表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/106

(七)幸福の終着点

 思いだしていたのは、夕暮れだった。触れた温度をなんどもなぞるように、ゆきかう熱がある。この身体にふれる香りを、ソウは知っている。――黒影だ。彼女の鼓動が輪郭をなぞってゆく。熱がにじむ。

(……温かい)

 心地のよさに身を任せて、もうすこしこのままでもいいような気がしたが、ソウは自分がなにをしなければいけないかを知っていた。わかっていた。最初から、それは変わらず、そして変えようもないことで――……それは、どこか気の狂ったやつと、殺しあいの約束をとりかわしてでも、自分がなによりも望んでいることだった。

(俺は、帰らなきゃならない)

 ソウはうっすらと、まぶたをもちあげた。

 触れた温度を分けあって。

 ゆきかう熱が混ざりあって。

 ふ、とはなれる。

「黒影……」

 痛いほどまばゆい白の中。彼女は光をさえぎるようにして、すぐ目の前にいた。彼女はなにも答えなかった。お互いの温度が触れあうほど近くにいたが、ややあって、黒影が先に身体を起こした。垂れこめた前髪を、静かにはらう。細く弱くはいた息だけが、たしかな熱を帯びていた。

 目覚めた場所は真っ白な空間で、暑くもなく寒くもない。たいして匂いも感じられない。なめらかな幽遠の曲面天井の下で、大きな水晶玉だけがおびただしく明滅をくりかえしている。

 なにもかもがあって、なにもかもがない、白い世界だと思った。

 ソウはしばらく動けずにいた。真っ白な天井を見つめていると、どうしてか懐かしさが心のうちからあふれてきた。いまも母の声が聴こえている気がして、父がとなりで笑っているような気がした。――そんなこと、ないのに。

「俺さ」

 ぽつり、言う。たれこめた沈黙に説明をもたらそうとした。いつも通り声を張ろうと思ったが、どうしてかかすれてしまった。ふるえてもいた。理由は、わからない。わかりたいとも、思えなかった。

「夢を、」

 白色がゆがんで、ちぎれる。

「見ていたよ」

 ふつ、と切れた熱が、目じりから尾を引くようにつたい落ちて、耳を濡らした。髪のはえぎわにも(にじ)んだ。表情だけすっかりなくなってしまったみたいに、まるで動かなかった。

「父さんがいて、」

 白色がまたゆがんで、

「母さんがいて、」

 熱を帯びて、

「ライが、笑ってて」

 ちぎれる。

「でもね、」

 ソウは、漠然と考えていた。

 こういうとき、きっと悲しい表情をするのが、正しいはずだ。うつむいたり、視線を伏せたり、頭を抱えたり、泣き乱れたり。声を荒げたり、吐きだす息に嗚咽をまぜたりして。

 なのに、

「俺は、」

 なにも、ない。

「その世界で生きてきた俺の姿なんて想像もつかなかったんだ」

「――そうか」

 黒影が、すげなく言った。いつも通りのツンと冷たい表情で、白い世界をつまらなさそうに見つめている。

「君は?」

 訊ねると、黒影は一度だけ、ちいさくまばたきをした。

「ただの、胸糞(むなくそ)悪い夢だった」

「そっか」

 ソウはちからなく笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