(五)死なば諸共
「「っああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああッ!」」
急降下する魔導バイクにしがみつくように、ソウは機体を傾ける。すると機体は左右に大きく振られながら、めちゃくちゃな軌道で空を蛇行した。
「キサマ運転下手か!」
これでは魔竜に追いついても狩るどころか衝突して諸共終わりだぞ、とめずらしく長めの文句を口にして、黒影はソウの腰に強くしがみついた。
「魔導武具にしろ魔素制御にしろキサマは雑すぎる!」
「うるっさいな! 学生時代に授業でやっただけだって言ったろ! これでも真剣にやってるんだからちょっと黙ってて!」
「いいや下手くそだ! キサマは魔素運用がクソほど下手だ!」
「うっさい黙れそんなに振り落とされたいの本当に落とすよ⁉」
「ああくそキサマが要領をえないことはわかった」
黒影は背中にしがみついたまま、片手をのろのろと伸ばし――、
「制御はワタシがしてやる。キサマはそのまま魔素を流しておけ」
彼女の指先が、ソウの左手に触れた。
「ッ!」
瞬間、総毛立つ。思いだす。覚えている。繊細になぞるような触れかただ。ざわり、と肺の奥が音をたてる。
「感覚を追え。ワタシが触れているのはわかるな?」
重なった手のひら。熱が触れにじむなかで、黒影の声だけが聴こえる。彼女の気配が、急に濃密になって、鮮明に感じられる。感覚がゆだっていく。それまで不快に軋むばかりだった身体が、ほどけてゆく。
「ちからを抜け。もっと弱く」
「そんなのわかんないよ」ソウはうめくように答えた。
「ならそのままでいろ。ワタシを拒んでくれるなよ」
「――……、」
うながされるまま、魔導バイクに魔素を流しこむことだけを考えた。
瞬間、ぐんを引っ張られるように魔導バイクが急激に浮上する。二・三回大きく左右に揺られたが、すぐに機体は、安定し、蛇行することもなく、ぐんと進むようになった。
「なにこれ……!」
ソウは目を見ひらいた。
「なにしたのさ」
「キサマが流しこんだ魔素と、魔鉱石の魔素の方向性を、正しい回路に正しい量流しただけだ。そんなこともわからんのか」
「わかるか!」
「だからキサマはド下手くそなんだ。バカでかい魔素をそのままバカのひとつ覚えにつっこんでいるから制御できんのだ! 理屈を学べ理屈を! このド下手くそ!」
「さっきから何回も下手くそってうるさいな! 一回聞けばわかる!」
「心を乱すな馬鹿者! キサマの魔素供給がなければ諸共墜落するんだぞ!」
「じゃあそういう無駄口叩かないでくれるかな!」
いくらか無駄な言いあいをしながら、〈魔鉱航路〉を越える。ひとつ。ふたつ。色彩の帯を抜けて、さらに上空へ――ようやく魔竜に迫る。
(ああ、やっぱり大きいんだ)
魔竜にここまで近付いたのは、はじめてだった。
外殻の棘は荒々しく、びっしりとならんだ竜鱗は激しくふるえている。莫大な魔素を目の前にかなり興奮しているのだろう。ソウは知っていた。魔種は本能的に魔素を求める。だから魔素が多い場所に、自然と魔種は集まる。
ソウはわずかに目を細めた。上空へ抜けるほど。魔竜へ近づくほど。あの尖塔に近づくほど――感覚が冴えていく。それまで精彩を欠いていた景色が、一転して鮮やかに見える。
赤い。
ぶわ、と横なぶりに風が吹きつけた。一瞬の黒。視界を横切る黒い髪。ソウが黒影の匂いを思いだしたとき、彼女は耳元でささやいた。
「もうすこし、近づけ」
「了解」
ソウはうなずいた。
「いいか。ワタシがあの竜を斬る。ワタシがここを離れたあと、キサマはそのまま真っすぐ進んで、ワタシを拾え。ワタシの指示に合わせろ。できるな」
「やるしかないでしょ」
ソウはぐ、と魔導バイクのグリップを握りこんだ。
「難しいことは考えるな。ワタシが整えた魔素回路の方向に意識を集中させろ。流しこむ魔素の量を一定に保て。つねに冷静でいろ。キサマの得意分野だ」
「ああ」
「いいか、手をはなすぞ」
重なっていた手がはなれ、向かい風が温度の名残さえ容易にさらってゆく。
黒影が大太刀を抜いたのだろう。凛と張りつめた気配を感じて、ソウもまた、自分が芯から冷えきってゆくのを感じた。この時間、ただ、自分は目的を遂行するだけの存在になる。安定する魔導バイクの機体。居心地は――――悪く、ない。
背後で黒影が重心を低くした。
「ゆくぞ」
低い、低い声。とん、と軽やかに飛びあがった瞬間、世界の何もかもが黙した。
光の帯が刀身に重なったその刹那、白くひるがえる。次の瞬間には、黒影を長く追いかける漆黒の髪が、すべての光をさえぎった。一秒にすら満たない静謐な時間が、ひとつずつ追う。
黒い刀身が魔竜の外殻に触れるその瞬間。
殺意が鋭く、振りぬかれた。
斬、と諸共切り裂く音が耳に届いたとき、すべての時間と音が再び動き始めた。
「黒影!」
ソウは魔導バイクから片手を離し、手を伸ばした。黒影の視線がこちらを見る。その枯れ枝のような腕を伸ばす。
(届かない――ッ!)
