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(七)老婆と昔話

「ごめんなさいね。すっかりとりみだしてしまって」

「いえ」

 ソウは首を振って、露店で購入してきた飲み物をひとつ手渡した。となりへ腰かける。

 老婆は、むこうで遊んでいるカイとナギを見つめていたらしかった。彼女は、すっかり髪の色が抜けてしまっていて、それを気にしているのか、繊細なレース飾りが特徴の頭巾をまとっていた。元は美しい紅色をしていたのだろう。色()せた頭巾は、ところどころ繕った跡がある。ほっそりとした印象で、まるまった背中は、もともと小柄らしい彼女をさらに小さく見せていた。

「わたしの初恋の人と同じ名前で……それも、あまりに似ていたものだから、おどろいてしまったの。まちがえてしまうなんて、恥ずかしいわ。よくよく考えてみれば、もう六十年も前の話だから、わたしが知っている彼もきっとおじいちゃんね。見ず知らずの人をこまらせてしまって、申し訳ないわ」

「気にしてないと思いますよ」

「だといいけれど」

 老婆はこまったように、片手を頬にあてて笑みをたずさえた。垂れたまぶたの奥は、夕焼け色を映していた。

「本当に、そっくり。まるで、あの日からそのまま出てきたみたいだわ」

「初恋の方ってどんなかただったんですか?」

 ソウが訊ねると、老婆ははにかむように、ほほの色をうすく染めた。

「こんなおばあちゃんの話よ」

 一度お茶を飲んでから、老婆はナギの背中をみつめる。

「けれど、そうねぇ」

 どこか懐かしむように、咽喉(のど)の奥を鳴らす。

「ちがうところを言うなら、髪は短くて、服ももっとちがったかしら。でも、それ以外はきっと同じだわ。いいえ、同じにしか見えないの。だから、わたしはあの人が帰ってきたんだって、思ってしまったのね」

「どこか遠くへ?」

「そうね。きっとそう」

 彼女はうなずいた。

「そう信じていたいし、いまでも信じているわ」

 言い聞かせるように、もう一度くりかえして、ようやく彼女はこちらに顔を向けた。

「すこし、昔話をしてもいいかしら」

 ソウはうなずいた。ありがとう、と笑って、彼女はまた夕焼けの色を見つめた。

「いまより――そう、六十年も前の話。わたしは成人して間もないころに、このドリミアルへ訪れた」

「ご出身は?」

織国(おりぐに)、ってご存知かしら?」

「ええ。水瑠(すいる)地方のなかでも、とりわけ有名ですから」

「首都ユウメから南東にある、湖の街モーンよ」

「時計塔で有名な?」

「ええ」彼女はうなずいた。「天蓋の街、とも呼ばれているの。湖の中心にぽっかりと浮かんだ街は、月と同じように満ち欠けするの。満月の日には、街路が水でいっぱいになって、まるで世界が星空に包まれてしまう。そんなところよ」

「それはすてきですね。見てみたい」

「ええ、近くへ行ったら、ぜひご覧になって。一生の思い出になると思うわ」

 彼女の瞳は幼い子どものように煌めいた。この瞬間、彼女が見ているものはまさに、故郷の空なのだろう。

「わたしはね、生まれつき変な髪をしていたの。白髪が混ざっていた。それも、見てわかるくらいに、何本もまばらに混じってたものだから、両親は赤子のわたしを抱いてさんざん泣いたそうよ。

 まわりはみんなわたしを馬鹿にして気味悪がったから、友だちなんていなかった。せめてもう少し目立たなかったら。こんな髪じゃなかったらって、なんどもこの髪を恨んだわ。――いまでは、もうすっかり髪の色が抜けてしまって、あのころ悩んでいたことも、どうでもよくなってしまったのだけれど」

