(五)湖の街
湖の街モーン。別名、天蓋の街とも呼ばれるそこは、織国首都ユウメまでの道中にある。特質的なのは、街そのものが湖の真ん中に位置していることであり、さらに、月と同じように満ち欠けすることだった。街は一日ごとに、端から少しずつ水に満たされ、満月になると、街の路地はすべて水鏡となる。そこから月が欠けるごとに水が引き、徐々に街は全貌をあらわすという。
モーンに訪れた翌朝、ソウのもとを訪ねてきたのは、イオだった。
おや、と思ったのは、彼女が昨日とまったくちがって、鎖骨が美しく映えるハイウエストのワンピースを身にまとっていたことだった。うしろには、太陽一座の踊り子三人がいる。彼女らは高い声で会話を弾ませながら、おはよう、と口々に言った。
ソウも彼女らにあいさつをかえすと、イオがこれから買い物に行くといい、少女らは無遠慮に部屋にへとびこんで黒影を捕まえた。どうやら、無骨なランクSの魔狩へ女のたしなみを教えこむことを楽しみにしているらしく、黒影の邪険な態度をものともせず、左右それぞれの腕を抱きながら、これから着せる服や装飾品の想像をあれこれと語り合っている。
黒影は今にも抜刀しそうなほどいらだっているように見えたが、戦場とは無縁の少女らを無下に振りはらうことがためらわれたのか、額に青筋を立てるだけに留まった。
ソウは微笑をたたえながら快くイオの誘いへ乗ることにした。もちろん友好的な関係を築いておくに越したことはないというのが一番の理由だが、――黒影のこんな面白いようすはめったに見られない。そんなことを考えていると、間髪をいれず黒影から殺気を向けられた。
協会への報告や手続きなど、急ぎの用事は昨晩のうちに済ませているから、ほかに優先すべきものはない。彼女らに合流すると、その後イオはウォーブラを叩き起こし、彼を連れ出した。寝ぼけまなこであくびをしながら、ウォーブラはしぶしぶついてくる。
午前中から昼すぎにかけてソウがやったことといえば、必要に応じて彼女らに感想を伝えたりすることや、その都度用事に合わせたさりげない支援をすることだけだった。こういうものごとは、基本的に相手をよく観察しておけばだいたい正解を導ける。彼女らのつま先がどこに向いているのか。注意はどこへそそがれているのか。よく話をきき、しかしただうなずくだけではなく、時折、主体的に提案をしておく。主役は彼女らだということを押さえたうえで、つきそいの自分もまた話題に興味をもち、積極的に楽しんでいるという態度が必要だ。
もっとも、相手によって例外もある――たとえば、黒影には通用しない手法だろう――が、だいたいはこれで及第点を得られる。
案の定、この取り組みは彼女らに好評だった。
昼を過ぎると、彼女らはますます盛り上がり、たちまち女だけで気ままに散策し始めた。それでもなお、黒影は解放してもらえなかったようで、彼女は女たちにあれよあれよと遊ばれていたのが、はたから見ていてたいそう面白かった。ソウが微笑をたずさえて眺めていると、しばしば黒影から殺意がとんできたが、それはてきとうに流しておいた。
最終的になにもすることがなくなった男二人は、手持ち無沙汰になり、さてどうするかとぞんざいに話した結果、手近な喫茶店で、彼女らが帰ってくるまでに時間をつぶすことにした。
夫人や恋仲の男女が大半を占めるなかで、男二人がテーブルで向き合いながら甘味を食べるのは少々場にそぐわないようにも感じられたものの、口にしたスフレはなかなかに美味で、いつか弟に食べさせてやりたいと考えた瞬間、それ以外のことはどうでもよく思えてしまった。ウォーブラと話しながら、いっぽうで、どうやったらこの味を再現できるだろうかと思考をめぐらせていたせいで、すこしばかり会話の対応をまちがえてしまったものの、それと同時にウォーブラの慧眼にはすなおに感心した。彼はどうやら、ソウの笑みがありのままのものではないとすでに見抜いていたらしい。
