(四)そういう宿
宿泊街の表通りには、涼やかな夜を道外れに追いやるような熱気が人々の声とともに立ちこめていた。酒場をはじめとした飲食店がずらりと軒を連ねていて、どこも盛況で、道沿いにならんだスタンドテーブルでさえ、入れかわり立ちかわり人でごった返している。店のすきまで寝こける酒乱がいたり酔ったもの同士がぶつかってケンカをはじめたりと、騒がしい。
やはりこの時期は観光客が多いのか、たいていの宿が満室だ。ソウ達は運よく明後日から宿泊可能な宿を見つけたものの、今晩と明日の寝床はまだ決まっていないという状況に直面していた。
百貨店や公共施設の一部には、一時的に簡素な寝台をならべ衝立でさえぎったていどの寝床が格安で提供されているが、そこもやはり人ばかりが密集していて、いまさら入れるようすではなかった。いっぽうで、通りに面した広場には、簡易的な天幕が設けられている。ためしにのぞいてみると、誰彼かまわず雑魚寝しているような状態で、浮浪者や物乞いがじっとりと目はしを利かせながら、うろついていた。
「さすがに、ここじゃあね」
「ですよね。なら、あとは……」
亜麻色の髪を揺らしながら、彼は考え――、
「いちおう、あてはあるんですけど」
とややこまったように言った。
「どうかしたの?」
「うーん」
彼は頭をなやませたらしかった。
「まあ、大丈夫でしょう。すくなくとも、ここよりはずっとマシだと思うのですよ」
三人は、通りから一本外れた道へ入っていった。
細い路地では、暗闇を奪いあうようにして、蛍光色の看板がせめぎ合っている。表通りの喧騒とした雰囲気から一転して、人通りはうんと少ない。一歩進むごとに食べものの匂いは薄くなり、かわりに、重怠い花の香りが充満するようになった。
「もし」
通りざまに、軒先に立っていた妙齢の女性がちいさく声をあげ、ソウの袖をひいた。ギラギラとやかましい蛍光看板の光が女の輪郭をきわだてる。片側に大きな切れこみが入ったロングスカートから足をだして、ねっとりと視線を絡ませるように見上げてきた。
「おにいさん、」
「ごめんね」
夜でも目立つ紅をさえぎって、ソウは彼女の手をそれとなくほどいた。あっさりと身を引いた女は、すこし後ろのほうを歩いていた別の男へ同じように声をかけ、そのうちに、まるではじめから恋人だったとでもいうように腕を絡ませ、店の中へ吸いこまれていった。
「まるで捕食だな」
「仕事でしょ」
ソウは黒影の皮肉めいた言いまわしをいさめた。
しばらく歩くと、亜麻色の背中はそこでようやく立ち止まった。先ほどよりも、しんと静まりかえっていて、人の気配がじっと息をひそめているような夜の不気味さと、肌寒さがある。
「まあ、このあたりなら……」
独り言ちて見まわし、彼はひとつの建物へ向かう。密集した高層建築の隙間に細く口をあけていて、ささやくようなダウンライトが、人を選ぶように手招きしている。宿屋だろうか。わかりやすく下げられた項目と値段表記がある。
背中を追って、ソウもまた狭い入口から中へ入る。奥はすこしひらけていて、どうやら、この宿のロビーらしい。はいってすぐ目にはいる大型の魔導パネルは、ソウが両手をすこし広げたくらいの大きさで、いくつかに区切られて画像が表示されていた。客室番号と室内の画像が表示され、歯抜けのように点灯しているものが、現在空いている部屋のようだ。
すぐ近くのカウンターは、手もとだけがひらくように小窓がとりつけられていて、ドリミアルの開放的で享楽的な雰囲気に反して、どこか閉塞的だ。店の人間はいないのだろうか。
呼び鈴がないかとぐるり見わたしてみるが、やはり、そういったものは見あたらない。ダウンライトの影にたたずむように、ひっそりと示された緊急通路の表示が、誰もいないこの場所に人間の思考を置きざりにしているように思えた。
「とりあえず、今晩の宿はどうにかなりますね」
ソウのとなりにならんで、翡翠色の瞳がパネルをのぞきこんだ。指先で一、二、三と空いている部屋の数をかぞえ、そのうちのひとつを指さす。
