(六)葬祭
絶叫。
「黒影――――――――っ!」
つきぬける声を聞いたとき。そこで初めて、ヤツの色が見えた。――ああ、触れられる。そうと理解した瞬間、おのずとこの手は伸びてしまっていた。
死ぬことは、ひどくおそろしい。
だが、死ぬこと自体は、ひどくどうでもいい。死そのものは、ただの現象であって、ほかに特別な意味を持たないからだ。それでも、死ぬことがおそろしい。あまりにも馬鹿げた、筋の通らない話だ。矛盾がすぎる。ようは、生きていたい。無意味に死んでしまうのが、どうにも嫌なだけだ。
ハッカの匂いだ。青々とした香草を指先で揉んだときに、さらりと冷涼さをまとうような、さりげない香り。
抱きよせられ、その声を聞いた。くだらない。実にくだらない戯言だ。馬鹿げている。アホらしい。こんな空の果てで、誰がワタシの死にざまを見ようか。この男は引き返して、仲間を助けられなかったと嘆くふりをすればいい。それだけで彼の体面はじゅうぶんに保たれる。――だから、どうしてこの男は、こんなに必死になってまでワタシを抱いているのだろう、と思った。
しかしすぐに悟った。この男がいま語っていることは、かなりずさんな、あとづけの言いわけでしかない。つまり、ワタシを抱いているこの男は、理性をかなぐり捨てて死地へとびこんできたバカ、というわけだ。それを自らのうちに正当化し、あくまでもこの行動は感情によるものではなく、合理的な判断だと、彼は自分自身をだまそうとしている。
ふるえるソウの手が、このことを明白に物語っていた。
「この……!」
革手袋をはめた手で、ソウは腰元のワイヤーをたぐり寄せる。つながっている先は魔導バイクのハンドルだ。あの一瞬で、魔導バイクのハンドルに引っかけていたらしい。ひき寄せた魔導バイクに諸共またがる。
「はは、けっこう便利だろ、このナイフ。ワイヤー付きでさ。お気に入りなんだ」
ソウはワイヤーを格納し、革手袋を糸切り歯に引っかけて外した。
「便利なやつ」
「自分で言うのもなんだけど、学生時代、首席だったからね。そこそこ役に立つ人材なんだよ」
「自慢か?」
「せめて営業って言ってほしいね!」
ソウがあらためてグリップを握り、魔導刻印に手を触れさせる。が、反応が見られない。理由は明白だ。先ほどの急降下で機器がイカれたのだろう。その証拠に、表面に浮きだった魔導刻印が、稲妻が走ったようにズタズタに裂け、沈黙している。
「この魔導バイクは使いモノにならん。捨てろ」
「けど他に方法が」
「まだある!」
瞬間、ソウは魔導バイクをなんのためらいもなく蹴り捨てた。
判断の迅速さ、この躊躇のなさ。
そしてこの状況でもなお冷静なこの男は、やはり、イカレている。わずかな間に視線が交錯する。蒼穹の瞳は、まちがいなく黒影を映していた。
「手を!」
彼は間髪入れずに応えた。大太刀の柄を握るこの手に、ソウの手のひらが重なる。傷だらけの手は存外大きい。――男の手だ。
(ああ、そうか。そういうものか)
いまさら、しかもこのような状況で男女の差異を悟るなど――咽喉の奥で、クツクツと笑う。
(自覚はしていたが、ワタシも大概、イカレているな)
あらためて眼下を見渡すと、広く大きな虚が、どこまでもたっぷりと瘴素の濃霧を喰らっている。底はまるで見えない。暗く、黒く、そして、白い。あの虚に落ちれば、二度と戻ってはこれないだろう。
「キサマの魔素をワタシによこせ! ありったけ、死ぬほどそそげ」
「それって大丈夫なの」
「知らん。やらんよりはマシだ。とにかく、足掻くのだろう」
「とうぜん」
厳しい表情のまま、彼は口もとに笑みをぶらさげた。
「来い」
「わかった。いくよ」
ソウの声が、耳元に触れ、
「ッ!」
その瞬間、彼の魔素が暴発するように、そそぎ込まれた。なにもかもをめちゃくちゃに掻きまわし暴れ狂うようなソレを制御しながら、身体を介して大太刀に魔素を注ぎこむ。これでは魔導バイクがイカれるのもうなずける。この身もただではすまないかもしれない。
「――ふふ」
自然と笑みがこぼれる。
ああ、怖い。怖い。なんと恐ろしいことだろう。
ただでさえ、こんな乱暴な魔素を受け入れてしまって――あげくの果てには、あの魔導バイクのようにズタズタに裂けてしまうかもしれない。
(ああ、)
想像するだけでこの身が焼かれてゆくようだ。だが、悪くない。
「もっとよこせ。ワタシはキサマに愛でられねばならんほどヤワではない」
「あとで文句、言われてもこまるからね」
「生きていたなら言ってやる」
刹那。
「!」
身体の奥底へ、どうと流れこんできた。想像よりも遥かに膨大な魔素が、鮮烈に大太刀を満たす。黒い刀身はいっそう鋭く熱を帯びる。脈動する。身体の奥底が焼かれてゆく。
「ッア゙ァ、っぐ、ぅ……ッ!」
激しい、激しい、激しい――――、
なんと荒々しいことか!
奥からクツクツと笑みが漏れた。ああ、これは独りでは感じられぬ。決して味わうことのないだろう快楽。きっとこの男はいつも、このような苛烈な痛みを伴いながら、身を焼いて、敵を殺し尽くしているのだろう。
「ふふ、はっ! はっはははははははははははははははははははは!」
いま、この身、この瞬間、ワタシは侵されている。
この男に焼かれている!