その後、ようやく女たちから逃れてきた黒影がこちらに合流し、ウォーブラにちょっかいをかけるというごく小さな悶着があったが、それ以外にとりたてて問題は起こらなかった。平和な日中を過ごすことができた、と沈む夕日を見て、ソウは考えた。
故郷へ帰るため、着実に進んでいる実感があった。
晩になると、イオは飲みに行くと言いだした。ウォーブラたちはすぐに顔をしかめ、そそくさと距離を取ったが、事情を知らないソウは出遅れ、あっというまに捕まった。仲間のようすから察するに、よほど酒癖が悪いのかと懸念すると同時に、ソウはいい機会かもしれない、と考えた。彼女は元魔狩だ。それならいくらか話もしやすいだろうし、なにより他人への共感性と情の深さを持っているのだから、これを使わない手はないだろう。
居酒屋に着くなり、イオは一杯、二杯とジョッキをあおった。まわりで飲んだくれている連中は酒臭い男ばかりでかなり騒がしいが、気にしていないところを見ると、こういう環境は故郷のようなものなのだろう。
イオは飲みながら、
「アンタはいい男除けになるね、ちょっと奇麗すぎるけど」
といって、三杯目のビールに手をつけた。
「この年齢になるとさ、結婚結婚ってみんなうるさいのなんの。アンタも同年代ならわかるだろう? 通りすがり、いきずりの男だっていきおくれだなんだって、まったく嫌になっちゃうね」
(とばしてるなぁ)
ソウはてきとうにあいづちをうちながら、果実ジュースが入ったグラスをかたむけた。イオはジョッキをもう一杯、いっきにあおって、ダン、とカウンターテーブルに叩きつけた。
「若い子は年増だのババァだの、なんだってんだい! あたしゃまだ三十そこそこ。イイオンナだってぇの!」
「まぁまぁ、」
ソウは苦笑した。話の合間につきだしを進めると、彼女はそれをつまみながら、「おかわり!」と叫んだ。
「だいたいさ、なんなんだい。かってに人を下にみて。あいつら、いつまでも自分が選ぶ側だと思ってんだよ。なぁにが、寂しいだろうから慰めてやるよ、だよ。はぁん? 同じ冒険者で生活保障もなけりゃ、あたしよりも弱っちぃくせに、とんだ上から目線なもんだ。そんなもんはあたしとのケンカに勝ってから言えってぇの。はん! だからね。そんなバカにはね、寂しいのはあんたの股間のほうだろうって、ケツごと蹴りあげてやったよ」
「わぁ……」
ソウは内心、その男に対して蹴りあげられたというただその一点において同情した。
その後もしばらく、イオの愚痴は続いた。ソウは主語の大きい話に対しては、ほどほどにあいづちをうって、ときおりつまみを勧めては、話をそこそこに流し話題の変更を試みた。そのうちに、イオはあるていどおちついてきたのか、ジョッキからカクテルに変えて、ちびちびと飲みはじめた。
「で、あんたはどうなんだい」
「どうって、ああ。結婚の話? ――いまは、なんとも」
「じゃあ弟は?」
「俺より望み薄かな」
「とっととケツひっぱたいてやんなよ。ずるずる現状維持したって、あたしたちはすぐ歳くってくんだからさ。あんたも考えないわけないだろう? 十も離れた弟を残したらって」
「そりゃね」
ソウはグラスを傾けた。
「いつか、弟といっしょに歩いてくれる人がいるといいなって、思ってる」
「なら方法はふたつだよ。とっととあんたが結婚して子をこさえるか、弟をひとり立ちさせるか」
「俺は、弟が自分で歩きだせるようになったら、それを応援してやりたいんだ。幸い魔狩だから、貯金はできてるし――仮に、俺がいなくなっても、」
「それって、いつになんのさ」
イオはグラスのフチについた紅を、指先でぬぐった。
「いつまでも立ちあがらない弟にいつまでもおんなじ調子で接してても、なんにも変わりゃしないよ」
「耳が痛いな」ソウは苦笑した。
「……まぁでも、こうして離れる時間ができたんなら変わってることもあるだろうから、まずはそこからだろうねぇ」
イオはグラスをかたむけた。ソウもまた、合わせてグラスをかたむけた。ふと、父のやさしいまなざしが脳裏に浮かぶ。
