(七)いつか、会えたら。
織国首都ユウメ。
世界三大観光地のひとつとして数えられるその首都は、統一された木造建築と格子状の街路が特徴的な街だ。とりわけ有名なものといえば、街を見下ろす東向きの崖にせり出すようにつくられた〈ユウメの大舞台〉。そこから一直線に両端の街路と水路の向かった先へ、この首都の玄関口である朱塗りの二重門が存在する。その二重門は分厚い検問所を内包しており、それを通過しなければ街へ入ることは許されない。国外からの訪問も多く、また観光地としての治安維持の目的から原則武器の持ちこみは禁止されている。
「貴様、魔族か!」
張りあげられた声に、その場で首都への入りを待っていた者たちの視線が一人に集中した。
検問所の兵士が剣を向けた先には、フードを乱暴におろされた者がいた。甘い顔立ちに蜜色の瞳が美しく、その相貌に目を奪われた者たちの息をのむ音が聞こえる。しかしその横顔にたれこめた髪は、生まれたての一日を示す陽の色をしていた。つぎの瞬間には誰もがそのことに気づき、思わず魅了されてしまった自分を否定するようにあっと声をあげると、さっと身を引いた。
採集家のアサヒは、恐怖と疑念の眼差しの中心で両手をあげた。
「僕は一介の冒険者です」
瞳は微々ともふるえていないが、視線は静かに下げられたままだ。
「織国へは仲間と共に、療養と観光のため訪れました」
穏やかではあるが、温度がない声色だった。アサヒにとって、この刺すような警戒と疑いはなんども向けられてきたものなのだろう。
(苦労は、絶えないだろうな)
兵士たちは口々に言う。街に入れるわけにはいかない、魔族の手先かもしれない。そんな根も葉もない迷信めいたことで、うろたえる。
(悲しいけど、これが現実だ)
ソウもまた、あきらめのようなものを感じていた。
(人は信じたいものだけを信じる)
そしてそんな迷信めいたわかりやすい〈正しさ〉が、人を動かし、人を殺す。――かつて、社会が母を殺して喜んだように。
そのときだった。
「アサヒは俺たちの仲間だ」
はっきりと芯を持った声が響き、ソウは視線を上げる。赤髪の少年ウォーブラがアサヒをかばうように前へ出て、正面から兵士を睨んだ。
「髪の色が白っぽいからって、かってなこと言ってんじゃねぇぞ」
「魔族は狡猾で残忍だ。君らはこの醜い髪を持つ者に騙されていないと言いきれるのか?」
……醜い。
醜いだろうか。
ソウは考えた。
これは社会で、醜いと思われる色だ。その事実にまちがいはない。
兵士の一人が、ウォーブラの喉元へ切っ先をつきつける。ウォーブラ達はすでに入国のために武器をあずけている。抵抗する術はないに等しい。道中をいっしょにした者たちが目の前で斬殺というのは、できればあまり見たくない。そうならなければいいと思いながらも口を出さずに座視している。保身だという自覚はあった。弟を護るためにも、自分は社会的な立場を守り、模範的でいなければならない。それを逸脱することは許されず、また立場や信用を揺らがせる不安材料を抱えるわけにはいかなかった。……もし、目の前に立っているのが弟だったら。一瞬ありもしない想像が脳裏をよぎる。ちがう。目の前にいるのは、弟じゃない。同じように蔑視される色を持っていたとしても、護るものを見誤ってはいけない。
「こいつは魔族じゃねぇ。俺たちは騙されてもいねぇ」
ウォーブラは言った。アサヒがそれに対してなにかをいったが、ここからではよく聞こえない。口の動きや表情から、熱くなっているウォーブラを諭そうとしているらしかった。アサヒは自分のせいで仲間が危険にさらされることを心配しているが、そのまなざしは自分のことをあきらめているようでもある。どうしてか、それがライのうつむいた表情と重なった。胃のなかがぐるぐると回るように気持ち悪くなる。頭が重くなる。知っている。ライだって、自分のことをよくわかっている。自らの髪の色が、社会でどんなふうに見られるか。そして同じ髪の色をした母が、どんな最期を迎えたのか。ライはその目で見てしまった。
だからこそ、弟は外へ出ることを怖がった。
だからこそ、ソウも弟を無理やりに外へ出したりはしなかった。
けれど、頼れる兄がいなくなった弟はどうだろうか。ライは周りのちからを借りながら、すこしずつでも前進しようとしていた。
(俺は……)
ソウがふたたびアサヒを見やったとき、ぽつ、と赤色が滴った。
「てめぇらに、アサヒのなにがわかるんだよ」
