(二)博物館にて
午後になると、公共航路も通常通り運航をはじめた。
観光客はどこもいっぱいだが、人々の混雑はすっかり解消されており、ソウ達は当初予定していた〈小指の城〉――ドリミアル博物館へ訪れた。
垂直の流れを強調した城内は、どこも天井が高い造りになっていて、当時のまま残されているらしい。玄関ホールから主階段へ。大理石の床を歩きながら、ふだんの生活ではめったに見られない贅をこらした調度品の数々に目をみはる。
壁面を大きく彩る絵画にとどまらず、空間を支える柱の頭から床の細工模様。階段の手すり一本でさえも緻密な装飾が施されていて、この城そのものが、ひとつの有機的な芸術だと思わずにはいられなかった。
ロングギャラリーへ入ると、大きな模型展示が一番にとびこんできた。
「これは、魔導遺跡バリアブルの再現模型ですね」
ナギは透明な箱の中に広がる光景をさした。やはり目につくのは、特徴的な巨塔だ。
「不自然な形で遺っているこの巨塔は当時の魔導技術の象徴であり、かつては世界の法則をあらわす天球儀のすがたをしていたのだそうです」
「天球儀?」
「ええ」
ナギはうなずいた。
「当時、一部の国や宗教では、世界は目に見えているものにとどまらず、数多へと広がり、人類が暮らす地上は、それら膨大な時空間のほんの砂粒にも満たないものである、という考えがあったそうです。それらを視覚的に表現したものこそ、バリアブルの魔導天球儀――、いまやその面影をわずかに残すばかりの、この巨塔というわけです」
ナギは壁面の絵画を示した。ひときわ重厚な巨塔の頭上には、球体が浮かび、それを中心にして、またほかの球体がいくつも描かれている。めいめいの球体は光の環のなかでつながれるようにして、中空を泳いでいるようだった。
「バリアブルの〈天球儀〉は、残念なことに魔導時代から暗黒期にかけて破壊されてしまう。すなわち、文明崩壊を意味しています。イグラーシャ朝の崩御、〈雪果ての魔王〉の君臨、そしてこのバリアブルの崩壊が、魔導時代終焉という歴史上の大きな出来事として、とりたてて有名ですよね」
「そのあと、人々が魔種から隠れて過ごした〈暗黒期〉があって、魔王討伐後に、世界的な自然災害が起こって、文明的な技術とか、記録とかがほとんどなくなっちゃったんだよね」
ソウが言うと、ナギはうなずいた。
「ええ。一般的に〈白の破滅〉と呼ばれ、人類の多くが絶滅の脅威にさらされた時代ですね。そのせいで、枝序歴より前の時代は、わかっていることが少ないのです」
ナギの話にあいづちをかえしながら、つれだって進む。黒影は模型そのものにあまり興味はないのか、周辺を歩きながら、展示品の添え書きや文献などをしばしば読んでいるらしかった。
「ここからは、魔導遺跡バリアブルから出土した遺物の展示ですね」
「こういうの、初めてみるかも」
ソウはガラスケースの向こうをまじまじと見つめた。古びた部品のようなものや、紙片、食器のようなものまで置いてある。説明文もそえてあるものの、どれも魔幽大陸の言葉で書かれている。ソウは苦笑した。
「受付で音声案内を借りてくればよかったなぁ」
「ぜんぶ説明できますよ。なにが気になります?」
得意げに、ナギが胸を張る。
「ぜんぶだ」間髪入れずに、背後から黒影が言った。
「……へぁ?」
「二度言わせるな。ここから終わりまであますことなく説明しろ」
「正気です?」
「ふふ、」
ソウは思わず笑みをこぼした。ナギが涙目になりながら、
「笑いごとじゃないですよぅ」
と情けない声をもらしたせいで、よけいに面白く感じられて、肩をふるわせてしまう。
「俺も訊きたいな。ここから、向こうまで」
「ソウくんまでいじめないでくださいよぅ!」