 彼女はこまったように笑った。

「いいえ」

 ソウは首を振った。

「なんとなく、わかります」

 ひかえめに同調すると、彼女はおもむろにこちらを見上げた。彼女の瞳は、すこしさまよっていたが、すぐに、金色のなかにあるひと房の白を見つけたらしかった。

「あなたも苦労したのね」

 それからまた一口、老婆はお茶を飲んだ。

「わたしは学校へ行きたかったのよ。けれど、行けなかった。断られちゃったのね、学校から。せめて入学試験だけでもって、わたしも両親も懇願したけれど、それもダメだった。だから勉強はあきらめて働くことに決めたわ。

 就職先は、地元の洋裁店の裏方仕事。母さんの友人が経営していたお店よ。わたしはずっと人目につかないところで、掃除や洗濯……なんでもしたわ。けれど、表に出ることだけは許されなかった。だって、店の評判にかかわるものね。それでも、働けるだけ良かったわ。ほかのところは、白髪まじりの娘なんて雇ってくれないもの。

 でも、ほんのすこし、羨ましくもあったの。働いている職場の女性は、華やかでとても美しかった。髪はきれいに整えていて、そのころ流行(はや)った髪飾りなんか身につけたりして、輝いていたわ。

 わたしは汚れたエプロンと、ぼろきれみたいな雑巾が仕事道具で、みずぼらしいばかり。そんなことを気にするのは、雇ってくれた店長に申し訳ないってわかっていても、きらきらと自信に満ちあふれた彼女たちを目の前にすると、表を堂々と歩けない自分に嫌気がさしてしまったものだわ。

 店長はそんなわたしを見かねて、頭巾を用意してくれたの。ふちにレースのついた……そう、いまも身に着けている、これよ。店の娘たちはそれが気にくわなかったらしくて、陰湿な嫌がらせは前よりずっと増えてしまった。

 悔しかった。髪の色ひとつでバカみたいって思ったわ。けれど、髪の色、肌の色ひとつ。それだけでふるいにかけられる。それだけで決められてしまう。

 もちろん、わたしは髪の色ひとつなんかで、人は変わらないって信じていた。けれど悔しいものね。髪の色ひとつでまわりは変わってしまうし、わたしもまた、いつのまにか変わってしまったんだわ」

 短いまつげをすこし下げて、彼女は手の甲のシミをなでた。あのときはまだ、こんなシミもなかったわね、といって、顔をあげる。

「ごめんなさいね。あまり楽しい話ではないでしょう?」

「いえ」

 ソウは首をふった。向こうで遊んでいるナギとカイを見ながら、

「まだ、向こうも盛りあがってるみたいですし」

 とほほ笑んだ。

「そうねぇ。あなたの暇つぶしくらいには、なるかしら」

 彼女はまた、こまったように笑った。

「働きはじめて五年が経ったころ、わたしは洋裁店を辞めた。最初から決めていたの。間口の広いドリミアルの国立学校に留学しようって。両親はもちろん反対したけれど、さいごは笑って許してくれたわ。広い世界に行きなさいって。嬉しかった。

 そうして、十六歳。はじめてドリミアルへ訪れた。わくわくしたわ。わたしはなんでもやれるような気がしたの。自由な世界があるんだって、期待して――けれど、現実はちがったわ。

 図書館で必死に勉強した魔幽(まゆう)大陸の言葉なんてちっとも役に立たなくて、なんにも読めないし、なんにも通じないのよ。まわりの人はあたりまえに駅舎へ吸いこまれてどこかへ行ってしまうのに、わたしだけ立ちつくしていて。移動ひとつよ。たったそれだけで、それまでの五年間が無意味になってしまったように感じて、くじけそうになった。

 泣きたくなんてないのに、ぼろぼろと崩れてしまって、その場に座りこんでしまった。もちろん、泣いてもだれも助けてくれないわ。みんな忙しいんだもの。夢の街といったって、それは外の国の人間から見ただけのものよ。そこで生きるために生活している人がいて、街を支えているのだから。

 かといって、だれもかれも冷たいわけじゃなくて、手を差し伸べようとした人もいたの。けれどね、頭巾からこぼれ落ちたこの髪を見て、ばつの悪い表情を混ぜて、みんな逃げていってしまった。みじめで、悔しくて、悲しかった。

 こんな髪でなかったらって。また同じように髪のせいにして、いつまでも立ちあがれない自分が、なにも成し遂げられない自分が、よけいにみじめに感じられた。

 そんなときに、ゆいいつ、彼だけが手をさしのべて握ってくれた。涙と鼻水で顔はぐちゃくちゃ。髪は汚く乱れていて老婆みたいに白髪まじり。まぶたは腫れて鼻は真っ赤。そんなわたしによ」


――お嬢さん、どうしました?


