(七)幸福の終着点
思いだしていたのは、夕暮れだった。触れた温度をなんどもなぞるように、ゆきかう熱がある。この身体にふれる香りを、ソウは知っている。――黒影だ。彼女の鼓動が輪郭をなぞってゆく。熱がにじむ。
(……温かい)
心地のよさに身を任せて、もうすこしこのままでもいいような気がしたが、ソウは自分がなにをしなければいけないかを知っていた。わかっていた。最初から、それは変わらず、そして変えようもないことで――……それは、どこか気の狂ったやつと、殺しあいの約束をとりかわしてでも、自分がなによりも望んでいることだった。
(俺は、帰らなきゃならない)
ソウはうっすらと、まぶたをもちあげた。
触れた温度を分けあって。
ゆきかう熱が混ざりあって。
ふ、とはなれる。
「黒影……」
痛いほどまばゆい白の中。彼女は光をさえぎるようにして、すぐ目の前にいた。彼女はなにも答えなかった。お互いの温度が触れあうほど近くにいたが、ややあって、黒影が先に身体を起こした。垂れこめた前髪を、静かにはらう。細く弱くはいた息だけが、たしかな熱を帯びていた。
目覚めた場所は真っ白な空間で、暑くもなく寒くもない。たいして匂いも感じられない。なめらかな幽遠の曲面天井の下で、大きな水晶玉だけがおびただしく明滅をくりかえしている。
なにもかもがあって、なにもかもがない、白い世界だと思った。
ソウはしばらく動けずにいた。真っ白な天井を見つめていると、どうしてか懐かしさが心のうちからあふれてきた。いまも母の声が聴こえている気がして、父がとなりで笑っているような気がした。――そんなこと、ないのに。
「俺さ」
ぽつり、言う。たれこめた沈黙に説明をもたらそうとした。いつも通り声を張ろうと思ったが、どうしてかかすれてしまった。ふるえてもいた。理由は、わからない。わかりたいとも、思えなかった。
「夢を、」
白色がゆがんで、ちぎれる。
「見ていたよ」
ふつ、と切れた熱が、目じりから尾を引くようにつたい落ちて、耳を濡らした。髪のはえぎわにも滲んだ。表情だけすっかりなくなってしまったみたいに、まるで動かなかった。
「父さんがいて、」
白色がまたゆがんで、
「母さんがいて、」
熱を帯びて、
「ライが、笑ってて」
ちぎれる。
「でもね、」
ソウは、漠然と考えていた。
こういうとき、きっと悲しい表情をするのが、正しいはずだ。うつむいたり、視線を伏せたり、頭を抱えたり、泣き乱れたり。声を荒げたり、吐きだす息に嗚咽をまぜたりして。
なのに、
「俺は、」
なにも、ない。
「その世界で生きてきた俺の姿なんて想像もつかなかったんだ」
「――そうか」
黒影が、すげなく言った。いつも通りのツンと冷たい表情で、白い世界をつまらなさそうに見つめている。
「君は?」
訊ねると、黒影は一度だけ、ちいさくまばたきをした。
「ただの、胸糞悪い夢だった」
「そっか」
ソウはちからなく笑った。