つきつけられた切っ先をぐぅと握りこんで、そこから真っ赤な血が滴っている。ソウは目を見ひらいた。兵士らの――社会のあたりまえに、少年が真っ向から立ち向かったからだ。
「醜いだ? ふざけんな! 白っぽいってだけで疑って。アサヒがどんなやつか見ようともしねぇくせに」
赤色の隻眼が、叫ぶ。
(ああ)
ソウはうつむいた。そんなことを、言ってしまえるのか。そうやって現実に屈することもなく、まっすぐに立ち向かうことができるのか。社会から排斥される可能性も、異端だと奇異の視線を向けられることも、なにもかもひっくるめて、毅然と立ち向かえる……それが、うらやましい。こんな人が、かつて母が殺されるその直前に、となりにいてくれたら、なんて考えてしまった。
「アーク」
ソウは、ほかの誰にも聞こえないような声で言った。それまでおろおろとしながらも、口を出せずにいたナギの表情が、ふつ、と途切れ、翡翠色のまなざしが明哲なものにさしかわる。
「この場をおさめたい。けど、俺一人じゃ無理だ。……協力してほしい」
ソウは静かに伝えた。
「黒影、お願い。兵士に味方する前提で、動いてくれる?」
黒影は一度だけこちらに視線をよこした。面倒だとでも言いたげに、しかし同時に彼女は「待つのにも飽きてきたところだ」と嗤う。それもまた、うらやましかった。彼女にとって、常識なんてものはくだらないのだろう。
兵士たちはいよいよ切っ先を光らせる。
「怪しい者をユウメに入れるわけにはいかん」
「てめぇら――ッ!」
ウォーブラもまた、拳をかまえた。
刹那。
「くだらん」
黒影は気配なく、兵士とウォーブラのあいだに立った。
殺意に満ち満ちた、低く淀んだ一言がその場を統べたのが、ソウにはわかった。黒影は間髪を入れずウォーブラを容赦なく蹴りとばす。――やりすぎだ、と言いたいところだったが、今回に限っては、良い手だろう。さいわい、ウォーブラはうまく受け身をとったらしく、大事にはいたっていない。
ウォーブラは黒影を睨み、またイオやリヴィ、アサヒは彼のもとへかけよった。
黒影はそれらをすげなく一蹴して、冷然と見下ろした。
「黒影、てめぇ……」
その瞬間、兵士たちのあいだで波のような動揺が広がった。
――黒影? 黒影だと?
――ランクSの?
――まさか。こんな不気味な、化物じみたヤツが?
とうぜんの反応だ。歴代のランクSと言えば、英雄と言っても過言ではない実績と人格者であり、それにふさわしい身なりで顔が知れている。だが、黒影はそのことごとくから外れていた。
「わずらわしい」
黒影は兵士へなにかを投げつける。あわてて受けとった兵士らはそれを覗きこむ。革の紐にぶら下げられた黒色のドッグタグは、彼女がまちがいなく魔狩であることを示す身分証であり、ごく小さな魔鉱石とともに施された微細な装飾は、熟達した職人にしか作り出せない造形美だ。
刻まれた文字を見た兵士たちの顔が青ざめる。
ここまでは想定通りだ。ソウがアークへ視線を投げたとき、旅人の足は前に出た。
「あれ、もしかして連絡が回ってないんですかね~?」
緊迫した空気に、場違いなほど朗々とした声。言いはなったアークは、ナギらしく、しかしナギにはできない切りこみかたをしてみせる。
この場はすでにソウの手のひらにあった。この機を逃すつもりはない。ソウはアークの言葉を引き継ぐように口をひらいた。
「上に確認してくれないかな?」
あくまでも、ごくあたりまえのように。
「ランクB〈迅雷〉と、ランクS〈黒影〉がユウメに来るって、そういう報告があるはずなんだけど」
りん、りん、りん。鈴を規則的に、整然と鳴らしながら、ソウは兵士たちの前へ出た。重要なのは、あくまでも公平公正の立場を崩さないことであり、そしてソウが主張するそれらしい正しさに疑念と反意を抱かせないことだ。ランクS〈黒影〉という圧倒的な存在と、それに対する混乱と畏怖は、十分すぎるほど効果を発揮している。彼女を目の前に逆らえる者は、もうここにはいない。
ソウはアサヒやウォーブラを見、兵士たちへ顔を向ける。
「彼らは道中、俺たちを助けてくれたんだ。魔族じゃないことは俺たち魔狩が保証するよ。湖の街モーンで報告書も出してるから、それもあわせて協会に確認をとってみて」
ソウは温和な笑みをうかべた。
「しかし……」
兵士たちはそれぞれ目線を交わす。
瞬間。
ガン、と強烈な音が、彼らの迷いを殺した。つや消しが施された大太刀の鐺が、激しく地面にぶつけられた音だった。
強烈な殺意をにじませる黒影が、眉間のしわをさらに深く刻んだのが見てとれる。重い黒髪から覗いた三白眼が敵を定めるように、じろりと兵士らを一瞥した。それが、最後のひと押しになった。