「彼は人の視線からわたしを守りながら、まず静かな場所へ案内してくれた。おちつくまでとなりにいてくれて、気まずくならないように色んな話をしてくれたわ。彼は旅人だったの。

 わたしがようやく話せるまでおちついたら、今度はわたしの話をじっと聞いてくれた。ぜんぶ話したわ。親に話したこともないことまで、なにもかも。だって、言えないじゃない。この髪のことなんて、わたしよりも両親が気にしているんだもの。たくさん愛して育ててくれたんだもの。言えるわけなかったのよ。

 彼はやさしくあいづちをうってくれた。そして話が終わったら、宿泊先まで送ってくれた。こんなにやさしくされたのは初めてだったわ。

 わたしはお礼がしたくて、彼の宿泊先がどこかを訊ねたの。そしたら、すこしこまったように微笑んだのを覚えてる。彼は、もう一度会うつもりなんてきっとなかったのね。でも、どうしてもそれきりにしたくなかった。しつこくお願いしたら、いよいよ降参して、教えてくれたわ。

 自分でも、おどろいたものよ。だっていままで、そんなふうにもう一度会いたいって思う人なんていなかったし、この髪をみたら失望されるから、ずっと避けて生きてきたんだもの。――思えば、恋をしていたのね」

 痩せたまぶたを閉じて、老婆は細く息をこぼした。いくらかの時間がすぎて、老婆はようやくまた口をひらいた。

「それから、何度かお食事をして、そのたびに彼はたくさんの話をきかせてくれたわ。わたしは彼の髪の色が好きだった。やわらかくて、綿毛みたいにふわふわで、やわらかくて。

 せっかくこんなにすてきなのだから、切るなんてもったいないわって言ったら、伸ばすと面倒くさいんだって、こまっていた。せっかくだから、髪をひと房もらっておけばよかったかしら。――なんて、いまさらよね」

 眉尻をさげ、ひかえめに口角をあげる表情は、どうやら彼女の癖らしかった。

「わたしよりも背が高くて……でも、かっこいいって言うよりも、愛嬌のある人だったわ。それに、ちょっとヘタレさん。子どもみたいに無邪気な人で、とても明るくて、陰気なわたしとは正反対の、太陽みたいに温かい人。とても好きだった。いまでも、ずっと好きよ」

 彼女は胸のまえで、両手を重ねた。大事なものをそっとつつんでいるようにも見えた。

「ほかにも、言葉に不自由していたわたしに、魔幽(まゆう)大陸の言葉を教えてくれた。わたしはなにも返せるものがなかったから、かわりに、彼に名前をつけることにしたの」

「名前を?」ソウは目を丸くした。

「だって、名前を訊ねたら、いつも適当に呼ばれているから、好きに呼んで、ってしか言わないんだもの。こまっちゃうじゃない」

 老婆は小さな花のように笑った。

「ねぇ、あなたは、『旅人手記』ってご存知かしら」

 ソウはうなずいた。

「わたしは、〈黄昏の章〉が好きでね。そのなかに、夕凪の静けさなら、愛しい人の足音が聞こえてくるんじゃないかって、耳をそばだてる話があるの。

 その話では、けっきょく夜になっても愛しい人はあらわれなくて落胆してしまうのだけれど……待っているあいだのドキドキと高揚感に、わたしは自分を重ねていたの。だから、夕凪からとって、ナギ。でもそのあと、この名前をつけてしまったことを、ひどく後悔したわ。それこそ、今日にいたるまで、ずっと」

