(五)魔導遊園地にて
透明な板を、たった一枚。隔てたさきに映る世界は、断崖の峠道。それを中心にして右手側には岩壁が、もう半分には気が遠くなりそうなほどの蒼穹が広がっている。
うねりに沿って作られた石畳の行路を、駆動音がおびただしく駆ける。魔鉱車のなかで、ソウはハンドルを片手に、左の足もとにあるペダル――クラッチを踏みこんだ。それとほぼ同時に、空いた左手で変則レバーをかるく押し、次いで横に移動。さらに押しこむ。クラッチから左足をはなすタイミングで、右足のアクセルをひと息に踏むと、それまでわずかに感じていたちぐはぐの不快感が失せ、車体はなめらかに加速する。そうしているうちに迫ってくるのは、さらに激しい峠のうねりだ。弧の頂点の向こう側に広がるのは、色褪せた山々。それらは綿雲を侍らせ、悠久の空を大きく仰いでいるらしい。
斜め前に下っていく道に合わせて、重心は落ちていく。このまま行路からとびだせば、きっと違うことなく、あの大地へ吸いこまれてしまうだろう。車体にとりつけられたサイドミラーに映る行路のはしは、ほんの一瞬後ろへ流れ、みちばたに咲いていた黄色い花は、すっかり見えなくなった。
ソウは、先ほどとは真逆のことをした。慣れたようにペダルをそれぞれに操作しながら、左手でギアを落とす。しかし、今度はアクセルを踏みこんだりしない。にぶく速度を落としながら、カーブへ。ハンドルを回しながら道に呑まれると、身体はうねるように、車体ごとぶんと振りまわされた。
「――……」
ソウは表情を変えないまま、カーブの先を目視した。
曲線の中ほどを過ぎるか、それよりもうすこし早いタイミングで、アクセルを踏みこむ。ごう、と身体に叩きつけられた加速感が背筋を抜ける。そして、真っすぐな一本道へ。速度をさらに上げ――、
瞬間、弾けるような音とともに、山道の上空に色とりどりの紙吹雪が舞い上がり、軽快な小太鼓と共にホルンの豊かな音色が出迎えた。祝福の声をあげるように、シャラシャラときらびやかな音が重なり、さらに幾層にも音が増えたところで、またさらに紙吹雪が空へ打ちあげられる。
いつのまにか、山道はひらけ、行路の両ぎわにはたっぷりの観客を抱えた席がずらりとならび、青々と広がる上空には、光が走り、なにかの文字を描いたらしかった。
ふぅ、と息をついて、ソウは背もたれに自重をあずけた。ヘルメットを外すと、それまで目の前に広がっていた華々しい光景は平べったいものにかわる。立体的な音響のなかで一番にとびこんできたのは、ナギの「お見事です!」という明るい祝福だ。
座席横のサイドテーブルにヘルメットを置きながら、ソウはありがとうと言葉を返す。小さな駆動音が響き、ハンドルと座席の距離が自動的に離れたところで、ソウはシートベルトを外した。身体をずらして、卵型の仮想体験機から降りる。
ドリミアルに来て二日目。
ソウがいるのは、〈魔導遊園地〉のなかにある、室内遊興場――通称、ドリームランドと呼ばれる施設だった。
「けっこうすごいね」
つるりとした外殻をなでながら、ソウはもう一度、仮想体験機を見やった。大きな卵を横たえたようなそれは、ソウが今までに見てきたものとはまるでちがう、革新的な魔鉱機械に思えた。内側の座席は、汚れにくい合成皮革をたっぷりと使っていて、ところどころに通気性を考えたメッシュ生地を採用している。首や腰を支えるクッションの他、側部には自動で調節・収納が可能な肘かけがあり、座席ひとつをとっても、使用者の負担をできるかぎり軽減するように設計されているのが見てとれる。
視界をぐるりと覆うような曲面の画面と、立体的な音響をつくりだすための複数のスピーカー。これだけでもかなり没入感があるが、さらにヘルメットを装着することで、周囲の音を隔絶し、より現実感のある体験ができる、というわけだ。
とりわけソウが感心していたのは、一回の利用料金を払って、ボタンを押したり、レバーを引いたりするだけで遊ぶことができるという、明快さにあった。――目の前にならんでいる仮想体験機に限らず、この施設にある機械はどれも、子どもから大人まで誰でも安全・簡単に遊興を楽しめるつくりになっている。
「記録更新、ですって。すごいじゃないですか」
ナギが、パネルに表示された記録順位を指さした。
「ありがとう。けど、ただ調子を合わせて操作するだけだよ?」