「二度、言わせるな」
「か、確認します……」
朱塗りの二重門を抜けると、世界は派手色に変わった。色が飛びかい、音が空を埋める。軒を連ねる商店にはのぼりがはためき、屋台はかぐわしい香りで道行く人々を誘っていた。向かって真っすぐ。水路とその両端を挟む大通りのずっと先には、同じように朱塗りの楼門があり、さらにその奥には、鮮やかな〈ユウメの大舞台〉が陽光を浴びて燦然と輝いている。
「すごいね」
ソウは、この光景にあんぐりと口をあけるウォーブラとアサヒのとなりにならんだ。ウォーブラの表情はあまりにも、あどけない少年そのものだった。こんな子が、つい一時間前には兵士へ毅然と立ち向かっていたなんて、信じられないくらいだ。すこし、微笑ましい。
いつも通り、ナギがとびだして朗々と話し始めると、黒影が皮肉げに言葉をかえす。
「てか、お前らは武器持ちこんでいいのかよ」
ウォーブラは不服そうだ。答えたのは、ナギだった。
「魔狩は正当防衛が認められなかったらその時点で免許剥奪は免れませんし、一度罰則で剥奪されたらもう二度と魔狩にはなれないのですよ。規則を破ったときの罰則が厳しいことは周知の事実。だからこその信用です」
さらにナギは、この時期にユウメで開催される祭りでは、めいめいの国から重要人物が集まることを例に挙げ、魔狩はとびこみの警備員のようなものだと話した。ソウはうなずいた。おそらく、本部からは祭りが終わるまでのあいだ、待機命令がくだるだろう。近年、ユウメ周辺で魔種の動向に怪しいところはなかったが、警戒するにことしたことはない。それこそ、なにかが起こってからでは、意味がない。
そこでふと思いだしたように、アサヒがあわてて頭を下げる。あいかわらずフードを目深にかぶってはいるのは、目立たないようにするだめだろう。入国できたとはいえ、あの髪色ではさきほどと同じようなことが起こる可能性はいくらでもある。
「あの、黒影さん! ソウさん、それから……お師匠さま。先ほどは、ありがとうございました」
ナギは鼻高に「それほどでもぉ」と言ったが、よくわかっていないようだった。相反して、そっぽを向いたのは黒影だ。
「礼はいらん。あんな茶番、誰が好んでするものか」
「茶番……? ではいったい……」
目を丸くしたアサヒの視線がソウをとらえる。ソウは苦笑をうかべた。
「兵士に味方する前提で、って動いてもらったんだけど……まさか、黒影が蹴りとばすなんて思わなくて」
本当にごめんね、とつけたす。
ウォーブラがひきつった笑みとともに、黒影を半眼で見上げた。
「お前本気で蹴っただろうが」
「あのていどで死ぬならワタシが相手をするに値しない。そのまま死ね」
「お前なぁ」
ウォーブラはあきれた顔をしたが、黒影に蹴られたことを恨んではいないらしい。
「お師匠さまならともかく……どうして、僕を助けてくださったんでしょうか?」
アサヒはこちらを見上げた。蜜色の瞳が繊細に揺れる。
(ああ、そっか)
ソウは理解した。アサヒがこれまで常におちついていながらも他人と一定の距離を保っていたのは、たんに白い髪で引け目があるからというだけではなく、根本的に他人をおそれているのだろう。その繊細さは、うれいや罪悪感のようにも見える。そしてアサヒは、魔狩であるソウたちが〈社会を脅かす白〉に見まがう髪色をもつ者を助ける行動をしたことが信じられなかったのだろう。
白色は、世界でもっとも忌み嫌われ恐れられている色だ。ソウでさえ幼少のとき、ただ色素が薄いだけで嘲笑されることも少なくなかった。さらにいえば、魔狩はなにかと魔種や白に対して恐れ以上に怒りや憎しみを抱き、嫌っている者が多い。
「僕は……誓って魔族ではありませんが、それを証明する手立てもない。なのに、あなた方は僕たちを『保証する』と言った。このことは今後あなた方の立場を危うくする可能性だって……」
「アサヒさんは、清廉な人だね」
ソウはしずかに微笑んで、ウォーブラを見やった。
「俺も少し……救われた気がして。それだけだよ」
「? なんでい」
ウォーブラは首をかしげた。彼は、あたりまえに怒って、あたりまえに仲間を大事にしている。それは、社会の常識や刷りこみと関係なく、彼自身の判断で行動しているのだろう。
その強さがまぶしかった。それは自分が欲しかった強さで、あるいは、かつてとなりに在って欲しかった強さだ。――もっと早く、彼に会いたかった。
「ううん。なんでもないよ。そうだ。憂国に寄ることがあったら、俺の家に来てよ。弟が喜ぶと思う」
