表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/106

(三)星追い魚

 ソウは目を大きくして、夢の国を見つめた。入国のときに乗ったゴンドラから見た夕暮れの景色と、街の上を走る魔鉱客車から見る夜景はまるでちがう。荒野にぽっかり空いた(うろ)は、ひとたび夜闇に包まれてしまえば、さながら星空に浮く空中都市だ。藍色の夜空を架け渡る無数の光はどれも美しく、そのうちのひとつの色帯にそって、客車は夜空をなめらかにすべってゆく。虹色の奔流(ほんりゅう)に呑まれては、また夜空がひらけ、そのさきの光に呑まれる。体験はめまぐるしい。

「この〈魔鉱航路(マナ・レール)〉は、客車と航路、お互いの魔導術式の性質を反発させることで、この浮遊しているような、なめらかな移動を可能にしているのですよ」

 もちろん、航路から外れないような安全設計や、密閉された客車内の環境整備も、魔導術式によってほぼ自動的になされているのだとナギは続ける。

「中央区島にある制御塔……シンボルタワーのことですね。そこでは多くの人々が、魔導術式の整備や監視をおこなっているんですけど、観光名所としても有名なんです」

「ナギさんは参加したことあるの?」

「さすがにないですねぇ」

 そこまで言うと、ナギは「あれを」と言い、パッと窓外を指さした。つられて、ソウと黒影もまた同じように星空へ視線を向ける。

「わぁ」

 ソウは声をあげた。光の帯をするりとよけながら、めいめいの光の群れが夜を翔けたからだ。細長い蛍光を宿したそれらは、皆いちように銀色の腹をひるがえし、ぐるりとつむじを巻いた。かと思うと、さらに上空へ。螺旋を描きながら大きく広がった。雄大な星空を自由に翔ける美しい魚たちは、ながいひげをゆるやかになびかせながら、薄く透明な翅で夜風にのる。まるで、この客車と泳ぐのを楽しんでいるようだ。

星追い魚(サーディン・テルヴァ)魔幽(まゆう)大陸の固有種ですよ」

「魔種でもなんでもない魚が、空を飛ぶの?」

 ソウは訊ねた。ナギがうなずく。

「ええ。彼らは回遊魚の一種で、時期がくるといっせいに空へ飛びだし、ああやってつがいを探すのですよ。不思議なことに、彼らには性別がない。つがいになった彼らは、ふたつがひとつに。混ざりあうことで、はじめて成体になるんです」

 ナギがしめした空には、つがいになったばかりの個体がいた。ふたつの個体は、しなやかなひげを絡ませ、翅を共鳴させながら、しばらく遊泳していた。そのうちに、群れからそっと離れ、遠い星空へ。ぽつ、と消えていく。

「空を移動する間に、ひとつになっていくんだね」

 ソウはつぶやいた。

「きっと、長い旅だ」

「ええ。彼らは、はるか空の果てで、ようやく海へ還り、卵を産み、その尊い一生を終えます」

 星空を悠々と泳ぐ魚たちは、どこまでも自由であるように見えた。

「本当に、おどろくことばっかり」

 旅が始まって、大変なことはいくらでもあった。これからもおそらく、幾度となく大変なことはあるだろう。ソウは考えた。いま過ごしているこの時間が、途方もない現実だ。未来への道筋は、あまりにも遠い旅路で、たまに、故郷への道が細くなって潰えてしまうようにさえ思うこともある。

 けれども。

 信じられないほどの美しい光景を、こうして目の前にして、感じられることが、大人になってからもあるなんて――、考えてすら、いなかった。

 これまで、日々はいつも摩耗してゆくだけの作業に過ぎなかった。それは、自分が社会の一部だからだ。日ごと、季節のうつろい。多少の差異はあれども、やることはあまり代わり映えもしないものごとで、かといって、退屈だという暇はない。なにかと忙しいからこそ、新しさや変化をともなうものごとは、いつのまにか億劫(おっくう)になって、あまり興味もわかなくなり、そのうちに、意識のうちからすっかりなくなっていた。

「〈白の境界線〉に入ってからもだけどさ。崖から落ちちゃったり、補給地点が魔種に襲われたりしてさ。けっこう大変なことも多いけど――、」

 こういう光景が見られるなんて、思ってもなかったよ。

 そんなふうに言いかけたときだった。

「?」

 おもむろに。

「魔種に、襲われた……?」

 ナギが首をかしげた。

「それって、なんの話です?」

 空をすべる魚の背すじが、ぴかぴかと明滅している。

 光って、暗くなって。

 また光って、暗くなる。

「ナギさん、なに、言ってるの」

 ソウは、わるい冗談だよね、と笑ってみせた。

「だってナギさん。目の前の人を助けられなくて、泣いてたって」

「だから、なんの話ですか?」

 明滅する光に照らされてもなお、翡翠色の瞳は変わらなかった。

 星空は次第に暗くなっていった。それは、星追い魚(サーディン・テルヴァ)がそれぞれにつがいを見つけ、遠い未来へと進みはじめたからだった。ぽつぽつと残っているいくらかの魚は、いまだに星空をさまよっている。まわりにはいくつも同じようにさまよっている魚がいたが、どれも、おたがいを認識できていないように、ずっとずっと、ぐるぐる、ぐるぐるとめぐっていた。

 群れとも呼べなくなった彼らは、つがいを見つけられなかった彼らは、いったいどこへいくのだろう。

 どこへ、いけるのだろう。

「ナギさんはさ、どうして旅をしているの?」

「ナギは――、」

 そのとき、夜空にひときわ大きな花火が打ちあがった。ド、とひらいた音がして、つづけて、ふたつ、みっつと咲きひらく。ナギの声は、華やかな空気の振動のなかに消えてしまったから、わからない。

「――……」

「わぁ、奇麗ですね!」

 ナギは無邪気にはしゃいだ。

「ソウくんも見てくださいよ。こんなにすごいの、一生に一度かもしれませんよ?」

 ソウは目を(みは)った。

 気がつけば、おなじ客車に乗りあわせただれもが、目の前の盛大な花火に心奪われ、ナギと同じように、その瞳に輝きを咲かせていた。いつもなら、きっとソウはすぐにでも調子を合わせていただろう。だが、どことなくずれて、かみ合わなくなっていくこの感覚が、はたしてナギのせいなのか、自分のせいなのか、わからなくなってしまった。

「補給地点は魔種に襲われ壊滅した。それはたしかなことだ」

 低い声が、すげなくさしこんだ。ソウはふりかえる。りん、と鳴いた鈴の音が不安定に揺れている。黒影は、光の氾濫が届かない暗がりにいた。彼女は、きらきらと反射したまばゆい光を(いと)うように、目を細めた。

「おかしいのはナギだ。ヤツの記憶が不安定なことはいまに始まった話ではないと、キサマも知っていただろうに」

 彼女の黒いまなざしは、夜よりも、ずっと暗い。

「どうした。いつものように、その他大勢と同じ顔をしないのか」

 黒影は嘲るように笑った。

 ソウは口をひらきかけたものの、なにかをいうことは、あきらめた。それをすることに、いまはなんの意味も見出せなかったからだ。おもむろに、窓外を見上げる。また、花火が咲いた。

 いつのまにかいなくなった星追い魚(サーディン・テルヴァ)

 思いかえす人間は、もういない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