ひかえめに笑いながら、ナギとならんで歩きはじめる。壁際の椅子に腰かけて待っていた黒影が立ちあがり、合流して後ろにつく。いつも通り、眉間に細いシワの寄った表情だ。ときおり、チカチカと瞬く蛍光色に目を細めている。施設内を埋める大音響と光の刺激は、彼女にとって心地いいものではないらしかった。とはいえ、ソウもそろそろこの刺激に辟易としはじめていたところで、いちど静かなところで休憩しよう、と提案する。ナギは快くうなずいてくれた。
〈魔導遊園地〉では、人が近づくと、どこの扉もたいていかってにひらく。
大きい施設といえば、たいてい扉番という、扉を開けたり閉めたりすることを仕事にした人間がいて、それがあたりまえだと思っていたソウは、このことにもたいそう驚いた。
「ほんと、ふしぎなところ」
ひとりでに閉まっていく扉を横目に外へ出ると、それまで人工的で均一としていた明るさから一転して、日中のまばゆさに目がくらんだ。さんさんとふりそそぐ陽光を手でさえぎる。空調で冷えた肌が太陽の光にあたって、熱をとりもどしていくような心地だった。樹と土の匂い。花のかおりは、向こうの広場から流れてきたのだろう。
ゆっくりとまばたきをしながら見まわすと、ちょうど、目と鼻の先に喫茶店があった。昼時で混雑しているものの、人の出入りは多いようだから、三人が座る場所もきっとすぐ空くだろう。指をさすと、ナギは笑顔でうなずいて、黒影はくちを一文字に結んだまま後ろをついてくる。
「ソウくんって」
おもむろに、ナギが言った。
「もしかして、魔鉱車だけじゃなくって、魔導車も運転できるんですか?」
園内をゆるやかに移動する自動清掃機が、落ちていた木の葉を吸いこんだようすを横目に見ながら、ソウは苦い笑みを浮かべた。
「魔鉱車なら運転できるけど。魔導車のほうはダメなんだ」
「またまたぁ」
「本当だって。機械操作だけならできるけど、魔導機関係になるとからっきしなんだ。――むかし、魔導車を壊しちゃって、協会の契約先からしこたま怒られたことがある」
ソウはふと遠い目をした。
「どうにか許してもらえたけど、もしそうじゃなかったら、借金で首が回らなくなるんじゃって、さすがに肝を冷やしたなぁ……」
「ぶつけちゃったんですか?」
「だったら良かったんだけど、動力から……」
「動力⁈ そんなのどうやって壊せるっていうんですか。ただの不良品じゃないんですか」
ナギは大きな声をあげた。
「なんていうか、すごく相性が悪いんだよね。魔導技術機を触ったらだいたい壊れちゃうから、もともと希望してた技術・研究系の部署にも配属されなかったし……協会には魔導技術関連の仕事をいっさい回してもらえなくなった」
「ああ、たまにいますよね。ものすごく相性が悪い人」
「原因がわかれば対処もできるんだけど、とにかく向いてないから絶対触るなって。相性の良い魔導武具が見つかったから、どうにか仕事にはなったけどね。だから、かれこれ十数年、ずっと前線で討伐の仕事ばっかりだよ」
「いま思ったんですけど、ソウくんが魔導機器と相性悪いのって――、」
言いかけて、ナギはおもむろに顔をあげた。
「あ、アレ! あれ乗りましょう」
ナギはソウと黒影の手をとると、ぐいぐいと引っ張った。
「ちょっとまって、休憩は?」
「あとで!」
ナギは言った。
「いま人がならんでないので、乗るなら今しかありませんよ、ほら行きましょう!」
喫茶店の前を通りすぎて向かう先は、大きなヘビがうねうねと巻いているような高架線路が特徴的な乗り物型の魔鉱遊具だった。天蓋のない小型客車に乗って、急こう配の線路を降下することで、安全に刺激が楽しめるという話だっただろうか。そしていままさに、高架線路の上を猛スピードで突っ走る天蓋のない小型客車の上で、人々は叫び声をあげながら笑っている。
「俺も乗るの?」
「とうぜんです。ほら黒影ちゃんも」
ナギは、うむを言わさず黒影から大太刀をとりあげ、受付にあずけてしまった。おいこら、と低い声で抵抗する黒影の背中を押すさまを横目に、ソウもまた、荷物と武器をあずけて、うながされるまま、停車している小型客車の一番前に黒影とならんで座る。ひとつ後ろに、ナギがらんらんと輝く笑みを浮かべて腰かけ、ややあって、安全バーが下ろされ、身体が車体に固定された。係員の掛け声とともに、ごとごとと振動をたずさえながら、いくらかの人を乗せた小型客車は、急こう配の丘を登るように、ゆっくりと動き始めた。