心の底から思った。
色に関係なく、社会のあたりまえも関係なく、大事な人を大事だと言いきれる彼なら、かつて自分が弟に言ってあげられなかった言葉を。弟が一番欲しいと思っている言葉を、与えてくれるかもしれない。そんなときが来るといい――なんて。
ふだんは決してしない期待を、心の内で募らせている自分を、ソウは見つめていた。
「それじゃあまたいつか。お幸せにね」
彼らと別れてから、ソウはナギ、黒影とともに水路を挟む商店街を進んだ。ちょうど小腹が空いてきた頃合いで、三人で露店の焼きおにぎりをひとつずつ購入する。すぐ近く。水路にかかった桟橋の長椅子へ腰を下ろした。陽光が赤い葉の形を縁取って影を落としてゆれている。
清涼とした水のせせらぎを耳にしながら、ソウはナギから手渡された葉包みに視線を向けた。手のひらを満たす温かさに、葉の香り。そっと包みをひらくと、爽やかな葉をなでて香ばしい湯気が立った。薄茶の俵型の表面にぱりぱりの焦げ目が光り、さらにその上で鎮座する煮魚がやわらかい身にタレをまとわせていた。
焼きたての握り飯に上機嫌のナギは、ソウのとなりでほっぺたいっぱいにご飯を詰めながら、これに混ぜこんである山菜は新鮮なうちに下処理をくわえることで、旨味が格段に変わるのだと話した。
話題がいくらか過ぎ小腹も満たされたころに、この後は一度別行動しようという話になり、三人は立ちあがった。というのも、協会支部に宿泊してはどうかと提案したソウにたいして、ナギは旅館に泊まることを強く勧めたからだ。一度はユウメの懐石料理を口にしておくべきだと主張し、さらに温泉も外せないと目を輝かせながら語られては、とくべつこだわりのないソウはそれらを断る理由を持てなかった。あるていど清潔であれば、それでかまわない。落ち合う時間と場所を決めて、ソウと黒影はまず協会へ報告書を出しに行き、ナギはその間に宿泊先を確保する、という方向で話はまとまった。
ソウはナギに「それじゃああとで」とかるく手を振った。水路を境に歩きだそうとしたときに、ひらり。さえぎった赤色の葉。ソウの視線は一瞬その赤色に奪われ、次いで向かい合ったナギの翡翠色と目があった。この瞬間、どうしてかお互いに同じことを思い浮かべたように思った。
次にナギが発した言葉で、ソウはそれがまちがいでなかったことを確信した。
「不思議な子でしたね。ウォーブラくんは」
鮮烈な、赤色だった。
ひらりと落ちた葉が水面へ身を落とす。病葉だった。
その赤色は小さく、遠くへ流れていった。
「ナギさんはよかったの?」
「なにがですか?」
「アサヒさんのこと。あんまり、話せてなかったでしょ?」
ナギがあいまいに微笑んだ。それが答えだとわかったソウは、それ以上追及することをやめにした。アークならなにかしら覚えているのかもしれないが、それを話してくれるともかぎらない。
風の流れとともに、視線を下流へ。翡翠色は茫洋と水面の反照を見つめたようにも思えたが、それよりももっと遠いところを見ているようでもあった。いつもおしゃべりなその口は、それ以上なにも言わなかった。
ナギと別れて、ソウは黒影とともに大通りを横切る街路へ足をはこんだ。協会支部は街の北側にある。
「さっきは、ありがとうね」
ソウはあらためて、となりを歩く黒影へお礼を言った。
「俺さ。はじめてだったんだよね。ああいうふうに、正面きってはっきり声をあげられる人に会うのって。だからってわけじゃないけど、彼がなにかを信じたっていう事実が報われるといいなって。ちょっとだけ思ってさ」
黒影は黙ったままでいたが、その沈黙ののちに、ただ一言、
「茶番の報酬は高いぞ」
と、言った。
ソウは苦笑した。
「言っとくけど、いますぐ殺しあえとかは、無理だからね」
「貸しにしておく」
「あとがこわいなぁ」
ソウがわざとらしく肩をすくめると、黒影はやはり眉間にシワを寄せて、不機嫌そうに足を速めた。待ってよ、と言いながら、ソウは彼女の背を追いかける。
地面を踏みしめながら、ライへ送る手紙のことを考えていた。ウォーブラのことを伝えたかった。白、ってだけで嫌ったりしないで、その人のことを見てくれる人が、ちゃんといる。そのことを、伝えたい。それはきっと、ライにとって大きな希望になるはずだからだ。
そして、いつか。
故郷の扉を叩き、ライにただいまと言うことができたら……そのときに。――ライの髪は、奇麗なんだって。
(伝えられたらいいな)
ソウは、なによりも美しいその白色を、思いうかべた。