ナギはこまったようすでしぶったが、黒影から向けられるまなざしを前に、ついに心折れたらしい。わかりましたよぅ、としぶしぶ解説をはじめる。そのうちに、いつもの調子をとりもどしたらしく、説明にとどまらず、それらにまつわる物事や歴史的背景なども口にした。
ロングギャラリーをさらに進んでいくと、調査に基づいてかつてのバリアブルの文明を再現した絵巻や、当時めいめいの国々と親交があったことを示す資料も展示されていた。無数の展示品のなかでソウの興味を引いたものごとの多くは、遺跡内部や出土した遺物の用途・構造だったが、それ以外にたったひとつ、真っ白な絵巻に目をとめることになった。
それはある島の絵だった。
「イルオール島……」
ひとめでわかったのには、理由があった。昔、同じような絵巻を見たことがあったからだ。そしておそらく、一定の教育を受けた者なら多少の差異はあれどこの答えにいきつくはずだ。
「これを説明するには、いくらか歴史をおさらいする必要がありますね」
ナギは、
「お二人はご存知でしょうが」
と前置きをしたうえで、話しはじめた。
「黎明期以前――つまり、この枝序歴が始まるよりも、もっと昔。かつて、魔導技術による華々しい発展と衰退をくりかえした、魔導時代の話からです。
魔導時代後期、魔種を統べる〈雪果ての魔王〉が君臨。各地の強力な魔族がいっせいに決起しました。
近隣諸国とのいさかいに疲弊していた国々はたやすく敗潰し、魔導時代は破局をむかえることになります。そうして世界が迎えた時代こそ、激動の時代――魔種が跳梁跋扈し、文明のほとんどが失われ、人類がかぎりなく存続の危機におびやかされたという暗黒期です。―― 一般的には、旅人手記が生まれた時代としても有名ですよね。
為すすべのない人々は魔種をおそれ、各地のシェルターや地下にこもる生活を余儀なくされました。けれども、限られた生活拠点は、瘴気症によって相次いで崩壊してゆきます。
地上は魔族が統治する弱肉強食の世界。生活は疲弊し、瘴素に蝕まれ、魔種に怯え暮らす先細りの日々。
どこにもゆくあてがなく、いよいよ絶滅の二文字をつきつけられた人類は、――しかし、ひとりの青年によって、救われることになりました。のちに〈暁の英雄〉と呼ばれる青年は、氷雪に覆われたイルオール島で〈雪果ての魔王〉と対峙し――、」
おもむろに、館内放送がとびこんできた。いくらか遅れてから流れた副音声でただの迷子案内だと知ったソウは、あらためて絵巻に視線を向けた。
〈雪果ての魔王〉が討伐された場所こそ現代におけるイルオール島であり、そこは誰も踏み入れない氷雪の世界だという。このことは、魔狩ならとうぜん知っていることだ。それとはべつに、魔種魔族らは白い雪から生まれてくるのだという説もまことしやかに流れているが、いまだその真偽はたしかめられていない。
館内放送が終わる頃には、すでに多くの人々は展示品に目を向け、あるいは移動していた。先ほどすぐ近くにいた男性は三つ先の図説を熱心に眺めていて、遊びたいさかりの学生たちの姿はもうなくなっていた。
「――……、」
ちいさな息づかいが聞こえた。
見れば、ナギはやや前のめりになって、ガラス越しの絵巻を見つめていた。ふわりと空気が動いたのは、そのつま先が一歩、前へ出たからだ。
「白い」
翡翠色の視線は古代の情景をまばたきもせずに追いかけている。
「どうして、白い」
「ナギさん?」
呼びかける。しかし、返事はおろか、視線、しぐさひとつさえ、反応が帰ってこない。
「わかりません――なぜ、わからない?」
ナギはひとりでに話しつづけた。
「それはおかしいことです。だって、知っているはずなのです。――なにを?」