「どうして?」

「いなくなってしまったのよ。出会って、半年くらいかしら。彼はこつぜんと、姿を消してしまった」

 彼女はふたたび、こまったように笑ってみせた。

「旅人だって言ってたから、どこかへ旅立ったのかもしれない。けれど、一言もなく、置手紙のひとつだってないまま、わたしの恋と思い出を置き去りにしていったの」

 影の色は、だんだんと暗くなり、老婆の小さな背中は、ますます、まるまってしまったように思えた。

「でもこれでよかったのよ」

 老婆は自分を納得させるようにぼやいたあと、あらためて言った。

「これで、よかったの」

 ソウは老婆の話に耳をかたむけた。

「彼がいなくなった理由は、いまでもわからない。だから、あの時のわたしは、神隠しだって、思うしかなかった。待っていれば、きっとひょっこり帰ってくるって。

 そうしているうちに――わたしは。結婚して、子を産んで。気がつけば孫ができて。こんなにおばあちゃんになっちゃった。六十年よ。けれど、彼を待っているあいだ、なにもないなんてことはなかったのよ。たくさんの幸せを知った。喜びも悲しみもあった。人とたくさんの時間をわけあって、生きているの。わたしは、わたしの人生を、豊かなものだと思えるのだから、とても幸せなことだわ」

 目じりの乾いたしわの隙間へ、透明な湿気が入りこんだようすを、ソウは眺めていた。老婆は色褪せた爪のたて筋をひとつ撫ぜると、ちいさく息を吐いた。水のこもった呼気だった。いまさら会えたとしても、きっと彼も、しわくちゃのおじいちゃんね。とくべつ面白くもないことを冗談めいたように言いながら、彼女は笑った。

「だから、もしかすると、本当にどこかですれ違っていて、でも、わからなかっただけかもしれないわ」

 たれたまぶたの奥で、老婆の瞳は夕闇を溶かしたようにかすんでいった。彼女はまどろみの色を眺めながら、なにかを言ったらしい。ソウは聞きかえさなかった。そのころには、もう影と夜の色がなじんでしまっていて、彼女の思い出はどこにも見当たらなくなってしまったように思えたからだ。

「夜は冷えますね」ソウは立ちあがった。

 老婆もまた、そうね、とすっかり座面にはりついてしまったような重い腰を、ことさらゆっくりと持ちあげて、立ちあがった。銀色のような、白色のような。年老いた奇妙なまだら模様が、たったひとふさ。ぱさついたままこぼれた。そのとき、彼女もまた、ソウのイビツな白色をじっと見つめていた。あごのしわと、くちびるのしわがつながっていっしょくたになったまま、じっとりと動く。

「あなたは、白色が憎いかしら?」

「――……」

 ソウは内心、冷ややかに目を細めたが、表情やしぐさにはいっさい出さないまま、

「憎くないと言われれば」

 と言って、すこしこまったように笑みをふくめてみせた。すこしばかり間をおいて

「おかげで苦労しました」

 と続ける。

 彼女はそれらに対して、かってな想像を浮かべて、都合よく物語を補完したらしい。くちもとに憐憫(れんびん)をにじませながら、ひどく微笑んだ。たれたまぶたがいっそうさがって、頬骨とくっついてしまいそうだ。こうして真正面からみると、彼女の乾いた顔に刻まれたしわは、ひどく非対称だった。

「今日は本当にごめんなさいね。孫がお世話になって」

 ソウが、いえ、とだけかえすと、老婆は丸い腰をさらに折りさげた。礼を言ってから、また顔をあげるが、それでも彼女の背中はまるまったままだ。それ自体はソウにとってどうでも良いことで、ただすこし……ほんのすこしだけ、居心地が悪いように思えたのは――。

「あなたの苦労も、すこしなら、わかってあげられると思うわ。わたしもあなたも、白色に苦しめられてきたんだもの。もし話をしたくなったら、いつでもいらっしゃいね、孫も――……」