――なあ、ソウ。父さんはな、お前よりも早く死ぬと思うんだ。
ああ、と理解する。父もきっとこんな気持ちだったのだろうか。自分がいなくなっても、我が子が自分の足で歩いてゆけるように……そんな願いをこめて、たくさんの場所へ連れ出してくれて、いろんなことを教えてくれたのだろうか。父もまた魔狩だったからこそ、いつ死ぬかわからず、とつぜん家族を残してしまうことを憂いていたのだろうか。ソウには人生の伴侶も子どもいないが、弟の幸せを願う気持ちは、かつて父が我が子らの幸せを願ったものと同じように思えた。
(あれ、でも……)
ソウはわずかに、グラスを持つ手をとどめた。
(なんだろう。この違和感)
グラスで波打つ柑橘の香りにほろ苦さを感じる。
――だから、ソラさんのこと、頼むよ。
父は母のことも憂いていた。当時、まだ子どもだったソウは父から、多少なりとも一人前と認めてもらえたからだと思っていたが、本当にそうだろうか。父の口ぶりはまるで、最初から自分が家族の中で誰よりも早くいなくなることをわかっていたような……。
(……いや、考えすぎだ)
ソウは視線を下げた。果汁が作る波紋の奥は、うっすらと靄がかかったような半透明だ。
「そんなに落ちこむんじゃないよ」
イオの言葉に、ソウはハッとした。他人といっしょにいることをすっかり忘れて、思考に耽ってしまったことを自戒する。幸い、イオはこの沈黙を都合のいいように受け取ってくれたらしかった。
「あんた顔もいいんだから、結婚なんてきっとすぐさ」
「だといいけど」
肩をちいさくすくめてみせる。
「イオさんは?」
「正直なところ、イイオトコなら今すぐにでも籍入れておちつきたいくらいさ。でも冒険者は論外。社会的な信用が足りない。たとえば怪我で身体に自由が利かなくなって前線を退いて、すぐに一般職で働く、なんて無理なのさ。子どもを考えるなら、生まれたその子が選べる選択肢が多いほうがいい」
「子どもがほしいの?」ソウは訊ねた。
「そりゃね。でも、」
イオはただ首を振った。
「――あたしはね、白色が嫌いさ」
彼女の表情に険しさが見えたのを感じながら、ソウはこぼれた横髪を耳にかけた。
「誰だって、おんなじだよ。白色が怖い」
「そうさ」
イオはうなずいた。
「あたしは故郷を奪った魔族が憎い。魔種が憎い。白を、赦せない」
一度言葉を切って、彼女はカクテルをあおった。
「あんたは?」
「俺も、似たようなもんだよ」
「嘘だね」
「ひどいなぁ」
ソウは笑った。
イオは冗談のつもりだったのか、それとも、自分の体験は他人と共有できるものではないと暗に言いたかったのか――ともかく、彼女はすぐまた元の話に戻った。
「でもね、あたしも変わらなきゃなんないって、思ったのさ」
「どうして?」
「アサヒって、あんたわかるかい?」
「ああ。フードの、」
「あの子ね。白髪なんだよ」
ソウはおどろいた表情をした。かたくなに素顔を隠している時点で事情があるのだろうと察していたが……さきほどイオに同調した以上、この反応は守っておくべきだと判断したからだ。
「正確にいうと、すごく、白色に近い金。でも、ほとんど白にしか見えない」
イオは片手でひたいを支えて、頭を振った。
「あたしはね、はじめてあの子を見たときに、魔族だって決めつけて、ひどい言葉を浴びせた。敵意をむきだしにして、斬りかかったのさ。
いまでも、そのときにあの子が見せた表情が忘れらんなくて――忘れちゃいけないんだけどね。傷ついた顔だった。でも、こんなことはあたりまえだって、そんなふうに……あきらめた顔もしてた。
あとになって、気づいたよ。そんな顔をするってことは、それくらい、何回も否定されてきたんだって。――あたしはさ、他人を護りたくて魔狩になったんだ。もちろん理由は他にもあるよ? 父っちゃんが魔狩だったってのもそう。妹弟がたくさんいたからお金だって必要だった。でも、そんなのも魔族にぜんぶ奪われた。背負いたかった苦労も、女友達も、初恋の相手も、思い出を語りあえる人だって、ぜんぶね。