「ちょっと、ナギさん。大丈夫?」
近づいて腕をひく。しかしナギは気にとめることもなくさらに一歩、踏みだした。
「大切な人がいたはずで。なのに、どれも思いだせなくて。思いだすことを選べなくて。そんなことはおかしいじゃないですか」
ガラス越しの絵巻を一心に見つめる。指先をそえる。空虚をなぞる。
「おかしい、おかしい、おかしい――、おかしいことがなにかも明確にわからない。どうして名前も思いだせない? いつからわからなくなった?」
「ナギさん」
ソウはついにナギの肩を揺らした。しかし、ナギはこちらに視線を向けることもせず、ひたすらに目の前を凝視しつづけた。まるで心が吸いこまれてしまったみたいに、なにひとつこちらに反応を返してはくれない。
「だって、たしかに触れあって、話をして、時間を重ねたはずなのに。となりにいたかどうかも曖昧になってしまって、わからなく、なって。もしかしたら、ぜんぶ、ただの妄想なのかもかもしれないって、思うようになってしまって、」
「しっかりして」
いっそう強く、その肩を揺らした。返答はない。
「どうして」
ナギが問いかける。ガラスに映った彼の瞳をのぞきこんで、なぜ、どうしてと、同じ言葉をくりかえした。
「誰です。あなたは誰なんですか」
はっ、はっ、はっ……だんだんとその呼吸が荒く、浅くなる。次第に間隔は短くなっていった。それでも見つめているのは、ガラスに映った翡翠色だけだ。
「ナギはいったい、なんなのですか」
問いかける。
「知っているのではないのですか」
無機質なガラスのなかの瞳へ、執拗に迫る。
「ナギはなんのためにここにいるのですか。なぜ、どうして、なんのために! 教えてください。だってあなたは――」
「ナギさん!」
ソウはなかば無理やりにその腕を引いた。ガラス越しの翡翠にとらわれた視線をさえぎり、抱きとめる。そのまま二人、冷たい大理石の床にへたりこんだ。抱きとめたその身体は、ひどくふるえていた。
「おちついて」
なだめるように、ソウはゆっくりと声をかけた。
「ガラスに映っているのは、ナギさんだよ」
忘我するほど興奮していたせいだろう。彼の地肌はじっとりと汗ばんでいた。
「――……ああ、」
小さな声が、かたく響く。ソウの手のなかで、さり、とまつげの先がゆれた。目が伏せられたらしい。彼の身じろぎに合わせて、ソウの首もとで、やわらかな髪がすれた。
「……ごめんなさい」
明確な返答だった。安堵して手をはなすと、彼はゆっくりと立ちあがった。
翡翠色の瞳はしばらく、冷たい床石の反照を見つめていた。ひたいににじんだ汗を袖口でぬぐって、すこし頭をかかえたものの、すぐに頭を横に振った。ややあって、彼は乱れた横髪をなおした。こまったようにこちらを見、頬をかいてはにかんだ。
「ちょっと、混乱してしまったみたいで」
それなら休憩しようか。ソウが打診するまえに、彼はくちをひらいた。
「すみません。ちょっと休憩してきます。のちほど、屋上の展望台でおちあいましょう」
ぺこりと頭をさげると、彼はいつもと変わらないような足どりで、その場をあとにした。
「ひとりで大丈夫かな?」彼の背中を見送りながら、ソウはとなりへ並んだ黒影に訊ねた。
「気色悪いやつ」
横目に見ると、彼女は亜麻色の後ろ姿をきつく睨んでいた。
「めずらしいね。君がナギさんにたいして、そんなことを言うなんて」
「わからんのか」
「ナギさんのことを気色悪いって思ったことは一回もな……いけど。たまにちょっと押しが強いかなって」
この答えにたいして、黒影は長いため息をついた。
「え、なに」
「しらん。行くぞ」
「もう、待ってよ。どういうこと」