「三人なら、お値段的にもここかな、と思います」
彼はソウと黒影のようすを見て、反対がないことを確認したらしかった。パネルのひとつに指をすべらせると、ポン、と無機質な操作音が響いた。画像が拡大され、三つほどならんだ文字列はそれぞれ、数字と価格を表記しているようだ。旅人の指先は慣れたように、一番下の項目をかるく叩く。今度は左右に項目が展開した。それも迷わずに選んで、「この手の受付は、案内板が入室手続きを兼ねているのですよ」と簡単に説明した。右手の四角い箱から、ウィン、とかすかな駆動音。まもなく、カードキーが二枚発行される。ソウはそれを引き抜いて、彼へ手わたした。
「人手がたりないの?」
「それもあるかもしれませんけどね」
あいまいに言葉を濁し、彼は奥へ向かった。
「さ、行きましょう」
自動昇降機をのぼって、目的の階層につく。――コツ、と靴底が響く。ここも、やはりしんと静まりかえっていた。ほのかに、鼻孔へ触れる香りは、どこかで嗅いだことがある。
(ああ、これ。さっきの)
路地で声をかけてきた女性と、同じだと思った。
「嫌なにおいだな」
黒影がすんと鼻を鳴らした。彼はとくべつ気にしたようすもなく
「どこかで香を焚いているのでしょう」
とだけ言った。
湿度のある甘い匂いにつつまれた人の気配が、うっすらとこの宿にも染みついている。
通路はあかりをしぼっていて、薄暗い。深い光沢のある足もとへ反照する間接照明は、派手な黄鉛の色をしていたが、それもつかの間。目に痛い花緑青へと変わり、さらに桑の実色に沈んだかと思うと、毒々しい花のような深紅が向こうまで満たした。
ソウはタイルの光沢を踏みながらついていった。艶のあるレリーフの群れが、壁際でぎらぎらとしつこく主張するのを流し見つつ、等間隔に配置された扉へそれとなく目を向けた。
どの扉の脇にも、壁と同じ暗色を基調とした、つるりと地味なそなえつけパネルがあり。その表面には、すぅと縦にはしった溝、そしてそれよりも短く、すこし口の大きい横溝がひとつ。一番上には、部屋番号が記されていた。なんのきなしに歩くのでは、きっと気づけない。ひっそりと息をひそめているのは、その部屋に宿泊客がいるからだろう。
二回、角を曲がると向こうのほうに、ひとつだけ淡く光をたずさえている部屋があった。予想通り、つきあたりの部屋が、カードキーに記された番号と同じだ。
昇降機からここまで、照明の色はすでに二周していたが、けっきょく、誰ともすれ違うことはなかった。
「さて」
彼は左手でパネルの溝へカードキーをさしこむと、そのまま縦にすべらせた。――ポン、とまた無機質な音。横溝を示すように、光がちかちかと点灯した。そこにいくらかの紙幣をまとめて充てると、パネルはそれを難なく吸いこんだ。ウィン、とかすかな音。扉の鍵があいたのを最後に、部屋番号を示す光は眠るように消えて、音もなくなった。
「ここは前払いなんだね」
「まあ、基本的に時間制ですから」
「時間制?」ソウはドアノブに手をかけた。
扉の装飾も凝っていて、一見高級住宅のように美しい。だが、アクの強い照明のせいで、本来もっている画一とした壮麗さは、のっぺりと粗雑に張りついているだけに見えてしまう。
扉を押しあける。たしかに丈夫だが、見た目よりもずっと軽い。いっそう甘い匂いが強く感じられて、ソウは細く息を吐いた。間口のすぐ脇に備えられたクローゼットに外套を掛けて、用意された室内履きにかえる。左手の扉は、おそらく洗面所だろう。後ろがつっかえてはいけないと、ソウは先に奥へ向かった。うしろでさしこみ口にカードキーを入れるようすが見え、ややあって、ほうと明かりがともった。
「え」
ソウはぎょっとした。
客室の中央。一段高い台座の上で、どっしりと鎮座している大きな寝台は見たこともない円形をしている。大人二人ないし三人が眠るには充分すぎるほどの大きさだ。薄いレースカーテンを虹色の光の粒が透過し、天涯には、きらきらと輝くシャンデリアが下げられている。
(なんで寝台の真上にシャンデリア……?)
