(一)瘴気症
揺れている。
揺られている。
もうすこしがんばってね、と聞こえたから、捨て置け、と返した。
彼は返事をしなかった。
ゆらゆらと揺籃のなかにいる感覚は、それからもしばらくのあいだ、続いた気がする。
***
「ダイジョブですか?」
ソウが黒影を簡素な寝台に寝かせたところで、移動民族の娘が、顔をのぞかせた。獣人族の彼女は、栗色のピンと伸びた毛耳が特徴で、この補給地点で宿を貸している夫妻の娘だと、さきほど聞いたばかりだった。
ソウは黒影が倒れてから、まず彼女が瘴気症ではないかと疑い、そしてそれはほぼまちがいないだろうと確信した。ソウは黒影がもっている〈緊急用注射剤〉をさがそうとしたが、黒影は朦朧としたようすのまま「もうない」と言った。理由を訊ねると、彼女は〈白の境界線〉で、崖から落ちたソウをさがしているときに一度、瘴気症を発症したのだという。そのときに使ってしまったから、もう〈緊急用注射剤〉はない。ソウは愕然とし、また歯噛みした。知らなかった。考えもしなかった。考えてみれば、彼女はずっと瘴素に対して敏感だった。そして過去、瘴気症に罹患したことがあるとも、話していた。ソウより体力がないということも――知っていたのに。
瘴気症を発症すれば、数時間も立たないうちに白亜化してしまう可能性がある。ソウはすぐさま黒影を抱え、補給地点へ向かった。さいわい、補給地点は荒野のただなかにあり、遠くからでも容易に確認できた。うんと遠いわけでもなかったが、うすく息をする背中の重みと、ずっしりと肩にかかる大太刀の重みが、いつまでもゆく先にたどりつけないように思わせた。到着したのは、空が夕暮れに傾きはじめたころだった。
いくつもの移動式天幕を張っているようすや、露店がひらかれているさまも、今までの補給地点とさほど変わらないが、活気があるというよりも、全体的に雑然としていて、殺伐とした空気の険しさがあった。そのなかを歩いている冒険者の目つきは厳しくギラギラと光っていて、獲物をさがす獣のようでもあった。
ソウがはじめに向かったのは、有志の冒険者や移動民族が中心となってひらいている臨時の医療用天幕だ。中はさながら戦場であり、ひっきりなしに負傷者が運ばれてくる。そのほとんどが重篤な状態であり、ときおり、台車に乗せた遺体をはこび出すようすも見られた。――真っ白になった遺体だった。
ちょうど外へ出てきた青年に、ソウは声をかけた。瘴気症の薬はないかと訊ねるも、彼は首を振る。今しがた出たばかりの台車を見つめながら、薬草がたりていれば、ひとりでも多く救えただろうと言った。彼は、臨時の医療用天幕には重篤な患者が多く、またそれを優先して治療すること、またそのために、寝台に空きはないことを話し、宿泊所へ向かうことをすすめ、ひときれのかたいパンをわけてくれた。
青年が言った通り、バリアブルでの一攫千金を目指す冒険者たちの多くは、自分たちで天幕を設けていて、宿泊所には空きがあった。ソウは、宿泊所を管理している人の良さそうな夫妻に事情を話し――夫妻らは、この天幕を快く貸してくれた、というわけだ。
「母さんが、これ、持ってけって、言ってたです。ドウゾ」
「ありがとう」
ソウは水桶を受け取ると、すぐに手巾を濡らし、固く絞ってから、黒影のひたいへ乗せた。彼女は小さく、苦しそうにうめいた。
「あとコレ、すこしだけど。薬草もアルます」
「そんな、大事なものなのに」
「いいのいいの。でも、これヒミツ。あんまり他人に言わないほうがいい」
理由と訊ねると、獣人の娘は毛耳をいくらか動かした。周囲の気配を探っていたのだとわかったのは、彼女がすこし経ってから、ようやく口をひらいたからだった。
「分けるほどアルなら寄こせ、っていう人、いっぱいいる。でも、ウチもそんなにアルわけじゃない」
そのあとも、いくらかこの辺りの事情を話してくれた。夫妻も含め、彼らは同情的であり、親身になってくれたことも、いまのソウにとっては、ありがたいものだった。
ソウは黒影をまともな寝床に寝かせてやれることに安堵しながら、湯を沸かし、パン粥をつくって食べさせた。食欲はないらしく、彼女はすこしだけ口をつけると、またすぐ横になってしまった。もらった薬草を煎じて飲ませたあと、ソウは手巾をしめらせ、黒影のひたいにのせた。彼女の熱が下がるようすはなく、彼女はそのあともたびたび、うなされるように声をもらした。
すっかりくたくたになったソウは、寝台のすぐわきの揺り椅子に腰かけたまま、まどろんだ。考えていたことは、明日からどうするべきか、という一点に尽きる。黒影の容態はおちつくだろうか。もしそうならなかった場合、薬草がたりない。薬草を手に入れるにはどこにいけばいいだろう。手もとにはほとんどお金がない。同情的な夫妻のおかげで、今晩の寝床こそどうにかなったが、明日はどうかわからない。
(こんなときに、ナギさんがいてくれたらな)
そんなことをふと考えて、ソウは笑う気力もないまま、心の中で苦笑した。




