったはずですよ」

「論文はただの発端(ほったん)だ。実際に薬を開発したのは他の者たちで、兄ではない。兄は人命を救うことに興味がない。もし研究所へ行くなら、人間あつかいされるとは思わないことだな」

「はは、それは怖いな」

 冗談かわからない黒影の声をソウはあいまいに流した。

「そういえば黒影ちゃんは、どうして織国(おりぐに)博物館へ行きたいんですか?」

 ナギが訊ねる。ソウは昨日魔狩協会で黒影が検索機を使っていたことを思いだした。

「もしかして、なにか探してるの?」

 彼女はふと足を止めた。黒いまなざしが、ソウとナギをとらえる。

「〈アイ〉あるいは〈イナサ〉を知っているか」

「聞いたことないけど……ナギさんは?」ソウはナギへ視線を向けた。

 ナギはすこし頭を悩ませたが、こまったように「ないですねぇ」とうなった。

「アーク。キサマはどうだ」

 ナギの視線がうつろをさまよった。たっぷり三秒ほどかけてから、数度のまばたき。()はいま起きたばかりとでも言うようにあくびをしながら、意識をなじませるようにその場で身体を伸ばす。

「緊急時以外呼ばないでって言ったじゃないですか。知りませんよ」

 アークはほとほとあきれたように言う。

「その、イナサって?」

 ソウが訊ねたときだった。

 軒先からこちらへ向けて、声がかかった。

「魔狩さん、土産(みやげ)におひとついかがですか」

 三人は商家がならぶ表通りにさしかかったところだった。

 観光客が増え始める時間に合わせて、土産物屋も戸をひらきはじめたらしい。ソウに声をかけたのは、三十代ほどの、はきはきとしゃべる青年だった。

 軒の下には見世棚(みせだな)があり、通りざまの人々の目につくような品物が飾られているのは他と同じだ。この店ではとくに、ユウメで人気の土産である髪飾りから、手鏡などの華やかな見目の品が並べられている。

 てきとうに断ろうかと考えた矢先、その見世棚に飾られているひとつの面に目を奪われた。――狼の面だ。くり抜かれた目のふちに描かれた紅色の独特な流線が、ソウの足を引きとめる。初日に屋台で見た安価なつくりではなく、洗練された技術で精巧に仕上げられた一品だった。


――りん。


 ソウは、鳴った鈴の音に誘われるように、腰に提げている猫の面を見やった。

(似てる)

 同じように、青年が「おっ」と、なにか気がついたような表情を浮かべ「腰に提げてらっしゃるそちらのお面は……ちょいと失礼」と、ソウの目の前でしゃがみこんだ。彼はしげしげと眺めると、一言ことわってから猫面へ触れる。裏から表。角度を変えて見つめる彼のまなざしが輝いたのは、そのときだった。

「こいつぁすげぇや。ジッタさんの特注品じゃないですか。お高かったでしょう?」

 青年は、なかば興奮気味に言った。

(――ジッタ。それが、猫面を作った人の名前)

 ソウはあっけにとられていたものの、すぐに表情を作って、語調へすこしの懐かしさを混ぜながら答えた。

「いえ……これは、母からもらったもので」

「へぇ。そいつは良いご趣味をしてらっしゃる」

 青年は猫面から手を離して、立ちあがった。

「いえね。この面は、山奥の里で作られとるもんなんです。なんでもその里では、古くからの風習で、成人の証に動物の頭を模したお面を贈るそうで。で、その里なんですが、ジッタさんっていう、腕のいい職人さんがおったんですわ」

 青年は渋い表情を浮かべた。

「ところが、十年以上前に、亡くなったかなんかで。うちではもう、ジッタさんのお面は、そこの見世棚に飾られとるもんだけなんです」

「どんな方なんですか?」

 ソウが訊ねると、青年は苦笑いをうかべた。

「なんちゅうか、あんまり。ボクも詳しくは知らんのですよ。実はボク、五年前にこの店を引き継いだもんでして。今は若い職人さんが作ったもんを、たまに商会の取引で仕入れとるんですわ。なもんで、職人さんや里の方と直接お会いしたことはなくてですね。いやはや、申し訳ない」

 青年は気恥ずかしそうに後ろ頭を掻いた。

「ウチの、亡くなったじっちゃん……先代が少し、手紙なんかでやりとりしとったみたいなんですがね。ときどき話しとったのは、どうにも内気なのか。あんまりお返事もナァ、って感じやったそうです。まぁ、職人さんは、ボクら商人と(ちご)うて、あんまりしゃべられん方が多いですから。もしくは、お国柄ならぬお里柄ってやつですかねぇ。そのお里の人も、あんまり街へ出られんみたいですから」

 そこまで話して、青年は、あっと声をあげる。

「思いだした。〈セキレイ〉ですわ。明国(あきぐに)に、そんな名前の飯屋がありましてね。宿もやっとるんですけど」

「〈セキレイ〉ですか?」ソウが訊ねると、青年はうなずいた。

「美人さんが多い宿場町があるんですよ。その一軒に〈セキレイ〉いうのがありまして。ちょうど、ボクがこの店を継いだぐらいに、新しくできたんです。そこで働く娘っこは、みんな、こんな感じのお面を被っとるんですよ。ボクは遠目から見ただけで、入ったことないですけど。あそこも確か、取引しとった記憶があります。まぁ、首から上もぜんぶ布ですっぽり覆っとるもんで、なんや異様な光景や思いますけど……おかげさまで、明国(あきぐに)でそれ見たお客さんが、ウチで売っとるお面で思いだして、そいじゃ土産にと買っていかれることもありまして。ほら、商人いうんは、覚えてもらってなんぼですからね。もし寄られるんでしたら、よろしゅうお伝えください」

「ありがとうございます」

「いえいえ、ええ(もん)見れましたから、かまいません」

 青年は気のいい笑みを浮かべながら、かるく頭をさげ、他の観光客の接客へまわった。ちょうど入れ替わりに、店の奥まで散策していた黒影が小さな包みを提げて戻ってくる。

「めずらしいね。なにか買ったの?」

「ただの雑貨だ」

 黒影はソウの前をすげなくすぎて、通りへ出ていった。おや、とソウが思ったのは、すれちがいざまに彼女からふわりと、ほのかな香の匂いがしたことだ。花などの甘やかなものではなく、清涼で、しかしどこか温かみのある、やわらかなものだった。いよいよめずらしい。ソウはツンとした黒影の背と、店の奥――小さな匂い袋の棚の、ぽっかり空いた場所をちらと見やってから、彼女の背中を追いかけた。

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