(意外)
ソウはちらと、ななめ後ろのナギを見やった。ナギの性格を鑑みるに、こういった刺激的な乗り物は好まないだろうと思っていたからだ。
カチカチと巻きあげられるチェーンの音を聴きながら、ソウは淡々と事態を把握していた。
(あ、すごい。けっこう高くまで上がるんだなぁ)
先ほど魔導体験機で体験した刺激とはまるでちがう、まさに現実だ。上空を吹き抜ける風は、とうぜん肌に触れ、日差しが近くなるほどに熱を帯び、身体は重力に縛りつけられているように、車体に密接する。
ソウはおもむろに、周辺を見渡した。向こうに見える観覧車にはおよばないだろうが、それでも、〈魔導遊園地〉を一望するにはじゅうぶんな高さがある。高架線路をぐるりと確認すると、ドリミアルの深い虚を横断する箇所が見えた。とうぜん、そこに地面があるわけがない。ドリミアルの〈虚〉をうまく利用した、実に刺激的なつくりだ。
(ふつうなら、ああいうふうに忌避されるものを利用しようなんて、考えないと思うけど。これを考えた人って、頭がいいっていうか、発想がやわらかいのかな)
すなおに感心するかたわら、車体はさらに上昇する。もうじき、頂上に到達するだろう。
「ソウ、これは落ちるのか」
めずらしく。本当にめずらしく、黒影が訊ねてきた。
「落ちるけど、落ちないよ」
ソウは淡々と答えて――、黒影を見た。目を瞠る。彼女の横顔はいつもに増して険しいが、それは不快やいらだちというよりも、もっと別のものに思えた。
「黒影」
カチカチカチカチ。
「もしかしてさ、」
「だまれ。舌を噛むぞ」
カチカチカチカチ。
カチカチカチカチ。
「怖いの?」
カチカチ、カチ。
黒影がほんのわずかにくちをひらきかけた、刹那。
ひゅ、と、音が途切れた。小型客車の尖端が、きらりと陽光を照りかえした瞬間に、轟と風が叩きつけられるように吹き抜け、車体と共に急落下する。線路の継ぎ目。ガクン、と身体が揺さぶられながら、右へ左へと振り回され、視界がぐるりと一転。ゆるやかになったかと思えば、すぐさま突き落とされるように落下して、いっそう激しい乱高下が叩きつけられる。きゃあああああ、と空に響いた甲高い悲鳴は、どうやら後ろのナギのものらしかった。
黒影はというと、ソウのすぐとなりで口を一文字に引きむすび、長い髪を抱えこんだまま、安全装置をぎゅうと握りしめ――おそらく、身体が固定されていなければ、彼女はいまにもとびだして、この場から逃げていたのだろうというくらいの形相で――目の前の光景を瞠目していた。
(これは、意外なものを見たなぁ)
そのようすを淡々と眺めながら、ソウは考えごとにふけっていた。彼女がこうも怖がる理由は、いったいどこにあるのだろう。
ソウにとっては、ナギがこの刺激を楽しんでいることも意外でならなかったし、黒影のこういった反応を見ることも初めてだった。
あっけなく終わった魔導遊具から降りたソウは、ならんで降りたナギへ声をかけた。
「おもしろかったね」
「はい、ぞくぞくしちゃいました」
ナギは「身体のいろんなところがひゅってしましたよ」などと笑いながら、あずけていた荷物いっしきを受けとる。ソウもまた、同じように荷物と武具を担ごうとした。しかし、ふいに背中へ、トンと気配が触れたことに気づき、手をとめる。首をひねると、黒影だった。どうりで、足音もないわけだ。彼女はややぐったりとしたようすで、白い顔はいつもよりいっそう血の気がひいている。枯れ枝のような指先は、ソウの袖に触れていたが、あまりちからは入っていない。
「黒影?」声をかける。
彼女はソウの身体へもたれかかったまま、首をふるふると横に振った。――さて、どうしたものか。すこし考えて、訊ねる。
「えっと、もしかして……具合悪い?」
黒影はなにも言わず、ちいさくうなずいた。ソウは受けとった自分の武具と黒影の大太刀をナギに任せ、身体の前で黒影を抱きかかえた。ふとこぼれた長い髪をひろいなおして、あたりを一瞥する。いくつか休める場所は散見できたが、そのなかでも、人の気配がとくに少なく、しずかで、手洗いが近くにある日陰のあるベンチへ向かうことにした。ナギにはハンカチを手渡して、水で濡らしてもらえるように頼む。
と、黒影にも声をかける。
「もうすこしがんばってね」
抱えられているあいだ黒影はなにも言わず、また、抵抗することもなくソウの腕の中にいた。