宙をきるように、二人の手はほんのわずかにすれ違った。それを皮切りに、ソウと黒影の距離はぐんぐん離れてゆく。
「くそ!」
ソウは宙空で魔導バイクを急旋回させて、降下させようとした。だが、動揺したせいだろう。機体は左右に大きく振られ、思うように制御できない。そのうえ、吹き抜けた強風にあおられ、さらに距離は開いてゆく。
瘴気に満たされた幽遠の虚が、底なしにくちを開けて待っている。
(このままじゃ黒影が)
そのときの黒影は、赤い空の、遠い月を見ていた。
ふいに、遠のいてゆく彼女と目が合う。それまで、手を伸ばしていた黒影は、おもむろに、指先を小さく閉じた。光の帯をすり抜けて、痩躯はたやすく落ちていく。光の向こうで、色彩のないくちびるが小さく動いた。風の音が、轟々と叩きつける。声が届かない。聞こえない。
(黒影、なにを――、)
――とっとと故郷に帰れアホ。大事な弟とやらが、いるのだろう?
ああ、あの手はもう伸びてこない。ソウは悟った。
瞬間、
「ッああああああああああああああああ!」
叫んだ。叫んでいた。
腹の底よりも、ずっとずっと深いところから、煮えたぎるように思いだしていたのは、母が死ぬ間ぎわのことだ。母はソウへ、ライを託して、死んでいった。あたりまえに殺された。そして、ソウはそれを選んだ。
――見殺しに、した!
「ア゙アアアアァァァァァァァァァァア゙ッ!」
熱い。熱い。熱くてしかたない。灼熱が咽喉を焼く。また咆える。なんども、なんども咽喉を貫いて絶叫する。衝動が脳を揺らし穿つ。夕暮れの赤が肌をさす。
グリップを回して、機体を垂直に傾ける。指先から光の残滓が溢れる。細い破裂音をいくつも鳴らした機体は急激に速度を上げ、魔導バイクはひどく軋む。豪風がゆく先を阻む。ちかちかと乱反射する思考が頭蓋を叩く。痛い。気持ちが悪い。吐きそうだ。咽喉が痛い。それでも咆える。手のひらから熱が弾けて、光が皮をつき破り袖を焼く。止まればいい。止まってしまえばいい。あんな奴、見捨ててしまえばいい。それでいいじゃないか。だって魔竜はもう倒せたんだ。目的は果たした。それで――、
鈴の音が警鐘を鳴らす。理性がささやく――いまならまだ戻れる――、うるさい。
うるさいうるさいうるさい。
ぜんぶうるさい!
「ふざけるなよ!」
叫ぶ。
「納得できるわけないだろうが!」
咆える。
「黒影――――――――っ!」
彼女の黒いまなざしが、ひらいた。瞬間。
ソウは魔導バイクを蹴り捨てた。
手を伸ばす。
彼女の指先が、こちらに伸びる。
重なる。
ソウは黒影のもとへ飛びこんで、乱暴にその細い身体を抱きよせた。
「キサマ……ッ死ぬぞ!」
「死にたくなんてないね! 俺は家に帰らなきゃならないんだ」
「バカか!」
「――は、」
引きつった笑みを返す。
「本当にね。どうかしてるよ。こんな状況にとびこんで、アンタみたいな狂人を助けようだなんて、本当に理解できない!」
「ならなぜ!」
「アンタには最後まで狂っててもらわなきゃ、俺がこまるんだよ!」
ソウは叫んだ。
「殺しあう? ああそんなのごめんだね。正直どうだっていいよ。そんなふざけた価値基準なんか知るもんか。正直なとこ、アンタが死ねば俺は殺しあいなんてしなくていいし万々歳だ。そりゃもう心から喜ぶだろうね! ――けどそれには、アンタが狂人だってことが前提で、はじめて成りたつんだよ。俺は気が狂ったアンタに脅されて約束しただけ。本当は殺しあいなんてしたくない善良な一般人、でなきゃならないんだ。じゃないと俺がおかしいみたいだろ! わかったら黙って抱かれてろ! こっちは死ぬ気なんてさらさらないんだからな!」
黒影の頭を抱きこむように包んで、ソウは皮肉めいた笑みをぶら下げた。
「ああくそ本当に、」
――こんな危険な真似なんて、するつもりじゃなかったんだけどな。