宿泊を目的とした客室にしては、どうにも悪趣味なようすだが――、しかし、ただそれだけなら、ソウはそれほど驚かなかっただろう。
ソウは内心、首をかしげながら、もう一度、横目に手前の壁を見た。
艶やかな真紅を基調とした豪奢な壁紙の中央部分に、ぽっかりと四角い大穴が空いている。そしてその穴いっぱいに、この客室のバスルームをまるまる見わたせてしまうほどの透明なガラスがはめこんであった。
「こういうのはですねぇ」
明るい声をあげながらバスルームにかけこみ、パネルを操作したらしい。ふわりとガラスが曇って、色づいた。旅人の影だけがぼんやりと映っている。ややあって、いそいで戻ってきた彼が、「こうやって、見えなくすることもできますよ」と親指を立てた。
「うん?」
見えない、という言葉についてやや納得はいかないが、それは聞き流すことにして、ソウはざっと室内を見てまわった。いちいち装飾が悪趣味なことをのぞけば、一般的な宿とそれほど変わりないか、あるいはそれ以上に良いように思えた。
と、寝台のわきに、四角い箱があることに気がつく。ガラスがはめ込まれた小さな食器棚、といったようすだが、固く閉ざされていて、上部には貨幣・紙幣を投入する小さな口があった。中はいくつかに区切られていて、ひとつひとつに小さな扉がついている。それぞれに値段の表記があるから、おそらく無人販売機だろう。わざわざ寝台のわきに備えつけてあるということは、なにかしら意味があるのだろう。
ふとのぞきこんで、
(ああ、時間制ってそういうことか)
ソウはこの部屋、ひいてはこの宿の目的を理解した。
こういった形式の宿屋があることは話に聞いていたが、ソウにとっては縁遠いもので、実際に訪れたのは初めてだった。そういうものだから、大通りに間口を広げていない。ロビーに人の気配がなく、自動昇降機も、昇りと降りでそれぞれ分けられていて、廊下は自然と一方通行になるような導線で設計されている。極力、他人と出会わないようなつくりになっているわけだ。
ソウは背負い袋を荷物棚に置きながら、無駄に大きく豪華な寝台と、シャワールームと寝所を隔てる透明無垢なガラスを見やった。つまりは、あれもこれも、そういうための演出だと。
どうしてか、ソウはどっと疲れた心地で荷物をひらいた。黒影もまた、客室に入って、一度顔をしかめたが、すぐにまたいつもの不機嫌な表情にもどって、背負い袋をこちらに押しつけた。
「洗濯ものは?」
「自分でする。荷物は置いておくだけでかまわん」
「そ、」
ソウは受けとった背負い袋を置いて、ひらいたままにしていた荷物から自分の洗濯物をとりだした。そのあたりに置いてあるナギの荷物も持ってきて、ものはついでと、ひと声かけてからひらく。
寝台のわきで、おもむろに黒影がかがんだ。
ソウはそれを見なかったことにして、ナギと自分の洗濯物をひとまとめにした。
「おい、これはなんだ」
「ああ、それはですね――……、えっと、俺の頭カチ割らないって約束してくれます?」
「説明しろ叩き割るぞ」
「もう、すぐそうやって脅しをかけるんですからぁ」
彼は口をとがらせたあと、いつもの調子で指を立てた。
「まぁ、いわゆる、オトナのオモチャを売っている自動販売機です」
「?」
「ああ、そこからですかぁ」
半眼になって頭をかくと、彼は「そうですねぇ」とめずらしく頭を悩ませたらしかった。黒影が顎先で急かすのを前に、いよいよ逃れようがないと理解したらしく、観念しては黒影のとなりに、一人ぶんの距離をあけてしゃがんだ。
「言ってしまえば、性行為のさいに、楽しみのひとつとして使用するものですよ」
ソウはそのあいだに、洗濯物を洗面所にはこび、そこにある備品の確認もすませておくことにした。
(洗濯機は魔鉱式かな。家で使ってたのとあんまり変わらなさそうだけど……いちおう、ナギさんに使いかた聞いておこう)
むだに大きな室内窓とバスルームを横目に、ソウは寝室へ戻った。黒影とナギは、やはり先ほどと同じように、無人販売機の前でかがんだまま、なにか話しこんでいるらしかった。おもむろに、黒影が無人販売機のなかにあるひとつを指さした。
「これは」
「それは潤滑剤ですよ。で、そっちは……ああ、さすがドリミアルですね。女性同士でも楽しめる、専用のオモチャもあるとは」
「こっちは」
「それは後ろ用です」
「なぜ」
「そういう楽しみもあるのですよ。ただ、これについては、下剤を使ったり、腸内を洗浄したりしてからおこなう必要がありますねぇ。衛生管理は大事ですよ」
「……ナギさんは、いったいなにを教えてるの?」
ソウはいよいよ、胡乱げに眉根を寄せた。
「ただの性教育ですよ」
彼は半眼で答えた。
「それとも説明を代わってくれますか?」
「はは、まさか。俺は知識も経験も、ナギさんには遠くおよばないよ」
ソウはかるく笑みをうかべて、はっきりと言葉をつき返す。
「じゃあ、責任もって説明してね」
「裏切者ぉ」
うらみがましく響いた声を、ソウは笑みで流した。




