(二)生活
翌朝、黒影のようすを見てくれると言った夫妻の厚意に甘えることにして、ソウは広場へ訪れた。まず探したのはいくらかの食料と、瘴気症に効く薬草のたぐいだ。
薬草はどこをさがしてもなく、いくらか訊ねてみたが、どこも仕入れが不足していると首を振った。商人たちが言うには、荒野ばかりのこの地には瘴気症に効く薬草は自生していないという。ソウは考えていた。彼らもまた〈白の境界線〉のなかでこうして商売をしているということは、自分が瘴気症にならないための対策を講じなければいけない。だとすれば、まったく持っていない、なんてことはないはずだ。
彼らがどこか保守的な理由は、昨日の話や、周辺のギラついた雰囲気を見れば、納得できた。だからといって、黒影の容態もいつ変化するかわからない。
ソウは彼らといくらか交渉し、ときに情に訴えかけてみたりもしたが、かれらにとっても薬草は命綱であり、誰も首を縦に振ることはなかった。
さらに、物価はどれも高く、親指ていどの干し肉ひときれでさえ、いまの手持ちではとうてい足りなかった。
(物資の不足は深刻だって聞いてたけど……正直ここまでとは)
夫妻がどれほど良心的かを実感しながら視線を流していると、広場の端にあるいくつかの掲示板が、ふと目に入る。冒険者へ向けたものだとすぐにわかったのは、依頼内容が記されている紙がいくつも雑多に留めてあったからだ。さらには、バリアブルの外周で崩落した箇所があることや、魔種の目撃情報のほか、人捜しなども雑多に貼りだされていた。
思いたったソウは、すぐ脇の依頼仲介所へ足を踏みいれ、受付に声をかけた。バリアブル地下の情報提供をしたいと伝えると、すこし待つように言われた。いくらか経ったころにようやく、奥まった天幕へ通され、そのなかで、ソウはかいつまんで経緯を話した。それらの情報に対して、仲介所側は、信じられない、と言いたげだった。
ソウは覚えているかぎり内部構造や順路などを仔細に話し、説明した。さらに、ソウはレヴドの名前を出した。彼らはこの名前にはいまいちピンとこなかったらしいが、受付に立っていたひとりが、「そういえば少し前に、いくつか討伐依頼受けていらっしゃいましたね」と記録をはぐりながら言った。最後に受注したのが、遺跡の内部調査だということがわかり、彼らはいくらかこの話を信じてくれる気になったらしい。
ひととおりのことが終わると、ソウは情報提供料をもらえることになった。仲介所はこのあと、仲介所は提供された情報が正しいかどうかを確かめるために、ほかの冒険者へ依頼を出し、それが正しいことが証明されれば、さらに情報提供者のソウへ、追加でいくらか報酬が出るらしい。ソウは自分が宿泊している宿を伝え、さらにこの場で一枚紙を購入した。書きつけたのは、ナギへあてたもので、掲示板にそれを留めてもらえるように頼んでから、ソウは仲介所の天幕をあとにした。
ひとまずの生活費を得たソウは、露店でいくらか必要な食料や水を仕入れ、天幕へもどった。その頃にはもう、夕方になっていた。
それから数日間。黒影の容態を見ながら、毎日朝晩、露店で薬草の仕入れがないかを確認し、薬草の仕入れがあった日は、高くても購入して、黒影に飲ませた。魔種討伐の依頼をこなしながら生活費を稼ぎ、天幕にいるあいだは粥をつくって黒影に食べさせたり着替えを用意したりとできるかぎりの世話をしたが、彼女の熱はいっこうに下がらず、体力は消耗していくばかりだ。とくに、夜になるとひどく熱が上がり、彼女は寝台に横たわったまま、数時間うなされた。なんども手巾をしめらせ、彼女のひたいに乗せた。
さらに翌日。この日は、薬草の仕入れがなかった。午前中に魔種討伐を一件済ませて、報酬をもらい、天幕に帰って黒影に昼飯を食べさせ、彼女の容態を気にしながら、午後になるとまたソウは仲介所へ向かった。該当の魔種が現れるまでの時間がもどかしかった。魔種を討伐し、日暮れになった。長く伸びた自分の影を踏むように補給地点へ戻ると、同じように長い影をのばす掲示板が目に留まった。
ナギへの伝言は、ただ風に揺られるだけだった。
その晩、ソウは咳きこむ音にとび起きた。とっさに桶を黒影へ差しだすと、彼女はその日の夕飯を吐きだした。なんどかえずいて、もう吐きだすものが胃液しかなくなった黒影は、いっそう青い顔のまま「らしくない」と言った。ソウは意味を図りかねたが、黒影はおかまいなしに続けた。
「捨て置け、と言ったのに」
***
荒野のただなかにあるこの補給地点は、ずっと風が乾燥している。
朝を迎え、夜を生き、血の匂いとざらついた地面の感触を踏みしめて、何日が経過しただろう。もうじき、霧晴が終わってしまう。それまでにはこの白い世界を抜けて、水瑠地方へ入らなければならないし、そのころにはこの補給地点も畳まれているはずだ。
