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(六)内談

 その日の晩、一番に部屋へ戻ってきたのはソウだった。

 ソウはイオと飲んできた――もっとも、ソウはしらふのようだが――と話したが、彼にしてはめずらしく、思案顔のまま、気色悪い上っ面の笑みをうかべることもなく、まっさきにシャワールームへ入っていった。髪を乾かしてからもとくべつ変わったようすはなかったが、ただ寝入る前にいちど、

「ねぇ、黒影。俺、なんかおかしいかな?」

 と訊ねてきた。

 いまさらなにを言っているのか――見上げると、彼は、

「いや、なんでもない。君の反応見て、安心した。ありがとう」

 といって、そのまま横になった。一刻も経たずに、彼は寝息をたてはじめた。

 しばらくソウの寝顔を眺めながら、なでたりつまんだりと遊んでいたが、それもそのうちに飽きて、酒のボトルを下げて部屋を出ることにした。燭台の灯りは消しておいた。

 外はそう寒くもない。しばらく、宿の渡り廊下で、街を包む水鏡と、夜空に浮かぶ満月を眺めていた。退屈な時間だった。ちょうど酔いが回ってきたころに、独り。竜人族の男が現れた。名前はおぼえていないが、赤髪にぴったりと寄り添っていた男だということを思いだしたものだから、暇つぶしに軽くちょっかいをかけてみたが、どうということもなかった。


 ふたたび部屋へ戻るころには、もう日付をこえていた。

 扉を開けると燭台の灯りが小さくこぼれたから、おおかたナギが帰ってきているのだろうと理解する。案の定、その姿はテーブルと向かいあうように居る。

「黒影ちゃん、おかえりなさい。おそかったですねぇ」

 彼は椅子から半身だけふりかえった。

「アークか」

「んもぅ、もうすこし茶番につきあってくれてもいいじゃないですかぁ」

 アークは、()()()()()口をとがらせた。

「で、なにかおもしろいことはありました?」

「ただのつまらん夜だ」

 彼を素通りして、黒影はソウの寝台に腰かけた。あいかわらず、あどけない寝顔だ。

「キサマこそ、なぜ顔を出している」

 金糸のようなやわらかな髪をすくい、なでる。アークは「寝かせてあげましょうよ」と苦笑したが、それは無視する。どうせこの男(ソウ)は、一度寝入ったらほとんど起きない。いままでに幾度も試したが、ソウが目覚めたのは、ひどくうなされた場合と、こちらが蹴り起こしたときくらいだ。

「師弟とやらが原因か」

「まぁ、そうでしょうね」

 アークは淡々と答えた。

「おかげで〈ナギ〉が不安定で、こまります」

 それ以上、アークはなにを言うつもりもないらしかった。ただ、彼の亜麻色のまつげが、翡翠色の微光を翳らせた。

「黒影ちゃんは寝なくていいんですか?」

「寝られるなら寝ている」

 足を組みなおし、嘆息した。

「どうせろくに寝られん。だから時折、こんな腑抜けた顔をできるソウを、うらやましくも思う」

「褒めてるんですか? それとも」

「嫌味だ。ただの愚痴だ」

 ちからの入っていないソウの手をおもむろに取って、手持ち無沙汰に眺める。手の甲は雷撃の跡が彼を縛りつけるかのようにいくつも走り、手のひらはもとの肌すらわからないほど、そのほとんどが薄紅をしている。

「今夜はうなされていないみたいですね」

「ああ」

 しばしば、彼にはうなされている夜がある。たいていは手をにぎるか頭をなでてやるとそのうちにおさまるのだが――そうならないことも幾度となくあった。

「このバカは、他人に対してあれほど口うるさく自分を大事にしろだの周りを見ろだのとのたまうくせに、自身の痛みにたいしてあまりに無自覚だ。

 基本的に損得を考えて動いているが、状況によってこいつは自分の命すらコマとしてあつかうフシがある。その時の無謀さは常軌を逸している。それでいながら、うわべでは人間らしい弱みを見せてみたり、おどろいて見せたりする。あまりにも自然な演出に、気づくものは多くない。だから、はたから見ていていらだたしい」

「黒影ちゃんは、なににいらだっているんですか?」

「知らん。そこまで考えてやったためしはない」

 ソウの左手の傷をたどるように指先でなぞり、手首の内側にあるほくろへ。触れたところで指先をとどめる。

「……だが、思うところはある。こんなことを続けていれば、いずれガタがくる。壊れれば元には戻らん。もっとも、コイツはすでに、戻れんだろうがな」

「そういうの、ソウくんに直接言わないんですか。いつも、あれだけ気色悪いだとか、くだらんとか、散々言ってるじゃないですか」

 緩慢(かんまん)と立ちあがったアークは寝台のサイドテーブルへ向かった。水差しを取ったらしかった。グラスへそそがれた水が音を立て、三人ばかりの部屋に小さく響く。

「言うだけ面倒だ。どうせあれこれうるさいのに、これ以上小言を増やされてもかなわん」

 文句をたれると、アークは笑いながらグラスをひとつさしだしてきた。

「それだけならまだしも」片手間にグラスを受け取る。

「まだしも?」

 訊きかえしながら、彼はそのまま向かいの寝台に腰かける。「コイツは自分が望んでいなくとも、気をまわす。難儀なやつだ」

 少しばかりぬるい水を口にふくんで、ちいさく息をついた。対して、アークはくすと笑みを浮かべた。

「黒影ちゃんなりの気遣いですか?」

「そう思うか」

「ちがうんですか?」

「コイツに甲斐甲斐(かいがい)しく気遣われてみろ。気持ち悪くてしかたがない」

「ああ、そういう。黒影ちゃんらしいですねぇ」

 アークは納得したようにうなずいてグラスをかたむける。翡翠色の瞳は、ややあって面白おかしそうに形を細めた。

「俺に言うのはいいんですか?」

「キサマはどうせ気遣わんだろう。ワタシとて話す相手くらい選ぶ」

「やめたほうがいいですよぅ。俺が〈ナギ〉に情報を漏らしちゃうかもしれません」

「必要以上にうるさいヤツは斬ればいい」

「またそういう」

 亜麻色の眉じりが下がる。

「ソウくんに怒られますよ?」

「いらん説教だ」

 アークの苦言を一蹴(いっしゅう)して、その冴えた翡翠色を見つめる。

「キサマはコイツのことをどう思っている」

「やだ黒影ちゃん。俺にそういう趣味はないですよ? 〈ナギ〉はほら、女性が好きですし?」

「そういう意図ではない。くだらん冗談ではぐらかすな」

「ああ、まぁそうですよね」

 すっと笑みを引いて、それから手もとのグラスを膝におろした。あいた片手で後頭部をかるくかきながら、ややあって、翡翠色の瞳は明哲な光をたずさえたまま、もう一度こちらを見つめた。

「たぶん、黒影ちゃんと俺が考えていることは、それほど遠くないと思いますよ」

 これは確信ではなく、可能性の話ですが――。

 そのように前置きして彼の口から紡がれた憶測は、こちらの考えとおよそ一致していた。そのことにとくべつ喜ぶべきことはない。むしろ、どうでもいいことがひとつ増えた、というていどの認識でしかなかった。

 すくなくとも、黒影にとっては。

 だがおそらく、ソウにとっては、ちがう。

「……難儀なヤツだ」

 黒影は息をこぼし、ソウの前髪をはえぎわからかきあげるようにやわらかくなでた。


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