熱を打つような雷撃のごとき激流が、この生命の奥底にある本能と警鐘をおびただしく打ち鳴らす。
死んでしまうだろうか。
ああ、死んでしまうかもしれない。
遠い絶望を瞠目する。それは頼んでもいないというのに、あっという間に迫ってくる。
空の赤みがひときわ輝いて――――ふつ、と消えた。
どこまでも静かな夜が訪れた。
轟々と風が吹きつけていて、重苦しいだけの髪はばたばたとうるさく騒いでいて、ドクドクと脈を早める心臓は、いままでにないほど喚いているのに――あまりにも、静かだ。
ふ。と、ソウを見つめる。焼き付ける魔素をともにする彼は、きっと、この静けさを知らない。この瞬間、どこまでも剥きだしにして必死に足掻くこの横顔を見つめているのは、――ワタシ以外、ほかにいない。
中空を無遠慮に横切り続ける光の帯が、まぶたの裏さえ焼きつける。時間が加速する。秒針の音もないこの一瞬に、生を垣間見る。
これは死への調か。
或いは死への導か。
どのみち、助けなどない。
都合よく救われることなどありはしない。
いずれ死ぬならば、
「この命尽きるほどに、足掻くまで!」
音を立てて、世界はうるわく喚きだす。
叫ぶ。笑う。轟々と吹きつける風に呼吸が奪われる。腕がちぎれてしまいそうだ。重なった手から、ソウの慟哭が響く。このまま死ぬのも、きっと面白いだろう。痛烈な生を感じながら、容易く消えるこの命に未練などありはしない。だが、だがしかし――この苛烈な痛みを伴ういたいけなこの男と戦わずして死ぬのは、やはり口惜しくはないか。
求めるは生。
望むモノは激甚な命の証明。
――ワタシは、
「魔導武具、起動」
なによりも痛烈に、生の実感を望んでいる!
「葬祭!」
刹那、刀身からまろび出るように芽がふきだし、一瞬にして枝葉を広く伸ばした。芽吹く。伸びる。青々と茂る。それらはやがて、くちの尖った蕾をつけた。紅よりもやわらかく、しかし芳醇な赤葡萄よりも明るく鮮やかな色をした蕾が豊かにふくらんで、次々と首を持ちあげ、いっせいに花ひらく。空を満たす花園が、瞬く間に完成する。
「なにこれ………!」
ソウが驚愕の声をあげた。
「ちゃんとつかまっておけ。ワタシの腰でも抱いていろ」
ソウは大太刀から手をはなした。蒼穹の瞳に、鮮やかな色が咲きひらく。
「散花――絢爛!」
匂やかにひらいた牡丹の花々は、その瞬間、気流に乗って花びらを散らす。それらはこの身を包んではそのたびに落下の勢いを弱め、散り散りに白く輝いて消えてゆく。だが、多少落下の勢いを弱めたところで、大きな虚が口をあけて待っているのだから、なんの救いにもなりはしない。
だが――、
黒影は光の帯を睨んだ。大太刀を鞘に収め、諸手で持つ。つま先をすり抜ける光の帯は、しかし、花びらに染まった大太刀を許容しなかった。衝撃とともに、一瞬のゆるみが与えられ、ソウと黒影は中空へぶら下がり、そして光の帯に沿ってまた加速する。
思った通りだ。大太刀は激しい衝撃を放ちながら、光の帯をすべりはじめた。
「これって、魔鉱客車みたいに、魔導武具と〈魔鉱航路〉を反発させてるってことでいいのかな!」
「ああ。もっとも相性の悪そうなモノを選んだ。ただ魔素の塊をぶつけるだけという、じつに頭の悪い賭けだがな!」
「けどそれなら俺がやっても同じじゃ」
「うつけが」
黒影は言った。
「キサマのどんぶり勘定の魔素制御でできるわけがなかろう。魔導術式はキサマが思うよりも繊細だ。かといって、ワタシの魔素ではまるで足りん」
ソウは腑に落ちたように、やや短くうなずいた。
「それで共同作業」ふとソウは言葉を切った。黒影は、そのさきの言葉をひきつぐように、「嫌な表現だ」と言った。「本当にね」ソウは同意した。
ややあって、ソウは中央制御塔を目視した。
「でも、このままじゃぶつかるよ」
「だから賭けだと言っておろう。打ちどころが良ければ、ていどの話だが、一縷の望みにはなる。もっとも、骨がぐちゃぐちゃになる覚悟はしておけよ」
「んな覚悟できるか! 死なないよりはマシかもしれないけどさぁ!」
「せっかくなら手向けに、白い曼殊沙華にでもしてやればよかったか?」
「縁起でもないこというなよな!」
「地面に転がりこむぞ! しっかり捕まっておけ」
するりと抜けると、もろとも、ふたたび中空へ投げだされる――刹那。ふたたび重なったソウの手が、いくばくか、緊張したように力を強めた。そして、数瞬のあいだに、彼はこの身体をまるごと抱きかかえた。
「馬鹿なヤツ。ワタシを盾にしたほうが、おたがい生存率は上がるぞ」
「ああ、本当にね」
「怖いのか」
「さぁね。そんなの、わかんないよ」
ソウは笑ったらしかった。
「君は、怖くないの?」
「愚問だな」
笑う。
「死ぬことが怖くなければ、殺しあいに意義など見つけられるものか」
迫る。
死ぬか否かの裁定を目の前にして、瞠目した。
光が、閃いた。