 それからの内容について、ソウは覚えることをやめてしまった。あまりに無意味で、わるい言いかたをすれば、とても、バカらしく思えてしまったからだ。


 二人と別れて、ナギと黒影の三人で駅へ向かっている間じゅう、ナギはあの少年のことを話しつづけたが、魔鉱客車が到着するころには、話題も変わっていて、それから、ふたつ、みっつと、とめどなく内容を変えながら、ナギはずっとおしゃべりをしていた。

 やがて、晩御飯の話題になり、宿泊街の表通りにある活気づいた居酒屋で三人、カウンターに席をならべて食べることにした。そこは、注文したものが客の目の前にある魔鉱式焜炉(こんろ)の網に乗せられ、火が通るのをじっくり待ちながら酒を交わすような店だった。

 ナギがおしゃべりで乾いた喉をうるおすように、まず、エールをいっきに煽り、黒影は透明な清酒でくちをしめらせながら、つきだしの蒸し豆をつまんだ。

 ソウは炭酸水をかたむけながら、いつも通り途切れない話題へあいづちをうち、質問を返しては、なるほどとうなずいた。

 ちょうど網焼きの貝がぱっくりと開いたときに、ふとなにかを思いだしたような気がしたが、その思考の輪郭を見つけることはしなかった。考えていたことといえば、故郷の弟についてのいくらかの憂いと、とりたてて掘り下げる必要のないまばらなものごと。いわば、思考の端切れだ。ほどほどに腹を満たしたら、早く宿へ戻って、ぺっとりと肌にはりついたような熱気を流してしまいたい。迷わず寝台へとびこんで、なにも考えずに寝てしまいたい。

 人々が吐きだす酒臭い呼気に乱れた通りにはとうにうんざりしていて、かといって戻ったとしても、宿の端々へ染みついた香の匂いは重怠く。どれも、けっして好ましいものではない。それでも、ただ寝たかった。寝てしまいたかった。

 どこからか流れてくる葉巻の煙で、目もとがチクチクと痛んで、ソウはちいさくまばたきをした。とくべつな興味はなかったものの、どこから流れてくるものかを、目端で確認する。

 ちょうど、油が染みた空調の下で、鼻頭から耳まで真っ赤にした男二人が、手悪さのように煙を立てているらしかった。ソウは空調の音があることに、はじめて気がついた。その瞬間、店内が一段と騒がしくなってしまったように感じられて、ソウは多少、辟易(へきえき)とした。

 二人の男はそれぞれに、齢を重ねたくちびるをまるめながら、むちゃむちゃと動かして、なにかの調子を整えたようだ。ようやく、垂れ流していた煙をまとめるように、葉巻をつまむと、ずさんな手つきで、くちもとへ。惰性を味わうように、くわえこんだ。不均一な色をした歯が、口の(あな)の中で妙に目立つ。

(――ああ、)

 思いだして、しまった。あの老婆の乾いたくちもとと、思いでにかすむ濡れた瞳。同情を求めて。あるいは安堵の息を、痩せた歯茎の隙間からこぼすたびに見える、不均一な歯の色。彼女のくちはまるで、なにもかも白色が悪いのだと言わんばかりの――……。

 誰かのグラスが、かろん、と氷の音を響かせたとき、自分がすこし疲れているということに、ソウはようやく気がついた。酒を垂らして焼きあがった貝の中身を刺して、くちもとへ運ぶ。熱くて塩気が強い。だから、からい。熱を帯びた酒の風味と、いき過ぎた塩気はひどく乖離(かいり)していて、ひとつのものを食べているのに、まるで別々のものを無理やり咥内に押しこんでしまったのかと、しらふの記憶を疑ってしまうほどだった。

 ソウは、ゴムのような弾力を何回も噛みつけたが、食感にも味にも飽きて、すぐに飲みこんでしまった。きっと、酒のつまみとしては、一般的な味つけで、ちょうどいい塩梅なのだろう。

 エグくて。

 苦い。

(嫌いだな)

 ソウはそれとなく腰元の面をなでて、鈴の音を鳴らした。

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