焼けた故郷には、誰のものともわからない墓だけが残ったよ。石を置いただけの、ずさんな墓でね。生き残った人間で、覚えてる名前を、ぜんぶ彫っていった。ろくな道具もなくて、手はぼろぼろ。それでも彫った。いつか絶対、あの魔族を殺してやるって思いながら、でもそんなことを思うのがやるせなくて。親妹弟に申し訳なくて、でも、思わずにはいられなくて」
「……そんなの、魔族を憎んで、とうぜんだよ」
「はは、優しいね。あんたは」
イオはからりと苦笑した。
「それで、冒険者になったってわけ。理由はわかるだろう?」
ソウはうなずいた。
イオは復讐するつもりで魔狩を辞めたのだろう。
魔狩は仕事を選べない。拒否権はある。もちろん、配属される科や担当区域の希望だって出せる。だが、魔族の案件はまずないうえ、もしそんな緊急事態があったとしても、振り分けられるとすれば――それこそ、〈黒影〉のようなランクSを筆頭に、高ランクから選出されるはずだ。
「あたしは、バカだよ。憎いってだけで決めつけてさ。傷つけて、魔狩になった最初の理由も忘れて……おんなじ人間に武器を向けてさ。ほんとうに、バカ」
イオは息をついた。
「でも、やっぱり魔族が憎い。白色が嫌いで、白色を見るとたまらなくなるのさ。白ってだけで、ぜんぶ敵に思えてくるのさ。どうしようもないくらいに……腹の底から、殺してやんなきゃいけないって。故郷を焼いた炎みたいに、あふれてくる。皮肉なもんだね。あの子はきっと、こんなこと見抜いててさ。だから、あたしの前でだって、気遣って、素顔をほとんど見せないんだよ」
「けど、アサヒさんを大事にしたい?」
ソウが訊ねると、イオはうなずいた。
「折り合いをつけなきゃなんないのさ、あたしは」
「そっか……。それって、難しいことだよね」
イオは微笑をうかべた。
「あんた、哀しくなるくらいにやさしいね」
「それってどういう意味?」ソウもまた微笑で返す。
「だってあんた、さっきあたしをちょっと軽蔑しただろう?」
「まさか。びっくりしただけだよ。もう酔っちゃった?」
イオは盛大に息をつくと、グラスを片手にカウンターへ突っ伏した。
「ああ酔った酔った。そのせいであたしゃ、あんたのことまで心配になってきたよ。まったく。あんたも抱えこむタイプだろう? それも、わかりにくいったりゃありゃしない。とんだ男だよ。そんなんでよく生きてこれたね。ちゃんと友だちはいんのかい? ご飯は? 夜はぐっすり?」
矢継早に畳みかけてくるイオのとなりで、ソウは思わず笑ってしまった。
「なんだいなんだい、せっかく人が心配してやってんのに」
「……いや、ウォーブラさんもそうだけど、人からこんなに心配されたの、なんか久しぶりで。ごめん、悪気はなくて」
「ふぅん、じゃああたしを介抱してくれる?」
イオはグラスの陰で、笑みをうかべた。
「それとも、同年代の女はイヤかい?」
ソウはグラスをわずかに揺らして、微笑をうかべた。
「俺はしらふだよ」
「つれないねぇ」
「もう一杯飲んどく?」
「どうせあんたは次もジュースだろう? やめやめ。せっかくこんなイイオンナが酔っぱらってんのに、あんたはさぁ」
「はいはい、イオさんはイイオンナだよ」
「てきとう言うのはおよし」
「ははっ」
「あっははははははは!」
イオは大きくのけぞって笑った。ソウもまた、笑った。痛快と言うべきだろうか。どうしてか、彼女には嫌味ったらしさが感じられなかった。
「はー、おっかしいの」
「俺も、こんなに笑ったのひさしぶり」
「よかった」
イオが微笑んだ。ソウはそんな彼女を、思わず見つめてしまった。彼女のまなざしは、恋とも媚びともとれない色をしていて、けれども、ソウをきらっているふうでもなかった。それがどうにも不思議でならなかった。
「ちゃんとさ、ふつうに笑えるじゃないか。あんたも」
「――……」
ソウは無意識のうちに、片手で顔をおおった。