黒影は日に日に、目に見えて弱っていった。それがわかっていながらも、ソウにできることは少なく、毎日彼女が弱っていくさまを目の前にしながら、夜は彼女が咳きこむ音で度々とび起き、朝と昼にはくせのように薬草の仕入れを確認し、もうかぞえられないほど魔種を殺して、日銭を稼いだ。
――医者の見立てでは、ワタシは二十歳まで生きられないらしい。むしろ、十五の成人をむかえられただけでも奇跡だと。
魔種を殺しながら、そんな黒影の言葉を、思いだしていた。
その日、ソウは仲介所への討伐報告をすませ、食材を買って帰路についていた。その頃にはすっかり暗くなっていて、自分の影も地面の暗がりにすいこまれてしまうように思えた。いつもより数が多くて、難儀してしまった。端的にいってしまえば、いまとても疲れている。うまく思考がめぐらない。帰って、すこしでも黒影に栄養のあるものを食べさせなければいけない。
――……。
嘲笑が聴こえた。最初は幻聴だろうと高を括っていたが、どうやらそうではないらしい、ということに、ソウは気がついた。このことに気がついたのは、自分の視界も、自分の身体も、どうもおかしい、と思ったからだ。地面に横たわっている。腕が痛い。体中が痛い。鈍くじっとりと広がる痛みもあった。
(ああ、そっか。殴られたんだっけ)
記憶をたどる。宿にもどる途中で、ある冒険者の一団――数は五人くらいだった――が声をかけてきた。くだらないことで、ひどく疲れていたから、そのまま無視した。それで殴られた。抵抗しようかと考えたが、「魔狩のくせに」という言葉が聴こえた瞬間、魔狩として護るべき模範と、自己防衛を天秤にかけて、あっさりあきらめてしまった。考えるのがどうにも面倒くさくて、てきとうに殴らせていた。しくじったな、と思ったのは、最初にもらった情報提供料で、適当な武器を買っておけばよかった、ということだ。魔導武具をもっていたら、ちょっと魔狩を知っている人間なら、誰でもそれとわかる。だから、しくじったな、と思った。
しかし彼らはただほんとうに憂さ晴らしをしただけだったらしく、陰湿にソウの自尊心をくじくこともしなければ、有り金にもそれほど興味はないらしかった。それがすこし、バカだなぁ、と思ってしまった。そんな子どもじみたことをするくらいなら、いっそ、もっと他人をうまく利用すればいいのに。それができないから、こうして殴るしかできないんだろうな、なんて。考えて、ああ、こんなことを考えてはいけないな、と自嘲した。
また痛みが降ってきても、どれもこれもどうでもよくて、考えていてもしかたがないと、思った。
――魔狩のくせに、剣も抜けないのか。
――いっそ俺たちを殺してみたらどうだ。
彼らはそんなことを言っていた。わかりやすい挑発だったから、それも無視した。
第一に人命救助。これは設立から百余年変わらない、協会の人間主義からなる行動指針だ。たとえ、それがどれほど不条理と思えても――保護すべき人間が、たとえば、悪辣であって、およそ道理に反していて、十人中十人が救いようのない悪人だと酷評しても。等しく、魔狩は護るために、武器を取らなければいけない。それが魔狩の義務だ。
それに。ソウは考えた。
それに、かりにそんなことなんてなにも関係なく、ただ自分の個人的な感情だけで動くとするなら。
怒りや憎しみだけでいちいち他人を殺していたら――……それこそ、国ひとつじゃ、てんでたりない。
(たりないんだよ)
痛みだけが残る身体を起こしながら、口端についた血の痕を袖でぬぐった。乾燥したくちびるが繊維にひっかかって、細い痛みがはしる。くちびるのうえに水気がにじんだ。血の味がした。
ソウはさらにゆったりとちからを入れた。足に、ズキ、と刺すような痛みがほとばしる。猫面をひろって、腰にさげた。鈴の音が聴こえたものの、もう表情を作れなかった。
(ああ、こまったな)
漠然とあたりを見回す。
ここにはもう殴ってきた冒険者の姿はなかったが、せっかくの食材が台無しだ。張りのあったトマトだって、汚く破れてしまった。赤い果肉は、横たわったまま、中身を散々にして、つぶれている。
「ひどいことするなぁ」
ぼやく。
「もっと、食べ物は大事にしなきゃ」
どうにか無事な芋や干し肉をいくつかひろって、ソウはようやく、まっすぐに立ちあがった。すこしよろけて、腕から食材がこぼれる。それをまた、ひろう。また、ズキリと痛む。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
(……痛い)




